goo blog サービス終了のお知らせ 

気まぐれ徒然なるままに

気まぐれ創作ストーリー、日記、イラスト

Rain

2020-10-12 23:46:39 | ストーリー
Rain






雨は今日で何日目だろう

電車を降り改札を出て傘を広げた



ここから通っている大学までは15分ほど


雨の日の街はモノクロの世界のようだ
そのモノクロの中で花咲いているように傘の色が映える




ーー 田舎から東京に上京して二年

俺はこの都会の街で二十歳になった


授業が終わると直ぐにバイトの飲食店に向かう
厨房の中で皿洗いや雑務

それも生活費にあてるためだ


今夜もクタクタになってアパートに帰宅した

六畳の部屋と小さな台所
おまけみたいについたトイレと風呂

友達も似たような部屋だから貧乏学生の暮らしなんてみんなこんなもんだ


直ぐ側には電車が走っていて越してきた頃は全然熟睡できなかったけれど

人間ってどんな環境でも長く過ごすと慣れてくることを実感した



今日も雨…

俺は玄関の鍵をかけ傘をさして駅に向かった


いつものように電車に乗り

窓ガラスに雨粒があたっては流れていくのをぼんやり眺めていた

心の底から楽しいと思える
幸せだと思えることもなく

毎日毎日 大学とバイトの繰り返し


俺はこんなことがしたくてここ(都会)に来たんだろうか…


電車を降りて大学へと向かう道中にある橋を渡りかけた時

意味もなく自然と足が止まり川の水面にあたる雨粒の波紋を見つめた





「瀬名くん? 」

誰かに声をかけられ振り向いた



わ、可愛い子

俺と似たような年齢の女の子だった

赤い傘をさしていてクマの絵柄が入っている

少し子供っぽい傘だけどさしている女の子がもっと可愛いから違和感はない


でも… 誰だろ

こんな可愛い子なら忘れるはず無いんだけど…



「えーっと、同じ学校…だったっけ?」

「そう!真波 奈津!」



でも名前を聞いても思い出せない

俺が覚えていないその子がなぜ俺の顔と名前をしっかり覚えていたんだろう


「はぁ、どうも… 」

「こっちに出てきて二年も経つのに同郷の子と全く会わなかったから、こんな風に会えたのが嬉しい(笑)」


てことは大学が同じじゃなくて地元で同じ学校だったってことか

地元の言葉がすっかり抜けているその子はもう都会の子として生きている風に見えた


「あ… ごめん。俺、君のこと覚えてないよ…」

「そっか。ならこれから私と友達になってくれない?(笑)」

「は?」




俺と真波 奈津とはそんな出会いだった

彼女は俺とは違う大学に通っているらしい


彼女から電話がかかってくるのは決まって木曜日の23時30分だった



いつも同じ曜日と同じ時間
でもそれも毎週という訳ではないから

話ができるだけで浮かれてしまう


時々彼女が自分のことを話す時は懐かしそうに思い出話をしてくれる

それは決まって小学生から中学の頃の話
楽しい記憶が沢山あるんだろう



クラスの男の子とザリガニを釣ったことや

下校時にブロック壁にチョークで落書きをしたこと

家の人に見つかって慌てて逃げた時は恐かった~!と愉快そうに笑っていた

可愛い子なのにやんちゃな一面がある子なんだと彼女のことを知る度 俺は少しずつ彼女に恋に似たような感情が湧いてきた


「なっちゃん… 俺と… 遊びに行かない?」

『いつ?』

「来週は?来週のシフトだと木曜日が休みなんだけど… 」

『木曜日なら大丈夫(笑)』


今度は会える!
そのことに胸が熱くなった


「最近ずっと雨だけど明日は晴れみたいだよ(笑)」

『そうなんだ(笑) あ、もう直ぐ0時だね(笑) そろそろ寝なくちゃ(笑)』


いつも0時寸前に電話を終えて就寝するの彼女のルーティンのようだ



いつも電話で会話ができるのはたったの30分間だけど俺はデートをしているような気持ちになってる



「でも… 今度は会える… 」


俺はその夜
眠れなかった




ーーー




待ちに待った木曜日

15時半に大学を出て16時に間に合うよう約束の場所に向かった


ここしばらくは晴れが続いていたのに今日は久しぶりの雨

せっかくデート気分で女の子と会うのに雨って俺やっぱりついてないな



傘越しに空を見上げた

ズボンの裾が濡れた路面の雨が跳ね返り歩く度濡れてくる


今までの俺ならそんなこと気にもしなかったのに

彼女と会う今日は少しでも格好良く見られたいという想いがその濡れた裾をダサいと感じさせた


待ち合わせた場所にあのクマの絵柄が入った赤い傘をさしている彼女が待っていた…




「ごめん、遅かったかな、、どうして中で待ってないの?」

「嬉しくて早く着き過ぎちゃった(笑) 外で待ってると直ぐに瀬名くんを見つけられるから(笑)」


そういう可愛いことサラッと言う??
俺のこと好きなんじゃないかって勘違いするでしょ!?



