神だ仏だ、祟りだ呪いだ。
そういうお祭りもいずれ去る。それが現実。いろいろ手続きしたり、仕事探していたりする。まだまだ現実は遠いけど、いい加減に目を覚まさなくてはね。なんかこれだけの目に合ってきたから、どっかからご褒美がもらえると思っていたな。まあ禁煙は出来たし、首の手術痕の痛みも引いたので、もうだらだら生きるのは辞めて社会復帰を目指さないと・・・・。
霊能者さんが入ってきててんこ盛りになったけど、いわゆる施餓鬼供養するたんびにもっともっと悪くなってく気がした。
おいらの家は浄土宗だから、昔母がやっていたお大師さん(弘法大師信仰)はそういう意味では関係なかったのかも知れないけどさ、まあ兎に角、冷静に考えると、このあたりの信仰を発端においらにはプチ不思議な現象が起こり始めたわけだ。でも姉の病気と留めのおいらの高校受験失敗で、母の信仰心は一気に果てた。でもまあそんなもんだろう。で、最終的に弘法大師の銅製の座像があったけど、それを壊したのはおいらでした。
なんか空海さんも散々調べたから、本名は佐伯真魚とかだったのは覚えてる。でもいわゆる弘法大師=弥勒菩薩の信仰については何故だろう。ずっと忘れていた。絶対にいつか見てるはずなのに、忘れてた。何度も姿を変えて救済に現われてくれたのは弘法大師だったわけだ。なのにさ、先日、弥勒菩薩のポスターは焼いちゃうし、大聖院でいただいたお守りも返しちゃったし、真言宗のお寺で健康祈願して貰ったお札も帰した。
まあ、おいらが憑りつかれやすい体質だから、連れて来ちゃったってことみたいですけど、全部を鵜呑みにしてしまった。いつだって、おいらを助けてくれたのは弘法大師&弥勒菩薩だったのに。
ただ、でも、いつもソレは「死」に寄りかかっていて、何となくずっと怖いから目を背けてきた。きっと怖くなって仏教から目をそらして、20代の頃に神道に走ってしまった。もんどり仏教ってわけにもいかず今は静観してるけど。
もう神だ仏だ、祟りだ呪いだ。
は終了。
二日連ちゃんで程同時刻に心臓が痛み発作かなと思った。寝てる自分の周りや真上に「何か」が蠢いていたし、もう部屋中が臭かった。悪夢を見ないように購入した小刀を握りしめて、なんだったかお経を唱えた。もう死ぬんだと思った。
もう、「コレは何????」になってしまった感じ。いくら先祖供養しても土地神さんをお祀りしても、意味がないのか足らないのか、ますます気分が重くなるだけ。こういう温い地獄って辛いなぁ。
本当は誰か死ぬのがいちばん良いキッカケ(呪う神主側ですよ。おいら側は被害者だから)になるんだろうと思っていたら、おいらの命を先に誰かが(何かが)獲りに来た。これ終わらないんだろうな。もうこの場所を離れないと解決しないだと思う。
腕の良い祓い師知っていたら教えて欲しいけどね。きっと無理なんだろう。「死」というものに目をつけられてしまうと、そういう危険に晒されやすいのは事実なんだろうなぁ。
まあ、こういうのは勉強にならない。ならない人はならないしね。執着心の強い執拗な神職(霊能ツキ)に狙われたなら、そりゃあ命だろう。どんな祓えた供養したって言っても無意味なんだろう。
どうせ死ぬなら、働いていて死にたいよね。
と思ったし、思う。だから
神や仏はありがとう、サヨウナラ。
祟りも呪いもあったのだろうが、もう忘れる。そう言うことが二度と起こりえない世界へ逃避しますんで、呪う神主であるNさん、ご自愛くださいね。M田市の神社ですが、県の神社庁のHPに記載のない神社の人です。町の中心にあるし、そこが入っていないのは少し違和感がありますが、登録削除されてました。おいらだけの告発とは思いませんが、いろいろ本当にやってたんでしょうね。呪詛や左道の類いの事を・・・・・・。まぁ、バチが当たって当然。おいらはそのくいらいのバチじゃ我慢できなかったのがイケないのですがね。正直言えば滅して欲しかったです。でもそれが無理なら許して忘れるしかない。
