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CubとSRと

ただの日記

つい噴き出してしまいましたので。

2020年05月06日 | 重箱の隅
2012.09/23 (Sun)

 この記事、つい噴き出してしまった、と言うのは、これこそ沖縄、というか、日本人の一般的な姿じゃないかと思ったからなんですが。

 昨晩(9・22)、UPされていた
 「狼魔人日記」、「国道渋滞!海兵隊祭りに県民殺到!」
 というエントリーから、部分転載します。

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 昨日所用で那覇に出た。
 筆者は「世界一危険な米軍基地」で悪名高い普天間基地のある宜野湾市に住むため、那覇に出るときは通常国道58号を南下する。

 午後4時ごろ那覇から北上する国道の浦添市の屋冨祖界隈で、時ならぬ交通渋滞を目撃した。
 そこから那覇まで北上する側の国道の渋滞は絶えることはなかった。
 那覇までの南下には渋滞がないので気にすることもなく那覇に着いた。
 そして日も暮れた午後8時過ぎ、昼間渋滞のあった屋冨祖界隈に来て、初めて渋滞の原因がわかった。進行左側に広がるキャンプ・キンザー(海兵隊基地)のお祭りが国道から見えたのだ。 

 そう、海兵隊のお祭りに参加する県民の車が交通渋滞の原因だったことに、筆者はうかつにも気がつかなかった。ライトアップしてあるので、国道から見える祭りの風景を見て、思わず「9・9似非県民大会」のことが脳裏を過った。
 あの時も会場近くを通ったが、これほどの交通渋滞はなかった。
 それに沖縄マスコミ総出で、参加者動員のキャンペーンをし、各自治体は不正の疑いのある無料バス券まで発行し「過去最大級の動員」を目論んだが、実数は約15000人程度に止まった。
 ところが昨日の「海兵隊祭り」は県内2紙はおろかほとんどのマスコミが黙殺し、県民にその開催日が知れるのを拒否している。
 にもかかわらず、例年各米軍基地で行われる祭りには何処で聞きつけるのか家族連れなど万単位の県民で賑わっている。

 沖縄2紙が報じる「島ぐるみで米軍基地に怒りを表す」といった県民の姿とはあまりに違う風景である。

        (以下略)

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 で、読んでいたらこんなのも。

 某本土紙の記者が語った次のひと言をふと想いだした。
 前泊沖国大教授が、琉球新報記者時代にこんなことを豪語していたという。
 「○○(新聞名)さんがいくら「沖縄の真実」と張り切って書いても、沖縄の世論は私たち地元紙が作るのですよ。まぁ、精々頑張って真実を書いてください」
 その言葉を投げかけたときの前泊記者の傲岸不遜な態度が今でも忘れられない、とその本土紙記者は漏らしていた。

           ☆

 ん・ん・ん?
 第二社会面に「県庁前で200人抗議」と四段抜きの見出しが踊っているが・・・
 新聞報道で200人とあれば実数は半分以下と相場が決まっているが、200人にしても新聞が大騒動する割には、少なすぎはしないか。
 抗議団は抗議の矛先を変えて普天間基地にでも雪崩れ込んだのか・・・と紙面の何処を探しても普天間基地の昨日の「出来事」は一行も報じられていない。
 実は昨日は万単位の県民が普天間基地に雪崩れ込んでいたのだ!
 とはいっても赤旗に赤鉢巻のおなじみの面々ではなく、毎年「普天間フェスタ」を楽しみにして、親子連れで普天間基地を訪問する善男善女の沖縄人のことだ。
 タイミングよく提案者さんが普天間フェスタ参加したようなので、以下に引用する。

<本日は久しぶりに羽を伸ばそうと、普天間基地で開催されていた「普天間フライトラインフェア2012」に参加。
 開場時間の10分前に到着するも、笑顔でゲートを通過させてくれました。
 さて、普天間基地は「世界一危険で近寄るのもおぞましい」飛行場であり、沖縄県民全員の総意として「県外移設」を望んでいると報道されているので、人っ子一人いないだろうと思いきや、そこには驚くほどの多くの車と人々がいました。
 カップルやマニアの数にも負けないほどの親子連れの数!数え切れない子供たちが会場に溢れていました。
 このような現実は全く報道されません。