「じゃあ、行こっか」


上京して二年も経つのにどこに何があるのか知らない俺はスマホ片手に街を一緒に歩いた

彼女は可愛いから時々すれ違う人にチラチラと見られる


俺には彼女の周りが輝いて見える

彼女が笑うと花が咲いたように見える

モノクロの世界が色づいて見える



… これが 恋だろう




それでも俺と彼女は

木曜日だけ会話ができる“友達” …




ーーー




大学はもう直ぐ夏休みに入る

休み中は地元に帰るのかと彼女は聞いてきた

盆休み前には帰ろうかと考えていたことを話すと彼女は帰らないと言った

ならまた東京で会おうと約束をした


8月の第4木曜日
俺達が出会った大学近くのあの橋の上で…




ーーー




地元に帰った俺は高校時代の友達と集まって飲みに出た


「なぁ。“真波 奈津”って知ってるか?」

「真波? 芸能人?」

「俺も知らねぇなぁ。誰だ?」


結局 友達は彼女を知らなかった

その時はみんな同じクラスにならなかったんだなということで話は終わったけれど

なにか心に引っ掛かった


高校のアルバムを引っ張りだした

AクラスからGクラスまで全ての生徒を辿っていく


ーー いない…


同じ高校じゃなかったのか?
途中で転校した生徒だろうか…


中学のアルバムを開いた

中学は生徒数がそう多くない


いたら直ぐに見つかるはず

でも
やっぱりいない…



変だな…


電話がかかってきた


地元の中学の友達 “タケっち” からだった

『瀬名、こっちに帰って来てるんだろ?明日祭り行くならカジも誘うから一緒に行こうぜ(笑)』

「おう、行こ行こ!そうだ!タケっち。“真波 奈津” って女の子、小中の頃、いた?」

『マナミ ナツ? そんな子いたっけ? あ!五年に転入してきて六年に上がって直ぐに転校していった女の子はいたよなぁ?その子?名前忘れたけど。』


転校? 全く覚えてない…

「その子の名前わからんかな。」

『女子のことなら女子に聞く方がわかるかも?聞いとこうか?で?その子がどうした?』

「ちょっと気になることがあって。」



本当は直接電話をして聞けば済むことだけど
なぜか彼女は木曜日以外 電話が通じない

それがずっと気になっていたけれど
それは聞いちゃいけないような気がして

俺は気になりながらも 彼女には聞けずにいた



もしかしたら

恋人とかいるのかもしれない

若いけど彼女は既婚者で
木曜日だけは旦那が不在なのかなとか

そんな知りたくない事実がそこにあるような気がして聞く勇気がなかった…




ーーー





翌日 祭りには小中一緒だった女子とタケっちがいた

タケっちが事前に聞いてくれていたからか
女子から転校していった女の子の話をしてきた

転校生はやはり真波 奈津だった


「なんだ、そっか(笑)」

やっぱり彼女と俺はちゃんと接点があったんだと安堵した

「でね、転校していったそのなっちゃんと文通してた妙ちゃんが言うにはね… 」





ーーー





ーー 嘘だ

そんなはずない

だって彼女は ーー




僕は直ぐに家に戻った

荷物をまとめる俺にオカンはもう帰るのかと驚いていたけれど

そんな言葉も振り切って俺は高速バス乗り場に向かった



ーー 今すぐ彼女に会いたい

俺はその気持ち一心だった



新宿バスターミナルに着いたのは早朝
東京はどしゃぶりの雨だった


彼女に電話をかけてもやっぱり出ない



俺は電車に乗り大学近くの橋に向かった





ーー 今日は木曜日


でも彼女と会う予定は来週の木曜日だ

当然彼女はいるはずない




それでも俺は 何故か彼女に会えるような気がした

この道を曲がると橋が見える…




そこには

子供っぽいクマの絵柄が入った赤い傘をさした彼女が橋の上から河面を眺めて立っていた



「…くそっ!なんでいんだよ… 」


ゆっくり彼女の元に歩み寄った


「なっちゃん… 」

声をかけると彼女がゆっくり俺の方に振り向いた



「瀬名くん… 約束した木曜日は来週だよ?」
困った顔して微笑んだ

「うん… わかってる… 」


雨は少し小降りになってきたけれど
ズボンの足元は完全に濡れて冷たくなっている

彼女の足元を見ると
不自然に全く濡れていない



ーー それが悲しくて



「なっちゃんはずっと… ここにいたの?」


ハッとした表情をした

「… もうっ、なんで気付いちゃったかなぁ(笑)」

彼女の瞳から涙が溢れ流れ出した


俺も汲み上げた涙で視界がぼやけ
まるで雨の海の中に彼女が立っているように見えた



同級生の女子が教えてくれた ーー

“なっちゃんね、東京に転校してから一年後に事故で亡くなったの。登校してる時 橋の上で事故に遭って。雨の降る木曜日だったって彼女のお母さんから聞いた。”





「瀬名くんは私の初恋の人だった…

瀬名くんが大人の二十歳になったらまた会いたいってずっと願ってたの

でもここは東京だから会えないんだろうなって思ってた


… でも会えた

奇跡が起こったって嬉しかったの

神様に願いが通じたから会わせてくれたのかなって


でも瀬名くん気付いちゃったから…

もうお別れ…

また会えて嬉しかった… 少しの時間だったけど幸せだったなぁ(笑)」



彼女は悲しそうに微笑んだ




「嫌だよ… 駄目だ!行かないで!」


彼女の手を掴もうとしたけれど
俺の手は何も掴めなかった


「俺がずっと気付かなきゃ一緒にいられたの?なら忘れるから、だからずっとずっと俺と一緒に、、」


「もう時間みたい… 」


微笑む彼女が次第に消えていくのを
俺はただ見ているしかなかった


「行かないで!俺はなっちゃんが好きなんだ!」


“嬉しい… ありがとう… ”


ーー そう言ったような気がした




そして
彼女は消えていき


そこには 空から太陽が光を落とした ーー





ーーー




俺のスマホにあったはずの彼女の電話番号は消えていた

あんなに電話した着信履歴も…


あの楽しかった日々は夢だったのだろうか…



でも 俺は “真波 奈津” に恋をした

三年経った今でも恋しい気持ちはずっと胸の奥底に残っている



ーー 雨の日の木曜日

今でもあの橋の上であのクマの絵柄の赤い傘をさした彼女に会えるように願いながら

俺は雨の中を歩いた



「… え?」

赤い傘をさした女性が河面を眺めていた



胸がドキドキする


歩み寄ると女性が俺に気付いた




「瀬名くん… 久しぶり…

どうして忘れてくれないの?(笑)」




少し大人になった彼女が微笑んでいた







Rain


ーーーーーーーーーーーーーーー

たしかなこと 2 (19) 最終話

2020-10-08 00:23:00 | ストーリー
たしかなこと 2 (19) 最終話






目が醒めてから2ヶ月

今日まで笹山君は献身的に毎日見舞いに訪れた
日々この人は僕の妻なんだと実感する





何故 僕は再婚を決めたのだろう

今まで僕は人間関係は一定距離を取ってきた

それでも人恋しいと思うこともなくそれなりに充実していた



晴れた日は釣りに出掛け

雨の日は雨音を聴きながら文学小説の世界に浸る

たまに行きつけのメンズ服のセレクトショップへ出向き、30代後半の男性オーナーと服の話や映画の話をし

お気に入りの飲み屋で旨いつまみとビールで一日の疲れを癒す


恋や愛は本の中の世界だけで十分で
僕自身の人生にはもう無縁のものだ

誰かを愛するなんてもうないと思っていた



それが孤独とすら感じなくなっていた僕はそれだけ独りの時間が長過ぎたのだろう

こんな僕が再婚をしたということがわからない…

笹山君だから だろうか…



今日はずっと雨
遠雷の音が微かに聞こえる


笹山君は窓の外に視線を移した

「そういえば君は雷が苦手でしたね。」

知らないはずのことが咄嗟に口から出てきた



「宣隆さんは雷平気ですよね(苦笑) あっ、ごめんなさい、“部長” でした(苦笑)」

笹山君 は時々僕のことを“宣隆さん” と口走る
そしてすぐに “部長” と言い直す

別に宣隆でいいよと言うと微笑んだ






そして笹山君も“夫婦なんだから笹山じゃなく “香” と呼んで欲しい”と言い出した

女性の名で呼ぶのは慣れない…



「か… 香さん… 」


「名前で呼んでくれるの久しぶりで照れますね… エヘヘ(笑)」

彼女は照れくさそうにはにかんで
僕はフッと心が温かくなった


会社で見てきた笹山君とは明らかに違う

僕を想う笹山君の瞳はいつもキラキラと輝いていて

彼女が照れると僕も照れくさくなったり
彼女が楽しそうに笑うとつられて笑った

自然と親近感が湧いてくるのを感じる



「か、香さん… あの」

「ふふっ(笑)早く言い慣れてくださいね?」


まぁ、うん、、
それはどうしても照れくさいんですよ 、、



「何故、半年なのでしょうか。それまでに思い出せる気がしません。」


彼女は困った表情で微笑んだ

「半年という理由は秘密です(笑) もし思い出せないとしてもまた前みたいな仲になれれば一緒に生きられるんですけどね(苦笑)」


また前みたいな仲… か


人を愛することは決意して想えることじゃないし、離婚も簡単に決められることじゃない

僕は離婚経験があるから知っている



「前みたいに想えなくても離婚はしたくないと拒否したら?」

「愛してもいないのにどうして拒否するんですか?」


“愛してもいないのに” …

その言葉が僕の胸を突いた


窓の外は雨が強くなっていった


「君はどうしてそんな簡単に割りきれるのですか?それに、」

「簡単に決めた事じゃないですよ?」
彼女は静かに微笑んで窓の外に視線を移した

半年間なんて時間はあっという間に過ぎ去ってしまう

失った記憶は未だひと欠片すら取り戻せていない


この人と別れたくないという想いだけははっきりしている

その気持ちが僕を焦らせていた ーー




ーーー



「あ、宣隆さん、写真見ます?(笑)」
彼女が僕にスマホを差し出した



僕がキッチンで料理をしている横顔
僕が寝ている顔
僕が草木に水やりをしている後ろ姿


「これ、僕ばかりですけど、君が写ったものは無いのですか?」

「それは宣隆さんのスマホには沢山ありましたけど、そのスマホは事故で壊れちゃったので(笑)」

そう言いながら自分のスマホのアルバムをまた僕に見せてくれた


「じゃ~これとか、」

見せてくれたのは見知らぬ家の前で撮った笑顔の二人の画像だった

「これは二人でこの家に引っ越した日の記念写真なんですよ(笑)」

引っ越し業者のスタッフさんに撮ってもらったと嬉しそうに話してくれた

そこに写っている僕は幸せいっぱいの笑みで彼女の肩を抱き寄せ彼女も幸せそうに笑っていた


あぁ…
僕は本当にこの人を愛していたんだな

独りで生きてきた時は こんな風に笑うことはなかったよ


「幸せそうだ(笑)」

「夢みたいに幸せな時間でしたよ(笑)」


彼女のその過去形の言葉に
何故だか胸がギュッと締め付けられた


僕の中にいる“過去の僕”はまだ君を愛しているのだろう



水面に太陽の光があたり 宝石のようにキラキラと耀き眩しく感じる

彼女はそんな優しいのに強く光る煌めきのようで
僕の目にはとても眩しく映っている


そんな女性が 何故僕みたいな男を…



「君は僕みたいな男の何処が良いんですか?僕はもう初老の域に入った男ですよ。それに知っての通り愛想も良くはない。一緒に働いていたからよく知っているでしょう。」

「本当は私にはこんな風にとてもよく笑って、とても優しい人だってこと、知ってますから(笑)」


優しい… 僕が?



