スケッチ楽画記! ‘15-4月
‘15-4-3 (335)
春告げる森にひときわエドヒガン
今年もエドヒガンの桜が咲き始めた。猿見橋(大日駐車場前)から見る雲隣の森にも美しい桜が咲き始めた。
<箕面川ダム湖周辺の桜姿>
‘15-4-10 (336)
森の湖の暗い雨空 春灯る
エドヒガン、ヤマザクラなど森の桜が随所で見られるようになった。薄暗い雨空の下、桜の木一つ一つが春の灯火のように見える。
<教学の森・さえずりコース上り口にて>
‘15-4-17 (337)
新緑に心癒されうつらつら
小川口からイノシシ防止柵を開いて森に入る。淡い緑色したコナラの新芽が初々しい・・・森の中ではモチツツジが咲き始め、蝶々も舞い、ヤマザクラが散る・・・
<新稲の森から小川口へ>
‘15-4-18 (338)
心身で至福に浸る里の森
新稲の里のレンタルファーム前から教学の森への道 新稲の森を背景に里にはタンポポ、ツユクサ、ハルジオンなど野草が花咲かせ、小鳥のさえずりを聴きながらノンビリとスケッチする。至福のひと時を楽しむ・・・
<もうすぐ始まる箕面 川床>
みのおの森の小さな物語 (創作) NO-18
森で人生の一休み (1)
「 辞令!
浜崎 啓介 4月1日より大阪業務センター
第4業務室勤務を命じる。」
3月下旬のこと、啓介は突然 箕面・船場にある本社の専務室に呼ばれた。
「何かあったのかな?」
当然、仕事上の指示かと思い専務室のドアをノックした。
入室するや否や突然に専務は激しい口調で啓介を罵り始めた。
「ちょっと待ってください! 一体何の話ですか?」
啓介の問いにも全く耳をかさず、一方的な叱責がしばらく続いた。
その内容は全くの濡れ衣で自分の担当外のこと、まして責任など論外の
話だった。
「何かおかしい?」
考える暇もなく、専務は啓介に有無を言わせずおもむろにあの辞令が
読み上げられたのだった。
「何かの間違いだ? 夢か?」
それは事実上の退職勧奨追い出し部屋行きのことだった。
「まさか? なんでこのオレが? そんなバカなことがあってたまるか」
啓介は心の中で怒り、叫びながら、呆然と専務室をでた。
啓介の勤務するレストランチャーン グッドスター社は同族会社で、
創業者夫婦が会長、副会長、その長男がボンクラ社長、専務の娘婿が
実質上の権限を持ち、次男が副社長、長女が常務、以下親族郎党が
全ての役員を占めていたが、なぜか3男・三郎だけは冷遇されていて
箕面業務センター勤務だった。
しかも いつも3男は役員らから叱責ばかりされて能無し扱いにされて
いたが、人一倍勉強熱心で謙虚、それに物腰も柔らかく誠実な人柄は、
仕入先や社員から最も信頼されている不思議な存在だった。
啓介も15歳で入社した時から、時々声をかけられ気にかけてもらい、
どれだけ励まされてきたか分からなかった。
それだけに専務室を呆然としながらでた啓介は、その事をその3男・三郎に
相談しようと考えたが・・・ やめた。
同族で実力者の専務の辞令をひっくり返す事など、到底不可能な事は
分かっていた。
啓介は47歳になった。 箕面の中学校をでてすぐに、この外食産業の
会社に入った。
そしてこの企業内学校にて仕事を覚えながら、通信制の高卒資格を得ていた。
啓介ら企業内学校で育った若い力は、その後の高度成長にのって
全国各地の現場責任者や店長として活躍していた。
そしてバブル景気にも支えられ、正社員1500人、店のパート、アルバイト
を含めると9000人を越える大きな会社に成長していた。
啓介の最初の勤務地は東京・六本木の東京研修センターに併設された
地域一番店だった。 そこで食材の調達、調理、キッチンからホール、
