子どもの留守番は犯罪
アメリカに来て、日本と習慣が違うのに戸惑うことがよくあります。こちらでは子どもの留守番は禁じられていますが、ふたりの子どもを持つ身としては、これは結構厄介なことでした。何歳までが子どもかという定義は州によって若干異なるようですが、マサチューセッツ州では12歳未満が子どもとみなされています。そして、子どもが保護者のいない状態で家にいること、すなわち留守番をしていることは、ネグレクト(世話の放棄)という虐待とみなされます。
もし子どもが一人で留守番している時、誰かに通報されたら(市民には見つけたら通報する義務があります)、警察が家に乗り込んできて、子どもは保護され、親は捕まってしまいます。よって子どもを家に残して出かけるときには、必ずベビーシッターを頼まなくてはなりません。ちなみにベビーシッターの料金は、子どもひとり当たり1時間で10ドルくらいします。
また、スーパーで買い物をしようと駐車場に車を止める時、子どもが車の中で寝ていると、日本だったらちょっとの間だから子どもを車の中に残したままで買い物に行ってしまいます。しかしアメリカでこんなことをしたら、やはり警察に通報され、子どもは保護され親は逮捕されてしまいます。実際に、そういう体験をした日本人駐在員夫婦の話は有名で、アメリカに来たとき、真っ先に日本人の知人から忠告されました。
パレンス・パトリエ
これがどこから来ているのかというと、パレンス・パトリエという考え方(=「国親思想」)からだといいます。パレンス・パトリエというのは、国には弱者を保護する義務と権利があるという法概念です。その起源は封建時代のイングランドにあるといわれ、イギリスだけでなくアメリカやカナダなどいわゆる英米法の国々においては、深く根付いた概念だといいます。
このパレンス・パトリエに則って、アメリカにおいては、州に生命を保護する強い権利と義務があるという考えがあります。ですから、例えば親が子どもに適切な世話をしなかったり(ネグレクト)、暴力を振るったりすると、それは虐待だとして、州がパレンス・パトリエを行使します。そして裁判所は、弱者保護の立場から子を親から引き離し、親を更正・処罰するという裁定を下すのです。つまり、子どもは親に属しているわけではなくて、「社会の子」である、とみなしているといえます。
このパレンス・パトリエの考え方は、何も子どもだけを対象にしている訳ではありません。成人であったとしても、たとえば家庭内暴力の被害者など、弱者とみなされる場合は保護の対象になります。この考え方が実際に如実に現れている事例として、ここでは新生児医療における親の治療拒否と家庭内暴力(Domestic Violence : DV)を見てみましょう。
親による治療拒否
インディアナ州のブルーミントンで1982年4月9日に生まれたベビー・ドゥは、ダウン症で食道閉鎖と気管食道瘻を合併していました。この子をめぐって、積極的治療(手術)をするか、それとも治療を停止するか、医学、法律、倫理が総動員された広範な議論がおきました。
まず病院において、この子に積極的治療(手術)をすべきか否かということについて、小児科医の間で意見が分かれました。両親はこの子への治療の停止を求めていました。また病院管理者と小児科医の間でも意見が分かれたので、病院管理者は裁判所に助言を求めました。その結果、裁判所の判事は、両親の治療を差し止める権利を認めたので、両親の希望通りにベビー・ドゥに対する積極的治療はされないことになりました。
しかし、ベビー・ドゥに治療をすべきと考えていたある検事は、この裁決に反対し、この件にさらに介入して、連邦政府を巻き込もうとしてワシントンに向かいました。ところがこの介入は間に合わず、ベビー・ドゥは死亡してしまいました。誕生から6日後のことでした。
当時の大統領ロナルド・レーガンはこの事件を重く見て、司法省と厚生省にすべての障害を持つ新生児の治療を義務づけました(Weir 1984:163-165, Pence 2000:301-305)。これは「ベビー・ドゥ規則」と呼ばれました。手術に承諾することを拒否した親たちの何人かは裁判所から親権を剥奪され、子の監督権は州に譲られることになりました。ただ後日談として、この州による医療への介入は行き過ぎの面があったので、アメリカ小児科学会とマスコミが反対して「ベビー・ドゥ規則」は廃止されています。
いずれにしても、親であっても、子にとっての最大の利益の代弁者とは自動的には考えず、場合によっては州が親から子を引き離して、子を保護するというやり方は、パレンス・パトリエの好例でしょう。こうして、子どもは「社会の子」という印象が深く植え付けられました。
