ボストン便り

伝統的であると共に革新的な雰囲気のある独特な街ボストンから、保健医療や生活に関する話題をお届けします。

アメリカ市場化医療の起源(1)

2010-01-16 21:14:43 | 医療史
保健医療政策勉強会

 2008年9月にハーバードに着任してから、ボランタリックな活動として保健医療政策研究会(Health Policy Study Group)を主宰しています。私が所属する学部は、国際保健学部(Department of Global Health and Population)ですが、同僚達は文字通り世界中から集まっています。中国、韓国、イラン、イスラエル、ブラジル、タイ、ケニア、アメリカなど、皆その国の保健医療に関する専門家であり、中には実際に国の医療政策に携わってきた中央政府官僚もいます。アカデミック・バックグラウンドも、医学、公衆衛生、看護学、保健学、政治学、歴史学、社会学など多彩です。
 このチャンスを逃す手はないと、それぞれの国の保健医療制度について紹介しあって理解を深めてゆこうという趣旨で、一昨年から研究会を始めたのでした。基本的に毎週1回、ランチタイムに1時間ほど集まり、発表者が自らの視点から自国の保健医療制度について解説します。質疑応答も活発で、あっという間に時間が過ぎてゆき、いつも発表者が用意した話の最後までなかなか辿り着かない状況です。
 年明け最初の勉強会は、歴史学で博士号をとったアメリカ出身のジェシーで、アメリカ医療の歴史について面白い話をしてくれました。彼の発表によると、今日の市場原理で動くアメリカ医療の原型は、19世紀末からの科学的医療を支持したロックフェラー財団やカーネギー財団が、アメリカ医師会(American Medical Association: AMA)を牛耳る形で、1930年代までに作り上げてきたというのです。
 今まで自分の持っていた知識から、アメリカでは19世紀の終わりごろから科学的医療が発展してきて、1930年代ごろに医師の専門職化が進展してきた、ということは知っていましたが、彼の話によると、科学的医療の正統化と医師の専門職化そのものが、巨大資本家の財団の目論見だったというのです。ジェシーの発表に触発され、図書館に走ってゆき、アメリカ医療史に関する本をいくつか紐解いてみると、確かにその話を裏付けるアメリカ医療史のまた別の顔が見えてきました。


アメリカ医療史の別の顔

 いくつかのアメリカ医療史の本の中で、なんといっても面白かったのは、リチャード・ブラウンの『ロックフェラーのメディシン・マン:アメリカにおける医療と資本主義』(Rockefeller Medicine Man: Medicine and Capitalism in America)でした。この本の表紙がまた傑作で、アタッシュ・ケースを持って、ネクタイにスーツ姿で聴診器と額帯鏡をつけている、ビジネス・マンならぬメディシン・マンのイラストなのです。しかもこのメディシン・マンがドミノ倒しのように何人も並んでいるのです。
 ブラウンは、「どうしてアメリカの医療費はこんなに急速に急騰しているのだろう?」という、今日誰もが感じている疑問を持ちます。ちなみにアメリカの総医療費は、経済成長の伸びを超えており、2009年のOECDヘルスデータによると、GDPの16パーセントと飛び抜けて多くなっています。OECD平均は9パーセントで、日本はそれよりもすこし少なくて8パーセントです。
 この医療費の高さというのは、アメリカ近代医療の起源に発しているのではないか、とブラウンは考えます。その起源というのは、科学的医療と資本主義です。彼は1910年から1930年代までの史料を駆使して、医療専門職と医療に関して利害関係のある諸集団が、一般社会の人々の健康ニーズに応える訳でなく、自分たちの狭い経済的・社会的利益を守って行くために資本主義に基づく近代的医学を確立してきた歴史を解き明かします。
 一般的に近代医療は、医療技術の進展と産業社会の発展の結果として生じてきたといわれています。たしかに、科学技術と産業化が近代社会を作り上げたというのは社会科学(特にScience Technology Studies: STSなど)の定説ですが、ブラウンはこの科学技術決定論に待ったをかけます。そして、科学技術は、純粋にそこにあるというものではなく、技術を保持し、コントロールできる個人や集団が、その技術を他者の利益になることを妨害しつつ、自分たちの利益に合うように利用していて、この技術と社会の相互作用の歴史が今日の姿になって現れているというのです。
 では、それはどういうことなのでしょう。ブラウンの本に沿いながら見てゆきましょう。
 

