ボストン便り

伝統的であると共に革新的な雰囲気のある独特な街ボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

ポリオのアウトブレイク、危機は今

2012-04-27 03:30:17 | その他
*「ボストン便り」が本になりました。タイトルは『パブリックヘルス 市民が変える医療社会―アメリカ医療改革の現場から』(明石書店)。再構成し、大幅に加筆修正しましたので、ぜひお読み頂ければと思います。

不活化ポリオワクチンへの9月切り替え

 4月23日に、第3回不活化ポリオ検討会が国立感染症研究所で開催されました。それに先立つ4月20日に、小宮山洋子厚生労働相が「9月には接種開始できるよう準備を進めていきたい」と発言したからでしょうか、メディアがたくさん入り傍聴席もいっぱいでした。
 最初に厚生労働省の担当者からいくつかの報告がなされました。まず、9月1日から全国一斉に生ワクチンから不活化ワクチンに切り替えての接種開始がアナウンスされました。当初は4月中に承認される見込みのサノフィパスツール社製の不活化ポリオワクチンの単独接種を使用し、やがて11月に承認見込みの4種混合(DPTと不活化ポリオワクチン)が加わる形になるという事でした。
 不活化ワクチンの場合、接種は4回(生後3ヶ月から開始して、3週間ずつあけて2回目と3回目を行い、4回目は追加接種)とする事や、生ワクチンを2回受けている人はもう受けなくていい事、生ワクチンを1回受けている人は不活化ワクチンを3回受ける事なども報告されました。不活化ワクチンは、医療機関が個別にうつのでこれまでのような集団接種ではない事にも言及されました。

この夏の流行期を乗り切れるか

この検討会には、座長(医師)と10人の構成員(医師、患者会代表など)、厚生労働省の職員が参加していて、不活化ワクチンの供給、ワクチンスケジュール、同時接種への対応などについて、報告や質疑応答などがされていました。
その中で、患者会代表の小山万里子氏は、「アウトブレイクの危機は、今ここにある」と発言されました。ポリオの流行期は夏であることが知られています。しかし今回、9月から不活化ワクチンが無料で受けられることになるので、多くの保護者はそれを待ってしまうことが予想されます。そこで小山氏は、不活化ワクチンを待つ子どもと、生ワクチンを打った子どもとの濃厚な接触があったらどうなるか、そこにはポリオ感染の危険があると危惧しているのです。
これは何も小山氏だけが心配している訳でなく、米国感染症専門医の青木眞氏も指摘しています。また多くの保護者達が、保育園などで感染することはないのか心配する声をソーシャルメディア上であげたりしています。例えば2010年に神戸でポリオを発症した男児は、ポリオの予防接種を受けていた訳でなくても、ポリオを感染してしまいました。原因は不明ということになっていますが、ワクチン接種者からの二次感染が疑われています。
感染症専門医の青木氏は、自らのブログに「たった1例でも、本来おこるはずのない感染症がおきたら『アウトブレイク』という」、と書いています。これは、青木氏がアメリカの国立感染症研究所の実地疫学専門家養成コース(FETP)で学んだことだといいます。秋の不活化が始まるまで、ポリオ患者が発生しないよう祈る気持ちでカウントダウンしていると、青木氏もブログに記していました。

