東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

ゆすり屋は撃たない、9

2013-06-01 07:29:21 | 国際・政治
日韓併合というが、日韓合併というほうがいいようだ。

ただ、商法では合併という言葉があっても、外交の世界では合併という言い方がないだけだ。大韓帝国*と大日本帝国が調印した合併文書だ。会社関係でも力関係が作用する。吸収合併という言葉もある。いずれにせよ、しかるべき手続きに基づいて行われれば、国際社会は異議を称えない。

* 大韓帝国とは半島人の整形や身長を高く見せる靴のようで滑稽である。李氏朝鮮が当時名乗った国号であった。帝国という言葉は漢語には無い。オランダ語から日本の蘭学者が作った言葉で、英語のempire、ドイツ語のライヒに当たる。

つまり多民族広大な地域を治める大国である。当時本国の韓国ですら実質上日清戦争まではシナの属国であった李氏朝鮮が、日清戦争で勝った日本からシナのくびきを脱してもらったばかりの時に早くも自称した名前負けの国号である。帝国を名乗るなど、かの半島の背の低い独裁者がかかとに下駄を履かせたハイヒールで外国首脳との記念写真に納まった精神状態と同じである。*

対等合併という言葉もある。日韓併合は対等合併でなかったことは事実だろう。ロシアの南下を防ぐために彼らは合併を選んだ訳だ。

昭和の日本とことなり、まだ国際社会のニューフェースだった日本はすべてにおいて国際社会での根回しに注力した。

根回しと言っても今の売国奴親米、親中主義者のように家畜が飼い主にすり寄るようなものではない。当時の政治家には交渉力も矜持もあった。

明治十年だったか、日本が台湾に出兵したことがある。その前には大久保利通が北京に行って清国政府の了解を取り付けている。

その時に清国政府の回答は「台湾は化外の地であり、日本の行動に異を唱えない」というものだった。化外とは中華文明の感化が及ばない土地という意味である。

日韓併合に当たっても、日本政府は国際社会(その当時、国際社会と言うと欧米列強を意味した)と事前に根回しをしたことは疑いない。その辺が昭和の満州事変と違うところだ。

とくに米国とは色々とやりとりしたことは、従前から言われている。『国際、政治』ブログに掲載されているタフトとの交渉は初耳だが、従来言われていたのは、日韓併合条約をアメリカが認めるかわりに、アメリカのハワイ強奪に付いて日本は黙認するという交換条件で交渉があったということだ。

上述の記事にパククネの演説の一部が引用されている。本当はインターネットで原文全部を見ればいいのだろうが、そこまでする気もないので、引用されている演説を読んだ印象を言うと、非常にインパクトのよわい、表現の生硬な文章だな、ということ。

これを日本のみならず、過去を反省しないのはアメリカも同じだという意味だ、と引用者はいうわけだが、引用文だけでははっきりしない。

いずれにせよ、彼女の文章をまるで、日本を強力に弾劾しているように、「わかりやすく、噛み砕いて」報道した日本のマスコミには、なにがなんでも相手の主張にあわせようとする、さもしい偏向した根性があったことは間違いない。

ハワイの強奪はその理不尽、傍若無人なことで、アメリカ本国の議会でも問題になった。アメリカの恥部である。太平洋戦争終結後の東京裁判で法廷に掲げられた世界地図にはハワイが載っていない。ハワイの東から始まっている。

太平洋戦争が日本のハワイ空襲から始まっているのにいかにも不可解である。アメリカが満州国建国を非難すると、日本側からハワイ強奪問題で反撃されるのを怖れてハワイの載っていない地図を掲げたとしか考えられない。

ちなみに、この『記録映画』は自らも太平洋戦線に参加し負傷もしているジョン・フォードが監督したと記憶している。現在では上映されることも無い。

あのジョン・ウェインと組んで駅馬車なんかの監督をした人物だ。

さきほど、ウィキペヂアを見たが、彼の作品としては載っていない。あまりにもひどい、一方的な作品で彼本人かどうかは知らないが、作品リストからは外したのだろう。

なお、ジョン・フォードはCIAの前身OSSの秘密情報員だったことが分かっている。

&: 当時目覚ましい近代化を遂げていた日本に学びたいとハワイ王は日本に接近していた。それを見たアメリカ人のハワイ入植者は王族を拉致監禁してハワイを強奪したのである。日本は信義の上からも無視出来ず海軍艦隊をハワイ沖に派遣してアメリカを牽制したことがある。

監禁中のハワイの王女が作詞作曲したハワイアンの定番がある。アロハオエかなカイウラニだか名前は忘れた。

今で言えば、アフリカか東南アジアの小さな国が日本の近代化を学びたいと言ったとたんにインチキ・でっちあげ・クーデターでその国を強奪するようなものである。