「患者中心」医療から「専門職中心」医療へ

 アメリカにおいて医師は、現在では専門職の代表として、地位も高くお金持ちというイメージがあります。しかし19世紀末、医師は力もなく富みもなく、地位も低かったといいます。それは、当時の医療というのが、完全に患者中心であったからです。当時は、薬草療法、温水療法、信仰療法などさまざまな治療方法があり、患者は、自分の症状と経済状況にあわせて、治療を受けるか受けないか、受けようとする場合にはどんな治療がいいのか、自分で選んでいたのです。そして医師は、患者の希望にあわせて、患者にとって適当な方法と価格の治療を提供していたのです。この頃からも、医師による組織団体はいくつかあったらしいですが、誰が医師として業界に参入できるか、誰ができないかというコントロールはまったくされておらず、医師になりたい人は、自分で名乗れば勝手に治療行為を行うことができたということです。
 ところが、1930年代までごろにこの状況は一変します。医師集団が、医学校や教育病院を運営することで、医師になるためのライセンス付与のコントロールを始めたからです。また、医師は、地元の医学会を通して、診療内容や料金を決めたりするようになりました。この青写真を書いたのが、アブラハム・フレクスナーです。
 彼はカーネギー財団から資金を得て、医療のあり方に関する有名な報告書、フレクスナー・レポートを1910年に出しました。そこには、「医療は、科学的で臨床的で研究志向の大学院教育に基づいた臨床実践を意味するようになるべき」ことが示されていました。大学院教育がまだ特殊に高度な教育と考えられた時代に、科学的な大学院レベルの学問が医師になるのに必要な条件となったことで、医師には特別な地位が要求されるようになりました。この任をまかされたのが、アメリカ医師会に他ならず、以後、アメリカ医師会は大きな権限を持って、新規参入する医師たちを厳しくコントロールするようになりました。

アメリカ市場化医療の起源(2)

2010-01-16 21:11:15 | 医療史
近代医療と医療の制度化:医療専門職支配の誕生

 もちろん、この変化の素地に科学技術の進展があることは見逃せません。すなわち、近代医療が、それまで治らないとされてきた病気を治癒可能なものにしたという点です。その立役者たちは、ドイツのコッホやフランスのパストゥールであり、彼らによる細菌の発見によって、細菌を殺したり、細菌感染を予防したりする医療が可能になったのです。これは、従来の患者の状態や希望に合わせて、治るか治らないか定かではない治療を行うということに比べて、効率の良い、「生産性の高い」医療といえます。
 医療における生産性の向上は、医師の収入と地位と権力の上昇に寄与しました。高い教育と特別な地位を得るようになった医師の給与は上昇し、1929年の時点では、大学の先生の同じくらいの給与をもらうようになりました。しかし、それでもまだ機械工よりは低いというものでありました。
 その後も医療専門職のリーダーたちは、科学的であるということを盾にして、自らの立場の正当性を勝ち取るための活動をしてきました。こうした活動は実を結び、次第に一般の人たちも医師に対して信頼の念を持つようになってきました。それに伴い給与のほうも着実に上がってきて、1976年の時点では、通常の勤労者の2.5倍になりました。またその頃には職業ヒエラルキーの順位も上がり、医師は、最高裁判事と並んでトップレベルになりました。
急速な医療技術の拡大の勢いはとどまることを知らず、次々に高度で新しい治療法が開発されました。すると医師たちは、もはや面白みがなくなったり、利益を上げられなくなった仕事を、配下の技師や看護師やコメディカルに下請けとして回していきました。今日のアメリカの多様で多数の医療従事者は、このようにして作られていったということです。
 また医療の元締めとして医師たちは、開業、病院勤務、研究、教育、行政、財団、健康当局、保険会社、そのほかの機関へと働き場所を増やしていきました。そして、医師は医療におけるあらゆる領域において統括者として君臨することになり、医療専門職支配という構図が作られてきました。


