ちいさな学校(岬の分校と呼ばれて)・小豆島

小説「二十四の瞳」のラストから間もない昭和二十三年から三十二年までの分校物語。亡き両親と孫のミナとユリに贈ります。

みんなの畑は山のてっぺん

2006年11月08日 02時17分12秒 | Weblog

 「からんからんからん」
 ひと際高らかに「かね」が鳴った。気持ちが入っている音だ。
 「はよせーや」
 「うんどうばに集合やでー」
 今日は、掛け声までついてのチャイムだ。

 土曜日は全校集会。一年から六年全員でも本校の一クラスに満たないので、少ない人数ではできないこと、大勢でやってこそ楽しいことは全員でやる必要があった。会場は、五、六年の教室(C組といった)だったり、運動場だったり、砂浜だったりだが、中でもユニークなのが畑。 
 田浦は、小高い山を背にしたちいさな村で海は山の色に染まり、庭のようなものだ。山も海も生活の場であり、私たちこどもらの遊び場でもあった。 
 海側に面した南向きのこの山は、ほとんど頂上まで畑になっている。 山を開墾し石垣を築いて畑を作った大昔の人々のたゆまぬ努力を想うと、胸の奥が痛くなる。
 畑は山の形に逆らわず曲線を保っている。どの畑も細長く幅が五メートルから八メートル、長さは十メートルから二十メートルくらいだった。ごろごろとした石を丹念に積み重ね、畑と畑の間も石を敷いた小道があちこち山の上まで続いている。   
 棚田と呼ばれる水田と似ているが、水を張ることはないのでもっと荒々しく素朴な風景。要するに段々畑なのだ。
 段々畑のいちばん上に学校の畑があった。学校のものではなく誰かが無償で貸してくれていたらしい。
 
 上の運動場には、それぞれに道具をもったこどもたちが、またたくうちに集まる。
 「おまえ、なんでそんなもんおうてきたん」
 「何でもえから道具もってこいいうてせんせが言うたやん」
 「そやけど、おいこはいらんのちゃう」
 「そやろか。ほんでもええわ。おうていく」
 わいわいがやがやとにぎやかだ。
 「のりちゃん、何持ってきたん?」
 と、美子ちゃん
 「ちょっかい」
 「貝堀りにいくみたいやな。山に行くんやのに」
 「うん、そやけど草かけるやん」
 「美子ちゃんは?」
 「かま(鎌)」
 「ええな、美子ちゃんとこはいっぱい道具があるしに」
 「こんどは貸したげる」
 「うん。おおきに」
 みんな手に手に農具を持っている。大きい子は「てんが(鍬のこと)」「みつんが(三本爪のある鍬)「がんじき(熊手)」など。今なら危険きわまりないと親も教育委員会も目くじらをたてること間違いなしの無頓着。
 学校の畑には 四季を通じてあまり手のかからないものを作っていた。ほとんど五、六年生が世話をしていたが、こうして時々下級生も参加する。「ごこく」というさつまいもや、裸麦、ゴマなどを毎年交代で植え付け、葉物野菜などはやらなかった。
 当時「ごこくいも」と呼んでいたいもは、白っぽくてべちゃべちゃとしていて、最近のホクホクとして甘い「金時」とか「紅東」などとは格段の不味さだ。護国と書くのだと最近調べて知ったが、戦争で食べ物の無い時代に大切な食料だったと思わせる名前ではないか。
 このいもは、どこの家でも蒸かして、輪切りにした物を干していた。。これを「ちんころ」といって、遊びにいくとおやつに出され、甘みの増したおいもに舌鼓をうったものだ。
 「かんころ」という加工法もあり、これはなまのままのごこくをやはり、輪切りにしそのまま天日に干す。乾いた「かんころ」は保存用で、粉にしてよく団子を作る。緑ががった茶色の団子はピカピカ輝いていた。  
  
 「では、出発するぞー。今日はゴマを刈るからな」
 と、おとこせんせ
 ゴマは五月に種を蒔くと夏には薄紫でホウセンカに似た花が咲く。九月には実り彼岸の過ぎたころ刈り取る。
 みんなでわいわい言いながら石段を登っていくとあちこちの畑から
 「せんせ、 おはようさんです。畑ですかいな」
 「みな、、元気やなあ」
 「家のてったいとは違うわいな。あそっびょるんとおんなじや」
 「気いつけてえなあ」
など声がかかる。 
 「はーい」
 「いてきますー」
  C組の上級生はこの段々の坂を天秤棒で水や肥(当時は人糞だったから思い出すだに辛い)をかついで何度も登り、作物を育てていた。下級生は楽しいだけ。上級生はしんどい思いの果てに穫り入れの喜びと満足感、下級生に胸を張る優越感をも収穫していた。
 私は、後にも先にも、ゴマの実りを見たのはこのときだけ。一メートルくらいの丈の上の方に黄土色で、数センチの筒状になった実が何個もついていた。この実がはじけると黒や金や白と呼ばれるゴマが飛び出す。自然に弾けてしまってはもともこもないので、その少し手前で刈り取る。この日、いちばん活躍した道具は、鎌だった。
 誰かが笑っていた「おいこ」も十分に役に立って、おうてきた彼は大得意でいっぱい背負って帰った。
 ごまを使って料理をするたびにあの日が甦る。そのたびに刈り取ったごまの行く末だけが思い出せない。どうなったのだろう。

 目閉じれば見えるあの段々畑も今は見えない。丈の低い木々が生い茂る山がそこにあるだけだ。