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富士塚を行く

身近な富士塚を見に行く
都内区部と埼玉県南部が多いが
その周辺地、遠隔地にも
足を延ばして見て歩いた記録

羽倉倉冨士嶽

2025年05月01日 17時36分40秒 | 富士塚

 随分前に見に来ていたが、写真に収めておらず記事が書けないでいた。その後も、近くまで来てはいたが所在地が曖昧でたどり着くことが出来ず。そして数年が経過。いつかは撮りに行きたいと考えていたところに、気候が良くなったこともあり、このゴールデンウィーク中に、場所を確認した上で出掛けてみた。改めてここの所在地を確認してみたら、結構分かり易い場所だった。

 荒川に架かる羽根倉橋の袂に位置する富士塚だ。                    羽根倉橋を渡り、荒川の右岸の土手を越えると、この浦所街道脇に見えて来る。何で、こんな土手の直下にあるんだろうか?(☞それは、現地に設置された説明板を見ると説明されていた)

 どうやら、この冨士塚は出来た当時のモノではないらしい。その理由は、土手の向こうの荒川の河川改修工事と道路工事とのこと。何と2回も移設を強いられた様だ。

 冨士塚は、浅間神社の境内にあり、神社前を通るあきはね通りからも良く見える。塚は高さ5mくらい。全体に黒ボク石で覆われている。いや、黒ボク石が点在して覆われている。実は、この黒ボク石はコンクリートで固定されている。以前訪れたときはまだコンクリートが打設されたばかりだったのか塚全体が白っぽい色だった。コンクリートに覆われた白っぽい、、明るめの灰色の塚にポツリポツリと黒ボク石が置かれている感じだった。これが今回見たら、そのコンクリートも黒く汚れて、塚全体が黒っぽくなっている。まぁ、この方が富士塚としては見栄えがいいのかなぁ。

▲正面(一番最初の写真の撮影位置)からやや右側へ回り込んだ位置から撮影

▲説明板 →この富士塚が出来た謂れ、移設があった経緯などが書かれている

▲もう一つの説明板

 ここの富士塚は、講碑などに刻まれた文字がよく見えるんで片っ端から撮ってみた。(もしかして、移設の時に程度のいい石碑だけを並べた?) 

▲正面から左手側へ回り込んだところから。以後、時計回りで見て行く

▲阿夫利神社   、、、って、大山の?

▲これは何だろう?

▲小御嶽神社? 真ん中に小御嶽□尊大権現、その左右に小天狗、大天狗かな

▲黒ボク石の間を埋めているのがコンクリートだ。今や、石碑や黒ボク石に色が馴染んでいる。

▲これは、、、大教正、、、白業、、

▲泉瀧

▲もう少し回り込んで、今来た塚の裾を振り返って見る


▲高尾山 飯縄神社? 、、、って?

▲金山彦神?

▲須走口寄附?  須走口は分かるけど、、、寄付? 何か須走口に関わることにお金を出した、、、?

▲ここはだいぶ裏側を回り込んだところ。 裏側だからか、石碑が少ないのかな。

▲もうちょっと回り込む

▲この辺は、天照大神や猿田彦など

▲不二森稲荷神社

▲小室浅間大神

▲更に、もうちょっと左手側へ移動

▲撮っていなかった頂上の石碑を望遠で撮影。浅間大神かな

▲烏帽子岩だね

▲正面の少し前に戻り(3枚目の写真の位置)に戻り、2基の燈籠の間から見える立派な石碑は、琴平神社

▲その琴平の左側には、志木宿講社中

▲順序が逆になっちゃたけど、最後に浅間神社にお参り

▲この奉納された額、他では見掛けないイイ色遣いだね。額縁も凝ってるし!

▲最後に鳥居と拝殿、それから鳥居の左奥に富士塚の3点を収める!

 と、これまでになく一気に富士塚を周囲から見て回り、多くの撮影をして来た。いくら移築とは言え、都内の有名どころの富士塚に劣らない立派な冨士塚だった。撮影に夢中になり、うっかり忘れたが、『胎内』もあったらしい、、、。また、改めて見てみたい冨士塚だった。

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埼玉県志木市上宗岡四丁目27 浅間神社内

2025年(令和7年)4月30日(水)


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