カーネギーとロックフェラーのメディシン・マン

 では、どのようにしてそれまでの医療とは異なる科学的医療が医療界を席巻し、科学的医療を統括する医師が支配的地位を得るという構図が出来上がったのでしょうか。誰がアメリカ医師会に、新規参入の医師のコントロールを任せたのでしょうか。
 その答えとしてブラウンは、フィランソロピー(慈善事業)を行うことを意図したロックフェラー財団やカーネギー財団が、アメリカ医師会を牛耳ることによって、この構図を作った、といいます。もっとも張本人はロックフェラーやカーネギーではなく、医療を資本家階級に奉仕するものにするため、彼らが資金を提供する財団に雇われた人たちです。すなわち、ロックフェラーのメディシン・マンは、ロックフェラー財団を取り仕切っていたフレデリック・ゲイツ、そしてカーネギー財団のためにレポートを書いた功績を認められ、ゲイツにリクルートされたアブラハム・フレクスナーなのです。
 それでは、メディシン・マンたちがアメリカ社会における医療の原型を作り上げてきたとは、どういうことでしょうか。それは端的に言って、生産力の高い労働者を確保するという、資本主義社会において最も重要な目標を実現するために、医療を制度化したということです。


科学的医療の正統化

 20世紀の幕開けは、科学技術に支えられた、資本主義の本格的な展開と共に始まり、アメリカの企業資本家階級は科学の力を信じ、科学的医療が診断、予防、治療においてもっとも有力な手段となるという思想を支持しました。そして、医学理論に基づいた医療専門職による科学的医療に、労働者の健康を向上させて生産性を高めること、さらに労働者階級の人々の不平等や短命を克服することさえ期待しました。
 ロックフェラーのメディシン・マンとしてゲイツは、医療は資本主義社会に資するべきで、医療専門家は資本主義財源で運営される資本主義大学において再生産され、技術革新を行うことを通して質がコントロールされるべき、と考えてました。そこでゲイツ率いるロックフェラー財団は、科学的医療を実践する医師を育て上げる医学校や医学教育の充実のために、1929年までに一般教育委員会に7800万ドルの寄付をしました。 
 医学校には、資本家階級の信奉する科学的医療を教え込むというゲイツの思惑を実践するために、大学院レベルの教育を施すフルタイムの医療教育者が置かれました。これは、普段は患者を診ている医師が、自分の経験に基づいたおよそ科学的とはいいがたい教育を片手間に行っていた、かつての教育体制とは異なる新しい医師教育の形でした。この医学教育のモデルをつくったのが、先にも触れたフレクスナーによるレポートなのです。


国家の介入

 アメリカでは1910年から1930年代までの間、企業資本家が近代医学に基づくアメリカ医療の基礎を形作ってきました。これは、どれが正統な医療でどれがそうでないかを国家が決めてきた、日本を含めた他の多くの国と大きく異なる特徴でした。
 ただし、第二次世界大戦前後から、アメリカの医療にも国家が次第に介入してくるようになってきました。医療は健康な兵士を戦場に送るため、負傷した兵士を回復させるためのものとしての利用価値を、国家が認めるようになったからです。そこで連邦政府は、かつて医療において指導的であった財団の地位を奪いとっって、医療を管理下におきました。
 しかし、それまでに培ってきた企業資本家に資する医療という形は既に強固に出来上がっており、今でもアメリカ医療は、病院、医学校、保険会社、製薬会社、医療材料会社、医療市場など資本主義の利益団体(中には非営利団体の顔をしているものもありますが)の手中にあるのです。