接客サービス、経理から店舗運営に至るまで、みっちり6年間働きながら
学んだ。
そして22歳の春、渋谷に出来た新店の副店長となった。
その頃の事だ・・・
ある日、賑やかな女性4人連れのお客様が来店され、啓介が席を
ご案内したときだった。
「あれ! もしかして・・・?」
「あっ 貴方は・・・」
と、双方ピンとくるものがあった。
それは啓介が箕面の中学2年の時のことだった。
運動会で借り物競争があり、それは走ってランダムに紙切れをとり、
そこに書かれている内容のものを借りてゴールを目指すというものだった。
「よーい ドン!」
で啓介が取った紙には・・・
(女性の手を借りてゴールすること・・・)
「まさか! 今日はオレのおかんは仕事で来てないし・・・どないしょ?」
ウロウロしていた時、目の前で友人らと笑い転げている女の子がいた。
この子なら頼めるかな? と思い、切羽詰って紙切れを見せて頼んだ。
「いいわよ!」
と あっさり了解してくれ、手をつないで一緒にゴールした。
結果は2位だったが、それ以上に啓介は初めて女の子と手をつないで
走ったことが嬉しくて、恥ずかしくて顔を赤らめた。
あれから箕面のCDショップで偶然出会って立ち話をしたけど、どうやら
隣町の中1の子で、あの日 従兄弟の運動会に遊びに来ていたとの
ことだった。
あれ以来の二人の出会いだった。
彼女は友達らと東京デズニーランドへ遊びに来ての帰りとのこと。
すっかり美しい女性になり、啓介の心を一瞬にして捉えてしまった。
啓介はみんなが食事を終えた後で、その子とメールを交換し、お互いに
偶然の再会を喜んだ。
それから半年後、二人は遠距離恋愛を実らせスピード結婚したのだ。
啓介22歳、新妻の恵子21歳 若い二人の幸せの秋だった。
あれからもう25年が経ち、二人は今年銀婚式を迎えていた。
長男は23歳となり、長女22歳、次女も今年で20歳となり、各々が仕事を
もち、家を離れ自立したばかりだった。
今年からは夫婦二人暮らし・・・ 少し寂しいながらも昔に戻ったような
気分で生活を始めたところだった。
啓介は今まで自分の順調な仕事に誇りを持ち、自分の人生が豊かで
幸せに満ちたものであることに満足していた。
それに今 取り組んでいるのは会社の次期主力店舗の業態開発であり、
啓介が中心となってその大型企画を進めている最中だ。
「それなのになぜ? 何があったというのだ?」
あのリーマンショックや円高、株安、その他国内外の外的要因もあり
、更には食の多様化、時代ニーズの変化、他業種からの参入などで
既存の外食産業は厳しい経営に陥っているのは事実だ。
だからこそ我が社も起死回生を図らねば・・・ と頑張ってやってきたのに.
啓介は半ば夢遊病者のようにフラつきながら家路についた。
しかし、妻には言えなかった。
自分でさえまだ信じられなかったからだが・・・
4月1日 啓介は重い足を引きづりながら、箕面・船場の業務センター
第4業務室の戸を開けた。
そこにはすでに10数人の社員がいたが、かつて先輩が言っていたように
全員がうつろな目をし、手持ち無沙汰な様子でウロウロとしていた。
「なぜオレがここにいるんだ・・・ なぜなんだ・・・?」
啓介は怒りと絶望感で呟き続けた。
結局あれから二ヶ月足らずで啓介は会社を辞めざるを得なかった。
どう頑張ってみたところで、この部署で先を見通すことなど出来なかった。
「すぐに次の職場をみつけるさ~ それから妻に伝えても遅くはないし~」
啓介は自分にそう言い聞かせていた。
7年前、40歳になった時に、啓介は箕面・彩都の新しい街に3LDKの
マンションを買っていた。 初めて手にする自分と家族の城に満足していた。
