さくらももこさんが、宇宙へ還ってしまいましたね。
ちびまるこちゃんは、私の世代の話なので、共感できることも多く
あの昭和な感じがたまりませんでした。
53歳という若さで、早いという声もたくさんあっただろうと思いますが、
充実した人生だったんだろうなって感じました。
しかし乳がんを闘病していたと聞き、二重の驚きでした。
くしくも、最近仲のいい友人のガン宣告をきいたばかり。
多いですね、乳がん・・・。
やはり、食事も大きなポイントを占めているかと思いますが
それ以上に占めているのが、その人の意識の問題。
最近、自己免疫疾患の家族を持つ方からの相談が増えています。
しかも難病といわれるレベルが多い。
iPS細胞のパーキンソン病における治験も発表となり。
難病が難病じゃなくなる時期も、近づいているのに、
なぜこのように難病や自己免疫疾患が増えているのか?
やはり無理をしている自分の歯止めのため、そして本当の幸せに気づいてもらうため
変化が必要だよ~っていうサイン。
病気にかかった方は、皆声をそろえて言われます。
病気になって気づいたことがたくさんあった。・・・と。
病気は、その人にとって不幸の出来事ではなく、その人が変わるために
必然として起こります。
難病であったり、病気が重かったりすれば、それは変化が緊急性を帯びているから。
気づくことがあるから、病気になる。
気づくことができれば、治癒する。
宇宙にかかれば、人の病気を治すことなど朝飯前の話。
もちろん、それが寿命とかけ離れていれば、完治もあり得るでしょう。
治らないのは、かかった人が自分を変えられないから。
そして寿命が近いという場合もあります。
私は2014年に酷いアトピーの症状が出ました。
目の下のあたり一面に出現したのです。
もともとアトピーには罹患していたのですが、症状は軽く
たまに出る程度でした。でもその時はとてもひどく
マスクをしないと人が驚くほどでした。
もうこのままいくのだろうか?
色々思いが交錯しました。
しかし自己免疫疾患は自分のせい。
だとしたら、治すのも自分しかいない。
それはわかっていたので、治す決意を固めました。
理由もわかっていましたので、食事療法と乾燥を防ぐことに
徹底的に取り組みました。特に食事は徹底して変えました。
同時にストレスをためないようにも心がけました。
医者には掛かりませんでした。
おかげさまで、半年たったころには、消失しました。
もし世間でいう治らない病気と決めつけて思い込んでいたら
寛解を目指したかもしれません。
だけど私は完治したかった。
おかげさまで今になってもきれいなまま。
だから、寛解ではなく、完治だと思っています。
寛解(かんかい)
病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。
または見かけ上消滅した状態。癌 (がん) や白血病など、再発の危険性のある難治の病気治療で使われる語。
例えば、癌が縮小して症状が改善された状態を部分寛解、癌の症状がなくなり検査の数値も正常を示す状態を完全寛解という。
引用元:goo辞書
ガンは、頑固のガンと言われます。
要は、変化を受け入れられない方が多いのです。
いい変化なら、一つ返事で受け入れられるでしょうけど、
どんな変化かわからなかったり、今自分が信じている信念を
180度変えるとなると、やはり抵抗感がぬぐえません。
両親から、学校の教育から受けた刷り込みが、またここでも顔をだします。
仕事は簡単に休んではいけない。
職場の人に迷惑をかけるな。
経済が苦しくなるぞ。
等々
理由は様々だと思います。
でもそもそも、なんで今、そんな病気になっているのか。
なぜ今だったのか?
今じゃなきゃいけない理由があったからです。
宇宙は絶妙なタイミングで事を起こしてくれます。
起こった時は、パニックしたりもしますが、
冷静になり取り組んだあとは、大きな成長をしているはず。
病気になって世界が変わることもしばしばです。
でも死んでしまっては元も子もありません。
だからこそ、今体の声を聞き、心の本音を聞き(頭の中にめぐる雑音ではなく)
実行するときだと思うのです。
友人は、辞めようと思っていたのに、病気になることで復帰したくなったといってました。
それも一つの気づきだったのかもしれません。
もちろん、仕事にも元気で復帰してほしいし、また活躍もしてほしい。
でもそれは今じゃないと思うのです。
友人が抱えている不安は、私には到底わかりません。
でも変化が促されてることだけはわかる。
一番の願いは、今はともかく医者の許可がでるまで
しっかりと家で休養してほしい。
友人はただでさえ忙しい職場にいるので、周りの負担が
よくわかっています。だから申し訳ないという思いが強い。
でもその休めないという思いが、変わらなきゃいけないよって
いわれている最たるサインじゃないのかなと思うのです。
しかし思うのです。
なんでそこまで忙しいのか?
誰かががんばれば、それで何とかなってしまうというのは
本来の姿なのか?
勤務先の企業もまた、変わる時期に来ているんだと思います。
頑張った先にあるのは何か?
達成感なのか、疲労感なのか。
もちろん両方なんだろうと言うと思います。
でも誰かが頑張ることで支えられる職場は、
私は一度崩壊した方がいいと思います。
炎上覚悟の話ですが、誰かの頑張りに支えられるのなら
常に誰かがその頑張る役をやらなきゃいけない。
誰もやりたくないですよ、、、そんな役目。
楽しくて、やりたくて、気づいたらがんばってしまっていた・・・
それならいいです。でもそういうケースは珍しい。。
みんなががんばることをやめたら、
当然仕事は回らない。
こうして問題が起こって初めて、上層部が動く必要にせまられる。
問題は提起してこそ、解決の道に繋がる。
そんなこと言っても、どうせ変わらないのだから
それをしたら迷惑するのは、仕事にかかわる顧客達。
顧客に迷惑はかけられない。。。
でもその顧客こそが、迷惑をかけられると暴れだす最高の切り札だと思うのです。
変革を起こすには、極度な対応が必要な場合もあります。
変わらないと決めつける前に、自分が無理をしてまで
成している仕事は、本来の姿なんだろうか。
私たちは、そこまで頑張るためにうまれてきたのでしょうか。
やりたいことを寝食忘れてやるのと、
頑張るのは違います。
私は若いころから、かなり突飛な考え方だったために、
いつも友人は心配してくれていました。
もう少し地に足付けた生き方をしたほうがいい、きっとそう思っているのかなと感じています。
友人の思いは有り難いです。
でも私は大丈夫なのです。
人間が自分の力でできることなど、たかがしれていると思っています。
だからと言って、人間が愚かだと言ってるわけじゃないのです。
このままで完璧です。
でもこの世界で、自分で色々コントロールしたって、限界がくるばかり。
どうにもできないことのが多いじゃありませんか。
おもいわずらうな
なるようになる
せつにいきよ
お釈迦様の言葉です。
本当にこの通りだと思うのです。
自分が病気で休んでも職場はどうにかなるんです。
負担かけられた人は、やれるから負担がかけられてしまうし
その負担がその人を大きくするかもしれません。
あとで、倍にして返せばいい。
この世界でどうにもならないことは、死なないことだけです。
自分を大事にすることが、しいては、周りの人々を大事にしていることになる。
私はこれがなかなかできませんでした。
だからこそ、今になってやっとそれを、思い切ってやれるようになったのです。
友達の件があり、長くなりました。
でも皆様も一度考えてみてください。
今ご自身が信じていること、全て本当に大事で、正しいことなのかということを。