2024年3月頃にKindleで読んだ“世界は四大文明でできている”の感想を以下に記す。Kindleで紹介があったことがきっかけだったと思う。 本書は、有名企業の幹部に向けた講義を書籍にしたものである。本書を読むことで、日本の組織とは何かを考えるきっかけになると思った。自分が一番心にとどめた方がよいと感じた記述は、P.198における次の日本の組織に関する意思決定である。”日本の組織の意思決定は、組織メンバーのコンセンサスを最優先する。そのため、決定の合理性は、後回しになる。[意思決定の議論がなく、意思決定者が不明で、その理由も不明となる。]決定の合理性を担保する仕組みがありません。 企業が、こんなやり方で運営されていると、必ず失敗し、必ず迷走します。” 意思決定の合理性を確保する事が大事だと思う。キリスト教の最後の審判にならい、組織の一員として活動する場合は、ものごとの最後(終わり)に説明責任を果たせるように、文書を残しておくという考えが大事だと思った。最後の審判があるかどうかは別にして、最後である終わり(死)がある事は確かなので、終わりに向かい、合理性をもって、説明責任を果たせるように、その日々を過ごすという考えが一番重要だと思う。いつ最後を迎えてもいいように、日々を過ごしていきたい。
他民族との交流が少なく、変化が少ない日本では、同じような状況がいつもで続くと考えやすいのかもしれない。少なくとも自分は、同じような状況が続くと思いやすいので、留意したい。
それ以外の特に印象の残った点は、以下の通り。
日本は少数者(P.18)。”宗教が、個別の言語や民族や文化を超える、普遍的な内容のものだからです。「普遍的」(universal)とは、時間や空間に限定された特殊なものでなく、もっと一般的だ、という意味です。(P.21)” ⇒普遍的な内容があるという認識は、日本では薄いようだ。
宗教を機能でのべると、《宗教とは、人びとが、同じように考え、同じように行動するための、装置である。》となる(P.21)。⇒このように述べると、神秘的な現象を否定する儒教でも、宗教になる。工学をはじめとした学問も宗教の機能を有する事になると思う。
日本は、他の四大文明とは異なり、正典がない(P.23)。正典があると、行動の予測可能性が高まり、協同しやすくなる(P.26)。
キリスト教に代表される一神教は、神道のような多神教とは考え方が根本的に異なる(第2章)。
理神論による自然科学と科学技術の推進(P.112)。
儒教では、忠よりも孝を優先し(P.157)、それが腐敗の原因となる(P.173)。
(自分が普遍的な価値を持っていないと考える)日本はやはり、文明ではなく、文化なのです。そして、外の世界から、自分たちに必要なものを取り入れること(だけ)に、いまも熱心なのです。(P.180)⇒これが前から感じていた自分の日本の問題に関する疑念を解消してくれたように感じた。正典に従って、行動しない事にもつながると思う。
(P.202)アメリカの企業は、従業員が多様であることを前提にしています。実際、多様でもあります。多様で異なる人びとを、ひとつにまとめ、協同させることが、文明の本質です。アメリカは、その原理に忠実に企業をつくっています。契約、法律、政策基本文書、マニュアル、……といった仕組みが明確で、暗黙の空気にあたる要素が少ない。ヨーロッパの企業も多国籍化して、同じようなやり方をとっている。 契約やマニュアルは、多様で異なる人びとをまとめ、協同させるためのものだという事に、読み返して、改めて気づいた。
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