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恋哀心書

三十路になった『むるあ』の、現在や過去の恋愛や失恋、心境、想い出等をつらつらと書いていきたいと思います。

びっくりな話

2005年03月10日 16時32分48秒 | 
いやぁ、親友の一人の恋愛の話が凄過ぎました(^^;

昨日ちょっとネットゲーム内で話していたら、「夫と上手くいっていない主婦との恋愛はありか?」といきなりの質問でした(汗)

前にちらっと話したかわかりませんが、彼はメールだけの恋愛を数年間続けていた人。
その失恋話が今年頭にあったのですけど、それから数ヶ月での恋愛がそれですかと(^^;

まあ、その前にメールでの恋愛が怪しくなっていた時に、パブのフィリピンの人と恋人関係になって色々とあった話もあったんですが、ちょっと波瀾過ぎだよ~、と驚いてしまいました(汗)

どうやら前回の失恋の関係とかでお互いが色々相談しあっていたら……というものらしいんですがね。
その相手も自分は知っているから、まあめちゃめちゃ驚くわけではなかったのですけど、予想外ではありましたね。

ちなみに、むるあはそこに対しての答えとして

「不倫自体を責めはしないけど、
  相手が離婚とか考えていないなら、
   相手の家庭環境に影響が出ない範囲で、
    かつ君が本来の恋愛とかに進めなくなるような、
     本気になりすぎる恋愛にならなければいいんじゃない?」

という話をしました。

本当なら、一人の女性だけを愛するとか、夫婦なら相手を愛するべき、とは思います。
とはいえ、不倫とかってのも、結局のところ好き嫌いの感情延長上だと思いますし。

好きな花があった時に、その花以外好きになっちゃダメって言われても無理だと思うんですよ。
まあそういう意味で、完全な否定はしないんですね。

でも、同時にだから何でもかんでもあり、ってなってはいけないのも事実なんですよね。
お互いの恋愛感情を楯に、本来の夫婦間をもっと悪化させるとかであると、それこそ夫婦だけの問題じゃなくなるのもあるし、うまくいってないとはいっても本来夫婦は夫婦。
だからこそ家庭は守るべきだと思いますからね。

まあ、そういう意味で一部釘を刺しつつ、って話で留めておきました。

でも、偶然か必然かわかりませんが、何か自分こういう話を他人からされる事多いんですよね(汗)
過去にも、ネットで知り合った主婦の方が、「むるあさんなら信じられるから」と、俺が知っていた方と不倫している、という話を聞きました(^^;
いや、そりゃあその個人の方の関係とかそういうところにばらそうとかはしないですけど、相談にしても何故俺? みたいな部分はいつも思うんですよね(汗)

勿論じゃあつっかえすとか話を聞かないとか、そういう事はないですが。
でもやっぱり、気持ちとしては複雑ですね。
上記みたいな考え方はしてますけど、それでもやっぱり、恋愛感情を持つならその相手だけを恋愛対象として見たいと思いますから、なんとなくすっきりしない気持ちでありました。

あなたの大切なものはどちらですか?

2005年03月08日 15時35分11秒 | 
むるあは何度かお話はしていますが、パチンコやスロットをする人だったりします。
なので、たまに時間がある時は、会社帰りに少しやってから帰る、なんてこともあるんですね。

で、昨日ちょっと帰りがけにあまり行かない店に入っていたんですが。
そこにまだ2歳くらいかなぁ? の子供を連れてスロットをしている夫婦がいたのです。

最近は結構どの店も子供連れでの入場を禁止しているので、結構それを許容している店は少ないんで、まあこういう所にこういう夫婦がいるのはよくあることではあるんですけど……。

でも、やっぱり親としてどうなんだろう? と感じる部分が多々ありました。




例えば昨日の場合。

スロットを子供を抱えながら打つ奥さん。
子供が遊びたい~って感じで手を出すと叱り、駄々こねたりするのを見かねて、空き台である旦那さんの横の台のイスに子供を座らせたんですよ。
で、子供がその台に頭ぶつけて泣き出したのを、隣の旦那は何もせず、奥さんは奥さんでちらちら気にしながらも、スロットを止めて寄って行こうともしない。
さすがに泣き止まないのが続いて、渋々止めて寄っていって、結局抱えてまた打ち始めて……。