しかし、まだローンの返済はこれからだ。
あの頃は、定年前には無理なく完済できる予定だったのに・・・
「まあ 何とかなるさ~」
半分は不安ながらも、まだこの時は気楽に考えていた。
啓介は退職した次の日から、毎日ハローワークに通った。
求人誌も手当たり次第に見ては履歴書を書き、次々と応募した。
しかし、60余件ほど応募したが、面接にこぎつけたのはうち3件だけ。
それも3件とも数分で 「うちでは難しいですね」 とか、「ちょっと無理かな」
そして 「不採用・・・」 と言われた。
啓介は焦った・・・腹も立った。
「このやりきれなさは何なんだろう?」
それから二ヶ月ほど、同じような状態が繰り返された。
すぐに次の職を見つけるさ! との目論見はあえなく挫折し、余りにも
厳しい現実の社会に打ちのめされた。
それまでのプライドはズタズタに引き裂かれてしまった。
「しかし・・・何とかせねば・・・」
毎朝、啓介は自分に鞭打ち、妻に見送られながら会社に行くふりをして
定時に家を出ていた。
啓介が倒れたのは、その一ヶ月後だった。
いつも通り二人で朝食後、出かける支度をして玄関に出た所で急に
崩れるようにして倒れた。
恵子がビックリして 「すぐ救急車を・・・」 と言う言葉を制し
「ちょっと待ってくれ! 大丈夫だ! 少し休んだら出かける・・・」
と、ひとまずベットで横になった。
恵子は最近夫の状態がおかしいと感じていたが、
「ちょっと今忙しいからだ! 大丈夫だから・・・」
と言う夫の言葉を信じ、何かあればちゃんと話してくれるだろう・・・と
わざと平然と日常生活を過ごしていたのだが・・・
「何か会社であったのかしら・・・?」
昼前、落ち着いたところで恵子は嫌がる夫を連れ、近くの内科へ診て
もらいに出かけた。
先生は症状、状態を診た後・・・
「すぐに今から紹介状を書きますから、別の先生に診てもらって下さい」
と 言われた。
「えっ 一体何なんだろうか 何かおかしいわ?」
恵子は少しふらつく啓介を車に乗せると、紹介された箕面市内の心療内科
へ向かった。
診察後、先生から・・・
「・・・うつ病ですね。 当面この薬を飲んで体を休ませてください。
しばらく仕事は休まれて安静にして過ごしてください・・・何か変化が
あったらすぐに知らせてください・・・」
恵子はうつ病という名前は知っていても、いつも他人事だった。
「まさか主人が・・・なぜなんだろう? 何があったの?」
帰宅しすぐに貰った薬を飲んでベットに入った啓介は、それから二日ニ晩
眠り続けた。
心配になった恵子は、途中何度か起こして水を飲ませたり、トイレに立たせ
たりしたものの、啓介は昏々と眠り続けた。
三日目の朝、恵子が起きる前に啓介はもう目を覚ましていた。
「ああ~ よお寝たな~ 腹へったわ・・・」
啓介は妻の作る朝食を次々と食べながら、それまでの強固な防波堤が
一気に崩れるかのように、たまり溜まった事実の山を妻へ話し始めた。
退職した事、ハローワークに通い応募した先から次々と断られた事、
プライドも人間性も否定され辛かった事、あがいてもがいて苦しかった事、
「もうオレはダメ人間だ 社会では受け入れられないクズ人間なんだ
もう生きる望みも無くなってしまった・・・」
そして、何度かビルの屋上を見上げていたり、電車の踏み切りで佇んで
いたりしたこと・・・ などを素直に妻に話した。
黙って全てを聞いていた恵子は、涙をポロポロ流しながら静かに
立ち上がると、座っている啓介をそっと抱きしめた。
(2) へつづく・・・
森で人生の一休み (2)
恵子は夫を静かに抱きしめながら二人で涙を流した。
「けいちゃん 辛かったのね・・・ ごめんね!