そうか…

「… フッ (笑)」

それは君が僕をそういう男に変えたんだろうな…



「なんです??(笑)」

「いえ… 君といる時の僕はそういう男なんですね(笑)」

「そうです♪優し過ぎて、尽くしてくれて、困っちゃうくらいでした(笑) 私は何をあなたに返せばいいのかわからなくて(笑)」

君になら何でもしてあげたくなるその気持ちは今ならわかる

「好きでやっていたんだろうから君が気にすることはないだろう?(笑)」


少し笑顔に陰りが見えた

「だから今はお世話させてもらって嬉しいんですよ(笑)」

「なら、もうひとつ頼みがあるんですが。」




僕は壊れてしまったスマホの代わりに新しいスマホを用意して欲しいと頼んだ


「電話番号やメールアドレスも新しいスマホに引き継ぎができるだろうから。仕事のこともどうなっているか同僚に聞いてみたいし、君に用事を頼みたい時にも連絡が取れると助かります。」


それと…

君の画像や思い出すきっかけになるものがクラウドに保存しているかもしれない


彼女に対して恋とか愛とかそういう特別な感情を感じているという訳でもないのに

離婚なんて絶対に駄目だ、したくないと強く思っている




あの写真のように

心から幸せそうに笑って 彼女を愛したい…

愛していた時の気持ちになってみたい…


僕の中で 幸せになりたいという願望が生まれた





ーーー



そして3日後には彼女が新しいスマホを用意してくれた

保存されていた画像データの復元を確認した



画像ファイルを開いた時 思わず声が出た

「なっ、、なんだ!?」


数十枚はあるかもと予想はしていたが
およそ500枚もの彼女の画像があった

これじゃ まるで芸能人の熱狂的なファンのようだ



「ふふふっ、 あははっ!(笑) 」


僕は恋に落ちるとこんな可愛い男になるのか

自分が本当に幸せだったのがよく理解できる




ーーー






事故から4ヶ月経った頃

少しずつ歩けるように回復してきた僕はようやく自宅療養の許可が降りて退院することとなった

まだ完治した訳ではないので毎日リハビリには通うことにはなるが社会復帰の目処もたってきた


ーー そして退院の日の朝


タクシーは自宅の前に着いた

正確には以前から住んでいる自宅ではあるが初めて目にする我が家

以前香さんが見せてくれた引っ越した日の写真を思い出した


内心 少し緊張気味の僕と嬉しそうな彼女
彼女の家に招かれたようで胸が少し高鳴っている

彼女が玄関のドアを開け
支えてもらいながら車から降りて玄関に入った


家にはその家独特の匂いがあるが
ここはどこか懐かしい匂いがする…


「おかえりなさいっ(笑)」

「た、ただいま… (笑)」


長年の独りで暮らしてきた僕には その“おかえりなさい”という温かい言葉が胸を熱くした


ダイニングテーブルの椅子に腰掛けると

彼女は荷物を置いて窓を開け
慣れたようにキッチンに立った


「何か飲みます?お茶?コーヒー?」

「では、久しぶりにコーヒーを…」


見慣れない部屋に僕が長年使っていたソファが置いてあった

やっぱり僕の家なんだ…



珈琲の良い香りが部屋中に立ち込めてきた



「どうです?何か思い出せそうですか?」

「今の所はまだ… ただ、懐かしい気はします。」

「そうですか(笑)」

コーヒーを淹れたカップを僕の前に置いた



「このカップは… 」
二人で食器やこのコーヒーカップを選んだ場面を思い出した


「このカップを買った時のことを思い出しました。」

「えっ!? 本当に!?」

「確かもうひとつ良いのがあって悩んだような… 」

「そう!そうなんです!(笑) 思い出してくれて嬉しい!」


そんな些細なことでも思い出したというだけでこんなにも喜んでくれる彼女から僕への想いを感じる


「そのくらいしか… 本当に申し訳ない。」

「え?」


僕が事故なんかしなければ苦労も心配もかけずに済んだ

そして離婚なんて言葉を言わせずに済んだかもしれない

そう言うと…


「宣隆さん!私のお願い、聞いてくれます?(笑)」

「僕にできることなら、、」

「一緒に写真、撮ってもいいですか?(笑)」



スマホをセルフタイマーにして僕の後ろに立った

記憶を失くしてから初めて二人で撮った写真


一緒に画面を覗いた
「宣隆さんの顔、硬いですよっ(笑)」


香さんと写真を撮るなんてやっぱり緊張します…


「もうひとつ、良いですか?(笑)」

「なんですか?」

「私… 」

両手をモジモジさせた



「なんでしょう?」

「ハグがしたい… です、、良いです…か?」

えっ…

「ええ… (笑)」

夫婦ですしね、、と頭では思いつつ
心臓の鼓動が早くなっているのがわかる…

座っている僕の首に照れくさそうに腕を回して優しくハグをした


香さんの髪が頬に触れ 女性らしい香りが僕の心臓の鼓動を早くした

背中に手を回そうか躊躇している内に彼女はそっと僕から離れてしまった


見上げればその笑顔は今にも泣きだしそうだった


「ここに座る宣隆さんがまた見られる日が来るなんて本当に嬉しい(笑) もしかしたらもうここには戻って来ないんじゃないかって思ったこともあったから(笑)」


ーー いじらしい彼女を愛おしく思えた



君が笑うと一緒に笑ってしまうし

君がこんな風に涙を溢しそうになると僕も自然に目頭が熱くなる

いい歳のオヤジなのに年甲斐もなく偶然君に少し触れただけで胸の鼓動を早くしてしまう

そしてもっと触れあいたいと思う


爽やかな青空の日も
静かな雨の日も

君に会えない日は今頃どうしているだろうと自然と考えている




もう認めるしかない…



これは恋だと

いつ 伝えよう…





ーーー





嬉しいような困ったような…

お風呂の介助をします!という彼女


「じゃ、じゃあ、お願いします… 」


なんとも…
照れくさい


夫婦なんだ
当然お互いの全てを見てきたはずだ


だがそれは今は形だけの夫婦であって
この気持ちを伝えていない僕は香さんの恋人でもない

こんなタイミングで告白なんてしたくはない


風呂に入って身体を洗っているとドアの外から開けますねと声をかけてきた

「お、お願い、します…」

少し後ろを振り向くと香さんは服を着たままだった

もしかしたら、なんて下心を持っていた自分が恥ずかしい…


優しく背中を撫でるように擦り始めた



それが優し過ぎてくすぐったい

「クククククッ(笑) くすぐったいのでもっと強くお願いできませんか(笑)」

「あ、ごめんなさい!(笑) このくらい??」

「ん、それくらい(笑)」


なんだか 新婚のようだ(笑)


「強すぎません?本当はナイロンタオルじゃなくて手だけで洗うといいんですよ?」

「手だけ?それじゃ洗った気になりませんよ(笑)」

「そうですかぁ?こんな風にするんですよ?これで大丈夫なんです(笑)」

香さんの手が肩や背中を撫でていく



うっ、、これは、、

ボディソープで香さんの手が僕の身体を滑っていくその感触がゾクゾクしてきて

勝手に下半身が反応してき、た、、

マズイ、、


「もっ、もう良いですっ、、後は自分でできます!ありがとう、、」

気付かれぬよう振り向かずナイロンタオルを受け取り膝に掛けて隠した


「流しましょうか?」

「だっ、大丈夫ですから、本当に大丈夫ですからっ、、」

「わかりました(笑) じゃあ出る時に声かけれくれれば支えますから(笑)」

「大丈夫です、ほんと、ほんとに、大丈夫、ありがとう、、」


彼女が浴室から出て行って気付かれなかったことにホッとした


本当に焦った…

「ふぅ~っ… 」


あの程度のことでどうしてこうなるんだ?
そんなに欲求不満だったか?

僕だって触れたくなるじゃないか…

明日からは介助を断ろう…




… 抜いておくか


シャワーのノブを回した





ーーー




香さんは僕の身体を気遣って同じ布団では寝られないと言ったけれど 流石に床で寝かせるにはそれは申し訳ない

「ダブルベッドだから大丈夫ですよ、一緒に寝ましょう。」


気を遣い僕の身体に触れないようベッドの端に横たわった

「幾らなんでもそんなに端っこじゃ落ちてしまいますからもっとこっちに寄ってきてください。」

「まだ脚もあばらも痛いでしょ?寝てる間に当たったらいけないから(笑)」


「大丈夫ですから(笑)」

香さんの身体に触れて引き寄せた


んっ?