子供連れがダメと店で張り紙とかないし、店員さんとも親しそうだったから、敢えて何か言う事はしませんでした。
ただ、あなたはそんなにスロットが大切ですか?
そう感じずにはいられませんでした。




個人的にやる人間でもありますし、結婚してお子さんがいるけど旦那さんや奥さんがパチンコとかするって家も知ってますし、基本的にやめろとは言いません。
そこは個人の自由の範疇だし自己責任です。

だけど、子供はそれに「巻きこまれている」だけだと思うのですよ。
子供が率先してパチ屋に連れてこいといった訳ではないでしょう?
実際知り合いでお子さんいる人も、旦那さんなり奥さんなりが家で小守りをしている間を見て打ちに行ったりしています。

親として産んだ子の面倒を見るのは当然で、あの夫婦にとってはその延長上の流れかもしれません。
だけど、熱意がスロット>子供、となってしまうような形って、やっぱり個人的には子供が可哀相だし、それこそ悪いですが、客は少ないけど空気も汚いパチンコ屋。
健全に育てるには、やっぱりよろしくない環境だと思うんです。

そういう意味で、改めて「こういう親になってはいけないな」と思う今日この頃でした。

判決と命の代価

2005年02月18日 18時18分21秒 | 
時間ないなぁ(--;
日記とレスぐらい頑張ろうぜ俺(汗)

というわけで、今日はちょっとだけ書きたいお話を。

今朝の特ダネ見ていたら、こんなニュースを開幕トークで知りました。

事件としてはレアな感じではありますけど、個人的にこの裁判ってどうなんだろう……とふと思ってしまいました。

遊具があって遊んでいる子がいるのはわかるのですよ。
ただ、このソースには書かれていませんが、その公園にはキャッチボール禁止等の措置はもともとない公園だったそうで。

そういう意味ではキャッチボールしている少年達は別に悪い事はしていないのですよ。

>「ボールがそれて他人に当たると、打撃部位によっては死亡させることは予見しえた」

とありますが、こういっちゃなんですけど、じゃあそれだと、野球で控えの選手が側にいる事も、同じ事由で危険で予見できるからするな、という事になりますよね。

また、小学校なんかの昼休みだって、野球やサッカーする子とかでグラウンドが埋まりつつ、近くの遊具でも遊ぶ子がいるなんて日常茶飯事だと思うんですよ。

勿論、亡くなったお子さんの両親からすれば、それこそ子供の未来を絶たれ、愛する子を失った哀しみがある。
それはわかります。

だけど、状況を考えた時、それは必ずしも相手を責める理由になりますか?
あなたのお子さんが同じようにキャッチボールするとしたら、そこまでちゃんと考えてくれますか?
そしてあなたのお子さんは遊んでいた時にその距離に危険を感じて遊ぶ場所を帰る事はなかったのは、予見できなかったからではないですか?

そう思うのですよ。

狙ってやった事ではないでしょう。
そして同じ事を言えば、キャッチボールをした小学生も、亡くなられた小学生も、もし判決通りに予見ができるとしたら、それは双方で気をつけられる事だった、ってことになるのです。

親の監督責任というのなら、これも双方にあるってことになると思うのです。
危険に晒さない、を求めるなら、危険に近寄らない=注意することもできます。

危ないから気をつけよう、は誰だってしています。
ただ、まだ小学生とかだと、その危険認識は大人とは違います。
その距離がどれくらい遊具の近くかはわかりませんが、さすがに真後ろすぐに人がいてまでキャッチボールしよう、なんて子はいないと思うのですよ。
そう考えると、子供としては大丈夫、という距離を置いていたと考えるべきでしょう。
そしてその距離ですら危ない、と小さい子供が判断できるかどうかは難しいところです。
実際亡くなられていなければ、ここまでの話にならなかたったのも事実でしょうからね。

失われた子供の命の代価、6500万円。
親が背負うにしても、これがどれだけ大変な額かは想像に固くありません。
でも、誰かの命が奪われた時、それが故意であるならまだしも、不可抗力であり、それこそイジメとかみたいなことをしたわけでもない側が、それこそ人生を変えられてしまうほどの借金を背負わされる、というのはどうなんでしょう。
哀しみを憎しみに変えている。
そう寂しく写ってしまうのは、自分だけでしょうか。

