Mizuna's Message for You

コスプレイヤー・望月瑞菜のブログです。

10月8日(水)のつぶやき

2014年10月08日 | Twitterまとめ

不思議なものね。嬉しいことっていうのは、すぐ慣れて当たり前になるのに、嫌なことはたった一つ起こっただけでも、ものすごく重く感じてしまう。たぶん、人は自分自身で嫌なことを何倍も重くしているんだわ。 マライア・キャリー

望月 瑞菜@レイフレえ45,46さんがリツイート | RT

結果は『【セクシー】タイプ』でした。: 【アイカツ!】あなたにぴったりのブランドは? trybuzz.com/game/4550 pic.twitter.com/tU52EbyI4q


東の空をご覧ください。昇った満月が欠け始めました。月食の始まりです。 pic.twitter.com/CObFNvKQNL

望月 瑞菜@レイフレえ45,46さんがリツイート | RT


言葉の向こう側には。

2014年10月08日 | Mariah
今日はちょっと思うところあって、ブログを…。

Yahoo!のトップから先日のマライア・キャリーの来日コンサートの記事を見つけたので読んでいました。

“チケット代泥棒”と批判も。マライア・キャリー、声が出ない

今回のコンサートは大変残念なことに私は所用で行けずにいたので、こうした記事を読むことがささやかなたのしみなのですが、
この記事はどうも、見出しから明らかに反感むきだしな感じだったので、思わず目が点になってしまいました。

初めて読んだ記事の内容は、ファンとしてはもちろん、複雑なものでした。
この記事が言いたいことは、とにかく本人の不調が目立って、しかもコンサートの内容に不手際もあった(マイクスタンドの話)というところが強調されていて、
さらには、それについてファンからも厳しいツイートがよせられている、とのことまで書いてありますね。

で。“実際どうだったのかな?”というところがすごく気になってしまったので、YouTubeさんのお力を借りて、
コンサートのそれらしき場面の映像を拾ってみました。



映像を観てみると、確かに、ハイトーンの部分というか、全体に声がつらそうな場面が流れてきます。

単純にこの映像を観ただけの、マライアをあまり知らない人には、そんな風に記事の内容のようにしか見えない可能性のほうがずっと高いです。

自分でも自負できるくらい長いファン歴となった私の目からは、正直「?こんなものでは?」と感じられます。
こうしたコンサートで、CDどおりの歌を聴けないのは当然のことだと思っているし、それこそが生のたのしみの部分でもあったりします。
なによりも、マライアと一緒の空間で一緒の時間を過ごし、私たちのために一生懸命歌ってくれるその姿に、ファンとしては心打たれるものではないのでしょうか。
なんだか、なぜ、いまさら…?という感じがします。

ここで、この、10月4日・幕張メッセ公演でのセットリストを見てみました。
今回は公演2時間のうち、22曲を歌っており、しかも映像の一番最初に歌っている(不調の目立つ)「HERO」は、22曲めのアンコール曲。
1曲が単純に5分という計算だったとしても、それまで100分強歌ってきてるわけだから、
いくらプロのマライアだからといっても、少しくらい不調があっても仕方がないんじゃなかろうか(・・);。みなさんそんなに厳しいんですか…?

プロ、といえば、「マライアはプロのシンガーなのだから、ちゃんと歌えて当然」、と思われる人も多いと思います。
確かに、その場その場で求められるパフォーマンスをこなせればこそ、評価される世界だろうと理解しています。
でも、それ以前に、言葉は少し乱暴かもしれませんが「大切な商品であるシンガーを上手く使えていないステージ企画者もろもろの人たち」のほうが、私には気になります。
彼女の年齢や、置かれている立場や環境などから、「現在どの程度まで満足なパフォーマンスができるのか」、その判断をした上で企画を進めることが必要だったのではないかしら。
人間はナマモノだし、年も取るし、私生活もあるし、その時々で調子の上がり下がりもあるのがまた人間なのだし。
大事なワールドツアー最初の公演で、なぜこうも無理をさせるの…と心配です(TT)。本人が一番、自分の不調を気にしていると思うし。

さて、前置きがすごく長くなってしまって申し訳ないのですが、この記事で一番気になった部分が、ここなんですよね。

思い切って引用させていただきます。

『これに対してファンからは「もう歌手としてのキャリアに幕をひくとき」とか「マライアが生で歌わない理由がわかった」という厳しいツイートが寄せられたそう。
でもマライアの代理人によると「ファンからは絶賛のコメントしか出ていない」らしい……。
確かに一部のファンからは「素敵なコンサートだった」「マライアとすてきな時間を過ごした!」というツイートもあったようだけれど、批判も多数。』

その厳しいツイートというのは一体どこに寄せられたご意見なのか、少し謎です。
マライアの代理人によると絶賛のコメントしか出ていないらしい、と書いてあるので、マライアサイドに寄せられた厳しい意見ではないと解釈できるので…。
そして追い打ちをかけるように、純粋にコンサートをたのしんだみなさんのツイートは“一部のファン”として触れられている。

本当にそうなのでしょうか?

私は、逆に、良い肯定的な気持ちでしか感想を拾っていなかったので、
コンサート終演時間後のツイッターでですが、そういった批判的なツイートをまったくといっていいほど見かけられませんでした。

「喜びのツイートもあったようだけれど、批判も多数」というのは、私の場合とはまるで逆の現象で、
ただただこの記事をかいた人の受け取りかたひとつでしかないように感じてます。
もちろん、個人のかたが、ご自分の意見や感想としてこういった文章を書かれることは、
読むほうもとても刺激的だし、その題材になった物事をより良く進化させるためにも、良い面もきっとあると思います。

ですが、物書きを生業にしている人が、公共的な場に発表するものとして書いている記事の中に、
一個人の私情を交えて記事を書いているな、と強く感じたとき、とても残念に思います。
きっと、おもしろい記事、人とは違った話題、を追及してゆく競争の世界なのだろうとは思いつつも…。

『美は見る者の目に宿る』という言葉が私は好きです。

今は、気軽にインターネットでいろいろな意見を目にする機会が増えて、自分からもいろいろな意見を簡単に発信できるようになりましたね。
私も、ここしばらくツイッターを使ってみて、ひとつの物事に思いがけない多くの人が反応している様子など、さまざまな場面を目にしてきました。
反応の仕方も、本当に人それぞれですね。たのしく会話を続けている人もいれば、時には相手が見たら傷付くだろうなぁということも平気で書かれていたり。

こんな時、いつも「言葉は、その人の心を映す鏡」だなぁ、と感じてしまいます。

私も言葉は下手だし、その都度どういうふうに表現していいかわからないときもたくさんあって、まだまだ勉強中のことばかりです。
でも、この言葉や文章の先に誰かがいる、ということはいつも意識してゆきたいなと思っています。
相手を思いやる気持ち、それが心から出た想いなら、きっとどんな変な言葉や拙い文章でも、きっと受け取ってもらえると感じています。


最後に、コンサートを扱った記事としてはこちらをプッシュします。

マライア・キャリー@幕張メッセ国際展示場7・8ホール

記事を書くことへの、愛と熱意を感じます。
マライアがいまでも、大事なワールドツアーの皮きりに日本を選んでくれることに感謝しつつ!