MINOKICHI JP   Tokyo Japan

毛玉生活満喫中?
濃すぎるポーリッシュ・ローランド・シープドッグのお話。

北欧珍道中記 パート3 (その13)

2008-08-22 16:51:22 | 北欧珍道中記 パート3-2
ボロス駅までは「駅行き」と書かれたバスどれに乗っても20分程と聞いていた。
英語が通じない運転手さんのバスに乗った後でわかったことが一つ。
駅前に行くには乗換えが必要とのこと。

何とかなるだろうと思ってたら、バスの乗客の一人が私の袖を引っ張るじゃないの。
「ひどいよっ!あんな説明じゃわかるはずないさ。でも大丈夫だよ、僕が今から全部教えてあげるから。」
見るからに怪しそうな口ひげに、浅黒い肌の小男。目が大きく、彫りの深い顔は典型的な中近東の顔である。

「バス停から駅まではそんなに遠くないよ。道は悪いけど、ちょっと遠回りしても徒歩で10分。バスの乗換えをしたら、すっごい遠回りで意味無いよ。今道を教えてあげるね。えーっと・・・」
いやに親切だ。

「えーっと・・・え・・・と・・・あ~!!説明しきれないよ、あの道。バスのロータリーに沿って回りこんで、小山を超えるだけなのに!案内しないとわからないだろうな~。僕は本当はこのバス停で降りなきゃいけないんだけど、いいさ、気にしないで。君達と一緒に駅に行くから大丈夫。心配しないで。」
ええっ!一緒に駅まで?そこまでしなくていいのに!

きちんと閉じたひざの上に数冊の本を載せ、落ちないようにしっかりと両手で押さえている様はちょっと品があり、インテリ風。
ところが彼の大きな目玉はせわしなく左右に動き、バスの外・中をチェックしていた。
英語の訛りは確実に彼が英語圏出身でないことを物語っていたし、一生懸命説明してくれているのに声のトーンはあえて低くしているようだった。

高齢化に伴う労働力の減少を積極的な移民受け入れで補ってきているスウェーデン。イラク戦争以来、イラクからの移民が多い。
自国では働いたことなど無い政府高官の子息達がこぞって入国し、働きもせずに収入を得ようとする為にスウェーデンの治安は悪化したという。
昨年そんな事を聞いていたので、「東洋人のカモ」にされないように注意深く接していた。

「あなたはイラク人?」
「そう、3ヶ月前にスウェーデンに来たんだ。ほら、今右に過ぎていった建物が語学学校。そこで毎日スウェーデン語を習っているんだ。」
「イラクの人なのに、あなたは英語が出来るのね。」

この質問をきっかけに、彼の口から堰を切ったように出てきた身の上話に、自分がいかに平和ボケであるかを痛感。


イラク戦争まで僕は政府軍のパイロットをしていた。
戦争終結後は政府軍に属していたということで命を狙われる立場になり、延々と逃げる生活が続いていた。
家族ともどもヨルダンに逃げたのだが、そこでも命や生活の保証は無い。
妻と子供を残し、自分だけ移民政策を取っているスウェーデンにやって来た。
1・2年後には家族をヨルダンから呼んで一緒に暮らしたい。
いい仕事に就けるか就けないかは全て語学習得レベル次第になる。命がけの習得だ。
僕はパイロットだったから英語が出来て何とかなったが、この国にやって来たばかりの頃はスウェーデン語もわからず、生きる為とはいっても毎日が不安だった。
わからない言葉の中で君が不安そうにしている姿を見て、自分にだぶらせたんだ。
僕が欲しかった助けを、今助けてあげることの出来る自分がやるべきだ!・・・そう思ったんだ。


小声で話すのも、異様に周囲を見回すのも・・・戦争を生き抜いてきた人間だったから。
「生きる為についた習性」の・・・名残だったのだ。

生きる為にスウェーデンにやって来た人間と、ドッグショーを見にやって来た人間が同じ時間を共有しているなんて・・・なんと世界というものは矛盾に満ちているのだろう。



彼の親切な案内で私達はボロス駅に無事到着。

開いている店で遅めの朝食を食べることにした。
キャンプ場付属の売店でもそうだったが、ここでも中近東系の男性が働いていて、黄色いソースを野菜にふんだんにかけて挟んだ「カレーソースサンド」が所狭しと並んでいた。
移民政策で人材と共に食も流入したのか、カレーやホブス(イスラムのパン)がスウェーデンの食卓に普通に上るようになっているようだ。



選んだのは「チキンと野菜のカレーソースサンド」。
おシャレなんだろうけど・・・防空壕チックな店で・・・名前も知らないまま別れた彼の幸せを願いながら・・・完食。

うまかった。


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