
(画像出典:保坂康夫2009論文のものに一部加筆)
特殊な土器埋納遺構は、どのようなものだったのか、についてみていきます。
安道寺遺跡は、1976年(昭和51)に国営の笛吹川土地改良事業管水路埋設工事に先立って発掘調査されています。上の図は、遺跡の中をまっすぐに伸びる管水路の計画ライン上に発掘調査区が設定された状況と、その南端部で確認された17号址という竪穴建物跡のなかにある土器埋納遺構の場所を赤く示しています。
その場所で検出された深さ70㎝ほどの土壙(どこう;素掘りの穴)のなかに、今回指定すべきものとされた深鉢形土器が、たたみ込むようにして納められていたものです。

(画像出典:保坂康夫2009論文による)
その土器埋納遺構についての詳細は、前回紹介の保坂氏の2009年の論文で確かめることが出来ます。
ちょっと難解ですが、縄文人がどんな行為をしていたのかが分析されているのです。そしてその背景には、縄文時代の人々の精神的な世界を垣間見ることができるものであり、その辺りが重要文化財にふさわしいとされる由縁なのであろうと思われるものです。

https://www.bunka.go.jp/koho_hodo_oshirase/hodohappyo/94188001.html
また安道寺遺跡の発掘調査報告書は、『全国遺跡報告総覧』というサイトで閲覧できます。安道寺遺跡発掘調査報告書の閲覧URLは次のとおりです。
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/6503
もう一つですが、保坂康夫2009論文については、所収されている『研究紀要』25として次から閲覧できます。
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/6718

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