難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

歌声喫茶 歌うのは楽しい!

2022年07月29日 | これ何?
歌声喫茶 歌うのは楽しい!

          初稿 平成30年12月28日

         追悼記 令和 3年 2月 6日

         終了記 令和 3年 4月20日

 4月20日 大阪歌声喫茶「ピープルズ」に
 行ってきました。


 スナックは開いていましたが、歌声喫茶の看板は、
 無くなっていました。



 このブログをご覧頂いている、歌うのが大好きな
 皆さん、悲しい連絡が、円広志 似さんから入りました。

 大阪歌声喫茶「ピープルズ」のオーナーでピアニストの
 大北整子さんが、2月4日に、亡くなられました。

 心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

大阪歌声喫茶「ピープルズ」
 大北整子さんは、このブログに紹介していますので、
ご覧ください。
 今、日本中、世界中を襲っている、コロナの為に、
「ピープルズ」を休業して、家に引き込まれておられた
そうです。

 コロナめー
「ピープルズ」の継続を心配されておられたそうです。

 またお話できることがありましたら、このブログで、
 お知らせしたいと思います。






 歴史好きの方は。
「歌声喫茶で エッ?壬申の乱に。」

 進んでくだされば、面白い展開を楽しんでもらえます。




今の大阪にある数少ない 大阪歌声喫茶「ピープルズ」



 私のような、団塊世代(太平洋戦争終戦後に、戦地から帰国
した、復員兵によって、もたらされた第一次ベービーブーム
世代)や、その少し前の、子供の時に惨めな敗戦
体験した、純真な気持ちで政治闘争に明け暮れた、
血の気の多い兄ちゃんや姉ちゃん達が、気持ちの憩いを
求めて通った、心の癒しの場所。その中の一つが、
歌声喫茶でした。

 私が青春を過ごした大阪地区では、代表的なのは大阪梅田の
歌声喫茶「こだま」、東京地方では、
私は行ったことがないのですが、歌声喫茶「ともしび」
よく若者が集う代表的なお店だったと聞いています。
 大阪梅田の「こだま」では、小さなコンサート場のような
作りで、客席が2階作りになっていて、200人ぐらいは
入れたと記憶しています。
 真ん中のステージで、ピアノやギターが奏でられ、よく喋る
司会者が入場者をリードしてくれていました。
 会場に入るときに、入場料を払うと、手渡してくれる、小さな
歌集を見ながら、誰もが知っていて、口ずさめる歌を、みんなが
大きな声で合唱をする流れでした。
今のように、歌いたかったら、カラオケが何処にでもある、
気楽な時代とは違って、好きな曲を、町中で大きな声で歌え
なかった時代です。
町中で、歌の好きな若者にとって、楽しく歌える数少ない、
憩いの場所でした。

 私と、歌声喫茶の出会いは、中学時代、私のクラスの担任で、
真面目で、教育に熱心で、日教組に入っておられた、
社会科の清水先生が、社会勉強になるだろうと、クラスの
仲間3人と、一緒に大阪市梅田の「こだま」
連れて行って貰えたのが、初めてでした。
 歌が大好きな私に取って、まさに天国に連れて行って貰えた
ような、とても楽しい記憶が今でも甦ります。
 それからは、高校時代、大学時代は時々(小遣いが少な
かったので) 就職してから、少ない小遣いから工面し、
職場の憂さを晴らしに、職場の仲間と一緒に連れ立って、
大声を出しに歌いに行きました。

 この文章を書きながら、その当時の夜の町の光景が甦って
きました。
 歌声喫茶「こだま」で2時間ほど声を枯らして歌い、
その後は、当時の、懐が有り余っていない、若い初任給
3万円位のサラリーマンの、夜の定石が待っていました。

 懐の寂しい若者が、通える安いカウンタースナック、
大阪地区の梅田では、飲み屋街の、阪急東通商店街
にあった、少し大きなカウンタースナックの「コンパ」で
職場の憂さを語り合ったものでした。

