MINOKICHI JP   Tokyo Japan

毛玉生活満喫中?
濃すぎるポーリッシュ・ローランド・シープドッグのお話。

北欧珍道中記 パート3 (その15)

2008-08-30 20:38:20 | 北欧珍道中記 パート3-2
記憶の断片に浸っていては前に進めない。
こんなチャンスは二度とないのだからして。
さあ、いざ行かん、ロッドマンスガータン駅!

我が家があったのはオーデンプラン駅。
そこから一駅乗って、学校に行っていた記憶がある。
ヒュートリエットの次はロッドマンスガータンでその次がオーデンプランだ。

日本の感覚よりもはるかに短い一駅。
思いの他すぐにロッドマンスガータンにたどり着いた。

駅の改札を出ると目の前に広がる四角い形の人工池。
その向こうにあるのは・・・そう、マクドナルド。
私がスウェーデン滞在中に出来た店舗だ。



とても嫌味な女だと思って欲しい。
だって・・・私、生まれて初めて入ったマクドナルドがここなのだもの。
現在のスウェーデン・マックで支払う金額は優に1000円を超す。
あらゆる物に高い税率を掛ける国の外食はとんでもなく高価なものだ。
当時もそんなにたやすく行ける場所ではなかった・・・ファーストフードなのに。

今と同じ赤い紙製カップにギュウッと入れられたポテト。
悲しげにお兄さんの手元を見ると、見かねたようにトレーいっぱいにポテトを乗せてくれたっけ。
毎回その手が通用するはずも無く、どんどんオートメーション化されていくマクドナルドでは紙カップがスキスキのままポテトを手渡すようになっていった。

母親に怒鳴られ、腹いせに家出をしてマックでたらふく飲み食いをしてやろうと思っていたあの時を思い出し、目を潤ませて歩く道。
『駅こんなに近かったんだっ!いつでも来れたじゃねーかっ!』

30年前、志半ばで諦めた計画が、こんなにも簡単な物だったことが悲しくて切なくて・・・泣けてきた。
だからと言って・・・その意趣返しでたらふくマックを食べようなんて・・・もう思わない。
年齢的に肉より魚が良くなってきたからだ。

テクテクテクテク・・・私のノスタル散歩は続いた。

マックの並びにあった文房具屋さんが未だにあることに感激しつつ歩くと、信号。
『わかってる。左だよね。』
誰に返事をしているわけでもない独り言。

左折して坂をゆっくり上がると・・・そこはオーデンプラン。
『ただいま~。なーんも変わってないね、オーデン。』
あまりの懐かしさに、駅になんだか人になんだかわからない挨拶を興奮気味に繰り返すばかり。
『ただいまっ!ただいまっ!ただいま~!!!』



教会公園を中央にして二つに分かれる道の分岐点に駅はあり、そこのキオスクでしょっちゅうアイスクリームや菓子を買っていた。
今もあるのか、あのキオスク?
『あるかなぁ~・・・?ええー、あったよ、あった!!間違いなくこのキオスクだよっ!』

せっかくだからあの時食べていたあのアイスを頬張りたい。
扱っているアイスまで30年前と同じだなんて、感激だ。
これこれ、これが食べたいんだよぉぉぉ。

「アイル テイク ディス ワン」
「オゥーヤ、ネーイッ(無い)!!」
(・・・・・・・・!?)
「・・・オッケー デン ワット アバウトゥ ディス」
「オゥーヤ(がさごそ探す)、ネイッ!!」
(・・・・・・!!!!!!)

・・・一瞬気が遠くなった。まさか・・・まさかだろっ!
店は30年間残っていたとしても・・・まさかあんたまでっ!!

ありえない!だって、あの時のあなたは既に老婆だったじゃないの。
確かに今のあなたは90過ぎのヨボヨボばーさんに見えるけど・・・いくらなんでも計算が合わないよっ!!

震える指先で次から次へとアイスの絵を指す私と、次から次へと「ネェーイ!!」と言い張るばーさん。
じゃあ何があるのかと黙ってしまうのを待ってあなたは言うのよね。

「今あるのはこれとこれ。どっちがいい?」

あの時、毎日のように思っていて言えなかった事を今言ってあげる。

『ばばあっ!ちゃんと仕入れをしっかりしておけよっ!何週間欠品してんだよおおおおおっ!』



まっ、何も言えなかったから・・・ばーさんお薦めのアイスをまたしても食べる羽目になったんだけどね。
これも30年前と同じ。


北欧珍道中記 パート3 (その14)

