ちいさな学校(岬の分校と呼ばれて)・小豆島

小説「二十四の瞳」のラストから間もない昭和二十三年から三十二年までの分校物語。亡き両親と孫のミナとユリに贈ります。

餅投げに行かんか

2009年08月01日 03時48分02秒 | Weblog
    餅投げや

 「今日は〇○さんくの船おろしやで」
 「ほな、みなで行かんか」

新しい漁船が出来上がると進水式がある。
 千代ちゃんのお父さんは田浦でたった一人の船大工で、いつも新波止と西の波止の間にある小さな造船場で新造船を作ったり、村の漁師さんの舟を修理していた。
 千代ちゃんと一緒に仕事をしているところを見に行ったが、いつも黙々と手を動かして無駄口は聞かない人だった。
 
 船おろしは、その造船場が海に向かってスロープになっているので、何本もの丸太の上でしつらえられた新造船がその丸太の止め木を外されるとコロコロと海へとすべり降りていく。船の中にはその船の主が満面の笑みを浮かべて立っている。もちろん、親戚や漁師仲間の人たちが乗れるだけ乗り、鮮やかな大漁旗や幟がひらめいている。
 製作者の千代ちゃんのおとうさんはほっとしたように笑っていた。千代ちゃんのおかあさんも兄弟も嬉しそうだった。新造船はやたらにある仕事ではなかったはずだから、家族にとって如何にありがたい日であったかことだろう。

 船が海に下ろされる時間を見計らいながら、かなり早い時間から村のほとんどの人が集まってくる。船おろしを祝うためなのだが、船主はこの日のために丸餅を用意する。
 新築の家が棟上のときに胸の上から餅を投げる風習があるが、船おろしも同じように、海に浮かんだ船に乗った人たちが陸に居る人々に餅をなげるのだ。
 
 おばあさんたちは
 「ここやで。ここにほうりこんで~なあ」
と、元気な声を張り上げて、割烹着を両手で広げている。
 男も女も年よりも若いモンも子どもたちも我こそはともち拾いに興じる。みんなめったに無い祭りごとに酔いしれるのだ。そんなときもドンくさい私は一つも拾えないのが常のこと。しょんぼりとしていると
 「なんや。のりちゃん。一つも取れんかったんか」
と、誰彼無く私にお餅を持たせてくれたのが忘れられない。
持ち帰ったお餅は、善哉になった。

 あのころのような木造船は、今は無いのだろうか。