英科学者が言うには「意識はこの世に留まり、存在し続ける」そうだ。魂は「天国」などにはいかないという主張。
「科学のメインストリームでは、意識は脳の化学的な副作用だとされていますが、私の考えは違います。確かに、テレビの配線の質が電気信号処理と映像の質に影響を与えるのと全く同様に、脳が意識に影響を与えることはあるとは思います。しかし、テレビは番組を作ることはできません。同様に脳は意識を生み出してはいないのです」byTONAKA
意識は我々が生まれる以前から存在し、死後も永遠に存在し続けるという。
これが事実なら古代の日本人が”肉体は滅んでも魂は生き続ける”という古神道の死生観がズバリ的中する。肉体死とともに人の意識(魂)は消えると考えられるようになったのは仏教が伝来してからなんですね。肉体が動いてる状態と肉体が腐っている状態の見分けがつかなかったんですよ。死体でも筋肉が収縮すれば動いているように見えなくもない・・・・。
例えばおいらの意識は生まれる前から存在していて、生まれたときに意識を取り込んだということかなぁ。仏教でいう、親が子供を選んで生まれてくるのではなく、子が親を選んで生まれてくるという理屈とも合致する。
でもこの説はみすみすネグレクトの親元を選んで、虐待死する子供が、こんな親を選んで生まれたのは可哀そうだと思うので拒否をしてる。おいらだって霊的な方で、こんなに両親や先祖に苦しめられるとは思わなかった。市井の歴史家だった祖父は参りてのない墓石の墓場から、罪に問われ自決した武士の墓石を探し出した。遺骨が納められていたわけでなく、裃の一部が埋葬されていたそうだ。そういう記録は残っているが、その寺の坊さんは史跡のような、その墓を墓地の傍らに積み上げていた。
その記録をもとに墓を探したのが祖父で、それがおいらの運の尽きでもあった。詳細は何度も書いたので省くけど、江戸時代のある事件により藩士が数名切腹を申し受けることになる。今思えば禁ではないが鎖国当時は切腹に値する犯罪行為だった。
普通なら、墓を見つけてくれた祖父に武士が感謝するような美しい話になりそうだが、そんなものは雨月物語に似た幻想である。小さなころから祖父母に可愛がられてきたおいらたち姉弟は、その墓掃除や護国神社詣にいつも付き合わされた。姉は霊感のほぼない子供で、おいらは過敏な子供だった。裃の一部など知らなったころから、着物の下部分の霊体を何度も見ていた。そういうと腫れあがるほど母に腿をつねられた。そういう能力を恥と思い、個性と尊重してくれなかった母はまあしつけのつもりだろうが、おいらをよくつねった。そういうものが視えてしまうことがしまうことが一番苦痛だったのはおいらなんだけど、見栄っ張りの母にはもう十分に”いい子”ではなかったんだろう。
それはずっとおいらに付きまとっていて、最後にはもう一人の頓死した武士の子孫まで巻き込む霊界エラー事態を引き起こした。しょうがないんで大人になっても墓掃除を続けていたが、本当にその甲斐もないくらいにおいらの人生に武士の霊は介在してきた。特に行政との交渉ごとになると、その威力を発揮した。商談してる最中にガラスの花瓶が割れたりすることはよくあったなぁ。
で、最後の掃除を終えて墓地のベンチに座っていた時に、杖を突いた老人が現れた。なんと切腹した老中の子孫がひよっり現れたのである。で、なぜ墓掃除をしていたかと尋ねられたので簡単に説明すると「ワシの息子はもう都会から戻ってこん。先祖の墓を世話するものがいなくなるのは侘しいものだ、あんたここと同じように世話してくれんかのぁ」
もちろん遠慮して早々に退去した。悪夢だよね。で、おいらは16歳のころ、違う寺の墓地で半殺しの目に合うのだが、おいらが襲われた寺の境内の一角に、その老人の先祖の墓がある。これはさぁ・・・たまたまじゃないよね。その墓のそばにある友達の家に行ったのもそれが初めてだったし、そこの武士がじいちゃんの探し当てた墓の主と繋がりがあることなど知らなった。
まあじいちゃんは恐ろしいくらいに自分勝手で、家族を振り回して、家族に嫌われた人だ。おいらたちにはよいじいちゃんだったが、母の兄弟からすれば最低最悪の父親だったみたい。おいらもね、あんな長い間霊障に苦しめられることになるのなら、母にも祖父を嫌っていてほしかったと思う。そしたら無駄な遭遇もなく、ごく普通の霊感の強い子供で過ごせたかもしれない。
場面は覚えていないが、裃幽霊が見えだしたころから「死にたく」てたまらなくなった。まあ幼稚園児だから「死ぬ」ことや「死に方」なんてものは理解できなものであったが、頭を柱にぶつければいいと教えられて、家から誰もいなくなると柱に頭をぶつつけて死ぬ努力を続けていた。あの時に囁いたのは誰なんだろう?武士一号だろうなぁ。
宗教的な解釈だと昔の霊は存在できないことになっているが、果たして武士が今も完全に外れたのかは定かではない。常に誰かに、何かに見張られているような感じは一切消えていない。今は神もどきの眷属か、英霊さんらだと思うけど。
夢占いの通り、ヒスイと日本産の水晶のブレスをつけてみる。左手首がしびれるぞ。
位相は違うと思うんだけど、霊(意識)はたくさんいるんだと思う・・・。時々そういうのを読み取ってしまうのが辛いんだなぁ。
この世にとどまり続けるのなら、あの世には送れないのかなぁ・・・・・。