亡くなった家族の行動を責めたいわけではないですが、個人的に判決の結果の理不尽さ(金額とか予見できたと考える判断)がどうも釈然としなくて、思わずこういう話を書きました。

最近は遊具で遊んでの死亡事故も遊具のせいになったりします。

でも、自分が子供の頃は、そういうので当たり前に遊んでいたのですけどね。
勿論遊んでいく中で、こういうのは危険だと考えたりしながら遊びますし、そこでスリルを求めて無茶な遊び方して怪我をした時は、親に怒られるのは自分でした。
だって、遊ぶ場所を選ぶのも遊び方も、自己責任ですよね。
遊具が壊れかけていたとかなら別ですが、そうじゃないのに死亡してしまって、遊具のせいにされる。
そういう流れが多過ぎるんですよね。

今回もそういう事故と同義な気がします。
遊んでいる事自体が悪いわけではなく、結果に至ったのは不慮であり、それは双方が注意出来た事。
それをやるせなさから相手や遊具のせいにして、賠償請求する。

そういう理不尽さを自分は感じてやみません。
冷たい、と感じるかもしれませんが、殺人事件とかいじめなら、こういう事は感じませんしね。

なんとなく、失った側は自分が被害者なのは間違いないですが、そこで失わせてしまった側がどれだけ辛く、どうすれば償えるかわからず、申し訳ないと思うそういう気持ちも、考えた上で行動してほしいな、って思います。
辛い時期には仕方ないです。
ただ、心に余裕が出来た時にそういう部分を感じて、譲歩してあげてほしいと、そう思います。
貴方が子供に愛情を注げたのなら、他の方にも注ぐ事は、できると思うから。

キツイ日記を書いてしまいましたが、亡くなったお子さんのご冥福を祈りつつ、話を閉じようと思います……。

「はじめの一歩」を踏み出そう

2005年01月28日 16時10分59秒 | 
たまたまメールとかのやりとりで、人見知りの話が出たのですよ。
で、実は自分もどちらかといえば、人見知りなタイプであります。
え? 嘘つけって? いやほんとですよ(^^;
とはいっても、若かりし頃と比べたらずっとその気はなくなりましたけどね。

で、ふと考えていたのですけどね。

例えば人見知り治したいけどなかなか……ってことってあると思うんですね。
性格的な部分だから、よほどのきっかけとか何かないと厳しいっていうのは人それぞれであるもので。
自分もそういう意味では昔もよく苦労しましたよ(^^;

ただ、じゃあそのきっかけがくるのを待っていればいいかというと、そうじゃない気もするんです。
きっかけを待っていたら治らないと思うんですよね。

よくある話で「宝くじなんて高額配当は当たらないじゃない」って話があります。
ちなみにどれくらい当たりにくいかは、以下のURLをみていると面白いですよ(^^;
http://homepage2.nifty.com/nif/takara.html

このシミュレート結果でも確かに、その言葉って当っているわけですが、同時に宝くじにおいては「夢を買っている」という方もいます。
で、この「夢を買う」というのって実は、すごい大切だったりすると、自分は思うのですよ。
といっても、宝くじを買うこと自体が大事=宝くじを買わないのはダメ、ということじゃないですよ(^^;

宝くじが当たらない=買わないって方は、当たる事はありません。
だって、くじがない=当りようがないわけですしね。
逆に、夢を買う=宝くじを少しでも買うって方は、確かに当たるのは稀な確率かもしれないですが、宝くじが当たるチャンスはあるんですよ。
万に一つの可能性って言葉がありますが、買ったらその僅かな可能性を手にいれる事ができ、買わなかったらその可能性すらないのですよ。

勿論誰かから宝くじをもらう、などにより買わずに当たる事があるでしょうけども、それはそれまでの話でいうなら「きっかけを待っている状態」でしかないのですね。
何時来るかわからないきっかけですから、それこそ不確定ですし、そこに最低限の可能性がある保証はありません。(一生ないのかもしれないですから)

