通称 山梨ZERO研究会 (旧OLぷー子 れきし文化荘203号室)

街に残る何気ない文化や歴史をぶらぶら探索追及。趣味と実益を兼ねたぷー子の日記です!

探訪!山梨市妙見尊part4【終】

2020年01月15日 | ぶらぶら日記
久萬です!

さて、ついに最終回。いよいよ懸造りの堂と対面です。

登山道を登っていくこと30分ほど、、、

急に視界が開け、ついに登場!


いやはや、立派じゃないですか!


ちゃんと断崖に懸造りになってますね!




堂はなんとトタン屋根、昭和時代に改修したのでしょう。
いちおう、横に入り口状の突き出しがありました。が、堂の床はかなりボロボロ😫入るのは諦めました。
そしてこれは、、、!景色の良さそうな予感!!

⬇️⬇️⬇️





うひょー!甲府盆地、御坂・一宮あたりを一望ですな!

帰り際にはすこし雲がとれ、、、

富士山!「じーふー」が!分かりますか?汗

なんとなく、この景色を見ただけでも来て良かったーという感じになりました。
ややボロボロになりつつあります。人も滅多には来ないでしょう。ですが、なんとかこれも文化財として後世に残していきたいなあ、そう思わざるをえません。

そして、堂の背後の断崖、獣道をすこし登ってみると、、、




磐座のようになっていました。なるほど、しかるべき場所に信仰の場があると。



さて、こーんなにパワースポット的建築物にも関わらず、本尊的なものが見当たりません。場所の選定も、果たして磐座だけに引っ張られるものなんでしょうか?

と、ここまで書いてみて、ひょっとして山梨市史には何か書いてあんじゃね?と思うようになりました。ちょっと調べてみよ〜。
ということで、「補遺編」があるとかないとか笑

久萬

現地を訪れる際に、下記のサイトを大変参考にしました。ありがとうございました。

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探訪!山梨市妙見尊part3

2020年01月12日 | ぶらぶら日記
久萬です。あけましておめでとうございます🎍

いやあ、すっかり更新をさぼっていましたが、やっと第三弾。もう前回を覚えてないよという声が聞こえてきそうです。

さてさて、いよいよ山を登りますよ!



フルーツラインから林道へ。流しそうめん屋の看板を曲がります。

流しそうめん屋さんまでは10分くらい?
もう少し歩くと、見えました「妙見尊」の文字。
登山ルートはこれが頼りです。

妙見尊→の先は、、、

鳥居っぽいものがお出迎え。うーん、草ボーボー。不穏な空気が漂います。

が、

草ボーボーエリアを越えると、普通の登山道が現れました、よかった!石灯籠も立ってますね。

九十九折の登山道を登っていくと、、、




二丁目と記された標識が!

ところどころに、○丁目の標識が立てられていました。



十一丁目、というすごーい中途半端なところまで登ると、いよいよ懸造りの「例の建物」にたどり着きます、、、!

が、今日はここまで!🤤

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あと少し 頑張ろう白河小峰城

2020年01月12日 | ぶらぶら日記

通い始めて、もう9年。今日は小峰城からです。

震災で傷んだ石垣もほぼ完治‼️
全域開放までもうひと踏ん張りな段階にきました。

しかし、小規模な復旧や園路、広場の整備などがもう少し続きます。
何とか見守ってください。


大崩壊した本丸南面石垣


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加藤光泰の墓、なぜそこに?

2020年01月11日 | ぶらぶら日記


伊予大洲藩加藤家。初代貞泰の父光泰さんの墓。
文禄年間、半島出兵中に西生浦で亡くなった甲府城主。
甲斐善光寺がメイン墓所でもありますが、自身が開基した山梨市牧丘の洞雲寺にも墓があります。
なぜ、そこにお寺を建てる必要があったのか、未だにわかりません?
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奇城、絶景、天然要塞 岩殿城跡

2020年01月10日 | ぶらぶら日記


東京に向かう、かいじ2号の車窓から、山梨県指定史跡岩殿城跡を📸

小山田氏の居城であります。
武田家滅亡後、小山田さんもいなくなりますが、武蔵、相模、甲斐の交通要所、甲州街道と江戸城との関わりからそれなりの関心が寄せられていました。
また、最大のインパクトである礫岩に造られた奇城、天然要塞の感が凄いですね❗

さらに、あまり知られていないのが8~9世紀からと言われる修験場としての歴史。
修験窟の遺構もあるようです。
中世城館の一側面だけでなく、まだまだ知らない魅力がありそうですね🎵
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