空に問う。

空に問うても果てがない

心の癖

2014-11-01 18:00:59 | 日記
タイトルはよく回覧してるブロガーの方からの引用ですが、心の癖というか、ひだに引っかかってくるものって、見事に自分の勇気を粉砕してしまうことを感じてしまう今日この頃・・・。

心に癖をつけた訳じゃないけど、本当に最近の発言は「言い訳」気味だと自分でも驚く。痛いなぁと思う。

少し遠縁にあたるけど、親類が亡くなったので、どうしようかと思ったけど、いつもみたいに「呼ばれて」しまったので、先日祈願を受けた神社と三宮さんにお参りに行った。もちろん柏手は打たなかったけど。いったいどうなっちゃんだろう?心の癖はなくなったりはしないけど、なんだか以前の自分とも違う違和感がする。

願いがどんな風に叶うのか?

それはきっとわからないけど、我が家の家族は守られたんだと思う。家族内の誰かが死んでしまうのではないかとした不安はすっきりとなくなった。けど、それは誰かが犠牲になることで追い払われたような「気」がした。だからお礼参りではあるんだけど。

本当の敵を討つ勇気や覚悟はなかった。実力行使に出る気もなかった。悔しいけど、そう言うのは諦めていた。闘うのが、高位の存在に思えて現実の呪う〇〇を直視していなかった。だから逃げた。当然、逃げざる負えない状況に追い込まれたのも事実だけど、予定調和みたいに逃げた。会社やその呪う〇〇と縁(契約)が切れればすべて終わることだと思っていた。

もし亡くなった親戚のおじさんが原因不明ではなく、ちゃんとした理由があったり、その朝に急にご先祖に「呼ばれて」墓参りなどしていなければ、以前の「悪いモノ」と以降の「悪い出来事」に区切りを付けられたのかも知れない。僅かでも可能性があるのならば、おじさんには申し訳ない気持ちでいっぱいになる。好きなおじさんだったから余計にそう思う。

まあ、付箋はひかれていたようだし、避けようがなかったにしても、やっぱり母が多少関わっていたことが悲しい。もし別の選択をして、もし違う業者さんに水道工事を依頼していれば「悪いモノ」が流れることはなかったし、今回の一連の事柄の「外側」に置いて置くことも出来たんじゃないかと思うと何だかやるせない。

そして、予想した通りに友達にも不幸が起こっていたし、まだ続いていた。それは別件だけど、何かしら悪いモノが渦になって混濁して溶け出して溢れた気がする。やっぱり友達には近づけない。


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