「令和」到来 実感ないのは「インパクトバイアス」のせい?
臨床心理士・経営心理コンサルタントの岡村美奈さんが、気になったニュースや著名人をピックアップ。心理士の視点から、今起きている出来事の背景や人々を心理的に分析する。今回は、新元号「令和」を分析。
* * *
「令和」の時代が始まった。でも何も変わらない。変わったという実感がない。当然といえば当然なのだが、なんとなく取り残されたような…。そんな感じがする人はいないだろうか?
令和元年初日の朝は、「平成」だった一昨日とまるで同じだった。新元号が発表された時の方が今か今かとワクワクしていた。巷の予想とはまるで違った元号は、ラ行のきれいな清音で始まり、明るく柔らかい、それでいて品を感じさせるような音の響きが新鮮だった。「令和」に決まったという号外を求めて人々が殺到していた映像に、時代が変わっていく節目の到来を感じたような気がしたものだ。
この1か月、メディアは盛んに新しい時代の幕開けを強調していた。平成の振り返りやら総括やらの番組が次々に組まれ、あるCMでは、「平成の大晦日」なんてキャッチフレーズが付けられていたくらいだ。微妙なお祝いムードや流れに乗って“新しい時代になった”という晴れやかな気持ちになるだろう、ちょっとしたお正月気分に似たような感じになるだろうと思っていた。だけどそんな感情は何も湧いてこなかった。
自分自身に拍子抜けだ。この拍子抜け、きっと「インパクトバイアス」の仕業だろう。
インパクトバイアスとは、ある出来事が生じた時、自分はどんな感じがするだろう、どのような気持ちになるだろうという感情の強さやその持続時間を過大に見積もる傾向のことだ。元号が変わるという出来事とメディアの盛り上がりを見て、自分の気持ちもアップするだろうと思ったのは、ポジティブなインパクトバイアスである。だが、実際は違っていた。
当然と言えば当然だ。年末年始のように年賀状を書いたり大掃除をしたわけでもないし、カレンダーを掛け替えたわけでも手帳を新しくしたわけでも、新年度や新学期が始まったわけでもない。自分自身の環境も置かれている状況も変化していないのだ。きっと皇居に参拝に行ったり、改元イベントに参加したり、元号が変わることで影響を受ける仕事に携わっていたりすれば、新しい時代の到来を実感できたのだろう。そう考えると、時代が変わるという感覚や感情が湧きおこる出来事や瞬間は人それぞれなんだと思い知らされる。
ところが、ネガティブなインパクトバイアスは強かったのか、令和になったことで、突然自分が古くさい人間になった感じがしてきた。元号と西暦を変換するのがますます面倒になったというぐらいで、自分の歳や生まれた時代の古さを感じることはないだろうと思っていたら、違っていることに驚いた。一気に歳を取った気がしてきたのだ。
ここが、バブル時代を知っている昭和生まれの辛いところだ。元号が令和に変わったことで、昭和は前ではなくて、前の前の時代。平成という時代を跨いでしまった。「令和から見た昭和」は、「昭和から見た明治」のような時代性と印象になっていくのかもと思うと、俄然、「歳を取った…」という感覚が強くなったのである。時代を跨ぐことによるこの感覚は、 “時代感ギャップ”とでも言えばいいのだろうか。複雑な気分だ。
連休が終わり、あちこちで令和の元号が使われ、耳にすることが多くなれば、新しい時代になったことを実感するだろう。でも、誕生日だけは元号ではなく西暦で書こうと思う。