4月18日は、ラクンパルシータの世界デビューの日。
その作曲者は、モンテヴィデオ市生まれのマトス・ロドリゲス。国会議事堂近くの下町コルドン地区に残る通称BECHOの家。政府は、国の歴史的文化遺産として指定しながらも廃墟のまま放置。見かねた一個人が地上権を買い取り修復した。一時はタンゲリア(タンゴを演奏するクラブ)として営業をしていたが現在は閉鎖。
世界的に知られたタンゴの作曲者の家がこれでは悲しい。
修復された家の壁面には、”クンパルシータ”楽譜の表紙絵がタイル画で拝見できる。マトスはその当時、建築学部の学生。学生の小さな行進(クンパルシータ)をイメージして作曲したといわれている。
マトスは、新聞記者、外交官などの職業を転々とし生涯30曲あまりのタンゴを作曲したが、姉の通称べチャ(BECHA)が楽譜におこした。その弟のマトスをべチョ(BECHO)として親しまれた。そのべチョが書き残した詩がこの壁画に残されている。”私のタンゴは私と共には去らず、この大地に残るでしょう、全ての星が消え去るまで私のタンゴを歌い続けて欲しい”と。
この彼の家、売りに出されているとか。彼の意思と共にタンゴの愛好者の手に渡ることを祈るばかりです・・・・。
その作曲者は、モンテヴィデオ市生まれのマトス・ロドリゲス。国会議事堂近くの下町コルドン地区に残る通称BECHOの家。政府は、国の歴史的文化遺産として指定しながらも廃墟のまま放置。見かねた一個人が地上権を買い取り修復した。一時はタンゲリア(タンゴを演奏するクラブ)として営業をしていたが現在は閉鎖。
世界的に知られたタンゴの作曲者の家がこれでは悲しい。
修復された家の壁面には、”クンパルシータ”楽譜の表紙絵がタイル画で拝見できる。マトスはその当時、建築学部の学生。学生の小さな行進(クンパルシータ)をイメージして作曲したといわれている。
マトスは、新聞記者、外交官などの職業を転々とし生涯30曲あまりのタンゴを作曲したが、姉の通称べチャ(BECHA)が楽譜におこした。その弟のマトスをべチョ(BECHO)として親しまれた。そのべチョが書き残した詩がこの壁画に残されている。”私のタンゴは私と共には去らず、この大地に残るでしょう、全ての星が消え去るまで私のタンゴを歌い続けて欲しい”と。
この彼の家、売りに出されているとか。彼の意思と共にタンゴの愛好者の手に渡ることを祈るばかりです・・・・。