 歌声喫茶が懐かしくなり、久しぶりに(40年以上ぶりに)
大阪梅田の「こだま」を訪ねてみました。
 歌声喫茶「こだま」は何処にあったのか?
影も形も無くなっており、後で聞いた話では、高速道路が
(新御堂筋)通る工事の時、取り壊されてしまったそうです。
 スナックの「コンパ」は、ビルは残っていたのですが、
店の看板が見あたりませんでした。
 私は青春時代、夢幻(ゆめまぼろし)を見ていたので
しょうか?
私にとっては、とても懐かしく楽しい思い出なのですが。

 せめて、楽しく大きな声で歌える、歌声喫茶は無いの
かなーと、今風に、スマホのGoogleで検索してみましたら。 

歌声喫茶「ピープルズ」がヒットし、
そこのオーナーが、「こだま」でなんとピアノを弾いていた、
あの美人らしいのです。
「・・・・・・?」
「えーと、?? 記憶が少し怪しいのですが。」



今の数少ない 大阪歌声喫茶「ピープルズ」
 大阪市西区京町堀 曜日 木 土 日 06-6448-6764
  木曜日;毎週 午後2時 〜 午後4時まで。
  土曜日;毎週 午後6時 〜 午後9時まで。
  日曜日;毎月最終日曜日 午後1時 〜 午後4時まで。
  その他、各地へ出張開催予定あり。
  ホームページ大阪歌声喫茶「ピープルズ」で確認して
  見て下さい。
  出張開催地では、100人を超える参加者も沢山
  あるそうです。




 上の、歌声喫茶「ピープルズ」が目に入りました。
そのブログを開くと、

”昭和30年~50年代、
 若者達が燃えたあの感動を伝えたい。”

 このキャッチコピーに心を揺さぶれてしまいました。
「大阪梅田地区からそれほど遠くないし、一回覗いてみるか。」
とブログのスケジュールに、木曜日は午後2時からと書かれて
いましたので、
梅田から、地下鉄 四つ橋線に乗り、一つめの肥後橋で降り、
ブログの地図を頼りに、のんびりと歩いて行きました。

 その店のある場所は、ビジネス会社の立ち並ぶビル街で、
その付近で働いて居られる会社員が、昼や夜に食事や、
一杯ひっかける雰囲気の店が並んでいました。
 その店の風情は私が現役時代、よく同僚と会社帰り時間を
つぶした、馴染みのスナックを思い出しました。
「えっ、ここ?」
 歌声喫茶「こだま」(200人収容)を頭の中に描いていた
私は一瞬戸惑って入るのを躊躇してしまいました。


 店の前に、歌声喫茶「ピープルズ」の小さい看板があり、間違い無さそう?
だけど、店の前の道路に、椅子がたくさん出されており??

 店の前で、タムロされていた人達をかき分け、中に
入ってみました。


 中の広さはやはり、「こだま」の10分の1 ほどの広さで、
20人から、30人ぐらいが入れるのが、やっとかな?
 奥に長いカウンタのスナックで、その椅子が大きいので、
表に放り出して、代わりに小さい折り畳み式の椅子と、
小さいテーブルを並べて、出来るだけ沢山の人に座って
貰えるように、工夫されていました。

 店の中には、会を仕切って居られる、歌手の円広志さんに
よく似たオジさんが。

「あっ、初めての方ですか?」
「会費は、千円ですので、その紙の箱に入れてください。
 飲み物は、持ち寄りですので、
 近所の自販機で購入してください。」

 早速、会費を預けて、一旦外へ出て、近所の自販機で、
オレンジジュースを買って、店へ戻りました。
 店に戻ると、歌の本を2種類渡してもらえ、隣の席の女性と
膝をつきあわす近さで、座って待っていると、開始時間の、
午後2時になり、さっき入り口に居られた、別の楽しそうな
オジサンが、皆をリードして、歌声喫茶が始まりました。
 それから午後4時まで、「こだま」と同じテンポと雰囲気で、
沢山の懐かしい歌を、ピアノの演奏とともに歌い続けました。
 歌った曲の種類も、なんと懐かしいことに、あの時代の、
労働歌、ロシア民謡、それが終わって、参加者のリクエストで、
懐かしい私の青春時代の曲を、思い切り大きな声で、
歌い続けました。
「あーすっきりした、気持ちいい!」
 午後4時前の終了まじかになって、リーダーの合図で、
お互いの隣の人と、立ち上がって、手を取って、歌うという
フィナーレまで用意されていました。
 合唱が終わり、スマホのトピックで、私が利用している、
阪急電車が、「人身事故で運休しています。」と出て
いましたので、「早く帰らなくちゃー。」
と、店を出ようとしたのですが、他のお客さんから、
「この後、ミーティングが在るんですよ。
 是非参加してください。」
と、
呼び止められたのですが、
「阪急が止まっているようで、心配ですので、
 今日はお先に帰らせてもらいます。」

