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つれづれ気まぐれ由来記

大学生活のどうでもいい事や日々の制作活動を記録した自己満足ブログ。
自己満足なので更新は気まぐれです。

オキナワントゥームレイダー

2008-04-22 20:21:46 | 沖縄すーじ道紀行
先週、健康診断で高血圧と診断されたので翌日から健康のため1日1時間歩いている。
(診察時間ギリギリで駆け込みで、血圧を測ったのでかなりの血圧だった。しかし、医者はこの話を相手にしてくれずに病院の紹介状を私に書いてくれた)

首里にある沖縄県立芸大に4年も通っているのに、あまり首里の道を知らない。
このついでに首里の道を探索してみようと思い、昨日から首里近辺を歩いている。

首里は那覇でも高台にあり、坂道で構成されている要塞のようなものである。
なので、上り下りの運動にはもってこい。
首里城から下ってまた上がるとかなり疲れる。
また道も琉球王府時代からの石畳でできているので、足場が不安定でしっかりバランスをとって降りなければならない。


写真では綺麗に整った石畳だが、実際に歩いてみるとゴツゴツしていて歩きにくい。しかも雨の日は滑りそうだ。そして、かなりの傾斜になっている。


坂の中間あたりに「休憩所金城町むらやー」という昔の沖縄家屋作りの休憩所がある。


休憩所金城町むらやーの中。


休憩所金城町むらやーの隣には水場(湧き水)がある。


さらに下ると「首里金城の大アカギ」と呼ばれる拝所(霊場)がある。
この場所はすごく静かで神秘的な場所だった。
奥に入ると大きな赤木の木がドドドっと生えている。
今回はちょっとビビって写真は撮らなかったが、次回写真をアップします。


急な坂が多いのが特徴、夏のお昼には歩きたくは無い場所です。


国際通り裏道紀行2

2006-11-20 20:22:48 | 沖縄すーじ道紀行
久茂志川側の路地裏は壺屋側に比べると、すっきりしていてた。壺屋側に比べるとだいぶ開発が進んでいて、飲み屋街があったはずのエリアはすべて駐車場になっていた。

10年前と比べて劇的に変わった風景といえば、やはりモノレールが通る情景が見えることではないだろうか。10年前では考えられないことである。〈計画はすでに始まっていた〉

多分その影響もあって、ここの変わり様は分かりやすいほど変わっている。

そろそろ、疲れてきたので再び牧志駅に戻り解散した。
かれこれ3時間は歩いた。

久しぶりに歩いて分かったことは、街も生きているんだと実感した。




養鶏所の道を抜けて松尾の公園に入ったところ。板が新しいので何かのアート作品に見える。


相棒、撮影に夢中。


かろうじて残っている飲み屋。いずれはここも取り壊されるんだろうな。


泊まってみたいけど、ちょっと怖い。お客さんって居るんだろうか。

国際通り裏道紀行1

2006-11-19 18:49:22 | 沖縄すーじ道紀行
 アートパフォーマンスの授業で、私が国際通りの路地裏をコメントして歩くというパフォーマンス?をやることになった。2人一組でやる授業なので、もう一人は撮影に徹する。

 最初、牧志駅からスタートした。グランドオリオン〈映画館〉側の道から入って壺屋周辺を歩くことにした。久しぶりに壺屋の路地裏を歩いた。数年前に比べると、古い家が取り壊されて新しい家が建っていたりしていた。

 次に行ったのが公設市場近くの建物。狭い廊下にいくつもの空き店舗が並んでいた。昔はにぎわっていたんだと思った。そのあと公設市場を通って松尾に行った。

 松尾の路地裏を歩いていると、シャモ〈沖縄の呼び名でタウチー〉を飼育している飼育場に出た。〈ありえないような場所にあるので、結構驚く〉
 飼育をしているおじさんと話をした。おじさんは一番大きいチャボを見せてくれた。

それから、公園を抜けて国際通りを渡り久茂志川周辺の路地裏を歩いた。

 

 
壺屋の路地裏。古い家の後ろには、マンションが建っている。


植物の生え方が面白い。路地裏にはこういった発見がある。


桜坂の飲み屋街の建物。なんかいい感じ。


公設市場付近の建物〈店舗〉の2階の廊下。バイオハザードみたい。


2階から見た公設市場付近のアーケード街。なかなか見ることができない風景です。


別の建物から公設市場を見た。ここも不思議な建物です。2階からはアパートになってます。



公設市場のアーケード街の屋上。こうなってるんだ。



シャモを飼っているおじさん。沖縄では闘鶏として飼っている人は結構います。

金武の町を散策1

2006-05-04 19:05:16 | 沖縄すーじ道紀行
今日、友人と金武の町を散策した。
金武と言えば基地の町。
基地の近くには兵隊相手に商売しているお店がたくさんある。
まるでアメリカを思わせるような町並み?。私には、復帰前の沖縄に見える。私は復帰後に生まれてアメリカ統治時代の沖縄を知らないが、この町にいると復帰前に来たような気がする。
しかし、昔に比べるとだいぶ廃れていた。この廃れ具合がまたいい。逆にこれが観光地になっているようなき気がする。
それを見ようと我々も金武の町へ来た。


看板が完全に壊れている。昔はネオンも光って活気ずいていただろう。


今でもやっているのだろうか。


フローショー。琉球民謡なのに、セクシーな看板があるのはどうして?


