ゴダールよりもデ・パルマが好き(別館)

ホンも書ける映画監督を目指す大学生monteによる映画批評。

おとうと

2010-01-24 17:42:47 | 映画(あ行)
2009年・日本・About Her Brother
監督:山田洋次
公式HP

山田洋次監督が市川崑監督の『おとうと』にオマージュをささげて制作した久々の現代劇。
第60回ベルリン映画祭のクロージング上映に選ばれた。

激しいネタバレの上、ストーリーの解説はほとんどなく不親切なので、
未鑑賞の方はお読みにならないでください。
素晴らしい作品ですので、前知識なく、ご覧になることをオススメします。



市川崑監督へささげる。
という宣伝文句には少し疑問を感じてしまう。
確かに市川監督の「おとうと」は本作の発想の原点にはなっているかもしれないし、
オマージュを感じさせる部分もあるが、それはこの作品の一端でしかない。
それよりもはるかに山田洋次監督の心は小津安二郎へと傾倒しているように見える。

正面から人物を捉えた会話。
廊下のローアングル。
さらには、赤いヤカン!

そういえば、小津安二郎の名作を舞台化した「麦秋」の演出も行っている。
今年公開予定の新作「京都太秦物語」の英語タイトルも「Kyoto Story」であり、
これは明らかに小津安二郎の「東京物語」(「Tokyo Story」)を意識してのことだろう。
ここまで来ると「おとうと」というタイトルがつけられたのはただ単に市川崑監督が
亡くなった事もあり、追悼企画として企画が立てやすかっただけなのではないかと疑ってしまう。



ただし、市川崑や小津安二郎にいくら影響を受けていようとも、本作はれっきとした山田洋次の作品である。
山田洋次監督はそのフィルモグラフィー、何とこの作品が81作目!、の中の
ほぼ全ての作品の中で日本の家族を描いてきた。それは今回も変わらない。

家族という厄介な絆、まさに本作が描く家族の姿はこれだ。
家族の切っても切れない関係は作中のいたるところに象徴的に登場する。
それを如実の表現するのが、開かれた扉である。
開かれた扉、いや、正しくは開かれてしまう扉というべきか。
扉が開かれてしまうシーンは3つある。

一つ目は加藤治子演じる義母の絹代が部屋を出て行くシーンで、ガラス障子が
一度は閉じるが、跳ね返り、少しの隙間を作る。
二つ目は蒼井優演じる春子が嫁ぎ先を飛び出して、家に帰ってきたシーンで、
吉永小百合演じる吟子との喧嘩の末に階段を上っていく。
そこでもまた、扉は春子によって勢いよく閉じられるが、彼女自身お荷物が挟まり、
扉は少し開いた状態になるのだ。
ここでの扉の隙間から差し込む光を階段側から捉えたショットが美しい。
三つ目は加瀬亮が演じる、小春をひそかに想い続けていた幼なじみで大工の長田亨
と小春がけんかをし、雨が降る外へと亨が飛び出していくところで、
薬局のガラス扉が一度は閉まるがまた少し開く。
また、少しして亨が戻ってくることをもこの少し開いた扉は暗示させている。
扉に関連させて言うと、亨が薬局のトイレの扉を修理しに来るところでの小春の登場の仕方も
まるでホラー映画のように扉が有効に使用されており、印象的だ。

これらの扉は家族の切っても切れない関係を見事に表現している。
家族は些細なことでけんかをしたりして、その関係を断ち切ってしまおうとすることもある。
しかし、そんなことぐらいで、家族の絆は決して切れない。
扉が勝手に少し開いてしまうように、いつの間にかその絆は形を取り戻すものなのである。



家族という厄介な絆を描き続けてきた山田洋次監督。
この作品のラストは珍しく明るいハッピーエンドでは決してない。
むしろ、ラストカットは暗くバッドエンドのような表情すら見せている。
しかし、ここにも家族の絆はある。
小春の二度目の結婚式。「おじちゃんはまた来る」と。
家族という絆は死を乗り越えてまでも、切っても切れない関係なのである。

〈80点〉