マチルダのつぶ

日々感じ思うことを正直に書くのが目的であります。

考え中

2016-01-26 | 日々

この前、耐える、というなんかを書いたが、耐えるというのはまさにキリスト教的な立ち位置で、わたしの血にはよく分からないのだなということが、わかった。

耐えることの、美しさ。
なんか分かるけど、それは自己犠牲であって、はたから見ている人からすれば、恐ろしい状況にもなる。そんなのなんで耐えるんや。
耐えられなければ、生きてはゆけないのか。
それはない。ないでいて欲しい。

確かに、満員電車では、耐えなければいけないと思う。自分のために。
でも、乗らないという手もある。その手段が早起きだとしたら、それは耐えることになるのだろうか??

要は、本当に、ただ単に、とらえ方・考え方を変えることなのかもしれない。
耐えてる、が、得してる、にすり替わる。
そしてその差は実は耳くそ程もない。

うーーーん。。
この"耐える"件に関しては、まだまだ考えようと思います。


じゃじゃ馬はならせるのか

2016-01-26 | 日々

脚は、まだまだ。

3、4、5月と、頂いたご縁を無碍にし、もうその判断が間違っていたとしか思えなくなるほど不安が襲ってくるのですが、本当に腹を決めたのです。
脚を治すと。

お調子者の権化のような私でして、ちょっと治っては調子に乗って痛め、を繰り返し、結局全然悪くなり、本当に脚より阿呆に付ける薬が欲しいところです。

半年、舞台はやらない。
決めました。治す。
治らないかもしれないけど、この脚との付き合い方を習得する。

どう身体を使うかを研究してきたはずなのに、結局、ズタボロ。
まぁ要するに歳なだけなんだけれども。

その辺を分かっちゃいるのに、ナニクソ根性で今までやってきたもんだから、それが抜けない。
40代は30代より精神的に楽だと思っていたが、身体面を突き付けられると、難しいっす。
でも何としても、乗りこなしてやるのだ。

この心身はわたしのもの。

 


センキューソーマッチ

2016-01-15 | だんなさま

今日は接骨院だったのだが、施術中にやたらだんなさまの事を考えていた。

まあそもそも普段から大好きなのだが、わたしが結構弱っておる今に、なんと言ったらいいのか、単語にするとつまらないのだご、優しいのである。
絶対にああしろこうしろと、私のようなアドバイス人間にならないのである。
いまのままを受け入れるのだ。

これはちょっとすごい事だと思うのです。
10年以上寝起きを共にし、大暴れして元気炸裂のあたしも受け入れ、そうでないあたしも丸ごと。

何なんだろう。

とにかくありがたい事だ。
こんな人は他にいない。
ありがたい。


散々なかんじ

2016-01-15 | 日々

脚を痛めている話は散々したが、そんでプールしか入れなくなったのに、風邪を引いた話も書いたか。

風邪とヘルペスが治ってようやくプールに入れるようになったのだが、今度は左手の親指を、親指の爪と肉の間に結構なプラスチック的なものが強く刺さり込み、これがまたとんでも痛い。
で、そんでプールもやってたら、とうやら全然治りが悪く、またプール休み…ピアノも弾けねぇ!!

親指というのは、仕事が結構多く、また無意識に方々に触れたりぶつけたりする指であるわけで、何かある度に拷問の痛みと痺れで、いつも痛い。もう痛い。寝てても痛い。

んな風に、何かとあちこちが痛んでおり、やろうと思ってることを阻まれているわけです、日々。

なんなんや。
呪いか。
だれじゃ、呪ってんのは。
呪い返すぞー!