2008-08-29 17:56:05 | 北欧珍道中記 パート3-2
二年連続となるボロス観光を終えて戻るストックホルム。
スウェーデン版新幹線にあたる「X2000」に初めて乗車。
動きも早さも「のぞみ」と一緒だが、何が違うって、高級感。
座席幅もゆったりで空間にゆとりがあるし、前方に置いてある飲み物と果物(!?)は食べ放題飲み放題なのだ。

夕方4時過ぎにストックホルム着。
中央駅からすぐのホテルで正解だった。
小休止を挟んで、カブカブといずさんはショッピング散歩へ行き、私は・・・ノスタルジア散歩へと向かうことにした。

小学校2年生半ばから5年生終わり迄を過ごしたこの街。
子供の頃には気づかなかったことだが、東京に比べてとても小さな都市ではないか。
地図を見やると、住んでいた場所や学校にも歩いて行けそうな感じである。

ホテルを出て少し行くと、ストックホルムの中心ともいえるヒュートリエット広場に着く。
庶民的なデパート「PUB」やコンサートホール、映画館に囲まれた広場の中央は市場。
果物を初めとして季節の野菜や花が売られ、イースターやクリスマス等のシーズン前には季節品で溢れかえる場所である。
母に手を引かれ、山積みになっているリンゴや木苺、ダークチェリーを購入してはコンサートホールの階段に腰をかけて頬張る学校帰りが大好きだった。



と言うことは・・・学校もこの近所のはず。
ただ・・・学校の駅はヒュートリエットではなかったよ・・・ロッド・・そう、ロッドマンスガータン駅だったはずだっ!
よし、ロッドマンスガータン方向に向かえば場所を思い出すかも。

「その大通りを左に曲がってみな!そんでずーっと歩けばロッドマンスガータンさ。」
道路工事のおじちゃんに教えてもらいながら駅に向かった。

えーっと・・・あっ、そっか、ここにもヒュートリエット駅の改札がある・・・・ん?何か見たことある道だな・・・?
見たことがあるだけじゃないよっ!ここだ、ここを通らなきゃ駄目!!

急な階段が古い建物の間に忽然と姿を現す道。
『この階段の下にはトンネルが通っているはず!!』
すごい確信で向かったら・・・やっぱりトンネルだよ。



『でもちょっと待てよ・・・上るんだよっ!そう、上って左だ!』
視覚的刺激を受けた後には感覚の呼び起しをすればいい。
目を閉じて動けばいいのだ。

子供の頃は軽快に駆け上がっていた急階段が、今の私にお遍路さん気分を味わわせてくれる。
なんちゅう急勾配。

上り切った時に出てきた涙は決して体力の衰えに愕然としたからではなく、あるものを発見たから。
とんがり帽子の赤い屋根。

学校は・・・あの教会の・・・前・・・だ。



そこだけが何も変わらずに時を経たかのような光景。
中年になった私と小学生の私をその景色の中で置き換えればいいだけの事。
数年単位で町並みが変遷していく日本では考えられない事だ。

白夜の夜18時半。
夏休みに入っている学校には人影も無く、中に入ることは出来なかった。
セキュリティードアの外から中を眺めて驚愕。
ドア横に設置された掲示板も石の階段も扉も・・・全てが当時のまま。



『ミスター・グッドマンいますかぁ~?ミス・ハエーション!ミセス・クルト!いるならお返事してくださいね~!!』
いるわきゃないけど・・・ドアを叩いて叫びたくなる。

道路を挟んで正面が教会。



グラウンドの無い学校ではこの教会の公園をグラウンドとして使っていた。
毎日のように道路を走り抜けて行っていた砂のグラウンド・・・こんなに小さかったっけ?
ポールと一緒にぶら下がった鉄棒や、モニカと一緒にフォローシャを苛めた砂場もこんなに・・・小さかったっけ?
だけど・・・好きで好きで仕方の無かったトービーを枝の陰から盗み見ていたあの木が・・・こんなでかい樹になっちゃってる。
これじゃあもう盗み見ることはできないじゃないのっ。



子供の頃の記憶は曖昧かつ危うげで切なかったりもするが、絶対的な断片を必ず持っていたりする。
散り散りの記憶が自然と耳に入ってくる雑踏の音や木々のざわめき、乾いた風の匂いと合わさって唯一無二のものになっていく瞬間を感じたよ。
誰もいないのを幸いに子供のように泣きじゃくっている自分がとても滑稽で、泣き笑いしっぱなし。

誰かに見られていたらきっと通報されていたであろう夜だった。


北欧珍道中記 パート3 (その13)

2008-08-22 16:51:22 | 北欧珍道中記 パート3-2
ボロス駅までは「駅行き」と書かれたバスどれに乗っても20分程と聞いていた。
英語が通じない運転手さんのバスに乗った後でわかったことが一つ。
駅前に行くには乗換えが必要とのこと。

