ひろのギターで息抜き

趣味のギターで息抜きしてジャンジャン鳴らしてます!

マネーワールド①~資本主義の未来~「お金が消える!?」(by 2018.10.6(土)NHKスペシャル) 50:10 2018.10.6作成

2018-10-15 22:20:36 | 日記

 

マネーワールド①~資本主義の未来~「お金が消える!?」(by 2018.10.6(土)NHKスペシャル) 50:10 2018.10.6作成

マネーワールド~資本主義の未来~第1集「お金が消える!?」(by 2018.10.6(土)NHKスペシャル) 50:10 2018.10.6作成 ***▽爆笑問題×資本主義▽世界から現金が消滅!?▽“新たな 通貨”最前線。


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NHKスペシャル「MEGAQUAKE」南海トラフ巨大地震 迫りくる“Xデー”に備えろ(Japanese subscene)

2018-10-15 21:57:21 | 日記

NHKスペシャル「MEGAQUAKE」南海トラフ巨大地震 迫りくる“Xデー”に備えろ(Japanese subscene)


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内田裕也、希林さんと夫婦登場かなわず 最後の共作上演、観客に「ありがとう」

2018-10-15 21:50:57 | 日記
 
舞台挨拶を行った内田裕也(前)と崔洋一監督=京都・祇園花月

ロック歌手・内田裕也(78)が14日、京都市で最終日を迎えた京都国際映画祭で、ドキュメンタリー作品「転がる魂 内田裕也」(崔洋一監督)の上演後に舞台挨拶を行った。作品は内田の歌手活動などの歴史と近況を追ったノンフィクションで、9月に亡くなった妻樹木希林さんがナレーションを務めた最後の夫婦共作。

希林さんは当初、同映画祭に参加して、企画を手がけた映画「エリカ38」(19年公開予定)の発表を行う計画もあった。毎年、同映画祭に参加している内田との賑やかな共演も期待されていたが、かなわなかった。

1人で参加した内田は、会場で自身のドキュメンタリーを鑑賞してから登壇。声が出にくい状態であることを説明し「一杯飲んだら治るんだけど」との裕也節も飛び出したが、作品について「先日他界しました樹木希林さんが出ていたんで、ちょっと動揺を隠せなかったです」と、さみしそうに亡き妻への思いを語った。観客に「一緒にスクリーンを見てくれてうれしかったです。ありがとう」と頭を下げ、会場から拍手が起こった。

作品のラストで希林さんは「私は、ふっとおいとまするかもしれませんが、裕也さんには面白かったわねと伝えました。裕也さんの魂、転がって、転がって、転がって、どこへ行くのかなあ?」と結んでいた。

崔監督は7月に収録を行った希林さんが「私の最後のナレーションよ」とほほ笑んでいたことを明かした。

内田は、奮い立たせるように「しんとするのは本意じゃないんでね。またポリシーと夢を曲げないでやりつづけたいと思ってます」と声を絞り出すようにあいさつした。

 
 

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元巨人ドラ1横山氏 余命3カ月の危機を乗り越えて 妻と歩む第2の人生

2018-10-15 21:49:35 | 日記

 

 
元巨人ドラフト1位の横山忠夫氏=東京・豊島区の手打ちうどん「立山

 

 

池袋駅から徒歩で1分。元巨人・横山忠夫氏(68)が経営する手打ちうどん屋「立山」は、開店から35年目を迎えた。

71年ドラフト1位で巨人入団。右腕から威力ある直球と落差の鋭いフォークを投げ、4年目に8勝をマークした。その後は成績が低迷し、77年に戦力外。ロッテで1年プレーした後、引退した。

「大好きな野球に関わっていると、いつまでも後悔してしまう」。野球界への未練を断ち切り、うどん屋への転身を決意。巨人時代の先輩、堀内恒夫氏の紹介で「手打ちうどん 銀座木屋」に入店した。そして、3年間の修行を経て独立した。

経営も軌道に乗り、順調だった第2の人生。狂いが生じたのは99年、49歳の時だった。まず、大腸がんが発覚。その3年後に肝臓がんが見つかり、再手術した。その7カ月後、肝臓に別のがんが見つかった。

3度目のがんは、さらに命の危険を脅かすものだった。「肝細胞がんというもので、肝臓の中に数がいっぱいできるがんだった。手術もできなかった」。抗がん剤の効果も見込めず、治療方法は生体肝移植のみ。医師からは「移植をしないと、余命は3カ月から半年」と宣告を受けた。

ドナーとなったのは妻・敦子さんだった。肝臓の3分の2も移植する大手術。当然、ドナーにもリスクを伴う。敦子さんは「私しかいないわね」と気丈に振る舞っていたが、横山氏は「元気な身内の体を傷つけていいのか」と深く思い悩んだ。

背中を押してくれたのは、堀内氏だった。「お前、死んじゃおしまいだぞ。俺も協力するから家族の申し出を受けろ」。家族、そして堀内氏に説得されて移植を決断。横山氏は「あの言葉がなかったらあきらめていたかも」と、振り返る。

移植から16年。夫婦二人三脚でうどん屋の経営を続けるが、横山氏の生き方は変わった。もともと大の酒好きだったが、移植後は断酒。「もらった肝臓を痛めることはできない」。敦子さんとの何気ない日常に、感謝するようになった。

現在、母校・立教大野球部のOB会長も務める。昨年は全日本大学野球選手権での59年ぶり優勝に立ち会い、選手と一緒にオープンカーで豊島区内をパレードした。「本当に生きていて良かった」。苦難を乗り越え、幸せな毎日を送っている。(デイリースポーツ・佐藤啓)

◆横山忠夫(よこやま・ただお)1950年1月4日、68歳。北海道出身。網走南ヶ丘高校から立教大を経て、71年ドラフト1位で巨人入団。長嶋茂雄監督が就任した75年は、先発ローテに入り8勝を挙げた。77年に巨人を退団。78年はロッテでプレーし、同年に引退。通算70試合の登板で12勝15敗、防御率4・64。


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