私 気がついてあげられなくてね
でももういいのよ 貴方の今までの仕事ぶりは私が一番良く知っているわ
子供たちもみんなしっかりと自立したじゃない・・・ 私は幸せよ
みんな貴方のお陰なのよ 本当に感謝しているわ だから今は
ゆっくり休んでね これは神様からのきっと贈り物だわ
きっとうまくいくわよ 私はいつまでも貴方と一緒よ いいわね
さあ 笑って 笑って! 私ね けいちゃんの笑顔が大好きなのよ
昔、渋谷の店で貴方を見たとき、誰よりも素敵な笑顔で接客していた
けいちゃんに一目ぼれしたんだからね・・・
それに私ね 実はヘソクリ上手なのよ 貴方に黙ってたけどたっぷり
あるの だから一年や二年収入がなくても私ヘッチャラなのよ・・・」
啓介はやっと笑いながら、もっと早く妻へ全てを話すべきだったと思った。
「そうだわ 次の日曜日 子供たちも呼んで、昔 2 3度行った
箕面の滝へ一緒に出かけてみない?
森の中を歩くのも気持ちいいんじゃないかしら・・・」
恵子は人の力より、今 大自然の力が必要だと直感したからだった。
子供たちには電話で父親の失業とうつのこと、今の状況を詳しく正直に
話し、それもあって・・・ と 一緒に箕面の滝行きを誘った。
日曜日の朝、三人の子供たちはそれぞれ少し心配顔をしながら
集まってきた。
しかし、表面はみんな明るくし20数年ぶりに家族5人揃って箕面駅前に
向かった。
啓介は全く気が進まなかったが、妻や子供たちに心配かけたことと、
今まで仕事ばかりで家族みんなが揃って遊びに行くことなど無かったので
渋々ながら腰をあげていた。
真夏の太陽が照りつける暑い日だが、瀧道から一歩森の木陰に入ると
予想外に涼しかった。
賑やかなセミの大合唱に負けじと大声で喋り、カジカ蛙の鳴き声をみんなで
真似てみたり、つるしま橋から箕面川に下り、裸足になって川遊びをしたり、
緑の森の中で恵子が作ったお弁当を広げ、昔話に花を咲かせたりした。
丁度、瀧安寺前広場では 「箕面の森の音楽会」 が開かれていて、
みんなで手拍子をしながら音楽を楽しんだ。
夕暮れになると、箕面川渓流に飛び交うホタルを追ったりして一日 家族
五人が楽しい一時を過ごした。
「今日 来てよかったね お父さんの笑顔を久しぶりに見たわ」
家族が一つになれたような心地よさをみんなが感じていた。
そして啓介と恵子の新しい二人の人生がスタートした。
啓介は家族揃って歩いた瀧道の光景を思い出しながら、
少なからず感動を覚えていた。
「箕面の山や森を一人で歩いてみたいな~」
その気持ちを恵子に素直に伝えた。
「それはいいわね 私美味しいお弁当を作ってあげるわ 貴方の
好きなコーヒーもポットに入れてあげるわ・・・」
数日後、啓介は恵子が渡してくれたランチボックスを手に、
初めて箕面の山への一人歩きに出かけた。
本当は恵子も心配で一緒について行きたかったけど、事前に相談した
心療内科の医師からは・・・
「それはいいことですよ 大自然に接する事は大切です うつの改善に
効果的との臨床結果もちゃんとでていますから、ぜひどんどん行かせて
あげて下さい・・・」 と言われていた。
それでも心配は尽きなかった。
「一人で大丈夫かしら?」
啓介は恵子に箕面・外院の交差点まで車で送ってもらった。
事前に恵子は箕面の山をよく歩いている友達から、山の地図とコースを
教えてもらっていたので助かった。
啓介が歩いて外院の山里に入ると、すぐにのどかな田園風景が
広がっていた。
なぜか初めての山歩きなのに、今までに無いワクワク感を覚えていた。
もう何十年とこんな穏やかな風景を見たことがなかった・・・ と言うより
仕事、仕事で心も目も見て見えなかったのだろう。
水田には青々とした稲が育ち、畑では家庭菜園のご夫婦連れが野菜の
手入れをしている・・・ ナス、キュウリ、カボチャ、トマト、トウモロコシ・・・
いろんな作物が夏の太陽をいっぱいに浴び、元気に育っている。
生き生きとしたその実りに啓介は目を輝かせ、しばし佇みながら
