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やまなし地域文化フォーラム

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矢羽積研究会活動報告~大月市②

2025年05月28日 | 連携:矢羽積研究会
 こんにちは。矢羽積研究会です。

 調査報告②をお送りします。少し間が開いてしまったので、前回までをおさらい。
 調査の目的は、大久保石工が「初めて矢羽石積を積んだ場所」を見つけること。そのために、笹子トンネルとその周辺を調査してきました。
 笹子トンネルの調査の様子を報告した調査報告①はこちらをごらんください。

 笹子トンネルの南側で矢羽積の堰堤を発見。近づいてみることにしました。

矢羽積の堰堤


堰堤の放水口

 この堰堤には、長方形のほぼ同じ大きさの石材が用いられています。大久保さんの著書『石積の秘法とその解説』には、堰堤の石積みにおいて技巧を凝らすべき箇所の一つとして放水口があげられ、引力や石の大きさ等、さまざまなことに気を配って石を積まなければならないと書かれています。
この堰堤の放水口の周辺の石は、五角形の形をしています。「石積の秘法」にも紹介されている積み方です。

 地元の方によると、笹子トンネルに近い河原でトンネルに使用した石を加工したそうです。
 堰堤周辺の河原を調査していると、同じ大きさに加工された石材が積まれているのを発見しました。
 この河原が作業場だった可能性もありますが、石を割って加工した際に発生する破片などは発見できませんでした。

作業場候補の河原。広く土地が開けていて、作業はしやすそうです。


加工された石。ほぼ同じ大きさで石の表面には、工具で加工した痕が残っていました。

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矢羽積研究会活動報告~大月市③

2025年05月28日 | 連携:矢羽積研究会
 引き続き、調査報告をお届けします。

 調査では、調査報告①で紹介した笹子トンネルのように布積ではない石積みも見られました。

 笹子川沿いの中央線橋台には、中央線甲府八王子間が開通した際の記念写真に写された、当時のものと考えられる石積が残っています。
(記念写真には、笹子トンネルなど、中央線の橋梁や隧道の工事の様子が写されています)
 この橋台には、正方形に近い規格化された石が使われています。橋台は布積ですが、その脇は石を斜めに積んだ谷積です。



 さて、いよいよ矢羽石積が初めて積まれたと考えられる場所を探しに行きます。
 笹子トンネルから東に1里(4㎞)ほどのところにある稲村神社を目印に調査に向かいました。稲村神社の石積みは、さまざまな種類・大きさの石材を使って積まれていました。地元にある石を使って積まれたような雰囲気です。



稲村神社と境内にまつられた道祖神


 稲村神社周辺を歩いて調査したところ、中央線の線路北側にあるコンクリートの擁壁に行きあたりました。
 この擁壁がかつて石積であった可能性もあります。現在は改修されて残っていないということなのかも…。引き続き、笹子トンネル東方1里を検証していきます。

線路脇のコンクリート擁壁

 今回の調査では、大久保石工のいう「矢羽積が初めて積まれた場所」の特定はできませんでした。しかし、規格性のある石材を用いて積んでいくという矢羽積の特徴や、どのような構造物に矢羽積が選ばれているのかという調査の必要性など、今後の調査へのヒントを多く得ることができました。
 今後も、山梨県に残る鉄道や堰堤の石積などの調査を続けていきます。調査の様子は引き続きこちらのブログで報告していきますので、ぜひご注目ください!


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矢羽積研究会活動報告~大月市①~

2025年04月30日 | 連携:矢羽積研究会
 こんにちは。矢羽積研究会です。
 少し汗ばむ陽気の春の日、大月市に石積調査に行ってきました。今回は、その調査の様子を紹介します。
 矢羽積研究会ってなあに?という方はこちらをごらんください。

 今回の調査の目的は、ずばり、大久保石工がはじめて矢羽積石垣を積んだ場所を探すこと。
 そのためにまずは、笹子トンネルの確認に行きました。


大月市側のトンネル入り口

 笹子トンネルは中央線に伴い、明治29(1896)年に着工、明治35(1902)年に完成したトンネルです。現在も、トンネルの中を中央線が走っています。
 格好いい石積のアーチや、伊藤博文の筆による扁額など、笹子トンネルの見どころはたくさんありますが、今は、トンネル袖や、線路脇の石積に注目したいと思います。
 



石積に注目!!