だから、自分は人見知りなのに、知り合いがいないところを目指す事をよくしました。
高校も知り合いは1人いたくらい。
専門学校も知り合いは2~3人一緒に上京しましたけど、科が違うなどであまり一緒ではなかったですし、バイト先なんかも基本的に知り合いと一緒に、なんてことはしなかったです。
要は、飛びこんでしまえば人見知りどうこう言っていられないのです(^^;
ただ、同時にそれはいいきっかけにもなりました。
まあだからこそ、そういう飛びこみ癖もあってかオフなんかでも結構参加しちゃうってのはありますけど(^^;

まあそういう意味で何事も、自分から踏み出して初めて可能性を手に入れられると思うんですよね。
これは人見知りに限りませんけど、禁煙だろうがファッションセンスよくなろうだろうが大概そういうものについては自分が踏み出さないと始まらないのですよ。

なので、改善したいな、と思うなら、どんなきっかけに対してでもいいから、一歩踏み出してみてはどうかな? なんて思うのでありました。

……でもここまで書いてずいぶんポジティブだけど、自分もネガティブな部分はあるのよねぇ、なんて思いますな。
特にファッションは(^^;
もうちょっとがんばろう(汗)

物の価値の不思議

2005年01月27日 16時33分51秒 | 
忙しいので手短ですいませんが(苦笑)
なんか、すごくくだらない事かもしれないけど、妙に感心してしまった今日のお話(^^;

例えば三億円当たったとします。
すごくお金持ちに見えませんか?
まあそれは誰でもそうですよね。
三億円あったら何をする? なんて考えても、夢は膨らむばかりでしょう。

だけど、例えばじゃあ三億円を、日本のみんなに配ってあげたとします。
日本の人口はおよそ一億六千万人。
単純に一人ニ円も行き渡らない計算なんですよね。
こう考えると、なんかすごい大金持ちって雰囲気しなくないですか?(苦笑)

所謂、物の価値観とかって、そういう表現っていう形で印象が変わるっていうのを体現しているなぁ、って上を見て思ったんですよね。

同じようなくだらなさだと、こんなのもありそうな気がしますね。
みなさん想像して答えてください。

・15万8000円のパソコンと、14万2000円の液晶ディスプレイを買った人
・チロルチョコ(10円)を30000個買った人

どちらがすごいと思います?(笑)
自分はやっぱり後者であります(^^;

擬似夜泣き体験

2005年01月18日 18時25分04秒 | 
なんかやっとこおちついたので、年末年始の実家でのちょっとしたお話を。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

正月早々に、クリスマス出産を果たした妹夫婦が実家に泊まる事になりまして。
実家が片付いていないため、自分は居間で夜寝る事になりました。
隣の和室は妹夫婦とその赤ちゃん。

で、こちらが眠くなってうとうと~っとすると、絶妙なタイミングで夜泣きするんですわ。
夜泣きというか、まあ定期的にミルクを欲しがるってのですけどね。
それで妹夫婦ががんばって起きてはミルクをあげたりってのを繰り返してました。

その度毎に起こされたので、ちょっとこちらも疲労感はあったのですけど、同時にこれが夫婦が子供を育てるときの大変さなんだろうなぁ、と改めて思う時でもありました。

実際、妹が戻ってきてからミルクやって、オムツ変えて、ってのも大変そうだな、なんて見ていました。
姉夫婦の3歳・5歳の息子たちのやんちゃぶりも、なんだかんだで成長過程で地元に戻るたびに見ていました。

こういうのを見るたびに「大変なんだろうなぁ」とつくづく感じるのですよね。
そして前にも少し書きましたが、それだけ子育ては大変なんだろうな、と感じたわけです。

でも、こうやって写真みたいな寝顔を見るとやっぱり可愛いです。
そして、自分がこうやって育ってきた過程には、やっぱり両親がいたんです。
そう考えると、こうやって人は親になり、苦労しながらも子供と共に成長していくんだろうなぁ、なんて物思いにふけっていたりしました。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

昨晩実家から電話が来て、相変わらず元気そうだとの母親からの報告を聞きほっとしました。
ほんと元気に育って欲しいなと思いつつ、擬似夜泣き体験を先にできて、ちょっとだけよかったな、と思いました(^^)

あなたはどんな絵を描きますか?

