ボストン便り

伝統的であると共に革新的な雰囲気のある独特な街ボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

パブリックヘルス・ワーカーの落とし穴

2010-01-16 20:47:08 | 国際保健
国際保健と援助

 筆者の所属するハーバード公衆衛生(パブリックヘルス)大学院の国際保健学部というところでは、健康に生きることは万人に平等の権利であると考え、途上国での感染症対策、母子保健、健康政策支援などの実践的研究を使命感に燃えて行っている人が何人もいます。国際援助のNPO/NGOの代表を務めたり、現地に足を運んでパブリックヘルス・ワーカーを指導したりすることもよく行われています。ちなみにパブリックヘルス・ワーカーというのは、ここでは公衆衛生業務を行う現地の人々として、行政職員やNGO職員の両方を含むと定義します。
 彼らからは、母親に保健指導をすることで子どもたちを伝染病から守る仕組みを作ったり、母子手帳を広めたり、地域に保健センターを作ったりするといった国際援助の成果の話を聴くこともある一方で、資金流通の不透明さや援助国と被援助国との連携のまずさといった援助の難しさに関する話を聞くこともあります。
 筆者もこれまでに、途上国の感染症の援助に関して調査研究をしてきましたが、NPO/NGOの活動家たちおよびWHO関係者から、援助の裏側の話をいろいろ聞いてきました。


ある感染症の「制圧」

 例えばある感染症に関して、WHOは2005年までにその病気を世界的に制圧するという目標を2000年に立てました。その感染症は弱毒で薬による治療が可能なので、既に先進国では制圧されています。そしてインドや中国やインドネシアなどアジアの国々、ブラジルやアフリカの国々などでは漸減しているので、一気に制圧しようということになったのです。ちなみに治療薬は、資金援助をしている財団のおかげで世界中どこでも無料で配られることになっています。
 そこで、その感染症の登録者数の多い各国政府、援助しているNPO/NGO、資金提供をしている財団、関連医学会や医療協会などは、この目標に向けて活動を始めました。
その結果、インドでは2001年から急激にその感染症の患者数が減り始めました。特に2003年以降は劇的と言っていいほどに減少しました。どのくらいかというと、2001年から2005年までの4年間で、50万人から10万人へ、すなわち80%も一気に減少したのです。
感染症が制圧に向かうのは本来喜ばしいことなのですが、この急激な減少ぶりは関係者の従来から抱いていた疑惑を再確認し、さらに新たなる疑惑を生むことになりました。


パブリックヘルス・ワーカーの落とし穴(1)―感染症登録者数の過剰

 インドに関しては、これまでにも登録者数がなかなか減らないことが、政府やWHOで問題化されてきました。ミャンマーやタイやパキスタンやバングラディシュなどといった国々においては人口比で登録者数が減っているのに、インドだけはなぜいつまでも減らないのかという問題が真剣に語られてきたのです。この感染症患者の登録数はパブリックヘルス・ワーカーたちが申請してきました。
 ところがWHOが制圧目標を2005年に決めたとたんに急激に減少したのです。これは、かねてからあった憶測、すなわちインドのパブリックヘルス・ワーカーたちは患者数を過剰に登録しているのではないかという憶測を裏付けることになりました。患者がたくさんいるのだから、援助のためにはお金も人も必要なのだと自らの存在意義を示し、感染症対策の予算を得て自分たちの雇用を守ろうとしている意図は明らかです。
 実際に、WHOと政府の評価委員会が専門家によるモニタリングを繰り返したところ、多くの州で30%から45%に及ぶ患者登録の過剰が発見されました。


パブリックヘルス・ワーカーの落とし穴(2)―感染症登録者数の過少

 一方で、インドの患者登録数の激減は別の疑惑の種ともなりました。すなわち2005年までに制圧しなくてはならぬというプレッシャーや、資金援助をしている財団を喜ばせるために、患者数を過少に登録しているのではないかという疑問です。
 あるNPO/NGO関係者によると、WHOの制圧目標発表後、インドのいくつかの地域では、パブリックヘルス・ワーカーが新規患者を登録する際には、当局にあらかじめ届け出て許可を得なくてはならなくなったそうです。さらには、新規患者の登録をなるべくしないようにという口頭での通達がなされたケースもあったということです。
 このような操作によって患者登録数は減少しましたが、その結果何が起こったかというと、本当にその感染症で苦しむ人たちが患者として登録されなくなり、無料で給付されるはずの薬も与えられなくなってしまったのです。
 WHOや政府という上からの命令に従うために、実際に困っている患者が放置されていることは弾劾されるべきでしょう。


誰のためのパブリックヘルスか?

 こうしたパブリックヘルス・ワーカーが落とし穴にはまるケースは、何もインドだけに限ったことではありません。バンコクでは、同じ感染症の患者登録数を正直に報告したパブリックヘルス・ワーカーが、どうして少なく報告しなかったのだと職を奪われたそうです。またフィリピンでは、優良といわれている感染症専門施設で、その優等性を示すために、本当に重症の方が入所を断られているこということです。
 日本でも、今回の新型インフルエンザ騒ぎで同じような「過剰」と「過少」の構図が現れてきているようです。「過剰」のほうでいえば、防護服を着たパブリックヘルス・ワーカー(検疫官)が新型インフルエンザ疑いのある方々への対応をしていることが最たるものでしょう。自らの存在意義を示すためパフォーマンスとして演出をしているといわれても仕方のないことだと思います。
 また「過少」の方では、行政のトップが「新型インフルエンザを絶対に封じ込めよ」と指示を出しているので、パブリックヘルス・ワーカー(保健所職員)たちは新型インフルエンザの患者を発見しなければいいと曲解し、地域の医師がPCR検査を依頼しても実施しないといいます。PCR検査をしなければ、たしかに新型インフルエンザは発見されませんが、そのため生じる社会的不利益を考慮する必要があると思います。
 このような状況を見聞すると、これではいったい誰のため、何のための公衆衛生行政なのか疑問になってきます。パブリックヘルス・ワーカーそして行政当局をきちんと監視するシステムが必要だと改めて感じました。

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