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空に問う。

空に問うても果てがない

霊障ウツ

2015-07-03 13:44:10 | 日記
・・・ホントはね。霊障とか、祟りとか飽き飽きしてるんですよ。

要するにすべては心の問題。

霊能者の人に言われて、それなりに供養とかしましたが、家族は自己満足で何かが終わったとこに出来ているけど、おいらには出来ていない。重苦しい気持ちも重圧感も何一つ変わっていないからだ。家の中の気配も全部同じまんま・・・・・。

とことん信じる。

それが神でも仏でも祟りでも呪いでも全力で。そうすればきっと何かは解決する。でも正しいことも悪いことも信じていないから、何も解決しない。で、時間だけ切り取られた自分と言う悍ましいものが残る。

本当に心こめていろいろやったつもり・・・・。でも何も解決しないんでは、それは全部的外れだって事でしょう。

本気で「神」に祟られてると思う方がピンと来る。祟られるようなこと実際にしてしまったしね。即効性はなかったから気が付かなかったけど、じわりじわりとおいらの人生に忍び寄って来て、何もかも取り上げられたような気がする。だから未だに、その神社の最近いる女性神職の夢など見るのだ。もう忘れたいのに、日ごろ思ってもいないのに、突然どこかから湧いたように夢を見る。それが心を引っ張って、引っ張って、ちゃんとしないのだ。

だから、死んだらラクかな。と思う。

生きて晴らしたいけど、そこまでの力ないしね。だから気休め程度にだけど、呪い神主に死んで欲しい、もしくは社会的に抹殺されて欲しいと願ってしまう。おいらの心が求める正義の正しさを実証できない限り、おいらは偽りの自分を生きることになる。人を呪う神職がこの世に存在していることがたまらなく耐えられないのだ。神職とは心身ともに健全な貴い人間が成るものだと思い込んでいて、ああいう邪悪な存在がスーツ着て、カタガキぶら下げてお天道様の下を歩いているのが許せないのだ。人を呪う神主であれば、それにふさわしい卑しい場所に追いやられて欲しいのだ。例外は認めない。---きっと神道のことについていろいろ調べている裡に、邪悪(正しくないモノ)の存在を認められなくなってしまったのだ。だから一つの指標として、この呪いが終わる条件として、呪い神主もしくは側近Tが社会的に抹殺されない限り、おいらの心は二度と晴れないのだ。許せないのだ。

ちょっと「何か」憑いたね・・・・。

これがパソコンの怖いところだ。どこへ繋がっているんだろう。この先・・・・・・・・。

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