と、言って店を後にしました。

 心配した阪急電車は、30分ぐらいの遅れで、
家に帰れました。
 家に帰ってから、「ミーティングが在るんですよ。」
の言葉が気になりだし、
来週は、「その後のミーティングにも参加してみようか?」
と決めていました。

 実は翌週のそのミーティングで、私の大好きな 古代史
大化の改新の「壬申の乱」
に遭遇するのです。
そして、都会育ちの私にとって今まで思ってもいなかった、
経験したことすらない、理解することすら出来ない、
重い言葉 「廃村」 に遭遇してしまいました。

 先に進みます。



 次の週の木曜日、午後2時、歌声喫茶「ピープルズ」に参加、
入場の前に、のどを潤すジュースを、近くの自販機で買って
行きました。

 午後2時になり、歌声喫茶が始まりました。
今日のリーダーは先週のよく喋るオジサンではなく、若い
(私から見て)可愛い、お姉さんがリードしてくれました。
 歌った曲は、オジサンの時とは少し違っていました。
この日も、懐かしい曲を、思い切り歌い、午後4時まで、
楽しく過ごせました。

 合唱タイムが終わると、先週も、参加の段取りを教えて
頂きました、円広志に良く似たオジサン ➡ お似いさん
(ご本人からのご指摘がありましたので変更します。)に、
「今日は、この後のミーティングに
 参加していただけるんですか。」

と言っていただき、「是非参加させて下さい。」
とお願いしました。
「この後は、飲み物(ビール、ジュース等)、
 軽食は持ち寄りで、楽しいミーティングになるんですよ。」

 参加者がそれぞれ、千円を出し、それで代表が近所の
コンビニに、買い出しに行ってもらえました。
 買い物に行って貰っている間に、店内の模様替えをみんな
(私も含め)で、始めました。
 店の前に出していたカウンター用の背の高い椅子を取り入れ、
折り畳み式の背の低い椅子を、物入れになおし、背の高い
テーブルを、背の高い椅子で取り囲む用に何個か配置し、
テーブルの上に、紙コップと紙皿を並べてゆきました。
 そうしてる内に、買い出しに行って居られた3人が帰って
こられ、女性メンバーが、手巻き寿司や、いなり、
サンドイッチ、オカキや、ビスケットなどを取り分けて
ビールやジュースと一緒に、各テーブルに置かれました。

「すみません」、段取りの分からない私は、その間、
うろうろと、皆さんの邪魔をしていました。
 円広志 似のオジサン ➡ お兄さん(お似さん)が、
「それじゃーテーブルに付いて下さい。」
の合図で、私も邪魔にならない奥の席に座らせて貰いました。

 この日の参加者十人余りが席について、円広志 お似さんの
合図で乾杯をし、午後6時までの予定で、ミーティングが
始まりました。

 もしかしての予感通り、円広志 お似さんから
「先週から参加していただいた、新人さん、自己紹介を。」

「初めまして、私は学生時代、コーラス部に入るほどの
 歌好きで、梅田の歌声喫茶「こだま」に
 よく行っていました。」
「ブログで調べて、「ピープルズ」を知り、
 参加させていただきました。」
「大きな声で思い切り歌えてとても楽しいです。」
「ちなみに、定年後は趣味の日本古代史にはまり、
 のんびり遺跡を探索しています。」

