今年も命日の3日後の今日がMの誕生日。
午前中に、Mの友人からバースディ―プレゼントが届き、手紙が添えられていました。
Mのことを今でも忘れないでいてくれることがただただ有難いとともに限りなく哀しい。
あの日から何度か、一人でわが家の近くまできて、思い出の道を歩いていたYちゃん。
Mの学生時代からの友人であり、婚約者だった。
今はお子さんにも恵まれ新しい人生を生きてくれている。
それでも
「もっとできることがあったのではないか」「辛い思いをしていたのだろうと思うと心苦しい」とも書かれていて、涙が溢れてきた。
私もずっと同じ思いを抱えて生きてきた。
決してあなたのせいではない。
あなたがいてくれたからこそ、Mにも青春があり、あの日まで生きることができた。
「死の理由は誰にもわからない。それは神のみぞ知りたもう」とMの葬儀をして下さった牧師先生は言われ、
「深い深い神のみ心から天に呼びもどされた」とも言われた。
この言葉をそのまま受け止めて、私は生きていきたい。
Yちゃん、ありがとう。
元気でいてくださいね。
にほんブログ村
「トップへ戻る」
| Trackback ( 0 )
|
|
何度も夫の気持ちを想像出来なかったことを悔やみ、悲しみや後悔、自責の念の波に包まれてきました。
一方で、「夫と結婚していなければ私はこんな人生にならなかったのに」「どうしてこんな目に合うのか、私が何をしたというのか」「自分は人を見る目がなかった」更には恐ろしいことに、一人きりで子どもをこの先育てていくという現実が大変不安で「せめて子どもがいなかったらまた違う人生があったかもしれない」と思ってしまう最低な母親です。
悲しみや置かれた状況は人それぞれなので誰かと比べることは間違いだと思うのですが、大切な人を亡くしたということは共通でも、この先生活していく上で経済的な条件が何も変わらない、誰かの庇護の元にある、そして自分のケアをすることが優先できる遺族を羨ましく思ってしまいます。いけないと思ってもそういう思いが拭えないので、わたしは分かち合いに参加する資格などありません。不躾ですが、Yさんが羨ましいです。
怒り、許せない思いと後悔、自責の念など相反するさまざまな思いがあふれ出てくるのは当然なことだと思います。
どの思いも受け止めがたい現実の中からでてくるごく自然な感情です。
どのような思いであっても、
その方の心からあふれ出る感情です。
大事に受け止め、
支えあいたいと願っています。
分かち合いの会では参加メンバーそれぞれの感じている違う点、共通な点どちらも大事にできればと願い、一人一人を大切にしたいと思っています。
分かち合いの会は仲良し会、同好の仲間の集まりではなく、(でも仲間との出会いもありますよ)
何とかにその後を生きたい、生きようとしている人たちの集いです。
どこにも出せない思いを語り合う場が分かち合いの会ですから、本音を出せるように、子供を亡くした方と伴侶を亡くした方はグループをわけ、どちらにも遠慮しないで語れるように、「みずべの集い」ではしています。
あさこさん、気が向かれたら、
どうぞおこしくださいね。
家族は「もう三年も経ったのにだらしない」「生活態度を改めろ」「周りや知人に聞かれて恥ずかしいからいい加減にしろ」「子どもが振舞いをみんな見ているのに」と言います。勿論、自分でも分かっているし一番誰かに言われたくないことです。でも、出来ないんです。実際、私の今の様子に対し家族へ意見を言ってくる人もいるようです。とにかくこの遺族でもないのに一個人の究極ともいえるこの体験に無遠慮で想像力のない土地柄が本当に嫌で追い詰められ気が狂いそうになります。せめて一人で身軽だった違っていたかもしれないのにと思う私は最低です。こんなんだから夫の気持ちにも
寄り添えなかったんだろうと思います。
何だか遺族としての自分の気持ちでなく、違う方向に話が向いてしまい申し訳ありません。
自分が選んできた道を変更し、あまりにも生きにくい場にいるしかない現実は苦しいことですね。
遺された遺族の壮絶な地獄のような苦しみを、理解してくれる人は少ないですから、周りの人の言葉の一つ一つが傷ついた心に突き刺さるのですね。辛いですね。
自死は決して遺された家族のせいではない、悪かったわけでもないと私は思っています。
それでも遺された人はあれこれ思い出しては「もしかしてあれが?」と自分をいつまでも責めてしまいます。
「毎日を生きていくのがやっと」で先のことなどとても考えられない日々かもしれませんが、焦らず、まずはご自分を大事になさってくださいね。自分で自分を守るしかありません。