一瞬手が胸の膨らみに触れてしまった

「あっ、すみません… 」

「いえ… 」


ちょっと胸に当たった程度のことなのにドギマギしてしまう


眼鏡も外しているから彼女の表情が見えない


「ふぅ… 」 どうも眠れない

「… 眠れませんか」と彼女が呟いた

「そうですね (笑)」

「ずっと一人病室で寝ていたのに慣れちゃったんでしょうか(笑) 」



そうじゃなくて

君が隣にいるから落ち着かないからなんですけどね…


でもそれを口にすると床に布団を敷いてしまいそうだから

「もう少しこっちに寄って来て欲しい。本当に落っこちそうで気になりますから。」


手を伸ばすとモソモソと僕の方に近寄ってきて僕の手を取り猫のように自分の頬にスリスリしてた

そんな彼女にグッときた


「この大きな手… やっぱり安心します…」


くぅっ、、可愛いじゃないか
さっき抜いてて良かったと心底思った

香さんは確かに会社でも明るい女性ではあったけれど

仕事から離れ一人の女性として接する香さんはとても献身的で思いやりと芯の強さを持った女性だと知った

そして素直でとても可愛い女性だということも


実年齢よりも随分若く感じる
大人の女の色気は感じないけれどね(笑)


でも一緒にいると温かい気持ちになれるし
ずっと一緒にいたいと思う


恋という感情を忘れた僕には
この感情の意味はまだ理解できないが

たしかなことは香さんと夫婦になれたことは僕にとって幸せなことということだ


香さんの寝息が聞こえてきた
君は寝られるんだな(笑)


「僕は本当に眠れそうにないよ… (笑)」





ーーー




彼女が出勤した後

車の運転ができそうだったので車でリハビリに向かった

日常生活で無茶をしない程度で意識的に動くようにするともっと回復も早くなるとアドバイスをもらって帰宅をした

ずっと気になっていた会社のことを聞きたくて同僚の部長、寺西に電話をしたことで自宅に訪ねてくることになった

寺西はプライベートでもたまに一緒に釣りに出掛けることもある近しい関係だ



「なに!?どこからの記憶が無いんだ。」


仕事復帰は大丈夫なのかと不安視した寺西は記憶に無いこれまでの動向をこと細かく説明してくれた


そして会社が大規模なリストラをおこなうために僕も人選に悩んだこと

今は概ね順調良く会社は回っているようだがやはり上層部の覇権争いは残っていること

そんな状況の会社がよく僕を解雇にせず休職扱いしてくれたもんだ


休職中の僕のポストに部長臨時代行として浜課長が選任されていた

何故 他の部署の浜が抜擢されたのか
しかもあの浜は問題のあるいわく付きの男…


寺西もそこを懸念していた

情報が外部に漏れたのは浜が極秘資料を社外に不正に持ち出したからではと疑惑が上がっていた

ほぼ黒だとされていた浜だったが何のおとがめもなく部長代行に任命されていることにも違和感を感じる

それに浜自身の人格も高慢な物言いで周囲からは煙たがられている


寺西は 『派閥だよ、派閥。』と疲れた声で眉間を寄せた

浜を選任した次長は自分の派閥から一人でも上のポストにつかせたいという考えなのだろう


僕はまた同じ部署、同じポストに戻れるのだろうかと不安になってきた


寺西は『浜の肩書きは今の所、“臨時”の部長代行となってる。臨時だから今の所は大丈夫だろうさ。ただ、白川がいない間をチャンスと見て白川よりも高い実績を上げてお前のポストを奪おうと狙ってるように見える 』と険しい表情をした


ただでさえ今の僕は以前と違って記憶が消えている

だから早く仕事復帰しないと、という焦りが沸々と湧いてきた





ーーー




事故からもう直ぐ半年
この家で香さんと暮らし始めて2ヶ月

僕の仕事復帰も5日後となった

リハビリももう通わなくてもよくなり
普通に日常生活をおくれるようになっている


そして…
約束の日まであと一週間と迫ってきた


明日は彼女の店は休業日

彼女と車で出掛けることにした


「宣隆さんと行きたい所があるんです(笑)」





彼女が僕を案内した場所は埠頭だった


昨夜まで強い風が吹いていたけれど
今日は穏やかな初秋の晴れ空が広がっていた

車から降りた彼女は久しぶりのデートだと嬉しそうだ


「実はね、ここは私達の記念の場所なんです!」

この場所で僕は香さんにプロポーズをしたと僕に教えてくれた

「返事は直ぐじゃなくてもいいから考えてくれないかって(笑) 私の答えは決まってたんですけどねぇ♪ふふっ(笑)」


ーーー 僕の心も もう決まっている


「香さん。もう直ぐ約束の日ですね。結婚を口にしたこの場所で… 」


サラサラと冷たい風が頬を撫でた

「君に返事をするという約束を果たそうと思います。」

それまで幸せそうに微笑んでいた香さんの表情が真剣な表情に変わった


「… わかりました。」

「その前に、君に感謝を… 」
僕は彼女に頭を下げた

身体がボロボロにり記憶まで失くしたこんな惨めな男をずっと献身的に笑顔で寄り添い支えてくれた君がいたから僕は心折れずに今日まで来られたと思っていること

本当に感謝しきれないことを伝えた



「そして僕の内側から君を求める想いが自然に湧いてくるんです。手放したくない、君の傍にいたいと。

やっぱり僕は香さんを愛しているようです(笑)」


僕の言葉を泣きそうな表情で黙って聞いている


「結局僕は何度記憶を失くしても君に惹かれてしまうんですね(笑)

香さん。これから今の僕ともう一度、恋愛から始めてもらえませんか?」


密かに購入していた新しい結婚指輪をジャケットのポケットから取り出しリングケースを開いた


「どうか、受け取って欲しい… 」


香さんは嬉しそうな表情で大粒の涙をポロポロと溢しながら

「もちろんです!(笑)」と涙を拭って受け取ってくれた


指輪を左手の薬指にはめると
少しぽっちゃりしてきた香さんの指には少々窮屈そうに見え、彼女は笑った


僕の指にも新しい指輪をはめてもらった

僕の前の結婚指輪は家の引き出しに大事にしまってあり、事故の日から一度も指にはめてはいない

記憶が戻ったらもう一度はめるつもりだったからだ



「キス… しても構いませんか、、」


正式に返事をする日まではと
僕からは彼女に手さえ触れずに今日この日まできた

それだけ僕にとって香さんは大切な存在になっていたからだ


「そんな風に律儀に聞いてくれる所があなたらしい(笑) もう聞かなくてもいいんですよ… 」


彼女の方からキスをしてきて
僕はドキドキしながらも唇に想いを込めた





ーーー





それから2年の月日が流れ ーー



「パァ、パァ、」
両手を広げ 僕に抱っこをせがむ可愛い娘

「もう疲れちゃったのかな?(笑)」
抱っこをするとキャッキャッと喜ん



満開の桜がある公園に散歩に来ている

「ほら、見てごらん? このお花はね、“さくら”って言うんだよ(笑)」


時々吹く風に流される桜の花びらの中に
静かに微笑む香さんがいる




そして この2年で僕の記憶は随分と戻ってきた



電車の中で偶然香さんと出会い声をかけたことから

橋の上で一緒に見たあの満月の夜のことや
流星群を見ながら告白をしたこと

僕のふらついた気持ちで香さんを傷つけ 家を飛び出してしまい迎えに行ったことや

日が暮れるまで駅でずっと香さんの帰りを待ったことも

全てが懐かしい…



「貴女とこうして春を迎えるのは何度目だろう(笑)」

「8度… 9度目?(笑)」

「まだそんなものなのか(笑)」


香さんの髪に桜の花びらが落ちてきた


「これからも変わらずよろしく、香さん… (笑)」


花びらをそっと取って
彼女の頬にキスをした












ーーーーーーーーーーーーーー


たしかなこと 2 (18)

2020-09-22 12:04:00 | ストーリー
たしかなこと 2 (18)






…え?