 奥のパーラーまでは行きませんでしたが、そこまで足を伸ばせば、普段赤旗を押し立て普天間基地撤去を叫ぶ面々が子や孫を連れ、PIZZAやハンバーガーを頬張っているのを見ることが出来たのかもしれません。
 この飛行場の立地を見て思ったことがあります。
 この標高なら、万が一南西諸島近海で大きな地震が起き、巨大な津波が押し寄せようとも、飛行場としての機能は失われないのでは。
 そして広大な敷地は、万が一の際の沖縄県民の退避場所にもなり得るのではと。

 沖縄戦で傷を負ったおじい、おばあを利用して、県民感情を煽り、感情に任せた決断をし、このような場所を失ってもよいのか?
 津波が押し寄せた仙台空港、小松基地の姿を、沖縄県民は忘れたのであろうか?
 私たち自身、そして日本という国を守っている「力」があること、その「場所」がここにあることのありがたさを冷静になって、考え直すべきではないのかと思った次第。

 さて、新聞の記事のことですが、
 わが細君は、産経の記事を見て「沖縄のことなのに、沖縄で報道されないって怖い」と申しております。
 法も都合よく曲げられ、ダブルスタンダードが横行し、本土からの報道でしか大切な情報を知ることの出来ない沖縄。
 こんな沖縄を子供たちに残したいのですか?
 私は嫌です。>
 
 http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/95d0466eb9b1127a68e...

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 普段、沖縄のニュースと言えば大集会や基地の問題。
 でなければ、正反対ののんびりとした青い海と、全く働かず遊びほうけて、集合時間も守らない、でも、本当に心の優しい好い人たちばかりが住んでいる島の景色。そんなのばかりが流れてくる。

 でも、そんなのおかしいですよね。沖縄だって変な人はいる。
 あの「ハイサイおじさん」って名曲をつくった喜納昌吉が、実は色々問題のある人物で、ついでに民主党議員で、ってなこと普段はあまり考えたりしない。
 仲井真知事だって、政治に関してだけでもいくつもの顔を持っている。「太田知事に比べたらどれだけマシか」っていう言い方もできる。
 多重人格なんかじゃなくって多面性はみんな持っているわけで、本質を見る努力をせず、いとも簡単に切り捨てる、なんてのは何なんだろうと思うわけです。

 こう書いたからと言って、それは「こんないいところもあるんだから、もうちょっと様子を見よう」、なんて言ってるんじゃないんですよ。
 そんなんじゃ「注意深く見守りたい」と何ら変わることはない。
 そうじゃなくって「本質を見る努力」をしようともせず(つまり己が頭を使って考えようともせず)、マスメディアなり、ネットなりの情報だけで実にあっさりと方針転換してしまうことが怖いなあ、と思うんです。
 あれ?妙なところに話が脱線してしまいましたね。

 ところで、岩国基地での「オスプレイ試験飛行反対」のニュース。
 いつものことで随分派手にやってるようでしたが、心なしか人々が大きく映っていたな、と思っていたら、何でも集まっていたのは40人ほどだったとか。
 なるほどねぇ。大きいわけだ。
 別の情報では20人だったとも。
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「みたび、南京大屠殺」…以下のような理解で合ってます?

2020年05月06日 | 日々の暮らし
2012.09/21 (Fri)

 何を今更ですが、もう一度。「屠殺と虐殺」の確認。
 まずはWikiの転載です。

 「南京大虐殺紀念館」
 中国での正式名称は「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」。日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて南京大虐殺紀念館と呼ばれるが、本来の意味は異なる。抗日記念館の代表格として中国共産党により愛国主義教育基地に指定されている。

 「建設の経緯」
 日本からの要請と寄付 [編集]
 日本社会党委員長を務めた田辺誠は1980年代に南京市を訪れた際、当館を建設するよう求めた。中国共産党が資金不足を理由として建設に消極的だったため、田辺は総評から3000万円の建設資金を南京市に寄付し、その資金で同紀念館が建設された[3]。3000万円の資金のうち建設費は870万円で、余った資金は共産党関係者で分けたという。また記念館の設計は日本人が手がけた。