2004年12月21日 18時09分27秒 | 
唐突にこういう事をふと思うのが自分らしいなぁ、と思いつつ(苦笑)

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


みなさんに突然の質問です。

目の前に白い壁があります。
その壁をキャンパスにしていいから、好きな絵を描いていいよ、と言われたら、あなたはどんな絵を描きますか?
なお、絵心あるないは関係ないと思ってください。
それこそ、心で思ったものがそのまま描ける、という前提で構いません。

……唐突にこんな質問もびっくりでしょうね(笑)

イメージとしては、過去に福山雅治とおじいちゃんが、ポカリスエットのCMでボクシングしながら絵を描いていた、あんなキャンバスを思い浮かべてくれるといいかな?
(またはUNOのCMで、スラムダンク作者の井上さんがが~ってでっかいイラスト書き上げるとか、あんな感じです)

自由に描くなら、普通のキャンバスでもスケッチブックでもいいんじゃない? って思う方もいるかもしれないですが、あえてこのくらいの大きさです。
というのも、意外にスケッチブックや普通のキャンバスに描く時って、人ってこじんまりとまとめてしまいそうな気がするんです。
風景画しかり、デッサンしかり。

想像を超える大きさのキャンバス。
そういう時ってきっと、思った以上に描きたいものって違うと思うんですよね。

みなさんだったらどんなのを描きますか?
愛する彼や彼女、奥さんや旦那さんですか?
親愛なる家族やペットですか?
それとも、何か風景画?
はたまた抽象的な、想像したようなものでしょうか?

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


……これ心理テストみたいに感じるかもしれないですが、実は全然そんなことはないのです(^^;
ほんと冒頭にあるとおり、ふと思いついたものだと思っただけなんですよね。

自分だったら、翼ある天使か何かを描きあげたいかな。
いかにもこれから空に飛び立とうとする天使。

なんていうか、空に対する憧れがすごくあるんですよ。
だからせめて、ほんと自由に、思ったものが描けるならこういうのを描いてみたいなって思うのです。

小さいキャンバスだときっと、あまりそこまで考えずに落書き~って感じなのかもしれないですけどね。
相対するキャンバス=壁が大きかったら、そういうものをど~んと描いてみたいな、なんて、ほんと唐突に思ったりしたのですよ(笑)

さて、皆さんならどうします?
よかったら教えてくださいな(^^)

今年の一文字

2004年12月20日 16時20分06秒 | 
今年の一文字

くぅ、そろそろ大合奏バンドブラザーズが、不器用な自分には限界を感じてきました(汗)
最近はもっぱらさわるメイドインワリオだなぁ(^^;

さて今日のお話は、実は発表されたのはもう1週間以上前なのですが(^^;

今年を象徴する一文字ってのを毎年年末に発表していて、今年は

「災」

になったそうですね。

まあ実は、去年の「虎」と今年の「災」は、「自分だったら……」って考えた時もそう当てはまったものだったので、すごい驚きはなかったのですけど、やっぱりみんな感じたことは同じだったのかなぁ、って感じがしますね。

台風や前線での水害や新潟地震は、やはりそれだけニュースを騒がせ、同時に数多くの方々が被災されて苦労されている。
そういう状況を見、そして経験していたら必然的に出てしまう言葉だっでしょうね。

ほんと、そういう意味で暗い年になってしまった感もある今年の一文字。
できたら来年は、もっとそういう震災や事件がないような明るい年で、それにふさわしい一文字が選ばれてくれたらな、と切に願います。

たまには感動と涙と優しさに触れてみよう

2004年12月08日 14時03分03秒 | 
さて、なんか数日前の報道ステーションでも、ゲーム脳で感情が不足、みたいなことをやっていました。
が、そんなことはないんだと思うんですよ。

ゲームでも泣く時は泣くし、笑う時は笑う。
ただ、それ以外の事をあまりしていないってだけで、映画とか見たりすれば、感動する作品で泣く人も多いじゃないですか。
(セカチュー現象とかっていうのも、そういう流れのものだと思うのですよ)
つまりきっとみんな感動したり、共感したりする機会に恵まれていず、また自らそういうものに触れようとしないのが原因では?
そうアンチテーゼする意味を込めて、色々ないい話、涙する話を用意してみました。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

◆エルトゥールル号の遭難(文章)
これはちょっとした昔話。
といっても、ほんとこういう一件を未だに国の中で大事にしてくれているトルコには、すごく感銘を受けますね。
と同時に、できたら今の日本人にもそういう心を大事にしてほしいなぁ、って思います。