宣隆さんは虚ろな目で駆け寄る私を目で追っていた



慌ててナースコールで知らせると看護師さんが入ってきた


看護師さんが彼に話しかけてるのに何も答えず 私の方をただぼんやりと見つめるばかりで戸惑った


もしかして

「宣隆さん!?聞こえない!?声が出ない!?」



息で抜けるような言葉にならない声を出した




「先生を呼びますね。」

看護師さんは医師を呼びに行った



宣隆さんの目に私が映っている
ただそれだけで胸が熱くなった



「良かった… 意識が戻って」

涙が込み上げてきた




それから医師が手足を動かすよう指示した
指示したように少し動かす

ちゃんと耳は聞こえているようだけれど



虚ろな目で私を眺めるように見ていたのは

ただ私が何者なのかわからなかったからだということがわかった




ーーー ショックだった




他人を見ている

そんな遠い目が私の心を刺した



「本当に… 思い出せない?」



何も喋らない

医師の言葉は理解しているようだけど



きっと

見ず知らずの女が話しかけていると思っているんだろう…




万結ちゃんが病室に駆け込んできた

「パパ!?」

泣きそうな目で彼に話しかけた


宣隆さんは万結ちゃんのことがわかるのだろうか…


「あ… 」何か言おうとした


「え?何? パパ喋れないの!?」

確かめるように私の顔を見た



「今は… でもその内 話せるようになるって(笑)」


「良かった… 良かったぁ」

泣きながら宣隆さんに微笑んだ





万結ちゃんのことは… 覚えてるの?


すると紘隆さんが病室に入ってきた


「香さん、連絡ありがとう。兄貴はどう?」

宣隆さんの顔を覗きこんだ



「ひろちゃん、、」

万結ちゃんはホッとした表情をした


「やっと目ぇ覚ましたか。」

宣隆さんは無表情で万結ちゃんと紘隆さんの顔を見ている


どうなの? 二人のことはわかってる?


「パパは今は喋れないんだって… でもその内喋れるようになるみたい(笑)」


「そうなのか。でも声は聞こえてるんだろう?」

胸がズキッと痛みが走った



「はい、、聞こえてます、、」

そう答えた私を紘隆さんは何かに気付いたような表情をした


しばらくして万結ちゃんはまた明日来るからと嬉しそうに帰っていった





「香さん。どうか、したんですか?」


宣隆さんが私のことを忘れてしまったことを打ち明けた


「やっぱり辛いですねぇ(笑) まさか忘れられてるなんて思いもしてなくて(苦笑)」



ダメ… 宣隆さんの前で泣いちゃダメだ

ダメだと強く思うほど涙が溢れてくる



「大丈夫。その内必ず思い出すよ。」


私に話しかけるその声
私に向けるその瞳も
肩に触れるその手も

やっぱり宣隆さんのようで…



紘隆さんは寄り添うようにが私の肩を抱いた



「辛いのによく耐えて頑張ってたなと思うよ。泣きたい時は我慢しなくていいよ(笑)」


優しく語りかけてくれる声も言葉も本当に宣隆さんのようでポロポロと涙が溢れた



すると…

服を少し引っ張られる感覚がして

振り替えると宣隆さんが私に手を伸ばし軽く服を摘まんでいた


宣隆さんは私に何かを訴えるような表情で
「… はっ、」と声を出した



「香さんだぞ。わかるか?」

宣隆さんは少し眉間にシワを寄せ不安そうな表情で弟の紘隆さんを見た



「俺のことはわかるか?」

少し頷いたように見えた



「じゃあこの人は?」

やはり
ただ 私をじっと見つめるだけだった


やっぱりわかってない様子だ…


「何故香さんだけ…」

眉間にシワを寄せた




これは一時的なことだろうからあまり気に病まないようにと私を励まし紘隆さんはまた来るからと帰ってしまい

二人きりの病室は静かで

少し居心地が悪かった




「私はあなたの… 」

言葉が詰まった


ここで私は “妻” だと言っても混乱させてしまうだけのような気がした


「身の回りのお世話をさせてもらってる者です。」


理解したようで 彼は少し頷いた




本当に他人のようで

切ない




「あ、私もう帰りますね(笑)」

また少し頷いた


「じゃあ、お大事に、、」

宣隆さんの着替えを持って病室を出た




やっと意識が戻ったのに…




ーーー




母にその事を報告すると
意識が戻ったことを喜んだ

しばらくは見舞いは控えて欲しいと伝えると 困惑した声で母は了承した



その夜
彼の着替えやバスタオルを洗濯機に入れた



「…いつからの記憶が無くなっちゃったのかな… 」


インターホンの音が鳴った
誰かが訪ねてきたようでディスプレイを覗いたら兄だった


“よっ!”


「えっ?どうしたの?」


“早よ 開けろ~。”


あ、あぁ、、

ドアを開けるとムスッとした顔で入ってきた


連絡もなくいきなり夜にウチに訪ねて来たことなんてなかったから驚いた



「腹減った。なんかないの?」

キッチンに入って行き筑前煮が入った鍋の蓋を開けた


「なに?どうしたの?」

「なんだ、旨そうなもんあんじゃん(笑) 」


突然訪ねて来た理由を聞くと

「お前さぁ。なんで “アタシがアンタの嫁でしょうが!寝過ぎてボケたんじゃないの!?” って言ってやんないの?」


兄のその女口調に思わず吹き出した


「いやいや、お前~。笑い事じゃないだろう?」


「だって、、あははははっ(笑) 」


「お前はそれで良いワケ?それにやっと妊娠したんだろ? あ、それもオカンから聞いた。おめでと、、」


「あ、ありがと… 」なんか照れくさい…



「その妊娠も知らないままだろ。これからどうすんだ。」


筑前煮をお皿によそって ご飯もこんもりと盛って冷蔵庫を開けて漬物が入った容器を取り出した



「で? お兄ちゃんは晩ご飯を食べに来たの?」


「なにぃ!? どこをどう見てそう思うんだっ!失礼なヤツだな!」


失礼なヤツって、、

こんもりとご飯を盛って食べだしたじゃん

誰がどう見てもそう見えるよ




「あのねっ、心配して来てやったのっ!俺のこの兄妹愛をお前はいつになったらわかんのかねぇ… 全く冷たい妹を持ったもんだ。兄ちゃんは悲しいっ!

しかしこの筑前煮 “は” 旨いな。」


「“は” って強調するのやめて?それに、、意識が戻ったばかりの今の宣隆さんに本当のことを言ったら混乱しちゃうよ。」


「なんでだ。んなのわかんねぇだろ… それにその腹だってあっという間にデカくなっちまう。いつまでも隠しておけねぇだろ。」


「そんなこと、わかってるよ… 」


わかってるけど…

涙がポロポロ流れ落ちた



「そら見ろ… やっぱ辛ぇんじゃねぇか。」

箸を置いて水を飲んだ



「お前、ほんとアホだねぇ。俺はさぁ、お前のダンナより、お前の方が大事なんだよ。昔っから気丈に振る舞うけど一人で抱えこんでは辛い思いする奴だからよ。

お前は俺のことなんも知らねぇアホだとでも思ってたか? (カッカッカ!笑) なんでも知ってんだよ!お前の兄ちゃんだからな(笑)」



「ほんと、バカじゃないの?(笑)」

いつものふざけた性格の兄ちゃんがとても優しくてますます泣けてきた


「生まれてくる子供にちゃんとダンナのこと、父親だと言えるようにな。」


「…わかってるよ。」


「ダンナにお前の作ったこの旨い筑前煮食わせりゃ全部思い出すんじゃねぇか?(笑)」



品のある宣隆さんとは真逆の兄ちゃんは

子供の頃からいつも私の盾となって助けてくれるガキ大将だった


そんな頼もしい兄だった

こんな年齢になっても励まし助けてくれる



「また… あの人に私を好きになって貰えるよう頑張ってみる。」


「そんな悠長なこと言ってる時間はねぇぞ。」



わかってる

だから私は…





ーーー





翌日病室に向かうと検査で部屋にはいなかった
彼の眼鏡を持ってきた



しばらくすると車椅子に乗せられた彼が看護師に押されて戻ってきた


看護師さんが私に声をかけた

「あ、奥さん、こんにちは(笑)」




結局 こうして病院でわかっちゃうよね…


「こんにちは、、」


頭を下げた

宣隆さんは困惑顔で私の顔を見ている



「宣隆さん、眼鏡です。」


彼に優しくゆっくり眼鏡をかけてあげると私がハッキリ見えたのか

驚いた表情をした



「さ、さ、 …」


今、私の旧姓“笹山”と言おうとした!?
部下だった頃の私を思い出した!?