そんな懐かしい田園風景を楽しんだ。
「みんな 生きているんだな・・・」
外院の山里から細い山道に入った。
すぐに穏やかな登りが続く・・・ 体力がないのか? すぐに息切れる。
しかし、その都度一休みしながら深呼吸して見上げると、今まで見たことの
ないような深い緑豊かな森が広がっている・・・
そこに一筋の木漏れ日が差込み幻想的な光景が生まれ、野鳥が
飛び交いさえずっている。
風が吹くと枝が揺れ、葉が舞い、まるで森が自分を歓迎してくれているかの
ような感動を覚える。
啓介は一歩一歩山道を踏みしめながら、大自然の営みに感動しつつ、
なぜか涙が零れ落ちた。
やがて丸太を組み合わせた素朴なベンチが見えてきたので一休みにした。
汗いっぱいの額をタオルで拭いながら・・・
「この爽快感はなんなんだ?」 と、初めて歩く森の風景に感動していた。
水を飲みながら足元を見ると、子供の頃に図鑑で見たような昆虫が
ノシノシという感じで歩いている。
目の前を黒い大きなアゲハ蝶が飛んでいった・・・
前方の松の枯れ木のてっぺんから姿は見えないが ホーホーケキョ~ と
鶯の鳴き声が森に響いた・・・ すごい声量に感激する。
横にはピンクの見慣れない花が風に揺れている・・・
「きれいだな~」
ボンヤリと遠くを眺めていると・・・ 何か動くものが・・・?
「あっ あれはモノレールでは?」
いつも啓介が彩都の駅から千里中央まで通勤で乗っていた電車が
走っているのが見える・・・
「と 言うことは、この左方が自宅マンションか?」
啓介は自分の位置関係を知り、住む家の窓からいつも見ていた山を
今自分が歩いている事に感激していた。
(彩都は9年前に街開きした新しい街で、箕面市と茨木市にまたがる
743ha、予定人口5万人、大阪大学・箕面キャンパスや粟生間谷住宅地に
隣接し、住宅以外に生命科学、医療、製薬などの研究施設と関連企業も
進出している国際文化公園都市だ。)
啓介はゆっくり腰をあげ再び山道を登った。
やがて二ヶ所目の丸太ベンチが見えてきたのでお昼にした。
啓介は妻が朝作ってくれたランチボックスを広げた。
「ピクニックに来たみたいだ・・・ ハラ減ったな! おっ 美味そうだ」
好物の卵焼きとサツマイモ、マメなどと可愛いおにぎりが4個入っている。
啓介にとってこんな空気のいい森の中で、しかも自然の感動や感激を
味わった後での食事は、最高に心癒された。
しばらくすると食べている頭上で急に鳥がさえずり始めた。
ツーツーピー ツーツーピー
啓介は生まれて初めて身近で聞く野鳥の鳴き声に聞き入った。
「いいもんだな~ そうだ!」
食べていた芋の端切れを手のひらに載せて上に掲げてみた・・・
すると何と! 二羽の野鳥がやってきてその一羽が啓介の手に乗り
その芋を口にくわえて飛び立った・・・
「あっ 落とした」
それを拾ってまた手のひらに乗せているとまたやってきて親指にとまった・・・
「すごい すごい!」
啓介は親指に野鳥の足のつめを感じながら、その感激にうろたえた。
次は上手く口にくわえ森に飛んでいった・・・その後をもう一羽が
飛んでいった。
「あれは恋人かな? 夫婦かな?」
今頃二羽で仲良くあの芋をついばんでいると思うと笑みがこぼれた。
「こんなフレンドリーな野鳥に出会えるなんて・・・」
啓介はしばし自然の営みに感動し動けなかった。
(家に帰って子供の図鑑で調べてみたらそれは ヤマガラ だった)
我に返りランチボックスを片付けていると、下からメッセージカードが出て
きた・・・ 妻からだ・・・
「けいちゃん 何十年ぶりかで貴方にラヴレターを書きます。
少し恥ずかしいわね。 でも私が貴方をずっと愛していること、子供達も
貴方が大好きな事を伝えたかったの・・・
貴方が仕事をしなくとも、何もしなくても、どんな格好でいようとも、
貴方がいてくれるだけで、私も子供達も幸せなのよ。
そして家族はみんな希望を持って生活できるの。
貴方は一人じゃないのよ。 3本の矢の話があるじゃない・・・
一本では折れてしまうけど、私たちには5本の矢があるのよ。