「健康危機管理」という思想と実践

 この国では、「アウトブレイク」という危機が起きないためには、祈るしかないのでしょうか。公衆衛生学の考え方の中には、ヘルス・リスクマネジメント、ヘルス・リスクアセスメントという概念があり、個人や集団に害のある影響を削減してゆくことは重要なことと考えられています。ポリオに関しては、ポリオワクチン接種に伴うワクチン関連麻痺型ポリオ (Vaccine-Associated Paralytic Poliomyelitis: VAPP)を防ぐことは、世界保健機構(WHO)のみならず各国が認識しており、いったんポリオ撲滅国となれば速やかに生ワクチンから不活化ワクチンへ変更しています。
ポリオに関して第一人者である関場慶博氏は、4月中旬にインドを訪れ、インドではポリオの発症が1年3ヶ月も抑えられていて、あと1年9ヶ月続けると根絶国と認定されると報告しています。そして、インド都市部では既に不活化ポリオワクチンが有料で接種されていて、2014年には全国で無料で不活ポリオワクチン接種が可能となるともツイッターで書いておられます。ポリオ根絶後に直ちに生ポリオワクチンから不活化ワクチンに切り替えるインドのこうした対応は、ヘルス・リスクマネジメントという観点からは、特に称賛される実践ではなくて、当たり前のことなのです。 
それではずいぶん前(2000年)にポリオ撲滅国になった日本で、どうして不活化ワクチンへの切り替えが行われなかったのでしょう。なぜ当たり前のことができなかったのでしょうか。

数々の警告

実は日本でも従来から生ワクチンの危険性を指摘し、不活化に切り替えようとする動きはありました。
例えば、2005(平成17)年3月に出された厚労省の予防接種に関する検討会の中間報告では、「先進国の多くの国ですでにIPVが導入されており、ポリオ根絶計画の進捗状況に鑑みれば、わが国でも極力早期のIPV導入が喫緊の課題となっている。IPVの早期導入に向け、関係者は最大限の努力を払うべきである」と書いてあります。また、国立感染症研究所感染症情報センターの発行する月報の2008年、「Infectious Agents Surveillance Report」においては、2007年末に北海道で男の子が生ワクチンによってポリオに罹患したケースを検討し、「今後、わが国におけるVAPPの発生リスクを抑えるため、不活化ポリオワクチンの早期導入が必要であると考えられた」と記されています。
日本医師会も20年前から不活化の導入を要求しています。2000(平成 12) 年 7 月、福岡県で発生した生ポリオワクチンによる副反応、および 2 次感染の事例を受けて、不活化ポリオワクチンの早期導入を強く要望する見解を公表し、その後も一貫して主張し続けてきたのです。
それならば、どうして不活化への切り替えが今日までできなかったのでしょうか。いろいろな理由が挙げられています。80年代から90年代のMMR (新3種混合)や日本脳炎のワクチン予防接種の被害に対する裁判を抱えていた事、国産ワクチンへのこだわり、不活化ワクチンに切り替えたことで生じるかもしれない問題への危惧など。しかし、既に生ポリオワクチンによるポリオ感染の危険性は専門家も行政も知っていたのですから、警告を発するだけで放置していた責任は重いと言わざるを得ません。

動かない山を動かす

今回、ポリオワクチンに関わってきた中央政府や神奈川県の行政職員、保健所職員の方々にお話を聞く機会がありました。そして、従来の在り方を変えるということが、この国ではとても難しいこと、しかし、きっかけさえあれば変わるという感想をうかがいました。
ひとつの大きなきっかけは、昨年10月に神奈川県の黒岩祐治知事が、県内で不活化ポリオワクチンを打てる体制を整えることを宣言し、実施してきたことが指摘されました。国ができないのなら県がやるということで、神奈川県では県立病院の協力の下、県の保健福祉事務所を会場に、希望者に対して有料で不活化ポリオワクチン接種を2011年12月中旬から実施してきました。ある会場を訪ねましたが、ゆったりとしたスペースで、保護者の方が安心した様子でワクチンを赤ちゃんに受けさせていました。半数以上の方がカップルで来ていて、子どもの健康に父親も母親も一緒に取り組んでいこうとしている様子がうかがえました。
もうひとつの重要なきっかけは、小山万里子氏が代表を務める「ポリオの会」の活動でした。「ポリオの会」は、もう10年以上も前から不活化への切り替えを求めてきています。ある厚労官僚は「ポリオの会の活動がなかったら、誰もワクチンを変えようとは思わなかっただろう」とおっしゃっていました。検討会も医師会も問題意識はあり警告を発してきたわけですが、なかなか変えられない状況の中、患者団体が声を上げることで、やっと変わっていったことは特筆に値すると思います。