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  蛇足ですが「南京大虐殺」と言っていますが、彼の国では「南京大屠殺」と言っています。
 語感、というものは情に訴えかけるものです。「屠殺」と「虐殺」、どっちが酷く聞こえますか?
 日本人なら意外に「屠殺」の方が酷いように聞こえませんか。
 「人間を家畜のように『屠(ほふ)る』、だなんて!」
 と思った方、ありませんか?
 でも、「屠る」、というのは、ただ命を断ってしまうことで、「虐」は「虐(しいた)げる、虐(いじ)める」、です。ということは、「虐殺」の方が酷い、ということになります。
 何故、「文の国」が「南京大虐殺」と言わないで、「大屠殺」と言うのか。 2月25日の日記より )

 Wikiでさえ「日本では、屠殺と虐殺を同意と考えて~」などと書かれています。
 しかし、私の日記に書いたように「屠殺と虐殺」は同意ではありません。
 また、並べて見れば初めて見た人だって、決して「同意」とはとらないでしょう。
 却って「屠殺の方がひどい殺し方だ」と採る可能性大です。
 何故なら「屠殺」は牛馬や豚等の家畜(畜生)を殺す場合にのみ使う言葉という先入観があるからです。人間としての応対をしていない、と。
 「人間を畜生のように殺すなんて。」というわけです。
 それに比べれば、「虐殺」は「虐め殺す」のだから、まだ人間としての扱いだ。
 だから、
 「酷い言い方ではあるけれど、虐殺の方がまだ良かろう。」

 この期に及んで、まだそんなことを考えている。お人好しにもほどがある。
 彼の国は「殺すのは同じ」ということだから何でもかんでも「屠殺」です。そこには「人間として云々」の発想はない。

 そして前後しますが、「虐殺紀念館」を建設するように言ったのは、社会党議員です。
 「金がない」と、建設に消極的な中国共産党に3000万の金まで渡して。 
 870万で建設し、残り2130万は共産党幹部が分け合う。
 何ですか?これは。ただの献金じゃないですか。「朝貢」と言ってもいいくらいだ。
 挙句に「紀念館」の設計は日本がした。

 今はなき社会党。「何でも反対党」だった頃です。
 「嘘も百回吐けば真実になる」
 「嘘で塗り固める」

 わざわざ日本人(記者)が嘘をでっち上げ、野党国会議員がそれに大金を注ぎ込んで型枠を造り、仕上げに与党自民党の有力議員がセメントを流し込んだ。
 「だから、民主党は言うまでもないけれど、社会党も自民党も駄目だ」
 と言ってしまって、何か好転するのでしょうか。今度は維新の会ですか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 仮に、ここまで書いたことをニュースの原稿として、アナウンサーが読んだとします。視聴者(聴取者)にはどんな記憶、映像が脳裏に浮かぶでしょうか。

 単純に
 「そうか。日本が独自に『虐殺』と言い換えてたのか。殺すことは何でも『屠殺』なのか。そう言われてみれば、『屠殺』の方が『虐殺』よりマシな表現ということになるなぁ。でも、何だか違和感あるなあ。人間と牛や豚、一緒じゃなあ。何か酷いよなあ。国民性かなあ。」

 聞き流してしまう人は別にして、ちゃんと聞けばこんな感想になるんじゃないでしょうか。
 でも、そこまででしょうね。

 「屠殺」とは「屠(ほふ)る」。「殺した後、解体する」という意味を言外に持つ。
 牛や豚を屠るのは「贄(にえ)」(供物)とし、続けて解体し、食用とするためです。一度に全部は食べきれないから、残った肉は干し肉にして、保存食とする。

 ということは、屠殺は社会に必要なことであり、それは当然のこととして行われる「事務的な処理法」だ、と言うことになる。

 だから、却って彼らは
 「人が人を虐殺する、だなんて。刑罰でもないのに酷過ぎる」
 と思っているかもしれない。

 でも、我々日本人からすると
 「だって、屠殺だろ?当然そのあとは解体して・・・・」
 ひえ~~~っ。
 日本人は人肉食べないよ~~。今は浅えむ丸だって呑まないよ~~っ。
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