絶対に束ねたら折れることはないわ。
だから安心してゆっくりと山歩きを楽しんでね。
そんな貴方を見ているだけで、私は幸せなのよ。
いつまでも愛しているわ・・・ 恵子 」
啓介の目から涙があふれ止まらなかった。
その日 帰宅した啓介は、照れながらも妻のラヴレターが嬉しかった事を
素直に伝え感謝すると、一日森の中であった出来事を一気に話し続けた。
「けいちゃんの目が生き生きしているわ これなら大丈夫だわ・・・」
恵子は心底安堵した。
やがて啓介は息子や娘が買ってくれた山歩き用の靴、ウエアー、ストック
にリュック、万歩計などを身に着け、毎日のように箕面の山々へ
出かけていった。
恵子はその都度、あの心療内科の先生にその日の状況を連絡し、相談して
いたが、先生は・・・
「~どんどん行かせてあげてください。 自然の力は人間の知識や
知恵など人知をはるかに超えた最高の治癒力をもっています。
薬などと違い副作用もなく安心ですからね・・・」 と応援してくれた。
啓介のお気に入りは、箕面の山々から大パノラマの広がる大阪平野を
眺めながら、妻の作ってくれたランチボックスを開くことだった。
特に教学の森の <あおぞら展望所> は、その名の通り、木を切り開いた
だけの何もない所だが、ここからの180度見渡せる眺望はすごかった。
お天気のいい日には、西は神戸、西宮、その先の淡路島、四国の島影も
見える。 大阪湾の波間に大型タンカーの姿が見えるし、その先の関空島、
その先の和歌山の方までも見えるのだ。 南には林立する大都市・大阪の
高層ビル群がみえ、東にかけては奈良の山々、金剛山、生駒山 そして
京都の山並みまで一望できる。
啓介の生まれ育った箕面の家、学校、遊んだところ、勤めた会社、関係した
店舗や仕事先、それに妻と出会った中学校の校庭から家族との思い出の
場所なども上からみえる・・・
すぐ先にみえる大阪国際空港の滑走路から一機の大型旅客機が
飛び立っていった。
ここから下を眺めていると、自分の過ごした人生の大半の場所を見下ろす
ことができ、走馬灯のようにその一つ一つがよみがえってくる。
天上からみれば、こんな小さな狭い街であくせくしながら悩み、苦しんで
きたのか~ と最近の自分を省みていた。
ランチボックスにはいつも妻・恵子からの温かいラブレターが入って
いて、啓介はそれを涙を流しながら読んだ。
そして、いつしか心の底からじわじわと湧き出る活力を感じていた。
こうして啓介は、箕面の山々を歩きながら妻に励まされ、大自然からの
感動や感激を味わい、いろいろと人生のパラダイムの転換を体験し、
心身ともに元気を取り戻していった。
季節はいつしか夏から秋、そして初冬に移っていた。
啓介はこの半年ほどの山歩きですっかり顔つきが変わり、健康的で柔和、
穏やかな顔に変わっていた。
話し方も、いつもせわしなかったがゆっくりと、力強い自信のある話し方に
変わっていた。
行動もバタバタとした動きから、いつしか静かで落ち着きのある動きへと
変わっていた。
あの切迫感、威圧感、焦燥感といったものや、油ギラギラの闘争心も
消えていた。
恵子は久しぶりに啓介を連れ、あの心療内科を訪ねた。
「この分なら余り無理をしない程度に、ゆっくりと求職活動を
再開されても問題ないでしょう・・・ それにしてもすごいですね」
と 医師はその短期間での変わりように驚いていた。
啓介は半年ぶりにハローワークを訪れた。
(3)へつづく・・・
森で人生の一休み (3)
半年ぶりにハローワークを訪れた啓介は、それから一ヶ月ほどの間に
3社の紹介を受け、面接に望んだ。
AP社では、200人以上の応募者があり、午前中のペーバーテストで70人に
絞られた。 それは英語や数学、理科系の問題から一般常識など幅広く、
啓介は習った事も聞いた事もない言葉や問題に戸惑った。
しかし、それでも何とか70番目のどん尻で一次試験をパスした。
昼からの試験は論文形式だった。
「自分が今最も熱中している事は何か?