おわりに

 ブラウンのこの本が出た時、大きな物議をかもしたといいます。というのも、この本で書かれている内容は、偉大な医師の業績や医学の進歩を綴ったこれまでの「医療の正史」とあまりにもかけ離れていたからです。
 医療史のデイビッド・ロスマンは、大学病院や研究所で働く医学研究者は、自分たちの興味関心や威信に基づいて非人道的な実験的医療を行っていたが、町の開業医たちは、患者のために医療を行っていたという、やや穏健な立場をとっています。しかしブラウンは、開業医たちの職能集団であるアメリカ医師会も、患者の利益ではなく自らの利益、そして資本主義的利益を得るために、資本主義の権化であるロックフェラーやカーネギーの配下で暗躍していたことを暴露しました。    
 ブラウンに限らず今日の歴史学は、あらゆる人々の行為は社会、経済、政治、思想からの影響を受けていると考えるといいます。また、知識社会学や構築主義の視座においても、すべての社会的現象は、その世界を生きる人々によって構成されていると考えます。ブラウンが描いたアメリカ医療史の別の顔は、ブラウンが掘り起こした史料から明らかになった、資本主義と医療との親密さを見せてくれましたが、逆に言えばこれもまた、ブラウンという個人が、彼の集めた史料を元に、歴史学というレンズを通して見たひとつの側面に過ぎません。ですので、実際の「事実fact」、あるいは多くの人の信じている「現実reality」とまったく重なるとはいえないでしょう。それでもこの本は、今日のアメリカ医療を見てゆくとき、多くのことを教えてくれます。
 日本でも、医療の歴史を振り返り、為政者や権威者の書いた医療の「正史」とは異なる歴史について、社会的・経済的・思想的に分析する貴重な仕事が、例えば藤野豊や川上武らによってなされていますが、私自身もっと勉強してみたいと思いました。


追記

 まったくの余談ですが、20世紀初頭のロックフェラー財団のフレデリック・ゲイツのアメリカ医療のコントロール戦略は巧みで、医療における資本主義の勝利という成果を挙げてきましたが、21世紀初頭のマイクロソフトのビル・ゲイツは、自らの名を冠した財団を立ち上げて、世界の保健医療のために莫大な資金を投じています。財団資産は2008年の時点で350億ドルあまり(3兆5千万円)とか。そこで今、世界中の公衆衛生の専門家たちが、この資金を得るために躍起になっています。ハーバード・スカラーたちもご多分に漏れず、資金獲得合戦に参入しています。
 ロックフェラーが石油、カーネギーが鉄鋼の分野で富を得るためには、健康な頑丈なアメリカ人労働者が必要でした。ITで富を得るゲイツが必要なのは、健康でコンピューターを買えるお金と利用できる頭のある世界の人々ということなのでしょうか。ゲイツ財団の意図と効果は、後に歴史としてどのように評価されるのか、非常に興味深いところであります。


<参考文献>
・Brown, Richard, 1979, Rockefeller Medicine Man: Medicine and Capitalism in America, Berkeley, CA, University of California Press.
・Starr, Paul, 1982, The Social Transformation of American Medicine, New York, Basic Books.
・Rothman, David, 1991,Stranger at the Bedside: A History How Law and Bioethics Transformed Medical Decision Making, New York, Basic Books.=酒井忠昭監訳『医療倫理の夜明け』晶文社
・川上武、1973、医療と福祉:現代資本主義と人間、東京、勁草書房
・川上武 2002、戦後日本病人史、農村漁村文化協会
・藤野豊 2003、厚生省の誕生:医療はファシズムをいかに推進したか、京都、かもがわ出版

新型インフルエンザ雑感とヘルス・リテラシー(1)

2010-01-16 21:09:06 | 健康と社会
ワクチン不足

 先日ついに新型インフルエンザの予防接種を受けてきました。今回は体験記風にその様子をお伝えするとともに、ヘルス・リテラシーという概念をご紹介しながら、雑感を記したいと思います。
 日本では新型インフルエンザのワクチンが十分にいきわたらないために混乱が生じているようですが、こちらボストンでも11月の中ごろまで、新型だけでなく季節性インフルエンザのワクチンの不足と偏在も問題になっていました。私の住んでいる地域でも、住民に対する季節性インフルエンザ無料接種サービスに予想外の大勢の人々が押しかけて、結局足りなくなって70名の人が何もしないで帰らざるを得なかったと地元紙に載っていました。
 子どもに対する新型インフルエンザの予防接種にしても、予約がすぐに取れて接種できる小児科もあれば、喘息があるなどハイリスクに認定されなければ予約も取れないような小児科もあるといったようにまちまちの対応でした。毎日あるいは一日に何度も小児科に電話をかけるお母さんも少なくなく、どこで受けられるか、受けられるところに主治医を変えたほうがいいのでは、という情報交換も盛んでした。大人に関しては、そもそも新型インフルエンザの接種対象外だったので、特に話題にもなりませんでした
 このような状況の中、12月に入ってから、子どもたちが学校からもらってきた町からのお知らせで、地域に住む幼稚園から高校までの子ども(大体5歳から18歳)と6ヶ月以上で学齢期に達していない幼児を対象に、学校で放課後集団接種をするということを知りました。ワクチン接種はもちろん無料でです。ニューヨーク市やボストン市などでは既にこうした無料ワクチン接種が始まっていたので、やっと受けられるようになったと、5歳と11歳の子どもたちを連れ、近くの小学校に行ってきました。さて学校に到着すると、「お母さんもどうぞ」ということになり、思いがけず私まで一緒にワクチン接種を受けることになりました。12月17日のことでした。


