今夜は、大学院の授業に出席した。
今日の主な内容は、マックス・ウェーバーの提唱した「理念型」に関するものだった。その備忘録。少し難しい話です。
頭の中で一定の観点から、概念的に純粋な理論を組み立て、これを現実理解のテコとする考え方、その純粋な思惟像が「理念型」であるという。この思考法は、社会科学に携わるものにとっては知っておきたい概念のひとつだと思う。
この方法論は、限界効用学派のメンガーの方法論(客観性を重視し、社会科学においても自然科学と同様に「法則」を定立しなければならない)という主張を斥けるものであり、また歴史学派であるシュモラーの方法論(主観性を考慮し、社会科学を自然科学と区別して、個別具体的歴史を模写することで、歴史を解釈すべき)という解釈をも否定するものだ。
古典的経済学の研究は、限界効用学派によるものが多く、エスノグラフィやオーラルヒストリーは歴史学派による手法でもある。そうではないアプローチ、それが「理念型」による方法論である。
具体的には、われわれの諸行為の「動機」と行為の「結果の意味」を合理的に結び付けることで、社会現象をまず理解する。さらに、これにより得られた関係は「規則」であるが、「仮説」にほかならないから、この「仮説」としての「規則」に基づき、歴史的な具体的事実を「説明」しようとする方法である。
たとえば、しばしば経営学では「暗黙知」「形式知」という概念を使って、知識創造のプロセスを説明することがある。いわゆる「SECIモデル」がそうである。
「暗黙知」や「形式知」はメンガーが言うところの「客観的な法則」とは言い難い。知識の構造が必ずその二つに分類できるとは断定できないからである。だが、そうした「規則」(仮説)を設けた上で、現実に起こる企業活動を説明することはできうる。この例は、ひとつの「理念型」だと思う。
要するに、「理解-説明」の方法とは、「仮説の定立」とその「経験的検証」に他ならない。「理解と説明」とは、「仮説と検証」の繰り返しによるものではなかろうか。
他方、この「理念型」の方法論にも問題点が指摘されることがある。
仮説の定立とは、合目的的な行為モデルではないかという批判。すなわち、行為の「動機」とその「結果」をストレートにつなげようとするモデルであって、合理的に理解しえない「意味」を排除しているのではないかという批判である。しばしば、経営理論は実践には役に立たないと豪語する人がいる。
ところで、ウェーバーは、「理念型」を構想した上で、そうした批判に対して「価値自由」を主張する。価値自由については次の記事で。
今日の主な内容は、マックス・ウェーバーの提唱した「理念型」に関するものだった。その備忘録。少し難しい話です。
頭の中で一定の観点から、概念的に純粋な理論を組み立て、これを現実理解のテコとする考え方、その純粋な思惟像が「理念型」であるという。この思考法は、社会科学に携わるものにとっては知っておきたい概念のひとつだと思う。
この方法論は、限界効用学派のメンガーの方法論(客観性を重視し、社会科学においても自然科学と同様に「法則」を定立しなければならない)という主張を斥けるものであり、また歴史学派であるシュモラーの方法論(主観性を考慮し、社会科学を自然科学と区別して、個別具体的歴史を模写することで、歴史を解釈すべき)という解釈をも否定するものだ。
古典的経済学の研究は、限界効用学派によるものが多く、エスノグラフィやオーラルヒストリーは歴史学派による手法でもある。そうではないアプローチ、それが「理念型」による方法論である。
具体的には、われわれの諸行為の「動機」と行為の「結果の意味」を合理的に結び付けることで、社会現象をまず理解する。さらに、これにより得られた関係は「規則」であるが、「仮説」にほかならないから、この「仮説」としての「規則」に基づき、歴史的な具体的事実を「説明」しようとする方法である。
たとえば、しばしば経営学では「暗黙知」「形式知」という概念を使って、知識創造のプロセスを説明することがある。いわゆる「SECIモデル」がそうである。
「暗黙知」や「形式知」はメンガーが言うところの「客観的な法則」とは言い難い。知識の構造が必ずその二つに分類できるとは断定できないからである。だが、そうした「規則」(仮説)を設けた上で、現実に起こる企業活動を説明することはできうる。この例は、ひとつの「理念型」だと思う。
要するに、「理解-説明」の方法とは、「仮説の定立」とその「経験的検証」に他ならない。「理解と説明」とは、「仮説と検証」の繰り返しによるものではなかろうか。
他方、この「理念型」の方法論にも問題点が指摘されることがある。
仮説の定立とは、合目的的な行為モデルではないかという批判。すなわち、行為の「動機」とその「結果」をストレートにつなげようとするモデルであって、合理的に理解しえない「意味」を排除しているのではないかという批判である。しばしば、経営理論は実践には役に立たないと豪語する人がいる。
ところで、ウェーバーは、「理念型」を構想した上で、そうした批判に対して「価値自由」を主張する。価値自由については次の記事で。