難波宮って? 古代史のんびり散歩

時間だけは、タップリある定年団塊世代が、ズート気になっていた
古代日本史を素人の感性でゆっくり探訪します。

地元 の「あれ何?」 探索

2018年04月10日 | これ何?
地元 「あれ何?」って、皆さんもあるでしょ。

 私の地元で、北側の山の頂上付近に、ポツンといつも見える。
白いドーム。


 ネット検索で調べても、もう一つ納得できません。
これは行ってみなくては、探索を決意(ちょっと大げさ)

 場所は、新興住宅街の坂道を登りつめた所です。
前日に、愛車のホンダLIFEで下見をしたのですが、止めることができる
場所を見つけることが出来ませんでしたので、川西駅近くの、駐車場に駐め、
徒歩での散策を、携帯のGoogle Mapのナビを頼りに始めました。


 ナビの徒歩予測時間は、入口(?)まで20分、でもその途中には急な坂道、
 急な階段が続き、私は、30分以上掛かってしまいました。
上り詰めた坂の上に、古い神社のような石垣がつらなり、古い石灯籠もありました。
石垣に沿って、右に折れていきましたら、


 正面の入り口と想像でき箇所があり、その中には上に登って行ける幅の広い
階段がありました。
その入口には、進入禁止などの表示はありませんでした。
入り口も階段も、よく手入れされているように見えましたので、
「入っていいだろう。駄目だったら、謝ろう。」と決めて、階段を登りました。


 階段の正面に、石の標柱があり、
「釣鐘山慈光林 
     感謝道」
と彫られていました。
「お寺さん? 神社? 感謝道って?」


 階段の登ってゆきましたら、途中に、モニュメントが在りました。


「岩菩塚」と彫られた石碑と、何か謂れが書かれた石碑がありました。
石碑の文字は、私には読み取れませんでした。


 その先にはかなりの急な階段が、連なっていました。


 長い階段の途中に数箇所、横道(脇道?)が在り、菩薩様が祀られていました。
横道にも、ひと区画ごとに、いろいろな菩薩様の像が在り、花が添えられ、
大事にされているようでした。


 いろいろな仏像様が建てられていました。






 上り詰めた階段の先に、探していた。


 白いドームがありました。
白いドームは、フェンスに囲われて、中に近づけないようになっていました。
白いドームにゆけば、何のための物かが解ると思っていたのですが、説明は一切
見当たりませんでした。
それに、麓からどこでも見える白いドームは、逆に言えば、白いドームから、
麓が、まじまじと眺められると想像していたのですが、木立がジャマをして、
見渡すことが出来ませんでした。「がっかり!」


 空堂修復記念の灯籠が在りましたが、曰く因縁は書かれていないようでした。
白いドームは、空堂、どのように理解すればいいのでしょうか?
「謎は残ってしまった!」


 白いドームの側に、案内板がありました。
「浄心  こころきよらかに
 此の山は佛縁の霊地にて往昔より
 毎年八月十五日釣鐘火を焚きし
 浄域なれば喧騒放逸を慎まれたし
 東の登山道は懺悔坂、中央は感謝坂
 西は精進坂で此の三つの道を歩み給わば
 世上の波静にて永劫喜びを得らるべし

 「頂上 守護塔には千三百年前に行者
  入定の遺跡あり」
   釣鐘山慈光林 慈光会

 法話集「慈鐘」毎月発行
   御用の方は東麓の講堂事務所迄。


 と書かれていました。
 気になったことは二つです。
 1) 登ってきたのが、感謝坂、あと精進坂と懺悔坂が在るのか?
    やはり走破しなければ。
 2) 千三百年前といえば、大化の改新の時代
    私が一番好きな分野、見に往かねば!
    入定て誰?? 調べようじゃーないか。


 精進坂を登り、そこに法輪がありました。
 入定の遺跡って、これかな?
 案内板は見つけられませんでした。



 山友会の「釣鐘山 頂上」の標識がありました。
「ヨシッ 登りきったぞ!」





 精進坂を制覇し、分岐場所に帰ってきて、これが懺悔坂です。



 下りの懺悔坂にも横道が何か所かあり、色々な仏像、菩薩像がありました。
よく見てみると、像の裏下に収納蓋があり、もしかしたら、
骨入れかもしれません、そうだとしたら、各家のお墓かもしれません?
もしそうなら、写真を取るのは失礼になると思い、帰り道では、仏像の写真を
遠慮しました。
 麓の講堂事務所には、誰もおられないようでした。

 釣鐘山
  住所:兵庫県宝塚市花屋敷荘園2丁目




 帰る途中で、周囲を圧倒するような、お堂がありました。
ナビで見ましたら、日本山妙法寺となっていました。
共同墓地が在る所でよく見受ける、納骨堂でしょうか?


 日本山妙法寺の正面に、回って見ましたら。
 南無妙法蓮華経の標石がありました。



 私の街は、終戦後にバブル期の前から、急開発された、新興住宅地で、
昔から住まれている、地の人は、本当に少なく、又あまり交流がありません。
そのために、新興住宅地に引っ越してきた我々には、その昔、此の地が
どのような土地で、どのように発展してきたかが、皆目想像すらつきません。
 私のような歴史好きにとって、古墳(勝福寺古墳;継体天皇系列と云われる)
や、遺跡(加茂遺跡;弥生時代後期、九州からの元天皇族の東進に関連在り)
がそこかしこに在り、とても興味が在るのですが、何故か地の人は、
それを発信しようとされないと思ってしまいます。
そして地の人も、代替わりで、その歴史は闇に消えてしまうと心配するのですが。
 大きなお世話なのかもしれませんねえ。



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