ちいさな学校(岬の分校と呼ばれて)・小豆島

小説「二十四の瞳」のラストから間もない昭和二十三年から三十二年までの分校物語。亡き両親と孫のミナとユリに贈ります。

浜ちゃんのコスモスが咲いた

2014年09月26日 23時58分40秒 | 日々の暮らし
早く種を蒔いたために、夏の初めの台風でなぎ倒され、ほとんどが横たわったままだったけれど、大きくなったものもあります。
一昨日の雨風で斜めになってしまったのですが花が咲き始めました。

浜ちゃんはご高齢でいらっしゃるのに小豆島で一人暮らし、ブログを書き続けています。浜ちゃんから送っていただいたコスモスの種はこちらで何人かの方に差し上げ、蒔いてもらいました。ぼちぼちと咲き始めているようです。

我が家では23日が開花日でした。
浜ちゃんは、今月入院されていたのですが、何とこの日に退院されたとブログで知り、とても嬉しい日になりました。
埼玉に送った種も可愛く咲いたそうでメールで届きました。
               埼玉で咲いた浜ちゃんコスモス

             

我が家のコスモスです











写真はうまく撮れません。ぼかして撮ったつもりがぼけてる。

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オリーブの歌の楽譜も碑になっていました

2014年09月16日 20時27分46秒 | 小豆島あれこれ
小豆島の人なら誰でも知っている「オリーブの歌」
服部良一さん作曲、二葉あき子さんの歌った歌です。小豆島出身の人が集まるところにこの歌はいつも登場します。
作詞の川西新太郎さんの詩が我々の心に響きます。
その「オリーブの歌の」も平和の群像の近くにあるのを今回初めて知りました。
歌詞の3番部分だけなのが残念です。
もしかして裏側に歌詞全部出ているのでしょうか。次回確認しなくては。



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恩師の墓標

2014年09月14日 00時42分41秒 | 小豆島あれこれ
小豆島の内海中学校の名前が統合により消えました。校歌ももう歌われないのでしょうね。これは前にも書きました。
新しい中学は小豆島中学校。新しい校歌は平尾昌晃さんが作曲されました。それは、内海中学校の校歌を平尾さんのおじ様喜四男さんが作曲されていたご縁です。

先日小豆島のガソリンスタンドで給油していたら、中高で二年先輩だった方にお会いしました。お話しているうちに、中学の恩師空井先生の墓標を見せたいからとおっしゃって、案内していただきました。
なんと墓標には内海中学校の校歌が刻まれているではありませんか。
先生は音楽と美術を教えていました。そして、この校歌の素晴らしさをどの時代も生徒に話し続けていたようです。3拍子の校歌です。
ワルツのステップで踊りたくなるような曲です。

  

          小豆島はオリーブの実が青く大きく育っていました。

             



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小豆島・平和の群像

2014年09月13日 14時22分30秒 | 小豆島あれこれ
久しぶりに土庄港から小豆島に帰りました。
ホントに久しぶりに二十四の瞳を象った、平和の群像を観ました。
私が、小学生の時に出来たのです。
除幕式には壷井栄栄先生、木下恵介監督も出席されました。
除幕式当日は、1.2年生が、田浦分校から市坂順子先生と一緒に序幕の引き役として参加しました。弟が1年生でしたから、少し羨ましかったのを覚えています。除幕式の時の写真もあったと思って探してみたけれど島にあるようです。いつかまた。
この銅像の「平和の群像」という文字は当時の首相鳩山一郎の筆になるものです。
壷井先生はこのことに違和感をお持ちになったそうで、出席を拒まれていたと父から聞いたあことも憶えています。
ふるさとのために思いを胸に収めて出席されたのですね。

     

平和という言葉だけが美しくまつられるのではなくこの世界がこの言葉にふさわしくありますようにと願わずにいられません。

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小豆島の佃煮

2014年09月08日 21時54分56秒 | 小豆島あれこれ
小豆島には佃煮屋さんが沢山あります。それぞれ工夫されていて、どちらの佃煮もほんまに美味しい。お土産に差し上げるととても喜ばれます。

いつも岬の分校に行く途中に気になっていた佃煮屋さんに寄ってみました。
もうシャッターが降りる寸前、飛び込んでどうにか買い物をさせていただきました。
つくだに味工房「丸仲食品」さん。古江です。
いろんな佃煮がある中に、オリーブシューラスク6種(おりーぶ、チョコ、セサミ、きなこ、メープル、キャラメル)が並んでいておもわず
「これは?」
と、聞いてしまいました。
オリーブ果汁シロップ(これも製品)を使ってシュウ生地で焼いたラスクで、それぞれの味がトッピングされ焼かれたものでした。
オリーブハーブドレッシングも並んでいます。
お店は工場の道路際に素朴に並べられて昔々の懐かしい小豆島のお店やさんを思い出しました。