「科学のメインストリームでは、意識は脳の化学的な副作用だとされていますが、私の考えは違います。確かに、テレビの配線の質が電気信号処理と映像の質に影響を与えるのと全く同様に、脳が意識に影響を与えることはあるとは思います。しかし、テレビは番組を作ることはできません。同様に脳は意識を生み出してはいないのです」byTONAKA
意識は我々が生まれる以前から存在し、死後も永遠に存在し続けるという。
これが事実なら古代の日本人が”肉体は滅んでも魂は生き続ける”という古神道の死生観がズバリ的中する。肉体死とともに人の意識(魂)は消えると考えられるようになったのは仏教が伝来してからなんですね。肉体が動いてる状態と肉体が腐っている状態の見分けがつかなかったんですよ。死体でも筋肉が収縮すれば動いているように見えなくもない・・・・。
例えばおいらの意識は生まれる前から存在していて、生まれたときに意識を取り込んだということかなぁ。仏教でいう、親が子供を選んで生まれてくるのではなく、子が親を選んで生まれてくるという理屈とも合致する。
でもこの説はみすみすネグレクトの親元を選んで、虐待死する子供が、こんな親を選んで生まれたのは可哀そうだと思うので拒否をしてる。おいらだって霊的な方で、こんなに両親や先祖に苦しめられるとは思わなかった。市井の歴史家だった祖父は参りてのない墓石の墓場から、罪に問われ自決した武士の墓石を探し出した。遺骨が納められていたわけでなく、裃の一部が埋葬されていたそうだ。そういう記録は残っているが、その寺の坊さんは史跡のような、その墓を墓地の傍らに積み上げていた。
その記録をもとに墓を探したのが祖父で、それがおいらの運の尽きでもあった。詳細は何度も書いたので省くけど、江戸時代のある事件により藩士が数名切腹を申し受けることになる。今思えば禁ではないが鎖国当時は切腹に値する犯罪行為だった。
普通なら、墓を見つけてくれた祖父に武士が感謝するような美しい話になりそうだが、そんなものは雨月物語に似た幻想である。小さなころから祖父母に可愛がられてきたおいらたち姉弟は、その墓掃除や護国神社詣にいつも付き合わされた。姉は霊感のほぼない子供で、おいらは過敏な子供だった。裃の一部など知らなったころから、着物の下部分の霊体を何度も見ていた。そういうと腫れあがるほど母に腿をつねられた。そういう能力を恥と思い、個性と尊重してくれなかった母はまあしつけのつもりだろうが、おいらをよくつねった。そういうものが視えてしまうことがしまうことが一番苦痛だったのはおいらなんだけど、見栄っ張りの母にはもう十分に”いい子”ではなかったんだろう。
それはずっとおいらに付きまとっていて、最後にはもう一人の頓死した武士の子孫まで巻き込む霊界エラー事態を引き起こした。しょうがないんで大人になっても墓掃除を続けていたが、本当にその甲斐もないくらいにおいらの人生に武士の霊は介在してきた。特に行政との交渉ごとになると、その威力を発揮した。商談してる最中にガラスの花瓶が割れたりすることはよくあったなぁ。
で、最後の掃除を終えて墓地のベンチに座っていた時に、杖を突いた老人が現れた。なんと切腹した老中の子孫がひよっり現れたのである。で、なぜ墓掃除をしていたかと尋ねられたので簡単に説明すると「ワシの息子はもう都会から戻ってこん。先祖の墓を世話するものがいなくなるのは侘しいものだ、あんたここと同じように世話してくれんかのぁ」
もちろん遠慮して早々に退去した。悪夢だよね。で、おいらは16歳のころ、違う寺の墓地で半殺しの目に合うのだが、おいらが襲われた寺の境内の一角に、その老人の先祖の墓がある。これはさぁ・・・たまたまじゃないよね。その墓のそばにある友達の家に行ったのもそれが初めてだったし、そこの武士がじいちゃんの探し当てた墓の主と繋がりがあることなど知らなった。
まあじいちゃんは恐ろしいくらいに自分勝手で、家族を振り回して、家族に嫌われた人だ。おいらたちにはよいじいちゃんだったが、母の兄弟からすれば最低最悪の父親だったみたい。おいらもね、あんな長い間霊障に苦しめられることになるのなら、母にも祖父を嫌っていてほしかったと思う。そしたら無駄な遭遇もなく、ごく普通の霊感の強い子供で過ごせたかもしれない。
場面は覚えていないが、裃幽霊が見えだしたころから「死にたく」てたまらなくなった。まあ幼稚園児だから「死ぬ」ことや「死に方」なんてものは理解できなものであったが、頭を柱にぶつければいいと教えられて、家から誰もいなくなると柱に頭をぶつつけて死ぬ努力を続けていた。あの時に囁いたのは誰なんだろう?武士一号だろうなぁ。
宗教的な解釈だと昔の霊は存在できないことになっているが、果たして武士が今も完全に外れたのかは定かではない。常に誰かに、何かに見張られているような感じは一切消えていない。今は神もどきの眷属か、英霊さんらだと思うけど。
夢占いの通り、ヒスイと日本産の水晶のブレスをつけてみる。左手首がしびれるぞ。
位相は違うと思うんだけど、霊(意識)はたくさんいるんだと思う・・・。時々そういうのを読み取ってしまうのが辛いんだなぁ。
この世にとどまり続けるのなら、あの世には送れないのかなぁ・・・・・。
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