患者会のちから

9月1日から不活化ポリオワクチンに切り替えをすることを報告した検討会が終わった後、小山氏は「これでやっと会の本来の活動に戻れる」とおっしゃっていました。「ポリオの会」はそもそも、ポストポリオ症候群に悩む患者たちが、病気や障害との付き合い方、治療法、社会保障の取得の仕方などを情報交換したり、会員間の交流を深めたりする患者会でした。ところが、生ワクチン由来でポリオになって会の門戸をたたく若い人が後を絶たないのに業を煮やして、声をあげざるを得なかったといいます。そもそも障害や病いを抱えているのだから、身体的につらいので、闘いたくてやっているわけではないのです。
 ポリオに関して9月から不活化ワクチンへの切り替えが決まったとしても、この夏をどう乗り切るのかという問題、未だ世界標準とは隔たりのあるワクチン全体の問題も残っています。3ワクチン(子宮頸がん予防、Hib、小児用肺炎球菌)、4ワクチン(水痘、おたふくかぜ、B型肝炎、成人用肺炎球菌)はこれからどうなるのか。同時接種はどのように進められるのか。こうしたことを解決してゆく為に、ポリオの会に限らない、いろいろな患者会の力、いわば市民の力が必要なのだろうと改めて思いました。

<参考資料>
ロハスメディカル 第3回不活化ポリオワクチン検討会 なぜ導入は9月なの? 
http://lohasmedical.jp/blog/2012/04/39.php

不活化ワクチン 秋まで祈りのカウントダウン
http://blog.goo.ne.jp/idconsult/e/03f48b6e1e962366aa759f28a6fe1511

ポリオワクチン接種後に発症した小児の急性弛緩性麻痺の1例-北海道
(Vol. 29 p. 200-201: 2008年7月号)
http://idsc.nih.go.jp/iasr/29/341/kj3413.html

日本医師会 社団法人 日本医師会
ポリオワクチンに対する日本医師会の見解について 平成23年11月16日
http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20111116_21.pdf



病名変更への患者の願い

2012-04-26 07:42:24 | 患者アドヴォカシー
*「ボストン便り」が本になりました。タイトルは『パブリックヘルス 市民が変える医療社会―アメリカ医療改革の現場から』(明石書店)。再構成し、大幅に加筆修正しましたので、ぜひお読み頂ければと思います。

病名による誤解

「慢性疲労症候群をともに考える会」の第2回総会が、2月19日に都内で開催されました。その際に、この会を特定非営利活動法人(NPO)として申請することが満場一致で可決され、続いて設立総会が開催されました。NPO法人の名称は、「慢性疲労症候群」という病名を使わない形で、「筋痛性脳脊髄炎の会」となりました。なぜなら、これまで「慢性疲労症候群」という病名によって患者たちは誤解にさらされてきたから、その病名を使いたくなかったのです。
「慢性疲労症候群」は、世界保健機関の国際疾病分類(ICD-10)において、神経系疾患と分類されていますが、原因が特定化されず、治療法もない病気です。一般の検査でも異常が検出されません。そのため、患者は、いくら安静にしていてもとれない倦怠感や耐え難い体の痛みのために受診しても、「単に疲れが蓄積しただけなので休めば治る」、あるいは「精神的なものだから考え方を変えれば治る」などと医師から言われてきました。また、「怠けている」とか、「詐病ではないか」などと、職場や学校、家族や友人からさえ思われることもあり、患者は全く孤立した状況に置かれてしまいます。
病名が患者の実態を全く表していないことは、長い間患者にとって大きな不満の種でした。2012年3月22日のテレビ東京では、『慢性疲労症候群 「疲労」と呼ばないで』と題する特集番組が放送されました。病いによって誤解や偏見が生まれるという意味で「慢性疲労症候群」というのは、「スティグマ付けされた病い」と言えるでしょう
スティグマとは、社会的偏見によって、社会から被る負の烙印のことです。この概念は、1963年に社会学者のE.ゴフマンの著作で紹介されたもので、人種や民族や信条、犯罪歴などがスティグマを生むことが知られています。病いや障害もスティグマを生むことが今日知られています。例えば歴史をひも解くと、いくつかの感染症の患者などには非常に厳しいスティグマが負わされてきました。「慢性疲労症候群」も同様に、社会からの無理解と偏見にさらされてきているのです。