とまでは行かず、ま、制限があればあるほど、今までやれなかったことができるじゃーん、て感じで、そういう方向に走ろうかと。
半年くらいは。
芝居のオファーも、この半年は断ってます。

この2年で10本出演した。
20代じゃあるまいし、元々そんなに順応性高くないのに、ようやってきて、方向性を失いつつある。
やったからこそ、いいところまで来たと思う。
やらなきゃ分からなかったことが、もう分かるのだ。

考える。
そして自分を増やす。
試す。
この半年で、何ができるか。

 

 


なるほどね

2016-01-10 | 日々

今日は、昨年の9月に出演させてもらった舞台の映像の上映会をするというので、夕方まで映画観ながら寝ていてが、重い身体を引きずって行ってきた。

舞台の映像を関係者らで観るという機会はあまりない。
6年前くらいのさちんこのとこでやった時に、さちんこの家でみんなで観たのと、うちで花見やった時に劇団のみんなで観たくらいか。

一人で観ると自分がやかましいが、みんなで観るとみんながやかましくて面白い。
その前の年にちょろっと出演させてもらった話題作も、わたしの出演シーンまで見せてもらったり…懐かしいなぁー

わたしはサブキャラだったし自分の演技はさておいて、9月の作品はなかなか、いや、とても面白かった。
1週間前だったか台本が上がったのが?もう忘れてしまったが、もっと稽古期間があればと思っていたが、うまいこと仕上がってた。
相当のチームワークだ。
メインのひとたちが好き放題やっていて、その細い細工がすごく面白い。
みんな色々やってたんだなぁ。

ボーナストラックやら、特典映像やら、誕生日サプライズ映像もあって盛りだくさん。
今日は来れなかった人からのメッセージもあったりして。
わたしにとってはひとつの仕事であったが、終わった後も舞台を作る以上に時間をかけて、大切にパッケージされた作品になっていた。

ちょっと、感動しちゃうよ。
ドライな世界だから。
昨日まで毎日会っていたのに、今日からみんな別の方向に進むから。
終わった後もぐじぐじいじくり回せるほど、愛してたということか。
だったらもっと早く台本上がればいいのになぁ。

そんな感じで、観終わってだらだらしていたら、酔った勢いからか主演の女性から個人的に、演技についての悩みというか、想いを伝えられた。
作品に、舞台に、どう向き合ってきたのか。どうすればいいのか。

わたし自身もまだまだ大迷走の段階で、ただ台本を読んで現場に居て周りの人達と合わせながら自分がどうなるか探っているばかりだ。
いまでもメソッド本を読んで「なるほどそうか!!」と思ってる。つい最近も洋物のメソッド本にはまってる。
これだけやってきて、結局自分がこれまでどうして舞台に立てて来たかが、分からない。結局、よくわからない魔物とどうやっているのかわからないけど、闘ってるみたいな感じということだ。

彼女の話を聞きながら、自分に重なるところが多々あり、結局わたしたちは果てのない事をやっているのだという結論に至る。
結局、みんなそうなんだ。
正解も完成もない世界に取り憑かれてる。

これは、厄介だ。
厄介でないわけがない。
厄介だと思ってないやつなんか、偽物だ。


最近の脳内

2016-01-09 | 日々

悩んでいる。
というか、考えている。
ここのところのことは、自分の思考ですね、思考の傾向、自動思考というやつか。

ちょっとびっくりしちゃうくらい、下衆なんだよ。
意識して潰しているが放っておくと、もう人として最低なことを、ごく自然に考えている。息をするのと同じように。
何でだろう。

どうしてこんなに俗っぽくて浅ましくて汚ねぇんだろ、待てよ、これってどこかで読んだことがあるぞ。中年のギスギスみたいなもんなのか?
いや違う、元々こうだった。
真っ直ぐにならない。曲がってる。
真に優しい人っているけれど、どういう脳の中身なんだろう。
やっぱり自信かな。
そんなことをここのところずっと考えていた。

「自分のひそかな歪みにたえながら、それを貫いて生きるしかない。そして救われたり、救われなかったり。目をこらして見れば、それがあらわに人間生活の無限のいろどりとなっているのが見えるだろう。」
岡本太郎

個性、ということだろうが、こんな個性どうなんだよ。友達少ないわけだよ。たくさんいても全然上手に付き合えないだろうけど。

しかし、歪みに"たえながら"というのが、まさしくやり過ごし方なんだろう。

みんなそんなに耐えてますのですか。
耐えて貫くほど自信のある歪みなのですか。

うーん。
運動ができないのが大問題だ。
いままだプールしかできないのに、風邪でグズグズしてるし、ヘルペスもまだ完治してないし。
気滞を起こしている。