集団接種の流れ

 まずは、問診票を書くようにと言われ、学校の入り口からすぐのところにある机と椅子が並べられている体育館に案内されました。3人分書かなくてはいけないので、多少時間がかかりましたが、子どもたちは体育館に用意されたお菓子(クッキーやポップコーンなど)を食べたり飲み物を飲んだりして、おとなしく待っていました。また、問診票の記入に関して質問を受ける係りの人も数人、体育館の中を巡回していて、適宜アドヴァイスをしていました。
 接種会場は体育館の先のほうにあるカフェテリアでした。そこでも机がずらっと並んでいて、18人の看護師たちが手際よく接種をしていました。私たちは3人とも鼻にシュッとワクチンをスプレーする方式だったので、あっという間に終わりましたが、2歳以下は不活化ワクチンのため注射なので、泣き叫ぶ声もところどころで聞こえていました。
 接種が終わると、ロット番号などが書かれたシールが貼ってあるカードを渡されました。そして、10歳以下は2回目のワクチンを受ける必要があるので、ボストン健康局のホームページで開催場所をチェックして、28日後に受けるようにと言われました。
 接種時間が午後3時から5時までとあったので、きっと大混雑して待たされるのではないかと思いながら会場に行ったのですが、係りの人の誘導に従っているうちにスムーズに終了したので、ほっとすると共に少し驚きました。


マサチューセッツ州の全員接種ポリシー

 今回、ワクチン接種の対象となっていない大人も、会場に着たら受けられることになったので、日本の優先順位によって厳しく接種できる人とできない人が区別されることと比べて、なんともおおらかで気前の良い集団予防接種だなと思いました。
 ところが家に帰って、時間がなくて読んでいなかった前日(12月16日)の新聞に何気なく目を通していると、マサチューセッツ州ではすべての住民に予防接種をすることを決めた、という記事に出くわしました。なにも、気前がいいから会場に来た人全員にワクチン接種をしたのではなく、州健康当局の決定で、全員接種ということになったからだったのでした。
 その背景には、全国的なワクチン供給の充実がありました。アメリカ連邦政府は、2億5000万回分の新型インフルエンザ・ワクチンの購入契約をしており、12月14日までにすでに9,300万回分が製造されました。ワクチン製造時間は劇的に短縮されていて、最近の一週間では2,000万回分が作られるようになっているとのことです。そこで、マサチューセッツは連邦政府から200万回分以上のワクチンを受け取り、さらに150万追加されるとのことになったのです。このような状況から、州民全員接種ポリシーとなったのでした。


熱が出たらどうするか?