 右隣に座って居られた、オジサンから
「日本史のテーマーは在るんですか?」

「大化の改新を中心に探索しています。」

 これから、想像すらしていなかった、
 壬申の乱に入ってゆきます。

「コーラス部は、大学でもですか。」

「ハイ、中学高校はコーラス部に、
 大学はグリークラブでした。」

「天武天皇と近江朝が戦った時に.....。」
「えっ! 壬申の乱ですか?」

「パートは何処だったんですか?」
「歌声を聞いてたら、テナーに決まってるやん。」
「はい!ご想像通り、セカンドテナーでした。」

「私の村のご先祖達が、その戦いに参加したらしいのです。」
「えっ! 壬申の乱に参戦したんですか?」
「近隣の村と一緒に、部族グループで
 参戦したと聞いているんです。」

「大学では四年間グリークラブだったんですか?」
「いえ、残念ながら1年生の終わりに、
 家庭の経済状態が激変しまして、2年生からはアルバイトで、
 学費を稼がなくてはならなくなり、1年生でやめました。」

「壬申の乱に参戦した、部族などの詳細は判るんですかねえ?」
「現存する、日本の最古の歴史書の日本書紀に、
 この壬申の乱は、詳しく書かれていますので、
 もしかしたら、あなたの部族の事も
 記載されている、かもしれませんねえ。」

 この辺りから、会話のグループが、三つ程になり、
それぞれ大きな声で談笑しだし、店の大半は、歌声喫茶に来て、
「何の話してんねんや?」
と少し浮いたような、雰囲気に成っていたのですが。

 この先は、私の好きな古代史になりますので、切り替え、
歌声喫茶に絞って話を進めたいと思います。



 歴史好きの方は。
「歌声喫茶で エッ?壬申の乱に。」

 進んでくだされば、面白い展開を楽しんでもらえます。



 こちらは、歌声喫茶を主体で話を進めていきます。

 歌うの大好き、好奇心は人一番、妄想大王の私。

 何回か通った、「ピープルズ」の木曜日お昼二時コースは、
十分楽しのですが、「ピープルズ」の土曜日夜の、6時から
コースはどうなんだろうと思い、4月13日に探訪して
きました。
 三十分ほど前に着き、中に入りましたら、ピアニストの
店長がおられ、挨拶をしましたら、
「今日は少ないかもしれないわ。」とお聞きしました。
 この土曜日開催の、幹事さんが居られ、
「会費は、ドリンク(ビール、ノンアル、ジュース)
 1杯付きで、2千円お願いします。」

(買ってこなくていいんだ。)
 中に入り、いつもの席に座って他の歌好きを待っていました。
京都から6人組の団体が入ってこられたのを引き金に、
4人組、3人組が、次々に入ってこられ、
開始の午後6時までに、25人を超える大入りになりました。
(25人が少ないんだ?)
 客層は、木曜日の午後とさほど変わらず、年齢層は
少しお若い、楽しい人もおいでになりました。
 木曜日の午後の開催時、リーダーをしておられる、可愛い、
お姉さんが入ってこられたので、会釈しておきました。
 午後6時から、1時間ごとの休憩を挟み、3時間
午後9時までの合唱が始まりました。

 リーダーさんが皆をリードして、軽快に会を進めて
いかれました。
 そのトークに私は思わず、コーラス喫茶「こだま」
思い出してしまいました。
 軽いトーク、長い解説、皆を引っ張る話術のうまさ。
将に、40年以上前の歌声喫茶「こだま」でした。
そしてもっと驚いたのは、それに答える入場者の面白い返答の
速さ、自信の有る声の大きさでした。
(これは「こだま」には、なかったよな、
 年齢を重ねた自信かな?
 それとも、アルコールが入っているからか?)

 もう一つ不思議に感じたのは、リクエストされる曲の
種類なのです。
 木曜日の午後の部で、リクエストされるのは、懐かしい曲や、
歌いやすい曲が多く、私もよく知っている曲が多かったの
ですが、土曜日のコースは、私の知らない、外国の曲や、
古い聞き及びのない曲が、リクエストされるのです。
 そういえば昔、先生や先輩に連れられて、行った時の
歌声喫茶「こだま」で、歌われていた曲だと
気が付きました。(50年以上前の曲だ!)

