ボストン便り

伝統的であると共に革新的な雰囲気のある独特な街ボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

パブリック・ヘルス(みんなの健康)のために(1)

2011-05-04 10:24:36 | 健康と社会

公衆衛生/パブリック・ヘルス

 私の現在所属しているところは、パブリック・ヘルス・スクールです。パブリック・ヘルスは日本語では公衆衛生と訳されていて、従来の疫学や統計調査を研究しているところというイメージがありました。しかしパブリック・ヘルスには文字通り、「公共の健康」「みんなの健康」、という意味があります。医療が目の前の一人ひとりの患者を対象にしているとしたら、パブリック・ヘルスは大勢の人を対象にするといいます。そして一人ひとりへの視線と大勢への視線、どちらの視点も重要だと考えます。
みんなの健康を守るためには、医療知識や良い技術があるだけでは十分ではありません。医療制度(代表的には健康保険、医療費)、衛生的な生活環境(上下水道の整備、ごみ処理)、栄養(バランスのとれた適量の食事)、社会制度(道路での事故を予防するための交通規則、作業中の事故を予防する安全規則)、予防のための健康診断、ヘルス・リテラシー(健康に関する知識や理解する能力)など、様々な角度からの取り組みが必要になってきます。つまり、みんなの健康というのは、みんなで守ってゆくことで可能になるというのがパブリック・ヘルスの発想なのだと思います。

東海村の教訓

 渡米する前の3年間、看護学生を対象に、社会学と生命倫理学を合わせたような講義を受け持っていました。毎年、講義の終盤にNHKの番組『被曝治療83日間の記録~東海村臨界事故~』(2001年放送)をクラス全員で見て、議論をしてもらいました。ここには、医療、看護、公衆衛生において大事なことが沢山詰まっていると考えたからです。
この番組は、1999年に起こったJCO東海村の原子力発電所事故で被曝した方の83日にわたる闘病の記録、そして医師や看護師たちの数々の挑戦と挫折の記録です。被曝した方は、原料であるウラン化合物の粉末を溶解する工程で、臨界が起きて大量被曝をしました。発電所では、正規のマニュアルとは異なる簡便な手順が日常的に行われるようになっており、この日もバケツから柄杓で溶液を扱うという作業を行っている時に臨界となったのです。
この方は、最初入院してきたときは、ちょっとひどい日焼け程度で、自分で歩けるくらいだったのに、その後、急激に体調を崩しました。妹さんから造血細胞の移植が行われて、いったんは成功したかに見えたものの、やがて自身の細胞自体が放射能を発していたためか、妹さんからの細胞が破壊されてゆく事態になりました。
画面に映し出された、ぼろぼろになった染色体の写真を今でも良く覚えています。通常、同じ長さの染色体が1対となり、23個並んでいるのですが、この方の染色体は、途中で千切れたり、不規則に別の染色体と結合したりしていました。DNAが完全に破壊され、人の体を作る設計図が失われていたのです。

医療の限界

 ご家族の希望を受けて、医療者はできる限りの治療を試みました。しかし、医療ができることは限られ、最終的に治療手段が無くなり、事故から83日後の1999年12月21日、多臓器不全によって亡くなりました。8シーベルト以上の放射能を浴びていたとのことです。
番組には、折に触れて医療者の言葉が差し挟まれていました。正確な言葉は思い出せませんが、ある看護師は「私は角膜の保護をしたいのではない、浸出液をきれいにしたいのではない。この方を助けたい、と思っているのだ」と言っていました。最後には、この方を担当した医師が、このような事態を招いた安全管理体制の不備を強く批判して、「原発関係者に猛省を促したい」と言っていました。
 この番組の映像が始まってしばらくすると、多少ざわめいていた教室は水を打ったように静かになります。みんな画面に食い入るように見て、終盤ではすすり泣く声も聞こえてきます。実習を始めたばかりの看護学生には、きつい内容だったかもしれません。でも、自分がこの立場だったらどう振る舞うか、ご家族の気持ちはどうだったかなど真剣に考えてくれていることが、議論を通してわかり、医療者としての心構えの一部を用意することができたのではないかと思っています。それはすなわち、健康を守るためには、医療だけでは限界があること、健康・命を大切にするような社会の意識や仕組みが大切であるということです。
 こうしてJCO東海村の原発事故に当たった医師や看護師たちを通して、私自身、改めて人々の健康は社会全体で守るという視点が大事だと考えるようになりました。それがパブリック・ヘルスの概念にも通じると認識されるようになったのは、だいぶ後になってからでした。

福島原発事故と健康安全管理

 今度の震災では、地震と津波という予測困難な事態が起き、福島第一原子力発電所は大きな事故を起こしました。JCOの事故から12年、原発関係者は作業員の健康や命をどのように守るようになってきたのでしょうか。残念ながら、今までの報道や関係者の話から伺い知るところによれば、作業員への健康安全管理は十分に行われていないようです。
 4月12日の朝日新聞では、作業員は本来一人一人が放射線量を測る携帯線量計を持つことになっていますが、3月中は放射線量を測る携帯線量計が不足し、グループで1台だけ持たせる状態が記されていました。体内被曝量に至っては、検査をしていないのでわからないという状況が長く続いています。4月28日には産経ニュースが、厚労省が原発作業員の年間被曝量の上限を撤廃したことを伝えています。
 厚労省では、3月中旬に作業員の緊急時の上限を100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げていますが、特にこの時、健康安全管理を強化したという話はありませんでした。年間被曝量の上限撤廃の際も同様、リスクを上げた分だけ安全対策を設けたという話は聞こえてきていません。

2 コメント

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JOC事故 (はっしー)
2011-05-09 13:34:05
JOCの事故当時はなんてひどい職場だろうと思っていましたが、だんだん忘れていってしまった気がします。原子力を扱うということはそれだけ恐ろしいということを、私たちみんなが理解し、そのことを真剣に考えるためにも、NHKのこの番組を見たいと思いました。ご紹介いただきありがとうございました。」
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Unknown (細田満和子)
2011-05-10 05:42:15
こちらこそ、コメントをありがとうございました。はっしーさんが書いていらっしゃる通り、みんなが理解し、真剣に考えることが大事だと思います。
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