そういうお祭りもいずれ去る。それが現実。いろいろ手続きしたり、仕事探していたりする。まだまだ現実は遠いけど、いい加減に目を覚まさなくてはね。なんかこれだけの目に合ってきたから、どっかからご褒美がもらえると思っていたな。まあ禁煙は出来たし、首の手術痕の痛みも引いたので、もうだらだら生きるのは辞めて社会復帰を目指さないと・・・・。
霊能者さんが入ってきててんこ盛りになったけど、いわゆる施餓鬼供養するたんびにもっともっと悪くなってく気がした。
おいらの家は浄土宗だから、昔母がやっていたお大師さん(弘法大師信仰)はそういう意味では関係なかったのかも知れないけどさ、まあ兎に角、冷静に考えると、このあたりの信仰を発端においらにはプチ不思議な現象が起こり始めたわけだ。でも姉の病気と留めのおいらの高校受験失敗で、母の信仰心は一気に果てた。でもまあそんなもんだろう。で、最終的に弘法大師の銅製の座像があったけど、それを壊したのはおいらでした。
なんか空海さんも散々調べたから、本名は佐伯真魚とかだったのは覚えてる。でもいわゆる弘法大師=弥勒菩薩の信仰については何故だろう。ずっと忘れていた。絶対にいつか見てるはずなのに、忘れてた。何度も姿を変えて救済に現われてくれたのは弘法大師だったわけだ。なのにさ、先日、弥勒菩薩のポスターは焼いちゃうし、大聖院でいただいたお守りも返しちゃったし、真言宗のお寺で健康祈願して貰ったお札も帰した。
まあ、おいらが憑りつかれやすい体質だから、連れて来ちゃったってことみたいですけど、全部を鵜呑みにしてしまった。いつだって、おいらを助けてくれたのは弘法大師&弥勒菩薩だったのに。
ただ、でも、いつもソレは「死」に寄りかかっていて、何となくずっと怖いから目を背けてきた。きっと怖くなって仏教から目をそらして、20代の頃に神道に走ってしまった。もんどり仏教ってわけにもいかず今は静観してるけど。
もう神だ仏だ、祟りだ呪いだ。
は終了。
二日連ちゃんで程同時刻に心臓が痛み発作かなと思った。寝てる自分の周りや真上に「何か」が蠢いていたし、もう部屋中が臭かった。悪夢を見ないように購入した小刀を握りしめて、なんだったかお経を唱えた。もう死ぬんだと思った。
もう、「コレは何????」になってしまった感じ。いくら先祖供養しても土地神さんをお祀りしても、意味がないのか足らないのか、ますます気分が重くなるだけ。こういう温い地獄って辛いなぁ。
本当は誰か死ぬのがいちばん良いキッカケ(呪う神主側ですよ。おいら側は被害者だから)になるんだろうと思っていたら、おいらの命を先に誰かが(何かが)獲りに来た。これ終わらないんだろうな。もうこの場所を離れないと解決しないだと思う。
腕の良い祓い師知っていたら教えて欲しいけどね。きっと無理なんだろう。「死」というものに目をつけられてしまうと、そういう危険に晒されやすいのは事実なんだろうなぁ。
まあ、こういうのは勉強にならない。ならない人はならないしね。執着心の強い執拗な神職(霊能ツキ)に狙われたなら、そりゃあ命だろう。どんな祓えた供養したって言っても無意味なんだろう。
どうせ死ぬなら、働いていて死にたいよね。
と思ったし、思う。だから
神や仏はありがとう、サヨウナラ。
祟りも呪いもあったのだろうが、もう忘れる。そう言うことが二度と起こりえない世界へ逃避しますんで、呪う神主であるNさん、ご自愛くださいね。M田市の神社ですが、県の神社庁のHPに記載のない神社の人です。町の中心にあるし、そこが入っていないのは少し違和感がありますが、登録削除されてました。おいらだけの告発とは思いませんが、いろいろ本当にやってたんでしょうね。呪詛や左道の類いの事を・・・・・・。まぁ、バチが当たって当然。おいらはそのくいらいのバチじゃ我慢できなかったのがイケないのですがね。正直言えば滅して欲しかったです。でもそれが無理なら許して忘れるしかない。
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