ちいさな学校(岬の分校と呼ばれて)・小豆島

小説「二十四の瞳」のラストから間もない昭和二十三年から三十二年までの分校物語。亡き両親と孫のミナとユリに贈ります。

もくろじ

2009年02月01日 02時20分03秒 | Weblog
  このところ、お正月に羽根をついて遊ぶのを見かけなくなった。娘が小さい頃は、昔ながらの薄くて小さくて、きいちぬりえのような女の子や男の子を描いてある羽子板と色とりどりの追い羽根を買ってきて一緒に遊ぶこともあったけれど。
 羽根つき、凧揚げ、駒回しは今のこどもたちの間では、童謡「お正月」のなかで生きているだけなのだろうか。
 ところが、いつも読ませていただいている二十四の瞳映画村のブログ「小豆島モダンガール」に、今年のお正月、これらのお正月の遊び道具を用意して訪れる人々に貸し出して体験してもらっているとの記載を見つけてうれしくなった。
 
 
  まだ羽根つきを誰もが知っていた何十年も前。
 秋の終わり。二歳年上で物知りのたあちゃんが、 
 「のりちゃん。羽根つきの羽を差し込んだ黒豆みたいん何か知っとる」
と、聞いた。
 「何でできとん」
 「あれはなあ、もくろじいう木の実いなんや」
 「ふーん。どんな木いやろか」
 「あのなあ、段々畑の上から桐谷に行く道があるんや。その途中に荒神さんがあるんやけど行ったことあるか」
ううんと首を横に振ると
 「あそこにもくろじの木があるんで」
 「見たことあるん?」
 「姉やんらが話しよったん」
 「ふーん。うちらだけで行けるんやろか」
 「のりちゃんも行てみたいか。うちも行きたいなおもて」
 「ないしょで行こ」
”ないしょ”には後ろめたさがあった。誰にも言いたくないととっさに思った。ほかの友達にも父にも母にも言いたくなかった。”ないしょ”はわくわくもする。
 「ちょっとおとろしいとこかもわからんで。ええかいな。後でせんせに怒られへんか?言うてから行こ」
おとろしいところと聞いて、威勢がついた。
 「ええやん。つれていて」
 「よっしゃ。いこ」
 家並みを外れて急な段々畑の道を登って行く。誰かに会ったらどうしようと思うと喉がつまるようだった。
 春から初秋にかけては、たんぽぽ、かたばみ、からすのえんどう、蛇イチゴ、めひしば、おひしば、すべりひゆ、いらくさ、おおばこ、ぬすびとはぎなどのありとあらゆる道端の草が地面を隠し、摘み草を楽しむ畑の道もこの季節は色もなく寂しい。
 急な道を一気に上ると中腹より少し上がったところで平らな細道になる。
 「走るで」
 たあちゃんの後を追っかけて走った。どたどたと足を上げずに走るので私はよく転ぶ。この道は道無き道のようなデコボコで石や雑草が盛り上がっているので容易じゃない。
 「のりちゃん。こけたらいかんで。」
 たあちゃんは私の膝に傷が絶えないのを知っている。とにかくドンくさいのりちゃん。
 「あそこやで」
 たあちゃんの指差す方に木々の深く茂った中に社が見えていた。思いっきり駆け込んだ。
 「どれがもくろじの木やろか」
 私が聞くと
 「うちもわからん」
 「実いが落ちとんやろか。木いに登らないかんの?」
 わたしの質問にたあちゃんは口ごもっている。
 それで、二人は黙りこくってしまい、手当たり次第に落ち葉を掻き分けてみたり、首が痛くなるほど木の上を見上げてみたりしたが”もくろじ”らしきものの姿は見当たらなかった。そして
 「のりちゃん。ごめんな。」
 たあちゃんはしきりに悪いことしたみたいに誤るのだ。
 「ごっつおもしろかったやん」
 真実、思いもかけず荒神さんまで出かけてこられたこと。「ひみつ」「ないしょ」を実行したこと。ほんまにおもしろかった。
 「たあちゃん。おおきに。もういの」
 「今度、ねえやんらあに、よう聞いてまた来んか」
 もと来た道を大急ぎで取って返し、段々畑のてっぺんまで来ると、対岸の山の上に大きくてまん丸な太陽が西の空を紅く染め、海は夕映えてきらきらと輝いていた。

 この日のことは誰にも言わなかった。
 二度と荒神さんにも行っていない。
 今では、段々畑は作る人も無く、草木が茂りやまに戻りかけていて、荒神さんも村里に引っ越している。”もくろじ”の木に巡り会うすべはもうない。そうして
”もくろじ”は”むくろじ”が正式な名前だと最近になって知った。