 ここから少し話題の方向性が変わってきます。
 ご覧頂いておられる、読者さんと違う方向へ、話が飛んで
ゆきそうです。
それは違うだろうと思われましたなら、先に謝っておきます。
「妄想です、すみません!」

 歌が大好きな、私の心に、ある闇が漂い、ある事に気づき、
そのある事を、このブログで、「ツブヤクように!」
迫ってきたのです。

 古い懐かしい曲を、来られている皆さんと、歌うのは
楽しいのですが、
「今の新しい曲も、大きな声で歌いたいよな。」
と思ったのです。

 会場に入る時に貸して頂く、2冊の歌集には、不思議な
ことに、新しい曲が見当たらないのです。
 なぜだろうと? ワケを妄想してみました。

1. 新しい曲の要望がない。
2. この歌声喫茶「ピープルズ」に必要ない。
3. 何を選べばいいかを、決めるのが難しい。
4. 難しい、難しい、著作権の問題がある。
5. 参加者の年齢層が、高齢のため、歌えない。

1.の新しい曲の要望はあり、要望が多い曲は、追加されて
 いっています。

2.の新しい曲が必要ないと思っておられる、客は一人も
 居ないと確信しています。

3.決めるのが難しい、というのは、個人の思いの違いが
 あり、十分考えられます。

4.著作権云々は、私の思考範囲外です。

5.高齢のためという意見は、50年以上前の、歌声喫茶
 「こだま」の参加者の中には、若い私のように
 チャラチャラしていた客に混じり、明らかに
 60歳を超えた、参加者も沢山居られたことを、
 思い出します。
 その時、司会者が、
 「そこの先輩方のグループは、大きな声で、いい声を
 出して頂けて有難うございます。」

 と言って居られたのを、思い出しました。

 新しい曲で、皆で歌えるなにかいい曲があるの?

 あります! 実はここまで引っ張ってきたのは、最近、
文庫本を買い、ビデオCDまで買ってしまい、その中で
歌われている曲が、とても気に入ってしまったからです。
    (^O^)
 それは、青春(中学3年生)映画「くちびるに歌を」の中の
テーマ曲 「手紙 拝啓 15の君へ」です。
 曲は アンジェラ・アキの2008年作で、映画化は、
2015年です。
 出演は、助演女優で、ガッキー新垣結衣が、音楽教室の
臨時講師で、鮮やかなピアノ演奏を繰り広げます。
 主演の、中学3年生男女を、この映画のために採用した
新人が努めています。

 是非一度ご覧いただきますように。
 ご覧になった方は皆きっと、15歳の時の自分に、
手紙を書こうと、思われるはずです。

 私は、15歳の自分に。
「辛いだろうけれど、我慢しろよ。
 死にたいと、思うこともあるだろうけれど、流していこう。」
「◯◯子には、手を出すなよ、エライ目に合うぞ!」
(先に分かっていたらなあー。)
「あっ、英語だけは、もう少し真面目に、勉強しろよ。」 
(もう、とっくに手遅れか!!)

 歌うの大好きな、私達年齢者の50年の歴史は、どうだったのかと?
私の記憶を元に、思い返してみました。
 ◎ 多少の思い違いなどが、あると思います。

 将に、高度成長期の日本の社会に身をまかせ、立ち止まって
自分を見返す暇などは与えられず、わずかに会社帰りに
同僚と、カラオケのあるスナックで、順番待ちをして、
マイクを握り、演歌を歌うのが気晴らしでした。

 カラオケも、最初の頃は、少し高級で大きめのスナックで、
(勘定が高い。)ミュージックボックスと言われる、
装置が設置されだして、選曲をすれば、その中に入って
いる、小さなレコードを自動で引っ張り出してきて、
曲がかかるという装置で、当然レコードの数は少なく、
歌いたい曲を決めるのが一苦労でした。

 その次は、レコードの変わりに、カセットテープが使える
装置が普及しだし、歌いたい曲があるときは、テープを自分で
買ってきて、それで歌うというマニアも出だし、そんなテープが
買えるような、小遣いの無い私は、寂しい思いをしたもの
でした。

