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アイデアの散策

仕事・研究・日常の中で気付いたことのエッセイ。

「理念型」の方法論

2011年07月22日 | 教育・数学・心理学
 今夜は、大学院の授業に出席した。
 今日の主な内容は、マックス・ウェーバーの提唱した「理念型」に関するものだった。その備忘録。少し難しい話です。

 頭の中で一定の観点から、概念的に純粋な理論を組み立て、これを現実理解のテコとする考え方、その純粋な思惟像が「理念型」であるという。この思考法は、社会科学に携わるものにとっては知っておきたい概念のひとつだと思う。

 この方法論は、限界効用学派のメンガーの方法論(客観性を重視し、社会科学においても自然科学と同様に「法則」を定立しなければならない)という主張を斥けるものであり、また歴史学派であるシュモラーの方法論(主観性を考慮し、社会科学を自然科学と区別して、個別具体的歴史を模写することで、歴史を解釈すべき)という解釈をも否定するものだ。
 古典的経済学の研究は、限界効用学派によるものが多く、エスノグラフィやオーラルヒストリーは歴史学派による手法でもある。そうではないアプローチ、それが「理念型」による方法論である。

 具体的には、われわれの諸行為の「動機」と行為の「結果の意味」を合理的に結び付けることで、社会現象をまず理解する。さらに、これにより得られた関係は「規則」であるが、「仮説」にほかならないから、この「仮説」としての「規則」に基づき、歴史的な具体的事実を「説明」しようとする方法である。

 たとえば、しばしば経営学では「暗黙知」「形式知」という概念を使って、知識創造のプロセスを説明することがある。いわゆる「SECIモデル」がそうである。
 「暗黙知」や「形式知」はメンガーが言うところの「客観的な法則」とは言い難い。知識の構造が必ずその二つに分類できるとは断定できないからである。だが、そうした「規則」(仮説)を設けた上で、現実に起こる企業活動を説明することはできうる。この例は、ひとつの「理念型」だと思う。

 要するに、「理解-説明」の方法とは、「仮説の定立」とその「経験的検証」に他ならない。「理解と説明」とは、「仮説と検証」の繰り返しによるものではなかろうか。

 他方、この「理念型」の方法論にも問題点が指摘されることがある。
 仮説の定立とは、合目的的な行為モデルではないかという批判。すなわち、行為の「動機」とその「結果」をストレートにつなげようとするモデルであって、合理的に理解しえない「意味」を排除しているのではないかという批判である。しばしば、経営理論は実践には役に立たないと豪語する人がいる。

 ところで、ウェーバーは、「理念型」を構想した上で、そうした批判に対して「価値自由」を主張する。価値自由については次の記事で。

ゼミの効果

2011年07月17日 | 教育・数学・心理学
 昨日、久しぶりにゼミ発表があった。
 
 ゼミの準備段階では、どのように自分の考えをみんなの前で発表するか、資料作りに汗をかく。資料を作る過程で、自分の考えがあまりなかったりすると焦る。統計データを並べて、パワーポイントの枚数を増やしてごまかすことも過去にはあった。きっと、ゼミ発表の経験がある人は、誰もが経験したことかもしれない。

 でも、やはりしっかりした発表をしたい。仮説をいくつか作り、発表に挑んだ。

 ゼミとは、研究内容を磨き上げるための検査の場とも言えるような気がする。「検査」という表現は、ややわかりにくいかもしれない。たとえば、工場ではふつう、できた製品を最終段階で「点検」する。市場に出しても良いか。品質を検査する。研究論文の世界では「査読」制度がある。論文の内容に妥当性があるかなどを複数の人が査定する。点検や査定。こうした機能が、ゼミの場にも緩やかにある。
 
 ゼミ発表までに、各々の人が自分のテーマを掘り下げる。事例を調べ、何か新たな論理を導き、自分なりの仕掛品をゼミの場に持ってくる。その内容を議論し、指摘をいただくことで、さらに磨けるところは磨き、誤っているところは訂正する。ゼミにはいくつかの効果がありそうだ。

・ 自分の仮説や考え方に対する指摘が、より適切な論理や自分の思想を作るきっかけになること
・ 自分が気付いていない情報や着眼点を指摘頂くことにより、新たな気付きが生まれること
・ 研究の方向性に示唆いただくことで、ものの見方や事実への嗅覚が養われること