その意義と問題点について述べよ」
啓介は迷うことなく、この半年間過ごしてきた箕面の山歩きと、自然から
受けた感動や感激、それにより自分の人生観が変わった事、それを
これからの実生活で活かしていくことの意義や問題点について、2時間の
制限時間以内に存分に書き綴った。
3日後、電話で 「2次試験にパスしたので、次の役員面接に・・・」 との
通知があった。
当日、AP社の会議室に座ったのは、二次試験にパスしたという7人だけで
啓介は少しビックリした。
居並ぶ面接役員の前で、社長から啓介に言われたのは・・・
「仕事以外のことで、これだけ理路整然と自分の気持ちを素直に
書いたのは貴方一人でした。 とても意欲的で感動的でした。
全員の心に響くものがありました」 と、笑いながらのコメントがあった。
啓介の応募したAP社は、今まで自分の働いてきた会社とは縁のない
IT関連だったが、その豊富な資金力を使い経営の多角化を図り、
外食産業への進出を考えているからとのことで応募したのだった。
二次面接は仕事に対する姿勢、専門職の世界観など多岐にわたった。
しかし啓介はあの時の経験が役に立った。
それはグッドスター社に入社して10年目に、アメリカのコーネル大学で
開かれた外食産業の研修プログラムに会社から派遣され、半年間
デンバーで過ごした事があった。
この大学には日本にないホテル・レストラン学部があり、世界中から
若い人たちが研修に訪れていた。
啓介は主に外食産業の新業態開発を勉強し、時間を見つけてはアメリカの
急成長店舗を巡り、自分なりの研究もしていた。
だからこそ、本社で今までの国内店舗での経験を携え、新たな使命感を
もって、会社の新事業企画に全力をそそいでいたのに・・・それなのに。
でも、もうそんな悔しさも徐々に薄らいでいたが、この面接に活かす事が
できた。
役員面接が終わった翌日、AP社から 「採用内定」 の連絡があった。
実はこの日、他のB社、C社からも内定通知があり、啓介は妻と共に
手を取り合って喜んだ。
そして啓介は妻と相談し、あの社長コメントが嬉しかった事と、何かピンと
くるものがあってAP社にお世話になる事を決めた。
ほんの半年前、あの暑い日に汗だくで何十社も訪問し、連日不採用通知を
受け取り、もう生きていくのさえ嫌になり、息たえだえになっていた
あの日々を思うと、夢のような隔世の感があった。
啓介はAP社に正式に採用され、本社・新規事業開発部門で外食事業担当
となった。 直属の上司は社長だった。
自分より若い社長だが、即断即決型で次々と新企画を軌道に乗せていった。
そして一年後、ある案件が入ってきた。
会議室でその名前を聞いて啓介は驚きのあまりのけぞった。
かつて自分が30年間働いてきたグッドスター社だった。
社長はM&Aを実施し、買収するかどうかの検討チームに啓介を
加えた。
次の週、AP社の社長と検討チームはグッドスター社を初めて訪問した。
啓介にとって、2年ぶりに訪れる本社ビルは懐かしくもあり、複雑な思いに
かられた。
案内された社長応接室に入るのは初めてだった。
グッドスター社は巨額の債務超過に陥り、もはや銀行からも見放され、
外部からの資金導入以外に生き残る道はなかった。
グットスター社全役員12名が居並ぶ中、AP社側4名が対峙した。
名刺交換をしたとき、2年ぶりに会うあの専務は 「まさか お前!?」 と
啓介を睨みつけた。
