慈恩のぶろぐ

アセンションに向けて、
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楽になっていく意識改革について
お伝えしています。

供養のありかた

2017-07-02 10:46:26 | 自分

 

ネット上で、海老蔵さんのことで様々なネタがあるようですが

麻央さんが亡くなってまもないのに、お子さんたちを連れて

ディズニーランドに行ったことを批判されてる方がいるとか??

それにコメントした坊主さんという方のツィートが話題となってました。


 

ディズニーランドに行く海老蔵さんに批判の声!それに対する『坊主』の切り返しが秀逸

 

 

私の父方の祖父も住職でした。

私の従妹が後継者となり、がんばっていますが

そういう家系に育っておりながら、私自身は供養について

一般常識とは、かけ離れた考え方をもっています。



この坊主さんのツィートのように、故人の望みは、

1. 自分が無きあと、家族が笑顔で暮らしてくれること。
2. 自分を忘れないでいてくれること。

この2つしかないと思うからです。

特に1番の願い

 


笑顔でいてほしい。

 

故人は、亡くなった後、四十九日になるまでの間

色々なことを経験するそうです。

ず自分の抜け殻の体を見るところから始まり

お葬式を見て、自分が亡くなったことを認識し

周りの人達がどうすごしているか見回り、

この世界に別れを告げるための最後の儀式というか

自分の思いにケリをつけるとでもいいましょうか。。

そういう期間が、四十九日までの間らしいのです。

 

それは遺族にとっても同じ。

自分の思いにケリをつける。

四十九日までは、泣いてもいいですが

それ以降は、笑顔で過ごすこと。

 

最初は、ワーワー泣いてる家族が、

段々立ち直っていく姿を見ていき

自分が天国へ行っても大丈夫だと認識できて

初めて成仏できる。

 

 

これが故人への最高のプレゼント

 

 

四十九日が過ぎようとしてるのに、泣いてばかりいたり

悲しみが強い場合、故人は自分のせいだと思うようで・・

 

自分が死んだせいで

家族を苦しめている

(´_`。)

 

そう感じてしまうと、成仏せず、浮遊霊となって

彷徨ってしまうのです。

そういう方々と、何回か対峙したことがありますが

それは凄い執念のような塊となっていきます。

でも家族に何かしたくても、霊の姿では何もできません。

だから人に憑依して、何かを成そうとしてしまう。。

故人は亡くなっても、家族のことを常に思っているのです。

優しい気持ちでいるのです。

 

故人はこれから、天国へ行く。

何も辛いこともなく、幸せしかない世界に行く。

この世界にいなくなってしまったことは

とても悲しいことですが、宇宙へ還れるのですから

本当に幸せな世界に行けるにすぎません

しかしながら残された方は

この世界で、これからも生きていくのです。

 

生前、私の父がよく言ってた言葉です。

 

生きてる人の方が大事

 

自分を大事に、自分を優先しろという意味です。

風習として、日本古来からあるものですから

そう簡単に、大きく変えることは難しいでしょう。

でも本質に返って、本当に供養するという意味を

一度考える時期に来たような気がします。

 

 

こうでなければいけない

 

 

この信念によって、本当の意味での供養は

できておらず、心の底では面倒だったり

やりたくないのに、やっていること

この仏事の儀式には、多いような気がします。


私は、父と母の写真と位牌を毎日眺め

線香をたき、挨拶をします。

時折、話もしますが、でもそれだけです。

 

 ○○周忌と呼ばれるものを、やるつもりも予定もありません。

親戚には怪訝な顔で見られるかもしれませんが、

私は私なりの供養をしていると自負しているからです。

お墓参りに行かなくても、父も母も私の家に常にいると

思いますし、見守ってくれていると信じているから。

 

常に笑顔でいることだけは、心がけていますが

時にできない場合も

きっと父や母は信じてくれているに違いないと

そう思っています。

クライアントさんから、

 

 

お墓参りにいかないと

 

バチがあたるのか?

 

 

そう問われることが多いですが(苦笑)

行きたければ行けばいいし、

無理していくなら、やめたほうがいいと

そう伝えます。

お墓参りに行かずとも、できることはたくさんある。

いつもその話をさせていただきます。

 

お墓があるのは、雑務に追われる日常で

故人のことを定期的に思い出してもらうため

お墓参りをすることで、故人をしのぶ時間を

持ちましょうということ。

でも本当は常に、思い出してほしいことなんですよね。

故人側からみたら(苦笑)

よく聞かされるのは、お墓に食べ物置いていかないでということ

 

 

どうせ食べられないから(笑)

 

 

まあまさに、その通りですよね (⌒-⌒; )

話がそれてしまいましたが・・(苦笑)

お墓は、代々誰かが守らなければなりません。

形あるものですからね。

でもそのお墓を守る人がいなくなって、お寺側は大変苦労しています。

いざ処分となったとしても、墓石は簡単に処分できず

物凄い量が行き場をなくし、ごみと化している話をテレビで見ました。

そこまでして、負の遺産みたいになってまで

必要なものなのか?

私個人は、とても疑問に思っています。

本当はお墓すらいらない

私はそう思っています。

自分が死んだとしても墓に入れてほしくない。

形を残したいと思わないからです。

許されるなら、私の骨をどこに捨ててくれてもいいとすら考えています。

でも後処理をしてくれる人の身になると

そうも言えない現状に、ため息が出そうになりますが(苦笑)

心から喜んで、お墓の管理をしている人

どのくらいいるのでしょうか。


風習だから、義務だから、常識だから、決まり事だから

そんなことに縛られて、

やるしかないと思ってるだけなのではないか。

墓を守る人、「墓守」がいないと困るから

結婚しないとならないと思ってる友達がいます。

 

 

結婚とは、そういうためにするもの?

( ̄_ ̄ i)

 

 

多くの疑問が浮かびますが、

でもそれも友達の考えであり、尊重すべきもの。

遠くから見守るしかないのだなって思います。


全ては自分自身から。

これはあくまで私の考えであり、スタイルです。

でも皆様の何か参考になれば幸いです。

 

海老蔵さん、ディズニー楽しめたのでしょうか。

きっと楽しんだことでしょう。

麻央さんも、満面の笑みで一緒にディズニーランドに

行ったのでしょうね。仲睦まじい限りです。


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