 その内に、飲み屋街を中心に、電話線とは別に有線放送が
普及しだし、関西では、大阪有線放送(現在JCOM)が
有名ですよね。
 そこの会社に、スナックのママから、電話でリクエスト
してもらい、流れてくるカラオケ曲で歌うという、
リクエストした曲が流れるまでが待ち遠しいシステム
でした。

平成最後の日 入力
 この有線放送システムは、どんどん進化し、子機から、
簡単に曲をリクエストできるようになり、スナックでは
たいてい、設置されるようになっていきました。
 この辺りから、飲み屋に行って歌っていた、歌が大好きな
人をターゲットに、この有線放送システムを利用して、
カラオケ専門の店が出来始め、あっという間に繁華街に
溢れました。

 平成最後の日に、このブログを入力しながら、昔のことを
思い返しています。

 そういえば、新入社員時代、同僚と繁華街の飲み屋に行って、
上司の悪口を言い合って、うさを晴らしている時、その店へ、
アコーデオンや、ギターを抱えた「流し」と言われていた、
人が来て、「一曲いかがですか、どんな歌も伴奏しますよ。」
言って、店を一軒一軒、覗いていたものでした。
「あー、懐かしいなー、もう今は「流し」は居ないのかなー。」

 そう言えば、私も皆と一緒に、声を合わせて何度か
アコーデオンで、歌ったことがあリました。
皆のテンポに合わせて、上手に伴奏してもらえたのを
思い出します。

 いろいろな光景を思い出しながら、私が歌を気持ちよく
歌っているのは、そこに居る皆と、声を合わせて
歌っているときが、一番気持ちが良かったことを、
はっきり分かりました。
 「そうかそれで、歌声喫茶に行き着いてしまったのか!!」

 皆さんはどうですか?

令和最初の日 入力

 歌が好きで、よく飲み屋のカラオケを利用する人は
多いでしょ。自分がリクエストした曲が流れ始め、
マイクを探して、歌い出し、マイクだから、余り大きな
声を出せないで、セーブして歌い出すと、隣の席や
あちこちで、この次は何を歌おうと、歌集をめくり始め、
その音や、決めた曲の番号を、スナックのママに、
流れている曲が邪魔で、つい大きな声で伝えるのが
耳障りになり、
「静かに俺の歌を聞け!」と言いたいのを我慢して、
つい心が籠もらず、歌い終えてしまったことが、
在りませんでしたか?

 今のカラオケは、店の大きなスクリーンに、歌詞と
関連させた画面が流れ、それを見ながら歌うのは
楽しいのですが、でも自分が歌っているこの曲には
自分だけの思い出の場面があり、歌っている心が、喜んで
いないと思うことがあるのですよね。

 贅沢かもしれないのですが、私はその場、そのフロアーで、
一つの曲が広がり、色々な人のハーモニーが、一緒になって
膨らんでゆく、そんな歌を歌いたいのです。

 皆さん、そんな歌が歌えるのは、今は辛うじて、
歌声喫茶です。
 歌の好きな若い人、お兄さん、お姉さん、そしてオッチャン、
オバチャン。

 一度来てみて下さい。😋

 楽しい、円広志 お似さん(ボランティア 木曜日のみ)が、
面白く案内してくれますよ。(๑´•.̫ • `๑)

{追記}

 真意は定かではないのですが?
円広志 お兄さんが言われることなのですが、
「私のご先祖は、大津の皇子なんですよ。」!!??
 歴史好きの方も一度お越しください。



 平成30年11月13日(火曜日)読売新聞 夕刊 関西版に
大阪歌声喫茶「ピープルズ」 が紹介されました。





◎ 古代史 のんびり散歩 
   
スタートページ です。
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◎ 目次ページ
   
(創作順表示)

◎ 「難波宮ッテ?」
  古代史感のすれ違い

   
メイン ブログです。



 すみません。私は、理系出身で物を知らないド素人の定年組みです。記載内容に、非常識な内容、不快な表現等があるかと思いますが、何卒ご容赦いただきますようお願い申し上げます。ご指摘頂けましたなら、早急に訂正変更いたしますので、ご指摘、ご指導お願いします。 記載内容に多少の大袈裟や、特に会話記載に省略や脚色を加えております。老人の戯言と、ご容赦下さいね。






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