 ところで、12月の初め、ボストン近郊に住む子どもたちのための週末の日本語学校で、お母さんたちと話をする機会がありました。やはり、新型インフルエンザの予防接種は、受けたいけれど、なかなか予約が取れないということを多くの方が嘆いていらっしゃいました。
そこで、お母さんたちにお子さんの熱が出たらどうするかということを聞きました。すると何人ものお母さんたちが、日本にいる頃は熱があったらすぐにお医者さんのところに行ったけれど、こっち(ボストン)では熱があるなら来ないでといわれるから、2,3日様子を見ることにして、たいていその頃には治っている、と言っていました。また、医者にかかると高いし、どうせ薬は薬局に行って買わなくてはいけないから、日本にいたときほど行かなくなったとも言っていました。私も自分の経験からまったく同感です。
 アメリカではよほどの救急の場合を除いて、まずはかかりつけ医(ホーム・ドクター)の診察が必要です。かかりつけ医もいつでもいける訳ではなく、予約が必要です。高い熱があるということで見てくれる医師もいれば、タイレノール(非常に良く使われている市販解熱薬)を飲んで明日まで様子を見て、それでも良くならないようだったら来るようにと言う医師もいます。
 MRIC臨時Vol. 405「『新型インフルエンザ難民』が街中にあふれる日」で、木村知氏は、熱が出たり風邪の症状を感じた患者は、最寄の診療所に行き、その診療所が休んでいたり受付を制限したりしていた場合は、開いている診療所や病院を探し求め、たとえ何時間待ちになろうとも診察してもらうまで待ち続けるだろう、と書いていらっしゃいました。おそらく日本ではそのとおりだと思い、アメリカの人々との違いを感じました。
 熱がある、インフルエンザかもしれないというだけで、遠くの医療機関を訪ね、何時間も待つというようなことは、待っている人にとっても医療者にとっても、大変なことだと思います。

新型インフルエンザ雑感とヘルス・リテラシー(2)

2010-01-16 21:06:12 | 健康と社会
ヘルス・リテラシー

 新型インフルエンザは、日本ではたしかにパニックといえるような事態を引き起こしているようです。しかし、パニックに陥いらないよう人々の受診行動を制御することは不可能なのでしょうか。
 こうした健康に関する人々のパニックを防ぐためのひとつの手段として、「ヘルス・リテラシー」ということが注目されます。ヘルス・リテラシーというのは、一般の人々が健康に関する情報を収集、理解、利用したりする能力と共に、専門家の人々が一般の人に健康に関する情報を分かりやすく適切に伝える能力を意味する概念です。健康増進(ヘルス・プロモーション)の分野で使用されるようになった比較的新しい概念で、医学的観点からだけでなく社会的環境や個人の行動やライフ・スタイルといった側面から健康を捉えようとしています。
 ここでは、一般の人と専門家の良好で良質なコミュニケーションがヘルス・リテラシーを高める重要な方法と考えられています。熱があっても無理に医療機関に来ないで自宅で休養する、どんな症状の時には必ず受診すべき、といった基本的な健康に関する専門的知識を医療専門職と一般の人が共有し、互いの心配や不安が取り除かれるような双方向の情報交換が必要とされます。
 ヘルス・リテラシーという概念は、途上国の保健援助でもしばしば話題になります。特に、健康に関する情報が圧倒的に少ないため、伝染病等で多くの乳幼児が亡くなっている国々では、親へのヘルス・リテラシー教育が重要な援助手段となっています。マラリア蔓延地域では、その地域に住むお母さんたちを集めて、蚊に刺されないように蚊帳を使う、裸足で外を歩かせない、下痢のときは食塩を少し入れた水分を飲ませる、どんな状態なら家で様子を見てどんな状態なら医療機関に行かなくてはならない、といった情報をパブリック・ヘルスワーカーたちが伝えています。
 新型インフルエンザでパニック状態にある日本でも、医療者と一般の人々が共にヘルス・リテラシーを高めてゆくことが必要なのではないかと思います。すなわち、医療者は患者が医療機関を求めて放浪した挙句、何時間も待って消耗することが余計体に悪いことを人々に納得いくように知らせ、一般の人々も正確で適切な最新の情報を得るように努めるのです。
このように、医療者と一般の人々が健康に対する情報に精通し、過剰な不安を避けて、必要で正当な要求を表明することによって、行政の健康に関する適正な制度を引き出すこともできるのではないかと思われます。


それぞれの課題

 マサチューセッツ州では、全員に新型インフルエンザのワクチンが行き渡るようになったので問題解決かと思いきや、どうやらそうではないらしいのです。ボストン公衆衛生委員会エグゼクティブ・ディレクターのバーバラ・フェラー氏はこのように言います。
 「この3ヶ月の間、私たちは人々に、ワクチンをもう少し待ってください、いつか受けられますから、と対応するのに必死でした。しかし全員接種が可能になった今、クリスマスや年末を迎えて人々は、本当に今は忙しいんだ、予防接種したからって一体何かいいことあるのかい、などと言っているのです。」
 誰でもワクチンを無料で受けられるのに関心を持たなくなったアメリカ人、ワクチン不足や発熱に対して心配しすぎる日本人、どこの国もそれぞれの問題を抱えているようです。
 このような問題に対応するためにも、ヘルス・リテラシーということを真剣に考え、向上に向けた働きかけをしてゆくことが重要だと思います。