「良かったですね(笑) 奥さんずっと心配されてましたよ(笑)」

そう言いながら看護師さんは彼をベッドに座らせ寝かせた


彼は痛みで眉間にシワを寄せた


「これからリハビリを始めていけるそうです(笑) しばらく動かしてなかったので骨や筋肉の衰えもあるので徐々にですが動かすことでまた歩けるようになりますよ(笑)」

その報告に安堵した


「ありがとうございます(笑)」


「では何かあったらナースコール押してくださいね(笑)」


看護師さんは病室を退出した




宣隆さんは難しい表情をした


「笹山、君、、」



彼はゆっくりと話し始めた


どうしてこうなったのか
何年間の記憶が無いのか
何故部下の私と結婚したのか

当然知りたい事だろう…




「わから、ない、、なにが、どう、なった、のか、、」

動揺している




「私達がお付き合いを始めて6年になります。」


「…え」

6年間分の出来事を完全に忘れていることにショックを受けた




何故 私なんかと結婚したのか、あり得ないと思ってるようだった…


私はこの人を愛しているけれど
今 目の前にいるこの人は私を愛してはいない





ーーこれは完全に私の片想いだ



たとえ記憶が一生戻らなくても
また愛しあえるのかな…



私達の距離が近くなるきっかけになった
あの偶然の電車で会ったことから

プロポーズをしてくれるまでのいきさつを丁寧に語った


彼は真剣な表情で私の話を静かに聞いていた


「… よく、わかり、ました。しかし… やはり、思い出せま、せん。すみま、せん、、」


申し訳なさそうに視線を落とした



「いいんです、いいんですって(笑) 今度は私があなたを振り向かせます。ふふっ(笑)」



「僕は… 僕も、努力、します… 」



“努力する”



その言葉に胸がチクッと痛んだ

好きになるよう努力する…か



「努力なんかしないでください。私のこと愛せないなら… 」


お腹が大きく目立つまでにあなたを振り向かせられなければ



「もう離婚、しちゃいましょう?(笑)」




宣隆さん
困惑してる…




ーー それは私の決意だった


赤ちゃんは私一人で育てることになっても




「離婚は… 駄目…です。」


「どうして?」


「わから、ない… でも、したく、ない、、」



弱々しい声でそう言った


宣隆さんの言葉に
少し 心が救われた



「じゃあ私と恋愛できますか?」


「…恋…愛?」

困惑の表情をした






ーーー






長く眠っていたことは目覚めて直ぐにわかった

ぼんやりと白い天井が見える


物音のする方に目をやると女性らしき後ろ姿がぼんやり視界に映った

その女性は僕の傍に駆け寄って声をかけてきた



眼鏡がないからぼやけてよくわからない…



この声
聞き覚えがある

誰だっただろう



思い出せない…



ここは一体何処だろう

どうして僕はここにいるんだろう



僕に問いかける内容からすると僕は病院にいるということは理解した

しかし声が上手く出せない…



僕はどうして病院にいるのか…


変だ

身体を動かそうとすると激痛が走り動かせない



聞き覚えのある親しげに話しかけるその女性の声は若いようだ

本当に誰なんだろう



でも…

何故か心は落ちついた





そして万結の声がした



「連絡ありがとう。兄貴はどう?」

この声は紘隆…



女性と話している
親しい関係のようだ…



“意識が回復” “事故の後遺症”

二人の会話で僕は事故に遭ったということを理解した



この女性は “カオリ” という名なのか

カオリ?
誰なのか思い浮かばない…




なんだ?

“カオリ”という女性が泣いてる?


ぼんやり見えた



えっ…


ぼんやりと
肩を抱いているように見えた



ーー イヤだ


咄嗟に沸き上がったその感情がその “カオリ” という女性の服を掴んでいた

あれだけ痛くて動かせなかった腕が動いていた



僕は何故 咄嗟にそう思ったのか理由はわからないけれど

強い焦燥感を感じたのは確かだ




ーーー



翌日 動けない身体の僕に眼鏡をかけてくれたのは部下の笹山 香だった

そして彼女は僕の“妻”になっていた



慎重な僕が再婚をしたということは
余程 この笹山 香を愛したのだろう


もう10年以上、いやもっともっと長い時間
僕は誰かに想いを寄せたことはない


恋なんて若いからこそできるもので僕の人生の中ではもう無縁のものだと思っていた


笹山君の印象は確かに会社では明るく愛嬌のある女性だったが

だからと言って個人的な感情はなかった



僕と彼女に一体何があったんだ…

何がきっかけで どうして恋仲になり結婚をしたのか気になって彼女に問いかけた



彼女はきっかけから結婚に至るまでの出来事を幸せそうな表情で話してくれた


その話は
自分に起こった出来事だとは思えず まるで他人の恋愛話を聞いているようだった



でもこれは僕達の話

昨日 咄嗟に彼女の服を掴んだことが
“イヤだ”と感じたことが彼女を愛している証拠だろう


なのにどうして“愛している”という実感が湧かない?



彼女は僕を振り向かせると言って笑顔を向けたことが逆に僕の胸を締め付けた



“努力します”

今の僕にはそれしか言えなかった…



「努力なんかしないでください。私のこと、以前のように愛せないなら… 離婚しちゃいましょう(笑)」




ーー “離婚”という言葉に胸が痛んだ




「離婚は、駄目、、です。」


「どうして?」


「わから、ない… でも、駄目な、気が、します。」



ハッキリと理由は言えないけれど
きっと僕は後悔をするだろう

こんなにも胸がズキズキと苦しく痛むのだから


この痛みは忘れてしまった記憶と感情の中に彼女への愛情が残っているからに間違いはない



「じゃあ、私と恋愛できますか?(笑)」

少し瞳を潤ませて眉尻を下げ微笑んだ彼女


本当は泣きたくなるくらい心が張り裂けそうな想いで“離婚”という言葉を発したのだろう


健気に笑顔を作った彼女に
僕はますます胸が痛む



ーー 早く思い出さなければいけない

そう強く思った










ーーーーーーーーーーーー


たしかなこと 2 (17)

2020-09-06 23:40:42 | ストーリー
たしかなこと 2 (17)






結局 浴衣のままで自宅まで帰ってきた


“ 浴衣をお借りしたのできちんと洗濯してからお返しします ”

彼がそう母に言ったからなんだけど




「せっかく浴衣を着てるのに直ぐに着替えて帰ってくるなんて勿体ないことしない(笑)」


愛おしそうに見つめるその瞳から “愛している” という想い伝わってくる


少し照れくさい…



「(香さんの)帯、苦しくない?」

後ろを向くと帯を弛めてもらい少し楽になった


「楽になっ、、」


耳に唇が触れドキッとした


「いやいや、汗かいてるし、、」

彼の方に向きなおした



「それは僕もだし、、気にならないよ(笑)」

彼の微笑みや触れる手は
いつも私の心や身体を気持ち良くしてくれる


彼にキスをすると 応えるように甘いキスで返してきた


もう何度も抱かれているのに いつもアプローチが違う



だからいつもドキドキする

マンネリにならないようにと気遣いしてくれてるのかもしれない

努力してくれてるのかもしれない




私はいつもこの人から貰ってばかり

気遣いも優しさも愛情もセックスも


だから今夜は








ーーー



助手席の香さんは少しウトウトしてる


あぁ、香さんの浴衣姿 本当に可愛いな …


浴衣のまま帰ると言った僕にお義母さんは満面の笑みで送り出してくれたけど

あの笑顔は僕の考えを見透かされていたようで

ちょっと恥ずかしいかったな




自宅の駐車場に車を停めて香さんを起こした



「まだ眠い?」


「ううん、ちょっとスッキリした(笑) 私だけ寝ちゃってごめんなさい、、」


「そんなこと、良いよ(笑)」


今夜は寝かせないつもりなので(笑)





家に入っていく後ろから着いて入った



丸い頬
少し乱れた後ろ髪と その髪を直す仕草 …


ーー 良い眺め





向こうで着替えて帰ってくればお母さんが浴衣を洗濯に出してくれたのに(笑) 部屋暑いね(笑)」

寝室のクーラーを点けた


「せっかく浴衣を着てるのに直ぐに着替えて帰ってくるなんてそんな勿体ないことしない(笑)」


僕の意図を察したのか
この照れくさそうな表情がまた堪らないな(笑)