ハンセン病の患者運動

このような、病いによるスティグマを払拭しようとして過酷な運動を繰り広げてきた病いの代表はハンセン病でしょう。ハンセン病はかつて、「らい病」(英語ではLeprosy)と言われ、人権を侵害するような方法で隔離が行われ、患者の人生は踏みにじられてきました。ハンセン病にかかった人々は、病気による身体的苦痛だけではなく、忌み嫌われるものとしてスティグマ付けされ、社会から疎外されることに苦しんできたのです。 
しかし、そうした中で社会からのスティグマを覆そうと努力してきた人々がいました。その中心は、ハンセン病にかかった患者自身でした。ハンセン病当事者が立ち上がり、患者会(全国療養所入所者協議会:全療協)を中心に、自らを疎外する社会に向かってスティグマを不当なものとして訴えかけてきたのです。
全療協では、古来より多くのスティグマや偏見を惹起してきた「らい病」という病名をなくし、「ハンセン病」へと変えることを、1952年から訴えてきました。これは、アメリカのルイジアナ州カービル療養所の入所者達が、「らいLeprosy」をやめ、らい菌の発見者であるノルウェーの医学者、アルマウエル・ハンセンにちなんで「Hansen’s Disease」と呼ぼうとする運動に倣ったものでした。
この病名変更の活動はしだいに社会的に広がっていき、やがて1970年代後半になると、新聞などのマスメディアからは「らい」は消え、「ハンセン病」という呼び名が定着していきました。ただし、厚生省(現:厚生労働省)は、1996年に「らい予防法」が廃止されるまで長きに渡って名称の変更を認めることはありませんでした。また医学関連学会である「日本らい学会」が「日本ハンセン病学会」に名称変更したのも、1996年に予防法廃止が廃止された後のことでした。患者が病名変更を要求してから、約半世紀たってからやっと、行政や医学会は動いたのでした。
ただいったん動いた後の行政や医学会は、ハンセン病のスティグマ削減のために様々な対応をしてきています。例えば日本ハンセン病学会は2010年に、歴史上のハンセン病患者を誤解を招くような性格付けで登場させたゲームソフト会社に対して、偏見・差別を招く表現を避けるように要望書を提出したりしています。
  
一刻も早い病名変更を

この例をみるとよく分かるのですが、行政や医学会は、病名を変えることにとても慎重です。しかし早く病名が変えられなかったら、その間、患者はずっと偏見や差別に苦しむことになります。スティグマが除去されないままで患者を放置することは許されないと思います。
また、この例からは、たとえ行政や医学会が慎重な姿勢を崩さないとしても、社会の人々がスティグマ付けされた病名を使わないようにして、実質的な病名変更が可能だということも分かります。しかも、患者がメディアの力を借りたりしながら、病名を変えてきた前例は他にもあります。たとえば「精神分裂病」は「統合失調症」に、「老年痴呆」は「老人性認知症」に変更されました。
「慢性疲労症候群」という名前を変えて欲しいという願いは、日本だけのものではなく、世界中の患者達の望みです。イギリスやカナダやオーストラリアなどでは「筋痛性脳脊髄炎(ME:Myalgic Encephalomyelitis)」と呼ばれています。この点に関しては、「慢性疲労症候群を考える会」の代表の篠原三恵子氏が2012年1月12日発行のMRICのVol.362「筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群」に詳しく書いていますので参考にして頂きたいと思います。