参考
・The Boston Globe, Wednesday, December 16, 2009, B1 and B15.
・http://www.health.gov/communication/literacy/quickguide/factsbasic.htm


国家と市民社会、そして健康(1)

2010-01-16 21:02:27 | 健康と社会
あなた方の力

 11月7日の深夜11時15分に、アメリカ下院がヘルスケア改革関連法案を賛成多数で可決させた数時間後、オバマ大統領から支援団体「オーガナイジング・フォー・アメリカ」の会員に向けて一通のメイルが届きました。
 「これ(法案可決)は歴史的なことです。しかしあなた方支援者は、今夜の歴史の目撃者というだけではありません。あなた方がそれを成し遂げたのです。(中略)あなた方は立ち上がった。あなた方は声を上げた。そして、その声が聞き届けられたのです。」
 オバマ大統領はこのように書いて、この法案可決は下院議員や大統領の力によってではなく、彼が「あなた方」と呼びかけた市民の力によってなされたのだということを強調しました。
 このことは、市民社会が国家のあり方に対して決定権を行使したことと言い換えられ、確かにまれに見る偉業であると理解できます。


国家と市民社会

 国家(State)と市民社会(Civil Society)。一見するとなんとなく似ているように思われるものですが、社会学において両者はまったく別のもの、それどころか対立する概念と考えられています。
 まず国家のほうですが、例えばマックス・ウェーバーによれば国家とは、警察や軍隊などの暴力装置を正当的(合法的)に独占し、官僚や議員など統治組織の維持そのものを職業とする専門家によって構成されている、領土や人民を統治支配する政治的共同体と捉えられます。日本においては、行政機関(各官庁)、行政機関(国会)、司法機関(裁判所)などが国家を成立させる組織であるといえます。
 これに対して市民社会というのは、国家や市場や家族とは区別される、自発的な市民からなる組織集団のことです。ユルゲン・ハバーマスは、人間の生活の中で他者や社会と相互に係わり合いを持つ時間や空間、制度的空間と私的空間の間に介在する領域を公共圏と概念化しましたが、市民社会は公共圏に位置しているといえます。例えば市民組織、地域組織、社会運動、慈善団体、NPO/NGO、互助集団などといった組織集団は、市民社会を形成している要素だといえます。
 さて、国家と市民社会の関係ですが、一般に国家は統治組織として市民社会を抑圧して支配しようとするし、市民社会のほうは支配から逃れて自由な公共空間を確保しようとします。それゆえ、両者は緊張した関係にあると考えられています。
 ただ、こうした緊張関係の中でこそ、そこに住む人々の暮らしや健康が守られるという仕組みになっていることも指摘されています。国家は制度を制定し運営することで、人々の安全を保障しようとします。しかしその制度が人々の実情にあっていないような時、市民社会は異議申し立てをして制度の撤廃や変更、新制度の制定を迫ります。こうした市民社会の異議申し立ては、国家に制度を変革させることもあるし、国家が制度を堅持することもあります。その可否は、その国における国家の市民社会のあり方、その他諸々の条件によって変わってきます。
 そして国家と市民社会の間に緊張関係がなく、どちらかにバランスが傾いた場合――通常は国家が強大な権力を持つことになるので、その場合――、人々の生活にはさまざまな問題が生じてきます。以下では、特に健康という視点から二つの国を例にして、市民社会が脆弱で国家が巨大な権力を持つ国において、人々の健康が脅かされているという問題を見てゆきたいと思います。