交渉が始まった。
先ずグッドスター社を代表し専務から、いかにこの会社が素晴らしい
会社かと延々と説明があった後、身勝手極まりない条件を提示してきた。
AP社の事前資料にはグッドスター社が傾いた原因の一つに、新規事業の
大失敗があった。
当時 啓介が担当していた業態開発部門の後任に、業界では名の知れた
他社の大物を破格の高給でスカウトし就けていた。
あの専務が啓介を突然 理不尽な理由をつけて退社に追い込んだ事情が
それで分かった。
しかし、そのスカウトした大物は次々と失敗を繰り返し、巨額の損失を
出していた。
そしてそれは専務の仕組んだ新規事業計画が大失敗に終わった結末
だった。
初交渉から日を重ね、4回目のM&A交渉の前だった。
事前に啓介は社長から・・・
「グッドスター社のいろんな問題点を精査し、思い切った経営改善策を
作成するように・・・ 全責任は私が負うから、それを次の交渉で具体的に
示すように・・・」
との指示を受けた。
啓介は中学校をでて15歳で入社し、45歳で退職するまで30年間下積みを
重ね、裏の裏まで知り尽くした前会社の経営体質、同族人事、システム上の
欠陥、仕入体制、店舗サービス、人材の育成など156もの改善策を詳細に
まとめ上げた。
当日、啓介は居並ぶ12人のグッドスター社経営陣を前に、一つ一つを
詳細に説明し、問題点を鋭く指摘し、大胆な改善策を次々と提示した。
それらの事柄全てが的確な指摘であり、全役員がグーの根もでなかった。
そして最後に啓介は強い口調で付け加えた。
役員ではないがあの三郎氏(3男)を残し、
「同族役職員の引退勧告、経営陣全員の退陣を求める」
とし、経営の抜本的刷新を求めた。
最後のその言葉を聞いた経営陣全員が青ざめた。
「まさか そこまで・・・」
特に専務は真っ赤な顔をし、大声で怒りをあらわにした。
喧々諤々の怒り声があがり、その撤回要求があがった。
しばらくしてAP社の社長が静かに立ち上がった。
「ただ今 弊社 浜崎 啓介が述べ伝えた事を100% 受け入れられない
限り、当社は本日を持って貴社とのM&A交渉を打ち切ります」
と告げた。
ここで交渉を打ち切られるとグッドスター社の倒産は必至だ。
更に全役員は株主から個人的にも損害賠償請求で告訴される可能性が
高い。 そうすれば大きな借金まで個人的に背負わねばならなくなるのだ。
一週間後、AP社がクッドスター社に示した条件はそのまま100%
受諾され、М&Aが正式に成立した。
しかも、当初 AP社が用意していた買収額の三分の一の額で買収が
完了したのだった。
啓介はその後、AP社の外食事業部門の責任者となり、買収した
グッドスター社を含め、子会社化した数社の社長を兼務する事になった。
「グッドスター社の実務は副社長に就けたあの三郎氏に任せておけば
大丈夫だ・・・」
日曜日・・・
あの教学の森の <あおぞら展望所> には、啓介と恵子の姿があった。
二人並んで座り、目の前に広がる大阪平野を眺めていた。
恵子が朝作ったランチボックスを広げると・・・
「これは美味そうだな・・・」
啓介は早速好物の玉子焼きとサツマイモを両手につまみ口に運んだ。
恵子は啓介の肩に頭をのせ、遠くにキラキラ輝く大阪湾を眺めながら・・・
「また私 けいちゃんにラヴレター書こうかしら?
それとももういらない?」
と 笑いながら啓介の顔を見た。
頭上を二羽のヤマガラが仲良く飛んでいった。
(完)