病名は恣意的

ところで病名というのはどのようにつけられているのでしょうか。実は、そもそも病名というのは恣意的につけられている、という側面もあります。たとえば病名は、病態を表す名前(多発性硬化症、心筋梗塞)、病気を最初に報告したり病因を発見したりした人の名前(ベーチェット病、川崎病)、病気になる患者が沢山出た場所の名前(水俣病、四日市ぜんそく)、病態の雰囲気を表現する名前(がん、イタイイタイ病、もやもや病)などなど、いろいろな根拠によってつけられています。
その他にも、同じ病気なのに複数の名前で呼ばれている病気もあります。たとえば、厚生労働省の出している患者調査などが所収されている『国民衛生の動向』で、いわゆる脳卒中の統計が示されるときには、「脳卒中」、「脳血管障害」、「脳血管疾患」という3つの病名が、特に何の区別もなく混同して使われています。
ちなみにアメリカの小児科医で「慢性疲労症候群」の患者を長く見てきたデイヴィッド・ベル医師は、この病気を「千の名前を持つ病気The Disease of a Thousand Names」といい、同名のタイトルの本を出版しています。すなわちこの病気は、Chronic Fatigue Immune Dysfunction Syndrome, Chronic Immune Activation Syndrome, Fibrositis, Fibromyalgia, Chronic Epstein-Barr Virus Syndrome, Myalgic Encephalomyelitis, Benign Myalgic Encephalomyelitis, Atypical Poliomyelitis, Iceland Disease, Akureyri Disease, Tapanui Flu, Royal Free Disease, Yuppie Flu, Raggedy Ann Syndrome, Atypical Multiple Sclerosis, Antibody Negative Lyme Disease, Ecological Diseaseなどといった沢山の病名が付けられているといいます。
患者会は、筋痛性脳脊髄炎へと病名変更することを求めているのではありません。慢性疲労症候群という病名は病態を表していないので、一刻も早く研究を進め、病態にふさわしい病名に変更して欲しいと願っているのです。そうするにあたって患者会は、関係者に対する事前の説明や相談も怠りなく進めてきました。この病気の専門医と言われる医師たちや医療問題に詳しい医師たちに相談し、厚生労働省の疾病対策課にも事前に説明をしてきました。

患者の願い

名前に限らず、医学や科学というのも、純粋に「客観的」な「真実」はなくて、ある時代、ある社会文化において、再現性のある反復可能な実験によって証明されたと専門家集団で了解されているもの、と捉えることができます。つまり、医学や科学というのも、そんなに確固たるものではなくて、不確実で流動的なものと捉えられるのです。実際に、遺伝子や再生医療の研究などで、近年の医学教科書もどんどん書き換えられています。
患者会は、病名変更を要求することで、現在の医学に揺さぶりがかけられ、研究が進み、病因が解明され、さらに治療法が開発されるようにと、切に願っています。今回の病名変更は、その希望をかなえる第一歩であり、偏見を断ち切り「生物学的要因のある病気」であると医療関係者や一般社会の人々の理解を求める、勇気ある宣言なのだと思います。


【参考文献】
・Bell, David, 1988、The Disease of a Thousand Names, Pollard Publications, NY.
・Goffman, Erving, 1963, Stigma:Notes on the Management of Spoiled Identity, Prentice-Hall.
・蘭由岐子 2004『「病の経験」を聞き取る―ハンセン病者のライフヒストリー』皓星社 
・篠原 三恵子、2012、MRIC Vol.362 筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群、2012年1月12日、医療ガバナンス学会、http://medg.jp/mt/2012/01/vol362.html (2012年3月12日閲覧)
・全国ハンセン氏病患者協議会編、1977、全患協運動史―ハンセン氏病患者のたたかいの記録
・全国ハンセン氏病療養所入所者協議会編、2001、復権への日月―ハンセン病患者の闘いの記録
・日本ハンセン病学会のホームページより
http://www.hansen-gakkai.jp/doc/basara100216.pdf