 どちらも、ほぼ同じ大きさの石を一直線に並べた「布積」です。
 布積の特徴を大久保さんがどのように記述しているかは、前回の記事でも紹介がありましたが、『石垣の秘法とその解説』には、見た目についても記述があり、布積は上品な仕上がりになると書かれています。
 確かに、整然とした美しさを感じます。

 一方、矢羽積にも、「美観を必要とする観光方面に積むとよい」と書かれています。矢羽積はどのような構造物の石積として選ばれているのか、いろいろな石積を調査し、比べながら考えていきたいと思います。

 ☆調査報告②に続きます。


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こんなところに古い石積みが?

2025年04月23日 | 連携:矢羽積研究会
私たちの生活の中に溶け込み、当たり前のように通り過ぎている……
そんな石積みの中にも、意外と古いものが残っていることがあります。

前回の記事でご紹介した、山梨の石工集団である大久保家。
彼らが残した石積みのひとつと思われるものが、山梨市に残っています。





これは、県立日川高校の南側に残る石積みです。
大久保森造氏の父である善次郎氏が積んだという記録が残っており、造られた時期は高校が開校した明治34(1901)年と考えられます。
積み方は、ほぼ同じ大きさの石を整列させた状態に積み上げる、「布積み」を使用しています。
大久保森造氏が記した『石垣の秘法とその解説』では、布積みの石積みは橋梁のピア(基礎部分)、鉄道のホーム台、屋敷の周囲などに適していると書かれており、実際にこのような場所では布積みの石積みを見ることができます。



また、写真左側の石積みを見ると積み方が矢羽積に変わっており、後から積み直された、もしくは積み足されたものと考えられます。

このように、身近にあるちょっとした石積みでも、よく観察すると積み方や時代の違いを発見することができるかもしれません。
あなたの近所にも、100年以上の歴史を持つ石積があるかも…?




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矢羽積研究会始動中!

2025年04月23日 | 連携:矢羽積研究会

写真⇧のような石垣、見かけたことはありませんか?
このように、石を斜めに重ねて積んでいく積み方を矢羽積と言います。

私たちの日常に当たり前のように存在しているこの石垣ですが、一体いつ、どのように生まれ、定着していったのでしょうか。
そのカギを握る?かもしれない存在が、実はここ山梨にいたことがわかっています。

明治時代から戦前頃にかけて、山梨県内を中心に河川工事や中央線敷設工事に関わった、大久保家という石工集団。
この集団のひとり、大久保森造氏の著書、『石垣の秘法とその解説』(1958)には、大久保家の石工らが、
笹子トンネル東方約1里の場所にある森林付近の現場で、石積みを「ウタテ」がえし積にすることに成功し、以後この積み方が普及し、誰というとなく矢羽積ともいうようになった……という内容の記載があります。
また、「大正のはじめ頃から割石積が最高度に発達して、谷積が矢羽積となり、現代はそのほとんどがこの積み方となって全国に広がつてきた。」との記載もあります。

…この記載に基づけば、矢羽積み石垣とは、ここ山梨発祥…?と考えたくなります。
しかし矢羽積みは、全国各地で民家の擁壁、段々畑の土地造成など、様々な場所で見られる石垣。
山梨が発祥だとしたら、一体どのようにして全国に普及していったのか?大久保家の生み出した矢羽積とは、具体的にどのようなものなのか?
このナゾを探るべく、山梨県内の矢羽積石垣をあまねく調査しながら、その特徴などを観察する……
そんな、「矢羽積研究会」を設立しました。

これから定期的に、活動報告と合わせて様々な矢羽積石垣の魅力についてお伝えしていく予定です。
こうご期待ください!
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