 佃煮                     オリーブラスク
おいしかった!!
www.marunaka-foods.com/


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トークイベント「喋楽苦」in小豆島

2014年09月07日 02時06分46秒 | 小豆島あれこれ
小豆島に帰った理由は映画「二十四の瞳」について、映画監督橋口亮輔さん、スタジオジブリの鈴木敏夫さん、イラストレーターであり、作家であり、ミュージシャンであり、俳優でもあるりりー・フランキーだ語り合う「喋楽苦」というイベントに興味があったこととお盆には帰島出来なかったので、両親、弟のお墓に挨拶がしたかったから。

         
「喋楽苦」は二十四の瞳を柱にして、映画についてのそれぞれの見方、作り方などそれぞれの方の映画観、が語られ、私たちを飽きることのないトークの世界に引きずり込んでくれました。
このお三人は、かつてラジオのトーク番組で一緒に出られたのがご縁のようで、橋口監督のお声がけで実現した小豆島でなぜ?と思ってしまうのですが、今話題の豪華な方々がよくぞここに、という驚きでいっぱいでした。
私は、リリー・フランキーさんには、初期の作品である絵本「おでんくん」に忘れられない思い出があり、とりわけ興味を持っていました。



「おでんくん1」の副題ははあなたの夢は何ですかです。
おでんくんたちは、今日もどこか牧歌的な雰囲気が漂うおでん村で、鍋の向こうのお客さんに食べられるのを待っています。その間、おでんくんは、まわりの困っている住人たちのために、頭のハチマキをシュルリとほどいて、なんでも夢がかなう「夢おかか味のおにぎり」などをポトリと出し、のぞみをかなえてあげたりしています。また、お店のお客さんのお母さんがガンにかかっていることを知らされると、鍋の外の世界に飛び出し、お母さんに食べられて胃の中に入り、ガン細胞のガンノスケと対決したりもします。そんなおでんくんの夢は、自分のお母さんに会うこと。その日を楽しみに、おでんくんの1日1善の日々は続きます。
(小学館のPR紹介文を転載しました)

この本を夫が持ち帰り、当時まだ幼稚園に通っていた孫娘にせがまれるまま読み聞かせていました。夫はスキルス性の胃がんで、胃を全摘して3年近く過ぎていました。半年と言われても何とか前向きに暮らし、仕事を続けていたころです。誰が見ても壮絶な風貌でした、が、見たいものを見、行きたいところに行き、先に予定を立ててそれに向かう、食べたいものを食べ、体にいいというものを食卓に載せて不思議な時間を過ごしていたころです。
「おでんくん」については、私も娘もこの独特なキャラにちょっと引いていて読んでいませんでした。
ところが孫娘は、じいじである夫を捕まえては読んでとせがむのです。
そんなに面白いの?と、ある時私たちも離れたところで聞いていました。
何とガンノスケというがん細胞と戦う「おでんくん」ではありませんか。もうびっくりでした。

彼は何度読んだことでしょう。
無邪気に目を輝かせる孫娘にもなぐさめられ、この本の力でまだ頑張れると思っていたのでしょう。
私たちは、この本を読むのをやめてとは言いませんでした。

食卓にはじいじの好きなおでんが前より載るようになりました。

この本には東京タワーが描かれています。がんに罹ったおかあさんの入院している病院から見えるのです。なぜなんだろうと疑問に思っていました。

夫も東京タワーの見える病院に何度も入退院をくりかえしていました。

おでんくんに力をもらい、みなという孫をみな薬といい頑張っていました。

それからしばらくして夫は今度は「東京タワー」という本を持ち帰りました。リーリーさんの小説です。
ベストセラーになり、ドラマにも映画にもなりました。

この中でリーリーさんのお母様が、同じように東京タワーの見える病院でがんと闘ったことを知り、おでんくんの東京タワーにも合点がいきました。

今回このことがずーと気になっていたので、りーりー・フランキーさんのトークをぜひ聞いてみたいと思ったのです。

絵本を持って行きました。

映画村の有本さんのおかげで、少しお話をさせていただき孫のためにその本にサインをいただきました。
「こんなにきれいに読んでもらって」と言っていただき大きくなった孫に伝えました。彼女の喜こんだこと。

トークの最後に、
りーりーさんが、冗談のようにジブリの鈴木さんに向かって、次回のジブリ作品は「おでんくん」なんて・・・・とつぶやくように言ったのを面白いなと思ったのは私だけでしょうか?

長くなりました。

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