紹介:ボストンはアメリカ北東部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
星槎大学教授。ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程の後、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。コロンビア大学公衆衛生校アソシエイトを経て、ハーバード公衆衛生大学院フェローとなり、2012年10月より星槎大学客員研究員となり現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)、『パブリックヘルス 市民が変える医療社会』(明石書店)。現在の関心は医療ガバナンス、日米の患者会のアドボカシー活動。



大学でどういったことを、いかに教えるべきか

2012-04-26 07:40:18 | その他
*「ボストン便り」が本になりました。タイトルは『パブリックヘルス 市民が変える医療社会―アメリカ医療改革の現場から』(明石書店)。再構成し、大幅に加筆修正しましたので、ぜひお読み頂ければと思います。

日本の大学・アメリカの大学

2012年1月31日に配信されたJMMの、『村上龍、金融経済の専門家たちに聞く』というコーナーで「Q:大学でどういったことを、いかに学ぶべきか」という問いに、水牛健太郎氏(日本語学校教師、評論家)は、アメリカの大学院で学んだ経験をもとに、「日本の大学には教育力が欠けていると感じています。これは東大だろうが新設私立大学だろうが基本的には同じことです」と書いておられました。そして「日本の大学の先生は「学者(=研究者)」というアイデンティティを持っている人が大半」と続けていらっしゃいました。日本の大学がすべてかどうかは分かりませんが、少なくとも私が通っていた日本の大学には、この指摘はかなり当たっているのではないかと思いました。
更に水牛氏は、「日本の大学は、何かが学べる「可能性」はもちろんありますが、それが制度化されていないのです。ゼミなどが始まってようやく何を勉強するか見えてきたと思ったらもう就活になってしまう、というのが実態のようです」と書いておられます。これも頷けるところが多くあります。私も学部時代は何を勉強するかを見つけている段階で、本当に勉強したと思えるのは、大学院に入ってからだったように思います。
 水牛氏は、このような状況への処方箋として、「日本の大学で本当に何かを学びたいと思ったら、学生はよほどしっかりしなければなりません。ぼんやりとであれ何か学びたいことがあるなら、積極的に動くことを進めます。これぞと思う先生がいたら研究室に訪ねていき、どんな本を読めばいいか聞いてみるといいと思います。そしてその本を読んだらまた訪ねて行って、感想を話してさらに教えを乞うことです」と書いています。

教師も「しっかり」しなくてはならない

確かにその通りだと思います。しかし、この状況への処方箋として、学生にだけ「しっかり」するように求めるだけでは十分でないと思います。すなわち、大学の先生も、同じように「しっかり」するように仕向けなければならないのではないでしょうか。
「アメリカの大学でも先生の大半は一義的には「学者」というアイデンティティですが、伝統の力や学生からの教師評価などもあって、教育者としての責任感を持たせることに成功しています」と水牛氏は書いています。確かに私のいるハーバード公衆衛生大学院でも、教師評価は、学生でも教師同士でも誰でもネット上で自由に見られるようになっています。ですから、どの先生の授業は人気があり、どの先生の授業はイマイチか一目瞭然です。これは、大学の先生方が学生にとってよい授業をしようとするインセンティブに確実になっているでしょう。
実はその他にも、大学での教育力を上げるため、アメリカの大学や学会組織には、学者や研究者を教師に仕立て上げる仕組みがあるのです。基本的な仕組みはだいたい共通のようですが、大学や学会によって若干異なると思いますので、今回はそうした仕組みを私の所属するハーバード大学とアメリカ社会学会を例にご紹介します。

