退職後の夏休み、私は1週間ほど中国人彼氏の住むアパートへ行っていました。
彼の手料理を食べたり(中国人男性は基本的に料理が上手いらしい)、香港映画やホラー映画を観たり、大学を案内してもらったり、家具を見に行ったり…
結婚したらどんな生活をしようかとか、子どもの名前は日本でも中国でも使えるようにと奈奈(なな/ナイナイ)と悠悠(ゆうゆう/ヨウヨウ)がいいねなんて浮かれた話もしていました。
と言うのも、彼の離婚を知ってから、日本にいる彼の親友と会ったり、私の幼なじみと会ってもらったりして、少しずつ公認の仲になっていたからです。
彼のお母さんは私のことを認めてくれていたようですが、彼のお父さんは反日感情が強いため、まだ交際を言い出せない状況でした。
私の家族も似たようなもので、付き合っているのは知っていましたが、中国人との結婚はやめてほしいという雰囲気はありました。
それでも彼は、お母さんと協力して必ず私との交際や結婚をお父さんに認めてもらうと約束してくれました。それだけで心が救われたことを今でも覚えています。
しかし、現実は想像以上に厳しいものとなりました。
彼が色んな人に説明して、彼のお父さんにもようやく納得してもらった離婚…
彼の家には元妻一家から批難の電話が毎日のように続き、相当泥沼化していたそうです。
彼は学生であったため、生活費はすべて元妻が払っていたそうです。1年未満の短い結婚生活だったとはいえ、お金はかかっています。
しまいには結婚詐欺だと言われ、最終的には彼が慰謝料として400万を支払うことで決着がついたそうです。
その結果を知り、私の頭の中は400万の重みでいっぱいになりました。
もともとハードルの高い交際なのに、泥沼離婚もプラスされてとんでもなく苦難の道になってしまいました。
そのことに心を痛めた彼は、自分を見つめ直して、私との今後を考えたいと、1ヶ月ほど中国の実家に戻りました。
泥沼離婚を経て、彼は結婚に慎重になり、自分の性格ではうまくやれないし、もう誰も傷付けたくないと考えるようになったそうです。
私も、突きつけられた現実と、ふたりの幸せとの間で揺らぎながら、彼と別れることを受け入れました。
2年以上前の話ですか、なかなかこの葛藤は苦しいものでした。
私は上司への思いを断ち切るために彼と出会い、彼は妻と離婚するために私と出会ったような気がしてしまったからです。
しかし、私も彼も出会ったことでお互いにとって良い方向へ向かえたと思います。
例え一緒になれなくても、出会えてよかったと思える関係も尊くて美しいですね。
今となっては結婚するしないの次元の話ではありませんが、この言葉はこの先も忘れることはないし、過去の思い出として大切にしています。