アメリカに来て、日本と習慣が違うのに戸惑うことがよくあります。こちらでは子どもの留守番は禁じられていますが、ふたりの子どもを持つ身としては、これは結構厄介なことでした。何歳までが子どもかという定義は州によって若干異なるようですが、マサチューセッツ州では12歳未満が子どもとみなされています。そして、子どもが保護者のいない状態で家にいること、すなわち留守番をしていることは、ネグレクト(世話の放棄)という虐待とみなされます。
もし子どもが一人で留守番している時、誰かに通報されたら(市民には見つけたら通報する義務があります)、警察が家に乗り込んできて、子どもは保護され、親は捕まってしまいます。よって子どもを家に残して出かけるときには、必ずベビーシッターを頼まなくてはなりません。ちなみにベビーシッターの料金は、子どもひとり当たり1時間で10ドルくらいします。
また、スーパーで買い物をしようと駐車場に車を止める時、子どもが車の中で寝ていると、日本だったらちょっとの間だから子どもを車の中に残したままで買い物に行ってしまいます。しかしアメリカでこんなことをしたら、やはり警察に通報され、子どもは保護され親は逮捕されてしまいます。実際に、そういう体験をした日本人駐在員夫婦の話は有名で、アメリカに来たとき、真っ先に日本人の知人から忠告されました。
パレンス・パトリエ
これがどこから来ているのかというと、パレンス・パトリエという考え方(=「国親思想」)からだといいます。パレンス・パトリエというのは、国には弱者を保護する義務と権利があるという法概念です。その起源は封建時代のイングランドにあるといわれ、イギリスだけでなくアメリカやカナダなどいわゆる英米法の国々においては、深く根付いた概念だといいます。
このパレンス・パトリエに則って、アメリカにおいては、州に生命を保護する強い権利と義務があるという考えがあります。ですから、例えば親が子どもに適切な世話をしなかったり(ネグレクト)、暴力を振るったりすると、それは虐待だとして、州がパレンス・パトリエを行使します。そして裁判所は、弱者保護の立場から子を親から引き離し、親を更正・処罰するという裁定を下すのです。つまり、子どもは親に属しているわけではなくて、「社会の子」である、とみなしているといえます。
このパレンス・パトリエの考え方は、何も子どもだけを対象にしている訳ではありません。成人であったとしても、たとえば家庭内暴力の被害者など、弱者とみなされる場合は保護の対象になります。この考え方が実際に如実に現れている事例として、ここでは新生児医療における親の治療拒否と家庭内暴力(Domestic Violence : DV)を見てみましょう。
親による治療拒否
インディアナ州のブルーミントンで1982年4月9日に生まれたベビー・ドゥは、ダウン症で食道閉鎖と気管食道瘻を合併していました。この子をめぐって、積極的治療(手術)をするか、それとも治療を停止するか、医学、法律、倫理が総動員された広範な議論がおきました。
まず病院において、この子に積極的治療(手術)をすべきか否かということについて、小児科医の間で意見が分かれました。両親はこの子への治療の停止を求めていました。また病院管理者と小児科医の間でも意見が分かれたので、病院管理者は裁判所に助言を求めました。その結果、裁判所の判事は、両親の治療を差し止める権利を認めたので、両親の希望通りにベビー・ドゥに対する積極的治療はされないことになりました。
しかし、ベビー・ドゥに治療をすべきと考えていたある検事は、この裁決に反対し、この件にさらに介入して、連邦政府を巻き込もうとしてワシントンに向かいました。ところがこの介入は間に合わず、ベビー・ドゥは死亡してしまいました。誕生から6日後のことでした。
当時の大統領ロナルド・レーガンはこの事件を重く見て、司法省と厚生省にすべての障害を持つ新生児の治療を義務づけました(Weir 1984:163-165, Pence 2000:301-305)。これは「ベビー・ドゥ規則」と呼ばれました。手術に承諾することを拒否した親たちの何人かは裁判所から親権を剥奪され、子の監督権は州に譲られることになりました。ただ後日談として、この州による医療への介入は行き過ぎの面があったので、アメリカ小児科学会とマスコミが反対して「ベビー・ドゥ規則」は廃止されています。
いずれにしても、親であっても、子にとっての最大の利益の代弁者とは自動的には考えず、場合によっては州が親から子を引き離して、子を保護するというやり方は、パレンス・パトリエの好例でしょう。こうして、子どもは「社会の子」という印象が深く植え付けられました。
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