◆大和心とポーランド魂(文章)
これも昔のお話。
大二次世界大戦という戦争の中でも、戦争だけに目を向けるのではなく、人のためにめを向けてくれる大切な人達がいる。
そういう人としての優しさを、できたら心に持って欲しいと感じるお話。

◆デンマーク代表に関するイイお話(文章)
2002年の日韓ワールドカップでピックアップされた場所としては、やっぱりカメルーン代表と中津江村の話がすごくピックアップされていたかと思います。
メディアも色々取り上げていましたからね。

しかし、その他にも色んな国の代表が日本に来日してました。
そんな中でのデンマーク代表と、和歌山県の隠れた素敵な物語です。
もう少年とトマソン選手の話は、よくあるこういう感動話の枠を超えて、自分の中で涙してしまいました。

◆再会(Flash作品・音楽あり)
ネットゲームという特殊な環境下のお話なので、わからない人には伝わらない事も多いかも。

リンクシェルとは、仲のいいいいメンバー同士でギルドっていう組織を作ると、そのリンクシェルを持っているメンバー同士が話せる、というもの。(だったはず(^^;)
ネットゲームをゲームととる人、ネットゲームをコミニュケーションツールととる人、色々いるのですが、この話の中の白タルさんの、一時の孤独感、そして周囲についていけず、自分のペースでなんとかがんばってきた気持ち。

そういうものは、同じ環境下にある人間としてすごく共感できたし、同時にゲームと割りきれない自分としては、すごく泣けてしまいました。
再会できてよかったな、と感じさせるお話です。

◆Walking Tour(Flash作品・音楽あり)
これは過去にも紹介してますね。
といっても今回はたまたま別の方に紹介する向けにお教えして見なおしたらまた泣いちゃったので再掲。

自分が必死で生きる中で失う家族・仲間は数多くあるはず。
それは、勿論「死」でもあるけれど、生きていて疎遠になって、失う関係もあるのですよね。
そういった中で、自分がその人の中で歩みを止めるとき、できたら笑顔の自分を覚えておいて欲しい。
そして、そうあれるように、それまでは自分も一生懸命歩んで、きっと最後にまた再会する時には笑顔でありたい。
そう心に感じたお話でもありました。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆

さて、皆さんの涙腺は緩みましたか?
皆さんの心に、何か得るものはありましたか?
そうであったとしたら、きっと皆さんは優しい方々で、きっとみなさんは感情豊な方々だと思います。

勿論、物語によっては、人によって共感出来ないかもしれません。
ただ、できたらそれぞれの作品に共通して言える事……

「人と人との繋がりは、それぞれの優しい想いが繋ぐもの」

という部分だけでも、感じとって、心に留めてもらえたらな、と思います。

文字数と会話数

2004年11月18日 15時40分54秒 | 
むるあって意外にくだらないことをふっと思い浮かべることがあるのですが、今回はその話(^^;

いや、万歩計ってありますよね。
1日何歩歩いたかって計るあれです。
それをふと考えていた時にふと思っていたのですけど、人って1日にどれだけの文字を打ったり書いたりしているのかなぁ? って疑問がよぎったんです(^^;

しかもそこからふとこんなことを考えたりも……。

昔は、携帯もメールもなかった時代があって、勉強とかで文字を書いたりは多かったけれど、それと同じだけ友達と話したりして文字を発していた気がするんですよ。
だからそれが半々位で推移していた気がするんです。

だけど、今の若い世代の方もそうだし、今の自分もそうですけど、携帯やパソコン、ネットの普及なんかが増えてから、話すことよりも打つ・書くほう(特に文字を打つこと)が比率的に圧倒的に多くなって、その分話す機会って減ってしまったと思うんですよね。

昔なら例えば彼氏彼女の電話も話す、だったわけですけど、今だとメールのやりとりで、ということも多いですし……。

なんかそういうことにより、話ベタになったり、人見知りになるなんてこともあると、妙に話しの裾が広がって考えてしまったり(苦笑)

まあそんな感じの思考ですが、きっとほんとに昔より、文字を書いたり打つことは増えたので、1日どれくらいの文字数なんだろう? って妙に気になるんですけど、どこかでそういう統計って出したりしていないんですかね(^^;