教師を作る大学のプログラム

 私は現在、研究員としてハーバード公衆衛生大学院に所属しています。研究員というのは、基本的にすでにPhD(博士号)を持っていて、研究を業務として大学に勤務している人たちのことで、ポスドクと呼ばれる場合もあります。アメリカ国外の研究員の多くは、自国では既に教授や准教授として教鞭をとっていた人で、サバティカルなどの長期休暇・休業でハーバードに来ています。私の同僚の研究員たちは、研究と共に非常勤講師をしていたり、将来的に自国に戻ってアカデミックポジションを得ようとしていたりする、新米大学教師や教員の卵がほとんどでした。
 こうした研究員やTA(ティーチング・アシスタント、博士課程の学生が担当することが多い)に対して、ハーバードでは、教師になるために必要な知識や技術を伝授する様々な仕組みを準備しています。たとえば、シラバスの書き方やプレゼンテーションの仕方のワークショップなどが、定期的に無償で提供されています。

シラバスの書き方を学ぶ

シラバスとは、授業における全体的な目的や授業の流れ、毎回の課題や読んでおくべき参考文献、教材の入手方法、教員への連絡方法、成績評価の仕方など、授業に関するあらゆる情報を含んだ冊子のことです。アメリカの大学生は高額な授業料を払っているので、それに見合うだけの教育サービスを受けられるかどうか、とてもシビアな目を持っています。シラバスは、学生がどのような講義を登録するか、すなわち、どのような教育サービスを購入するか、を決めるときに大事な資料になるのです。アメリカで教鞭をとった経験のある教育学者の苅谷剛彦氏は、「シラバスとは、教育サービスの売買における商品の詳細な『カタログ』である」といっています。
シラバスを上手に魅力的に書いて学生に自分の授業をとってもらうことは、教員にとって死活問題です。というのも、もし学生数が規定の人数に達しなかったらその授業は開講されなくなり、その教師はお払い箱になってしまうからです。そこで、ハーバードでは学生にアピールするようなシラバスの書き方を学ぶワークショップの場を設けているのです。そして新米教師や教員の卵たちは、どんなシラバスを書いたら良いのかを学ぶのです。

授業での話し方を学ぶ

さて、上手なシラバスが書けるようになったら、次に教師には、学生を引き付けるような授業をすることが求められます。いくら素晴らしい論文が書けるほどの知識があったり、卓越した思想を持っていたりしたとしても、しどろもどろの話し方をしていたのでは、学生に興味を持って聞いてもらえません。面白味のない授業を続けていれば、当然学生による授業評価は低いものになってしまいます。何よりも、学生に十分な学びを提供できないのですから教師失格です。
そこでハーバードでは、人前で話をする能力を高めるためのワークショップが提供されています。プレゼンテーション能力やパブリック・スピーキング能力を高めるためのワークショップは、いろいろな形で、頻繁に行われているのですが、例えば私が参加したワークショップは、1週間に2時間、6週間のコースでした。
講師を務めるのはハーバード附属劇団の指導者で、元同劇団女優という方、スージーでした。1回目は聴衆の注目を集めて、気をそらさないためのアイ・コンタクトの仕方を学びました。スージーはテニスボールを持ち出してきて、教壇の真ん中に立ち、目があった受講者にボールを投げます。よほどしっかり受講者を見つめていないと、その人は自分がボールを投げられるとはわからずに、ボールを受け損ねてしまいます。
スージーが見つめると、受講者は自分が投げられるのだと気づき、ボールは落ちることはありません。しかし、次に受講者が教壇に立ち、これぞと思う人の目を見つめてボールを投げるのですが、なかなか相手は気付いてくれずに、ボールは受け止められることなく落ちてしまいます。それでも、何回か繰り返すうちに、上手にできるようになりました。
以降、2回目は教室全体に聞こえるための発声の仕方、3回目は言葉だけでは複雑なことや難解なことを分かり易く示すためのボディランゲージの使い方、4回目は話をしながらスライドを効果的に使うやり方を学びました。そして5回目と6回目では、希望者数人ずつが、これまでに学んだことをすべて生かして実際にプレゼンテーションをして、受講者全員でそれを評価しあいました。
 余談ながら、一般にアメリカ人はプレゼンテーションが上手だと思われているようですが、このワークショップに参加して、苦手な人もたくさんいるのだと実感されました。そして、そう人でも努力して何度も練習しているうちに、だんだん上手になってくるのだと思いました。
このワークショップはとても有意義で、私も自分で授業をしたり学会発表したりするときに役立たせたいと思っています。ただ頭では分かっていても、なかなか実際には上手にできないのも本当で、試行錯誤しながら経験を積んでいきたいと思っています。

