ゴールデンウィークの日曜日、やっと朝の片づけが終わろうとしていた頃、
友人からの電話です。
いつもの調子で・・・ 「あのね・・・」
それは、「彼女の夫」そして、私にとって「無二の親友」の訃報でした。
彼の病気 を知ったのは、4年前の今頃でした。
何気なく明るく話す電話の向こうで、彼は、どんなに大きな不安を胸に秘めていたのでしょう・・・
いつも、いつも、前向きに病気に立ち向かっていました。
奥さんはじめ、娘さんたちの献身的な看護を受け、
いつも、穏やかな笑顔を見せてくれました。
昨年のお正月頃から、気管切開のため声を失い、
胃漏手術を受け、口から物を取ることが出来なくなりました。
そんな闘病生活の中でも、
家族に甘え、そして、家族はそれを優しく受け入れ、
明るい笑い声の響く毎日・・・
本人の希望通り、最後まで自宅での闘病生活でした。
今朝、痰が詰まった事を知らせるアラームが鳴ったので、
いつものように、取ってあげようとベッドに行ったら、
「もう・・・ 」
この病気には、「突然死」が、多々訪れる・・・
知識としては、知っていました。
でも、4日前に会った時には、
顔色も良く、ご機嫌さんで、
「一緒に還暦のお祝いしようね・・・」って言ったら、
まぶたをパチパチとさせて・・・ それが、彼の最後の意志の伝達の方法でした・・・
うっすら、笑顔を見せてくれました。
私が、帰る時には、かすかに手を振ってくれたと・・・
私には、そう感じました。
だいぶ暖かくなって、ちょっと、元気になってくれると良いなぁ・・・
初夏には、初めての「孫ちゃんも」生まれるし・・・
9月には、還暦のお誕生日・・・
頑張っていてくれたら、この難病といわれる病気も、
きっと原因が解明される・・・
何か、治療方が研究されるはず・・・
そう信じて、そう願ってきました。
夕べ、眠るときまでご機嫌で、
いつもより、ずっと加減が良さそうで・・・
そんな様子だったそうです。
身近な誰もが、どこかで覚悟はしていたと云うものの、
あまりにも、突然・・・
彼は、仕事はもちろん、ボランティア活動に精力的に取り組んでいました。
「60歳になったら仕事をやめて、
ボラ協の理事長になって、ボランティア活動に専念する」
それが、若い頃からの彼の口癖でした。
沢山の友人を持ち、
大勢の人に愛され、
ちょっと我が儘で、
明るくて、面倒見が良くて、
いつも前向きだった・・・
若い頃から、
誰よりも身近で、
青臭い、政治や歴史や宗教や文化や・・・
いろんな話をして、
一緒に大人になってきた
大切な大切な、友達・・・
さよならを云うには、あまりにも・・・