チャンピオン?民謡にあわせてストリップショーでもやるのだろうか。


シャングリラ。アメリカ人の理想郷。


シャングリラの入り口。スナック喫茶洋子、どっちに行こうか。

なつかしの国際ショッピングセンター2

2005-10-19 07:42:31 | 沖縄すーじ道紀行
 国際ショッピングセンター、ネタ第2弾です。とは言うものの、単なる私の写した写真を公開しているだけです。
 90年代後半の国際通りはいろんな意味で面白かった。空き店舗が目立ち、そこで露店のようなものがあったりした。1時期、銀杏を使った銀杏細工が売られていた。銀杏に動物の塗装や細工がされており、風が吹くとこの細工がぴらぴらといっせいに動くのである。1個100円で売られており、思わず買ってしまう。
 段々沖縄ブームの波が押し寄せるに連れて空き店舗は観光客相手の土産品店になり、マニアックなお店は無くなっていった。
 ん~なつかしい。こんな事を思うようになると、いよいよ年をとったな。








なつかしの国際ショッピングセンター1

2005-10-09 14:57:24 | 沖縄すーじ道紀行
 90年代末期まで国際通りにある建物があった。それは、国際ショッピングセンターと呼ばれるお土産品店売り場である。地下に食品店街があり、那覇市民の憩いの場所だったと思われる。
 思われるというのは、私が高校生のころはすでに寂れていた。約8割の店舗が閉めており、地下ともあってかなり怪しい雰囲気だった。たまに、観光客が迷い込んでウロウロしているのを見ることがある。営業しているのはゲームセンターとカレー屋だけで、私達学生のたまり場だった。1階はA&Wと本屋(球陽書房だったかな?)が入り口付近にあり、よく利用していた。奥には、土産物を売るブースが連立していてアロハシャツが目立っていた。
 その後この建物は取り壊され、今では「てんぷす館」が建っている。今の国際通りは観光客中心になって、那覇市民の私としては全くつまらない魅力の無いものになっている。あのころは今よりもまだ地元の人も楽しめる場所が国際通りにはあったのではないだろうか。あのころが懐かしい。


私が高校生のころすでに閉店してたゲームセンター。たぶん喫茶店だと思う。



ホラーゲームのような通り。ゾンビが出そう。



私がゲームをしたあとよく利用したカレー屋最後までがんばっていた。その後、平和通りの近くに店を移して営業していた。

都市の不思議世界~壺屋小学校裏側~

2005-08-30 18:23:33 | 沖縄すーじ道紀行
 壺屋小学校近くにもディープな場所があった。
ここは、どちらかというと放置された地域といった雰囲気だった。荒れ果てた家屋や、取り壊された建物がそのまま残っているようだ。数年前にも来たが、そのときよりもひどくなっていた。
 ただ、いつも感じるのがここが同じ那覇市の中心部、繁華街なのかと思うのである。華やかな裏にはこういった歪というかダークな部分がどこにでも存在するのか。(悪い意味ではありません)むしろ、ディープでおもしろい。

↑古い家屋の後ろには新しいアパートが建ち並ぶ



↑このトンネルをくぐるとどこにつながるのだろう



↑なんと!こんな所に立派なお墓が!これ、本当。古代遺跡を発見した気分で楽しかった。なんて不思議な所なんだ。

世界遺産級のマニアック世界

2005-08-12 20:23:49 | 沖縄すーじ道紀行
 沖縄では路地裏のことを「すーじ道」とか「すーじぐゎー」といいます。
大きな通りとは違い、細く張り巡らされたすーじ道は迷路のようでありどこか不思議な空間を作り上げています。
 すーじ道はそこに住む人々の生活や歴史が染み付いています。私もそのすーじ道で育ちました。見方によってはすーじ道は文化遺産ともいえるのではないでしょうか。
 年々、都市開発によりすーじ道はなくなりつつあります。古い家屋が取り壊されて新しいきれいな街になるのはすばらしいことですが、思い出がなくなってゆくようで寂しい気もします。なくなる前にできるだけ記録したり、紹介したいと思っています。
 今回のすーじ道は壷屋を紹介したいと思います。(しばらくの予定)
                    
 ★写真は桜坂という飲み屋街です。