これほどの苦しみに耐えているご自分を「よく頑張っている」と労わってください。
たくさん涙を流してください。人前では泣くことができないなら、どこか人のいないところででも。
ご自分が少しでもらくになることをして、自分で自分を慰めてあげてください。
息子の婚約者のYちゃんは、自分を責めすぎて心を壊し、仕事をやめて静養した時期がありました。
大事な人を失ったうえに、自分を責めるのが自死遺族で、自死は遺された人たちにあまりに大きな苦悩を与えます。私も長いこと自己否定に苦しみました。
あさこさん、どうかご健康に気をつけてお過ごしくださいますように。
そのために大切なことは苦しいこと、辛いことは心に溜めこまないことです。
いつでも「みずべ」にきて辛い思いを遠慮なく出してくださいね。
Yさんのこと、何も知らないのに不用意なことを書いてしまい申し訳ありませんでした。置かれた状況はそれぞれであり、個人を尊重することから外れる発言は慎むべきでした。
もしかしたら、またここへ来てしまうこともあるかもしれませんがよろしいのでしょうか。スタッフ様も遺族なのに、ご迷惑をおかけしてしまうと申し訳ないので。
いつでも、どうぞ。
一人でじっと我慢し続けないでくださいね。
落ち込んだり悲しみや寂しさの深さがどんどん深くなるのを感じています。夫を亡くし数年経ちますが、涙や辛い気持ちが絶えることはありません。色々な感情が湧き上がっては消え、また違う波がやってきます。
私は幼い子を連れ実家に戻ってからしばらく経ちますが、全く働くことができないでいます。自分でも良くないことだしどうにかしたいとかなり焦る気持ちはあるのですが、どうしても出来ないままです。実家が営んでいる仕事を私も免許があるので手伝えばいいのですが、専門性が高くまた対人相手のためできないままです。親とあまり折り合いがいいとはいえないので、そういったことも影響していると思います。乳児だった子どもも幼児となり、成長はまったなしで、これから物入りになることは分かりきっているし焦る気持ちだけどんどん膨らみ、現実がついてこない日々です。実家に置いてもらっている身分で偉そうな事言えたものではないのですが、両親も子どもをどうするんだ、自分たちがいなくなったらお前は潰れる、これはもう大変なことになった、いい加減恥ずかしいからどうにかならないのか、毎日ゴロゴロしかしていないくせにということを激しく感情的に言ってきます。昨日は本気で子どもの存在を忘れてしまい、夫の所へ行けばとドアノブの高さが座高より高いことを確認してしまいました。
絶対思ってはダメですが、子どもがいなければもっと人生身軽だったはず、すくなくとも実家に戻ることだけは絶対なかったのにと思う一方、この子があの日からここまで生きさせてくれたと思うのです。子どもを一人にするわけにいかない、それには働かなければ、でもそれはまだ私にとって大変苦しく良好でない家族の中でなかなか準備ができないでいます。成長は嬉しいのに、どこか脅威に感じてしまいこのまま小さいまま無邪気で何もわからないままでいてと願ってしまいます。
私の気持ちひとつでいかようにもことは変わるのでしょうが、働くということが気持ちばかり焦り今どうすればいいのか、どうしたいのかさえ客観的に冷静に考えられなくなっています。
こんなこと、とても誰かに心を開いて相談もできないし、家族さえ信頼することが困難です。もしかしたらうつ病になっているかもしれないし、いっそのこと世間から離れて入院したら楽なんだろうかとも考えてしまいますが、地元に1つしかない精神科には抵抗があり行けないままです。幼いうちなら数か月は母親の記憶があってもしばらくしたら忘れるかもしれない、いっそ養子縁組で普通の人の家庭にいったほうが子どもも幸せにすごせるんじゃないか、そんなことまで思ってしまいます。私はとんでもなく恐ろしい母親です。
夫を亡くす、配偶者を亡くすことがこんなにも辛く苦しく生活が激変するなんて想像もつきませんでした。
こんなことになるとは結婚前には想像もつかないことでしたね。いろいろな思いにかられるのも自然な、当然な感情だと思います。決してご自分を責めないでくださいね。何より一番辛いのはあさこさんご自身なのですから。
心の中に抱えている苦しみを理解されず、非難されて暮らしていくのはどんなにかお辛いことでしょう。家族は時に傷つけあうこともありますね。
あさこさん、誰でもあさこさんの置かれている状況の中では先への希望を見失いがちになると思います。