耳に唇を寄せると


「汗かいてるし、、」と慌てて振り返った

「それは僕もだし、、気にならない(笑)」


僕のことを愛してくれているのはもちろんわかってるけれど

香さんからは僕を求めてくれることがないから僕は寂しさを感じていた



けれど…

照れながらも香さんから求めるようにキスをしてくれた




あぁ

香さん…
僕は貴女を心から愛してる


ずっとこうして
僕の傍にいて欲しい ーー






ーーー





今日は宣隆さんのお誕生日

外食も考えたけど家でお祝いをすることにした

ケーキはお母さんと子供の頃に作ったきりで
一人で作ったことは一度もなかったのでネットで調べながら頑張って作ってみた



料理もテーブルに乗りきらないくらい彼の好きな物ばかりを準備しお誕生日プレゼントも万全


先にお風呂に入ってまたお化粧してあの大人っぽい下着を服の下に身につけた



確か20時までには帰宅すると言ってたけど
時計は21時半になろうとしている

メールを送ってみたけど返事がない



… 仕事が押してるのかな



めったに鳴らない家の固定電話が鳴った
営業の電話だろうな



「もしもし?」

『白川宣隆さんのご家族ですか?』


知らない女性の声だった







電話をかけてきたのは病院の職員だった


“ご主人さんは事故に遭われまして直ぐに ”





ーー 事故… 事故?


重体?

どういうこと?





今日は宣隆さんの誕生日だから宣隆さんの大好物ばかり作ったのに





病院に行かなくちゃ


でも

恐くて足が動かない







今度はスマホに着信の音が鳴っている



「… もしもし」


「香~?今夜宣隆さんの誕生日のケーキ作ったんでしょ?ちゃんと作れたかしら?(笑)」



ーー お母さん



「お母さん… あのね、宣隆さん、まだ帰ってなくて」


『あら、遅いのねぇ』


「事故に遭ったって、重体なんだって、病院から電話があって、、」


『は…?』




お母さんが電話の向こうで早口で何か言ってるけど なんだかよく理解できない


『もしもし!聞いてる?宣隆さんの容態は? 何処の病院なの!』



あ、病院…


「病院は … 」

メモに書いた病院を告げると



「何か… 持って行かないといけないのかな… 保険証とか」


『そんなもの後でいいから、とにかくあなたは今直ぐ病院に向かいなさい!』



… あぁ そうか 何もいらないんだ


「うん… わかった」


『今からお母さんもお父さんと病院に向かうから今直ぐ向かいなさい!』





電車に乗った

いつも見てる世界が まるで初めて見る世界のように見えて地に足が着いていない



重体って…

宣隆さんがこの世界から消えてしまう?


消える?

消える…




だって今朝まではいつも通り出掛けたし
夕方に20時までには帰るからって連絡あった

きっと誰かと間違えられたんだろう

そう

きっとそうに違いない






病院の前に着いた


「あの、白川ですけど。主人が救急で運ばれてると聞いたんですが、、」


救急の受付窓口にいたおじさんから言われた場所に向かった


そこから看護師さんが案内してくれて
オペ室の前の長椅子で座って待っていた


まだ彼の姿を一度も見ていない
だからやっぱり人違いかもしれない







帰宅した彼が私がいなくて心配するかもしれない



スマホを握り締めた



2時間程するとお母さんとお父さんがお兄ちゃんの運転で病院に駆けつけてきた



「宣隆さんは?」



「どんな事故だったの?」


「わかんない… なんか説明してくれたけど… 覚えてない… でもね、まだ顔見てないし人違いかもしれない… 」



お母さんとお父さんは顔を戸惑った表情で見合わせた



何故だろう

涙も出ない

現実味がない



「彼ね、今朝はいつも通り家を出てね、お昼休みもいつも通りメールくれてね、夕方には8時までには帰るよって電話もちゃんとくれたんだよ? 今日はあの人のお誕生日なのに事故に遭うなんて有り得ないよね?(笑)」




お母さんが心配そうな表情で

「取りあえず待ってみましょう。」





オペ室のランプが消えたのはもう夜明け前だった

看護師さんとお母さんが話をして
お兄ちゃんに促され待合室で待つことになった


まだ宣隆さんの顔を見てない…




「ICUの外から顔は見られるらしいから、行こう。」



顔は腫れ 頭も 脚も 腕も包帯でぐるぐる巻きになって 酸素マスクをしている男性がベッドに横たわっていた



顔が見えない


今朝 見た笑顔の宣隆さんとは別人に見える



「あれが、宣隆さん?」


お兄ちゃんが肩を叩いた

「しっかりしろ。お前、嫁さんだろ。ダンナがあんなになっても頑張ってんだから。」



「違うよ… ほら、やっぱり人違いだよ、、彼じゃない、お兄ちゃんも見ればわかるでしょ?(笑)」



だって どう見ても別人だもの


「彼が家で心配して待ってるかもしれないから私、帰るよ」


「こちらへどうぞ。」

看護師に呼ばれた家族と医師から説明を聞いた

その説明も頭に入ってこなくて私の両親と兄が代わりに話を聞いてくれていた


待っていた私に看護師さんは二つの紙袋を差し出した


紙袋には靴に鞄
壊れてしまっているスマホと財布

今朝見た彼の眼鏡だった

フレームが歪んで壊れレンズも完全に無くなっている

事故の大きな衝撃だったことを表していた


財布を開けてみると運転免許証がありそれを恐る恐る取り出してみると彼の顔が写っていた



ーー もう彼だと認めるしかない



そしてもう一つの紙袋にはポリ袋に入れられている今朝着ていた彼のスーツ

それには血液で見るに堪えられないものになっていた





まさか

宣隆さんを突然失うなんて今まで一度も
一瞬すら考えたことは無かった


お互いに歳を重ねた先では…
なんて遠い遠い先のことと漠然と思ったことはあるけど



まさか …


突然 悲しい現実に突き落とされたようで
激しい胸の痛みに私は号泣した




なんでもっと宣隆さんが嬉しくなることを言わなかったんだろ

彼はいつも私が喜ぶ言葉を沢山くれるのに

誠実に 大切に 愛してくれてたのに

私はまだ何もしれあげられてないのに…




数えきれない後悔の念で胸が締め付けられた





ーーー





私の代わりにお兄ちゃんが宣隆さんの弟の紘隆さんと娘の万結ちゃんにも連絡を取ってくれて二人は直ぐに駆けつけた


宣隆さんに会ってきた万結ちゃんは泣きじゃくっていた


そんな万結ちゃんに寄り添っていた紘隆さんは私に名刺を手渡した


裏面には自宅住所とプライベート用のメールアドレスが記されている

いつでも連絡をくださいと言ったその声とその顔



宣隆さんと瓜二つの顔と声で
私に優しく話しかける



それが余計に辛い…


似てるのに彼じゃない

切なくて涙が溢れる




「いつでもどんな些細なことでも何か変化があれば直ぐに連絡をください。困ったことがあった時も時間は関係なく気軽に連絡を。あなたの力になりたいので。兄をよろしくお願いします。また来ますから。」


この人は宣隆さんじゃない…


「… ありがとうございます 」





一週間


彼の顔の腫れは少しずつ引いてはきたけれど意識はまだ戻らない



私は自分の店を開け友達のたまちゃんがバイトに入ってくれているおかけでその合間に店を抜けて病院に通った



それから一般病棟の個室に移った後も彼に変化はなく

ずっと眠り続ける彼の顔を私は見つめることしかできなかった



早く目を覚まして…

いつ目覚めるのか全くわからないこの状態に気が遠くなりそうだよ


頬を撫でた

髭が伸びてきている


こんな彼を見るのは初めてで
伸びた髭に触れてみた

まだ生きてると実感するのはこの髭が伸びることだけ…




今回のことであらためて思い知った

私にとって この人の存在の大きさやとても愛していることを


そして
いつも彼は私を大切にし
愛されてきたことも


涙が出始めると止まらなくなるから
いつも病院では堪えてきたのに





ーーー “ 香さん?(笑) ”




