goo blog サービス終了のお知らせ 

新一生青年が!

日常の日記です。

黄金宮(くがにな-)

2024-01-05 07:48:48 | 日記

          

  

 黄金庭の由来
天女の子と言われる察度は、ある日、勝連按司(かつれんあじ)の娘が婿選びをしているのを聞き、勝連に行き「娘さんを嫁に下さい」と頼みました。按司とその家来は大笑いし追い返そうとしました。その時、物陰から若者を見ていた娘は「この若者はただ者ではありません。結婚させてください。」と頼みました。娘を信頼していた按司は二人の結婚を許しました。二人は大謝名にある若者の家へと向かいました。その家の垣根は壊れ、雨漏りがしていました。しかし、よごれたカマドをよく見ると黄金で作られていました。不思議に思って尋ねると、察度の畑に沢山有ることが解り、二人は黄金を拾って貯えました。そしてこの地に楼閣を造り、金宮と名付けました。当時、牧港には日本の船も出入りしていたので察度は鉄を買い入れ、それを農民に与えて農具を買い入れました。察度はやがて人々の信望を集め、浦添の按司となり、中山王(ちゅうざんおう)となりました。琉球王朝と中国明朝との貿易を始めたのも察度です。人々は彼のすばらしさを讃え、この地を聖地とし現在まで篤く信仰してきました。ところで、戦前の黄金庭は石門のある囲まれた場所でしたが、まだまだ謎も多く、今後の調査が待たれています。
大謝名獅子舞保存会
宜野湾市教育委員会