教育の質の向上における学会の役割

 学会も、その分野の教育の質を向上させるために、様々なリソースを提供しています。例えばアメリカ社会学会の会員になると、社会学の幾つもの分野のシラバスや授業で使用するための統計調査のデータや図表など教育のための色々なリソースに、ホームページからアクセスができます。
 他にも、学生を教育するに当たっての心構えや注意点などのコーナーもあります。例えば、教育活動を行う際の倫理という箇所では、いろいろな具体例を挙げて、教員としてとるべき/とらざるべき態度を示しています。ひとつ例示してみます。

(ケース)ある教授は、学生に「人種と民族、性とジェンダーの社会学」という科目を教えていたが、よりよく理解してもらうようにと、学生に個人的な体験や意見などを綴った日誌の提出を求めていた。その日誌は後日、採点されて返却されることになった。その教授は、返却の際、廊下のボックスの中に入れて学生たちに持って行ってもらうようにしていた。

(質問1)学生の日誌に関して、この教授は何か倫理にもとるようなことをしているか。
(質問2)この時この教授は、法律的にも何か侵害行為を行っているか。

(議論)学生によって書かれた日誌は個人情報なので、丁重に扱わなくてはならない。特に、個人的な体験や意見などが書かれている場合はなおさらである。よって、廊下のボックスに入れて学生たちが自由に持っていくようにすることは、日誌がほかの人に見られる危険があるので、するべきではない。この行為は、家庭教育の権利とプライバシー法(Family Educational Rights and Privacy Act)に反することになる。

 このような具合に、教師の倫理的態度についての解説がなされます。また、ホームページだけでなく、アメリカ社会学会の年次総会でも教育の質の向上のためのさまざまなセッションが設けられています。翻って日本社会学会のホームページを見ると、残念ながらそのような情報はのせられていないようです。

「教師を作る仕組み」導入のすすめ

以上、アメリカにおける「教師を作る仕組み」について紹介してきましたが、ここで私が最も言いたかったのは、「教師としてのアイデンティティ」や「教育者としての責任感」は、個々の教師が個人的に習得してゆくという側面もありますが、大学や学会などの組織的な支援によって獲得されてゆく側面もあるということです。
大学の先生が、研究者と同時に教師としてのアイデンティティを持ち、授業を構成し、遂行してゆく技術を身に付けることはとても大事です。しかし、それは、個人がひとりで努力するだけで十分に達成されるものではありません。大学組織の支え、仲間同士の監視、学生からのフィードバックなど、さまざまな社会的な協力が必要なのだと思います。
日本には日本のやり方があると思いますので、具体的なシステムは諸条件を勘案しながら作ってゆくべきですが、教えるための技術や心構えを学ぶための何らかの仕組みを用意するということは喫緊の課題だと思います。

【参考文献】
・苅谷剛彦、1992、アメリカの大学・ニッポンの大学、玉川大学出版部
・アメリカ社会学会のホームページ http://www.asanet.org/ 

紹介:ボストンはアメリカ北東部マサチューセッツ州の州都で、建国の地としての伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。星槎大学客員教授。博士(社会学)。1992年東京大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年まで日本学術振興会特別研究員。コロンビア大学公衆衛生校アソシエイトを経て08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海社)、『パブリックヘルス 市民が変える医療社会』(明石書店)。現在の関心は日米の患者会のアドボカシー活動。