「クロッシング」

 先日、「健康と人権問題研究会」というハーバード公衆衛生大学院の学生組織の主催する「クロッシング」という映画の上映会があったので、見に行ってきました。この作品は、アカデミー賞外国語映画賞部門の韓国代表作品に選ばれたもので、2009年春には日本でも公開され、「祈りの大地」という副題がついています。
 内容はというと、やむにやまれぬ事情から北朝鮮から中国に密入国せざるを得なかった、いわゆる「脱北者」の家族の物語でした。その事情とは、結核を罹った妊娠中の妻のため、北朝鮮では手に入らない薬を中国に求めに行く、というものでした。夫は中国に渡った後、脱北支援組織の手引きで韓国に行くことになります。そして韓国では、求めていた薬は無料で配られていることに愕然とします。しかし薬が手に入ったその時には、妻は既に亡くなっていたのです。
 映画では、食べ物にも事欠く貧しい庶民の生活、聖書を家に隠しておいたという理由で夜中に連行される別の一家の様子、当局に見つかった脱北者への過酷な刑罰といった描写が次々に続きます。特に、脱北者を収監する刑務所では、劣悪な環境の元での強制労働が強要され、ひとたび病気や怪我で労働できなくなると、隔離され食事も与えられなくなり、衰弱死を待つばかりとなってしまうのです。
 この映画を見ていろんな感想を持ちましたが、暴力装置をもって統治しようとする国家に対抗できる市民社会の存在が許されないところで、人々は健康に暮らすことができないのだと改めて強く思いました。そして、映画上映を通じて健康と人権について啓発活動を行っている学生組織は、市民社会の力となってゆくだろうと感じました。
 

イスラエルのアラブ人
 
 国家による抑圧が、人々の健康を蝕んでいると思わされるもうひとつの例として、イスラエルからやってきた新しい同僚の研究を紹介します。
 彼も私と同様に社会学を学問的背景として持っており、「少数者集団におけるリスクと健康格差を生む社会的メカニズム:抵抗という視点からの交通事故」というテーマで研究をしています。ここで少数者集団というのはイスラエルに住むアラブ系の人々のことで、彼らが運転者として自ら致死的な交通事故を起こす確率は、多数者であるユダヤ系イスラエル人と比較して有意に高い(約1.5倍)というのです。ちなみにこの同僚は、ユダヤ系イスラエル人です。
 イスラエルという国の中で、アラブ系の人々がスピードの出しすぎや一時停止の標識で止まらないといった重大事故につながる行動をとるのは、日頃の抑圧への抵抗からなのだと彼は分析します。国家によって定められ、取り締まられている道路交通法に従わないことが、アラブ系イスラエル人が自分のアイデンティティを承認する手段となっていて、その結果、重症を負ったり時には死に至るほど健康が蝕まれているというのです。
 周知のとおり、イスラエルはヨルダン川西岸とガザ地区を巡ってアラブ系のパレスチナと激しく対立しています。しかし、イスラエルには全人口の約20パーセントにあたるアラブ系市民がいます。市民ですから選挙権もあり、アラブ系の国会議員も選出されていますが、アラブ系に対する厳しい偏見や差別は国中のいろいろなところに見て取れるといいます。学校教育は、ユダヤ系とアラブ系では言語が異なるので高校までは分かれており、大学で統一されますが、アラブ系の大学進学率は低く、就職においても不利で、収入は低いということです。
 ただし、こうした状況を改善しようとするユダヤ系イスラエル人も少なからずいるとの話も彼から聞きました。ユダヤ系と比べてアラブ系の出生率が高いので、将来的には国民の人口構造が変わるということもひとつの理由なのかもしれませんが、歴史的に見ても、この地に住むアラブ系とユダヤ人は共存共栄を目指していたということです。同僚の弁によると、極右が牛耳っているイスラエル国家は入植を続けていますが、85パーセントのイスラエルの市民は、西岸とガザはパレスチナに引き渡すことにして問題の平和的解決を望んでいるといいます。しかも、地理的に離れた西岸とガザは地下トンネルか橋で結んで、パレスチナの人々が容易に行き来できるようにすればよいとも言われているとのことです。
 しかし現実にはイスラエル国家による抑圧は続き、アラブ系イスラエル人の致死的事故が高い確率で生じています。このことも、強大な国家に対して市民社会が脆弱なとき、人々の健康が脅かされることを示しています。それでもユダヤ系イスラエル人の彼が、これを問題化して、アラブ系イスラエル人が抑圧を感じないような社会を作ることに貢献しようとしている姿は、イスラエルにおける市民社会に希望を感じさせてくれます。