 ほかにも、実践的な意味でのプレゼンテーション能力やコミュニケーション能力もまた養われるだろう。何より人間関係も構築される。共にゼミの時間を過ごした仲間のつながりは、経験という財産にもなる。

 だからこそ、発表内容についてはできるだけ建設的に指摘をし合った方がよい。議論は活発な方が面白い。無論、「発表者」への配慮は大切しながら、「発表内容」については時に論理的に詰めることも必要。昨日のゼミでは多くの人から有意義な指摘をたくさん頂いた。
 頂いた指摘を忘れないうちに整理し、また次の発表に向けた準備をしようと思います。ゼミのメンバーにはいつも感謝。

米国夜間MBA事情

2011年06月23日 | 教育・数学・心理学
 昨日の記事に関連して、米国夜間MBA事情についても少し調べてみることにした。

 詳細に調べれば、とても内容ある報告ができるでしょうが、とりあえず今日は西海岸にある「カリフォルニア大学バークレー校」について、ウェブページにある内容(平成23年6月時点)をもとに記事を書いてみようと思います。

 カリフォルニア大学バークレー校のMBAには大きく分けて3つのプログラムがあるといいます。
・Full-Time MBA Program(全日制MBAプログラム)
・Evening & Weekend MBA Program(夜間・土日MBAプログラム)
・Berkeley-Columbia Executive MBA Program(エグゼクティブMBAプログラム)

 Full-Time MBA Programは21カ月(約2年間)、Evening & Weekend MBA Programは3年間のプログラムで、それぞれ約250人の学生を募集しているという。
 他方、Berkeley-Columbia Executive MBA Programは19カ月のプログラムで、名称のとおり、バークレー校とコロンビア大学に所属する両教授が教えるエグゼクティブ向けのプログラムらしく、約70人の学生を募集しているという。このプログラムは、バークレー校のMBAとコロンビア大学のMBAのダブルディグリープログラムになっている。
 
 それぞれのプログラムに通う学生たちの平均就労期間は、Full-Time MBA Programが5年、Evening & Weekend MBA Programが8年、Berkeley-Columbia Executive MBA Programが12年という。

 その他、それぞれのプログラムの詳細な対比表は下記ウェブページ参照。
 カリフォルニア大学バークレー校MBAプログラムの対比表 (カリフォルニア大学バークレー校のページに遷移します)

 その上で、ここではEvening & Weekend MBA Program(通称:EWMBA)について、もう少し掘り下げてみます。カリフォルニア大学バークレー校Haas School of Business EWMBAプログラムのウェブページをもとにまとめてみました。
 カリフォルニア大学バークレー校Haas School of Business EWMBAプログラム (カリフォルニア大学バークレー校のページに遷移します)

 3年間で計42科目を受講する必要があり、1科目あたり2,387ドルとのこと。今の円相場で換算すれば1科目あたり20万円ということになるから、3年間で計840万円近い学費が必要になる。

 授業時間帯は、平日夜の場合、「月曜と水曜」又は「火曜と木曜」という組み合わせで18時から21時30分まで、土曜の場合、9時から13時と14時から18時といった午前・午後の2部構成になっている。
 1年目は取得すべき42科目中、18科目程度を受講することとなり、基礎必修科目である戦略論、マーケティング、問題解決といった科目が並ぶ。

国内夜間MBA・MOT事情

2011年06月22日 | 教育・数学・心理学
 ときどき、いくつかの大学・大学院のウェブページを拝見するのですが、国内の夜間MBA・MOTはしばしば変化しています。

 たとえば、東京理科大学専門職大学院は平成23年度から、それまでの「総合科学技術経営研究科」から「イノベーション研究科」に名称変更し、募集人数も50名から60名に拡大。研究科名から「MOT(技術経営)」という文字は消えた(専攻名には残っていますが)。

 東京農工大学大学院でも、同じく平成23年度から、それまであった「技術経営研究科」を廃止し、工学府の中に産業技術専攻を設置。研究科名から「MOT(技術経営)」という文字は消えた。

 早稲田大学は、平成23年6月16日のプレスリリースで、平成24年度から、それまであったMOTプログラム(平成22年度と平成23年度は夜間主)を廃止し、「MBA夜間主総合」(新設)及び「MBA夜間主プロフェッショナル」(継続強化)の中にMOTに関するゼミを設置することとし、プログラム名から「MOT(技術経営)」を事実上なくすこととした。
 