もうこれ以上は嫌だと思うくらい、精一杯耐えておられるのですね。我慢の限界がきて、いっぱいいっぱいになっておられるのですね。
でもどうか、どうにもならないとあきらめてしまわないで。今は真っ暗闇で何も見えなくても、灯りの灯った未来は必ずあるのです。これから先、何とかできる方法はあると思います。
何よりも大事なことは焦らないことです。こうしようとご自身で思える時がくるまでゆっくりできればそれが一番だと思います。
でも何もしないことが却って苦しかったり、責められたり、焦りもでたりしますから、今できるごくささやかなことから始めるのはどうなのでしょうか。仕事でなくても、ちょっとした掃除などの手伝いなどはどうですか?。
そして、自分だけでこの行き詰っている困難を解決しよう、対処しようと頑張りすぎないでくださいね。家族以外の方であさこさんの力になってくださる方にSOSを発してみるのはどうでしょうか。
医師など自死遺族の心情に配慮ある心の専門家に相談するとか(遺族の友人・知人の中にも多くの方が精神科や心療内科クリニックの医師に相談にのってもらっています。上から目線や話を聴かずに薬ばかり多く出すひどい医師も中にいるようですが、良心的な医師も多くおられるようで、医師の言葉に救われた友もいます)、行政にも自死遺族支援担当の部署がありますから(多くは保健所内にあります)そこに電話してみることなどはどうでしょう。
自分の中でいろいろ考えていると、煮詰まりがちで混沌としてしまいますが、人に話してみると話すうちに自分で整理できることもあります。
でも、人に話すのはやはり辛すぎて無理でしょうか。
直接会って話すのは無理な場合、傾聴するだけですが、辛い気持ちをお聞きする電話もあります。苦しい時に苦しいと言うだけで少し気持ちがらくになることもあります。「いのちの電話」は全国的にありますし、
自死遺族の方の心の支援が専門のNPOには傾聴電話もあります。「認定NPO グリーフケア・サポトプラザ」です。
傾聴電話番号はTEL:03-3796-5453で、火曜、木曜、土曜の10時から18時までです。怒りでも、なんでも話したいだけ話せます。名前は言う必要はありませんし、秘密は厳守されます。
今の状況のすべてが一気に解決できなくても、
絡み合った糸が少しずつほぐれてくるといいですね。
ここ(みずべの集い)にもいつでも気持ちが向かれた時にはコメントくださいね。お待ちしています。
スタッフ様、こんな見ず知らずの私に一生懸命で心のこもった返信をくださり頭の下がる思いで胸が一杯です。
未だ毎日の子どもの成長を脅威に感じ心から成長を楽しめずはたらくことも出来ない日々ですが、どうにかしなければいけないので自分なりに考えていきたいと思います。
いのちの電話は直後に電話したことがあるのですが全く繋がりませんでした。傾聴電話はかけてみようと思いますが、家族の耳があるのでなかなか困難な面があります。都会ならどうにでもできると思いますが、地方で外でしばらく電話するというのは近所に聞こえてしまうのです…適当な店があればいいのですが。機会があれば是非にと思っています。
遺族の心情に配慮あるクリニックはどうやって探せばいいのでしょうか。本当なら自分の足や口コミで探すのでしょうけど、複数ある中で時間もかかるし気力も限界があり、また自死ということを周囲に話していないので気軽に良い内科を人に聞くのと同じようにはいきません。遺族の方は皆どうやって信頼できるクリニックと出会うのでしょうか。
これからのことは、自分なりに考えていくのが何よりですね。それが一番ご自分に合うことに繋がっていくのだと思います。
気持ちがそうなるまでゆっくり待って、考えてくださいね。
遺族の心情を考慮してくれるクリニックをどう探すのかは、確かに難しいですね。
みなさんいろいろな方法で探されます。
でも自分で探すのが大変ならば、
相性があるので、無責任にあそこがいいとかだめとかは言えないのですが、一つの方法は県に一つある精神保健福祉センターに電話して、相談してみる手もあるかもしれません。
電話ではどこのクリニックがいいとまでは教えてくれないかもしれませんが、相談に乗ってもらう中で、あさこさんにもっとも良い方法を考えてくれるのではないでしょうか?
精神保健福祉センターでなくても、近くの保健所でも相談にのってもらえると思います。
自死遺族相談のハードルが高ければ、子育ての相談から入っていかれるのはどうでしょう?
保健所ではそのような相談もできますよ。
まずは安心して相談できる場所が一つ見つかれば、そこから次に順につながっていけるかもしれません。
でもくれぐれも焦らないでくださいね。