微笑みながら顔を覗きこんできた優しい彼を思い出す

思い出すのはいつも温かい表情の彼ばかり




「そろそろ帰るねぇ(笑) たまちゃんが帰らなくちゃいけない時間が近いから。」


何も答えてくれない彼に
「また来ますね(笑)」と声をかけ病室を出た




お店に向かうと有り難いことにお客さまが結構入っていて慌ててたまちゃんと対応をした

たまちゃんもお客さまが引いて落ち着くまでいてくれて助かった


「私、明日は病院に行くのやめるよ。」


「なんで?」


「また今日みたいに忙しいかもしれないし… 」


「大丈夫だよっ。なんとかなるから(笑) ご主人さんのとこ、行ってあげなよ。」


彼を見てると不安で寂しさでいっぱいになる

でも仕事で忙しくしてる間だけはそんな思いも忘れていられるから気持ちが楽と話すと



「でも、ご主人さん、寂しがるよ、、」





ーー 私の声なんて 彼には届いてないよ …





お店を閉めて入荷商品の伝票を整理したり
売上の集計をPCにまとめ、経理業務をし終えて店舗の掃除を始めた

仕事をしてる間は 辛いことを少しは忘れていられる時間ができる



だから私は翌日一日ずっと店で仕事をした

そしてその翌日も



三日目にタオルや着替えを持って病室を訪れると いつもは夕方訪れていた万結ちゃんが病室にいた


「あ、万結ちゃん、こんにちは(笑) 」


「あ!こんにちは!(笑) 香さん見て!(笑)」


え?

伸びていた髭が おしゃれに切り整えられていた


「どう?イケおじになったでしょ?(笑) パパはそんなに髭が濃い方じゃなかったんだね(笑)」


「上手いね(笑)」


「カレに教わったの!あははっ!これね、やってみると結構難しい(笑) 」



明るい万結ちゃんに気持ちが救われるようだ
本当は万結ちゃんも辛いはずなのに



「私が今のパパにしてあげられることなんて何もないから。せめて髭でも剃ってあげようかなって思って。じゃあどうせならイケおじ風にしてやれ!みたいな? あはっ(笑)」


「うん、格好良くなった(笑) なんかワイルドな感じ(笑)」


「これで会社に行って欲しいんだけどなぁ(笑)」


「格好良いから女性にモテて困るよ(笑)」


「そんな心配いらないよ~(笑) パパは香さんのこと大好きだから(笑) だってね、いつも必ず香さんの話ばかりしてるんだよ(笑) 話してる時の顔がもう、はははっ(笑)」


「どんな顔?(笑)」


「ククッ(笑) デレてる(笑) いい歳してデレ顔キモいからって言っても “自然になるんだから仕方ないだろう” って(笑) そんなに好きなんだ?って言ったら照れくさそうに笑ってごまかすの(笑)

ほんとあのドがつく程の真面目で面白味の無いパパがこんなデレ顔するんだって知った時はちょっとは複雑な気持ちにもなったけど今はパパ、本当に幸せになったんだなって思った。思ってたのに… なんで、、こんな、、」

言葉を詰まらせた




万結ちゃんは立ち上がって


「パパ~? 明日も来るね!明日はちゃんと目を開けてよね!ちゃんとイケおじにしてあげたんだからちゃんと鏡見てよ?(笑)」


そう彼に声をかけた



「明日また来ます(笑)」


「うん、また明日。」



万結ちゃんも辛いのに…
私も明るく彼に話しかけなくちゃ



「宣隆さん? 万結ちゃんが格好良くしてくれたよ?見てみる?(笑)」


スマホで彼を撮って画面を見せた


「ほら、ね(笑)」


撮った画像の宣隆さんはこのまま二度と目を覚まさない気がした



やっぱり 辛い ーー



辛いのは宣隆さんなのに心が折れそうになる


ダメダメ!凹んでる場合じゃない!

宣隆さんも頑張ってるんだし
私も仕事があるんだし!



「また来るね(笑) 宣隆さん。」





事故から三週間


一人だけで住むには広い家



私は一人でも二人で過ごしていた時と同じようにきちんと食事を作ってしっかり食べて、ちゃんと寝て、仕事して

そして宣隆さんが帰ってくるのを待ってる




でも最近…

私の体調も良くない



時々胃がムカムカする

心労からのストレスを感じる …






翌日 お母さんが病院に顔を出した


「宣隆さん、こんにちは(笑)」



万結ちゃんが彼の髭を定期的に整えていたのもあってお母さんは器用なのね!と感心した


「髪も随分と伸びてきたわねぇ(笑)」

ちょっと切る程度ならできるけどと私が言うとお母さんが切ってあげようか!と張り切って言った


「それは恐いからやめて(笑)」



子供の頃

お母さんに髪を切ってもらってパッツンパッツンの短い前髪になり

整えるだけと言いながら段々と短くされた後ろ髪

結局 近所の美容室で整えてもらいに行くとショートカットにするしかなくなってしまった


それがトラウマで私は「お母さんが切ってあげる!」の言葉が恐かった



「切るなら私が切るならからねっ」




あ、また胃がムカムカしてきた


最近 時々胃が痛くなるし 気分もムカムカすると言うと、それは妊娠では!?と喜んだ


いやいや、胃が痛いんだから妊娠じゃないよという私にお母さんは取りあえず妊娠検査キットで一応調べてみなさいと強く押してきた


その期待には応えてあげられないんだけどと思いつつ検査キットを購入した


だって月のものは毎月ちゃんと来てる




あれ? 今月来たかな

まだ来てない…?



そんなこと気にもしていなかった

でもストレスが原因だろうけど…



箱を開けて調べてみることにした




ん?

この反応って …



説明用紙を再度確認した





「うそ… 」



それは “陽性” の反応だった




宣隆さん…

私 妊娠したかも



きっとあなたは
嬉しくて泣いちゃうだろうな …



その顔を想像するだけでまた涙が出てきた





お母さんをぬか喜びをさせてはいけないときちんと調べてもらうまでは言わないでおくことにした


明日 一人で婦人科に行ってきちんと確認をしてからお母さんと宣隆さんにも報告しよう





ーーー





翌日の婦人科での検査で妊娠は確定し
電話でお母さんに報告をすると喜んでくれた


宣隆さんの元に向かうと弟の紘隆さんが宣隆さんのお見舞いに訪ねてくれていた


「香さん。こんにちは。」


「こんにちは(笑)」


本当によく似ていて
やっぱり切ない…





「あなたも毎日仕事の合間に来てるんだろう?あなたが無理をしないようにね。」


まるで会社での宣隆さんのようにあまり笑わない紘隆さんだけど必ず気遣いの言葉をかけてくれる優しい人だ



「ありがとうございます(笑)」


「この間より痩せたように見えるけど… 」


「最近食欲なくて(笑)」

ムカムカしたり胃が痛くて食欲がない



「いつ意識が戻るかわからないし、気長に見守っていこう。兄貴が復活したら一緒にウチを訪ねてはくれないか。家内が二人に会いたがってたのでね。それにあなたはもう俺達の“親戚” なんだから。」



そうだね

私にも親戚が増えたんだね



宣隆さんは私の親や兄弟で家族が増えたことを喜び

“ありがとう” とお祭りの時に嬉しそうな表情をしたことを思い出した



宣隆さん …

疎遠だった弟の紘隆さんとの距離も近くなったよ

あなたを心配してくれてるよ







紘隆さんが帰り宣隆さんと二人だけになった

急に静かになった病室




「宣隆さん。実はね、今日は良い報告があるの。私と宣隆さんの赤ちゃんができたんだよ(笑)

ね、嬉しい? 嬉しいなら笑って?」





ーー 当然だけど

彼は何も言ってくれなかった




「私、凄く嬉しいの(笑) 宣隆さんも嬉しいよね? 名前は宣隆さんが決めていいから、だから… 」


早く目を覚まして欲しい
また涙が込み上げてきそうになった



「…も、もう私、帰るね (苦笑)」


洗濯するパジャマとバスタオルをバッグに詰めている時


“ ふぅ… ”


小さい溜め息のような息づかいが聞こえた気がした



ーー え?


宣隆さんの顔を見た

やっぱり目を閉じたまま何も変わらない


気のせい… か





「じゃあ、また来るね(笑)」

洗濯物の入ったバッグを持ちドアノブを掴んだ

さっきの…
ほんとに気のせいだったのかな

振り返ると




眺めるように
彼が私を見つめていた












ーーーーーーーーーーーーー