 都内にある名の通った大学をみると、平成20年度から中央大学に戦略経営研究科ができ、大学受験業界でいうところのMARCH(明治、青学、立教、中央、法政)のそれぞれに、いわゆるMBAが取得できる夜間コースが開設されている現状。

 でも、それらMARCHのいずれにも、明確に「MOT(技術経営)」を専攻とするコースはない。法政大学のイノベーション・マネジメント研究科は「イノベーション」という観点から教育をしているが、学位は技術経営修士(専門職)ではない。

 どうやら、「MOT(技術経営)」という看板は、全面に出ない方向に動きつつある。思えば、2005年前後、経済産業省は、「MOT(技術経営)」人材をたくさん作ると活き込んでいたと思うのですが。

 看板はともあれ、何より教育水準(教授陣、学生の質、教育内容)がどうであるかが大切だと思う。その際、やはり「技術」を忘れた「経営」の教育になってはならない。通奏低音に、「MOT(技術経営)」の視点を含んだカリキュラムをもきちんと保持した夜間MBA・MOTが必要と思う今日この頃です。

「あいまいさ」と「知的努力」の関数

2011年02月13日 | 教育・数学・心理学
 最近は、いろいろ読んだ本から興味深いと感じた内容を紹介していますが、今日はつぎの本
野村幸正著『知の体得-認知科学への提言』福村出版
を参考に、「あいまいさ」と「知的努力を喚起するもの」の関係について、記事を書こうと思います。

 言語のもつ「あいまいさ」の程度と知的努力量の関係について、同著で140ページから141ページにかけて解説している内容を要約すると次のようになる。

・表現された体系のもつ「あいまいさ」が多い事態では、受け取ろうとする者は伝えようとする者の意図を積極的に理解しようとする知的な努力が高まる。「あいまいさ」を知的な努力で積極的に補ってゆくことは「こうでもない」、「ああでもない」といったようにさまざまなの可能性を考え、あらたな独創的なものがうみだされてゆくことも十分に考えられる。潜在的な反応の多様性が増大すると同時に、体系以外への知的好奇心も拡がってゆく。

・これに対して、表現された体系のもつ「あいまいさ」が少ない場合、伝えようとする者の意図が受け手側に率直に伝わるため、受け手側はなんら積極的な関与を必要としない。そのため多くの場合、伝えようとする者と同等ないしはそれ以下のレベルで受け手側に情報が伝わることになる。生じる反応の多様性は乏しく、知的好奇心が喚起されることも少ない。

・しかし、ある一定限度以上に「あいまいさ」が増大すると、ノイズが入り、伝達内容が損なわれるというデメリットも当然生じる。そのため、たとえ知的な努力で補うとしても限界が生じたり、あるいは知的な努力が喚起されないことも当然あり、そのため急激に喚起率は低下すると考えられる。

 以上が同著からの一部抜粋であるが、実体験でもなるほど、そう思えることが多い。他の人に仕事の作業指示をするときに、たとえば「こんな感じの資料を作ってね」とアバウトに指示したほうが、指示された側も自分なりにどう資料を作ろうか創意工夫をするし、積極的に資料のイメージを作ろうとする。
 しかし、あまりに抽象的な指示をもらうと、人は急激に意気込みをなくす。どうしてよいかわからなくなってしまうからである。作業指示があいまい過ぎることに、不満をもってしまう。逆に、あまりに具体的な指示をもらうと、機械的に処理しようとして何ら独創性ももたず、その作業に知的好奇心すら感じない。

 読書や語学学習でもそうだろう。あまりに難しい本や文章に出くわすと、急に読み進めることが苦痛になる。逆に、具体的な事例ばかりも無味乾燥としている気がする。ほどよく読者に考えさせる本が、もっとも興味深く面白い。その「ほどよさ」がどの程度かは、ケースバイケースであるが。

 ほどよく「あいまいに」指示すること。そのさじ加減が、良き部下を育てる秘訣かもしれない。その意味で、あまり形式知的な指示ではなく、多少の暗黙知的なアドバイスの方が、結構、人はやる気をおこすときがありそうだ。