何とかなるだろうと思ってたら、バスの乗客の一人が私の袖を引っ張るじゃないの。
「ひどいよっ!あんな説明じゃわかるはずないさ。でも大丈夫だよ、僕が今から全部教えてあげるから。」
見るからに怪しそうな口ひげに、浅黒い肌の小男。目が大きく、彫りの深い顔は典型的な中近東の顔である。

「バス停から駅まではそんなに遠くないよ。道は悪いけど、ちょっと遠回りしても徒歩で10分。バスの乗換えをしたら、すっごい遠回りで意味無いよ。今道を教えてあげるね。えーっと・・・」
いやに親切だ。

「えーっと・・・え・・・と・・・あ~!!説明しきれないよ、あの道。バスのロータリーに沿って回りこんで、小山を超えるだけなのに!案内しないとわからないだろうな~。僕は本当はこのバス停で降りなきゃいけないんだけど、いいさ、気にしないで。君達と一緒に駅に行くから大丈夫。心配しないで。」
ええっ!一緒に駅まで?そこまでしなくていいのに!

きちんと閉じたひざの上に数冊の本を載せ、落ちないようにしっかりと両手で押さえている様はちょっと品があり、インテリ風。
ところが彼の大きな目玉はせわしなく左右に動き、バスの外・中をチェックしていた。
英語の訛りは確実に彼が英語圏出身でないことを物語っていたし、一生懸命説明してくれているのに声のトーンはあえて低くしているようだった。

高齢化に伴う労働力の減少を積極的な移民受け入れで補ってきているスウェーデン。イラク戦争以来、イラクからの移民が多い。
自国では働いたことなど無い政府高官の子息達がこぞって入国し、働きもせずに収入を得ようとする為にスウェーデンの治安は悪化したという。
昨年そんな事を聞いていたので、「東洋人のカモ」にされないように注意深く接していた。

「あなたはイラク人?」
「そう、3ヶ月前にスウェーデンに来たんだ。ほら、今右に過ぎていった建物が語学学校。そこで毎日スウェーデン語を習っているんだ。」
「イラクの人なのに、あなたは英語が出来るのね。」

この質問をきっかけに、彼の口から堰を切ったように出てきた身の上話に、自分がいかに平和ボケであるかを痛感。


イラク戦争まで僕は政府軍のパイロットをしていた。
戦争終結後は政府軍に属していたということで命を狙われる立場になり、延々と逃げる生活が続いていた。
家族ともどもヨルダンに逃げたのだが、そこでも命や生活の保証は無い。
妻と子供を残し、自分だけ移民政策を取っているスウェーデンにやって来た。
1・2年後には家族をヨルダンから呼んで一緒に暮らしたい。
いい仕事に就けるか就けないかは全て語学習得レベル次第になる。命がけの習得だ。
僕はパイロットだったから英語が出来て何とかなったが、この国にやって来たばかりの頃はスウェーデン語もわからず、生きる為とはいっても毎日が不安だった。
わからない言葉の中で君が不安そうにしている姿を見て、自分にだぶらせたんだ。
僕が欲しかった助けを、今助けてあげることの出来る自分がやるべきだ!・・・そう思ったんだ。


小声で話すのも、異様に周囲を見回すのも・・・戦争を生き抜いてきた人間だったから。
「生きる為についた習性」の・・・名残だったのだ。

生きる為にスウェーデンにやって来た人間と、ドッグショーを見にやって来た人間が同じ時間を共有しているなんて・・・なんと世界というものは矛盾に満ちているのだろう。



彼の親切な案内で私達はボロス駅に無事到着。

開いている店で遅めの朝食を食べることにした。
キャンプ場付属の売店でもそうだったが、ここでも中近東系の男性が働いていて、黄色いソースを野菜にふんだんにかけて挟んだ「カレーソースサンド」が所狭しと並んでいた。
移民政策で人材と共に食も流入したのか、カレーやホブス(イスラムのパン)がスウェーデンの食卓に普通に上るようになっているようだ。



選んだのは「チキンと野菜のカレーソースサンド」。
おシャレなんだろうけど・・・防空壕チックな店で・・・名前も知らないまま別れた彼の幸せを願いながら・・・完食。

うまかった。


北欧珍道中記 パート3 (その12)

2008-08-20 19:53:20 | 北欧珍道中記 パート3-2
「イサックはどう?」
イサックの兄弟のイシドールを持っているリーセンが聞いてきた。
「とても穏やかでやさしい子だし、可愛いんだけど・・・なんで毛を食べるのかわからなくて。大きな問題よ。」



イサックの毛食いは主に私の不在時に起きている。
基本的に4時間以上犬だけにしておくことはしないので(営業時間内であればスタッフが一緒にいるし)、せいぜい長くても3時間くらいの不在となる。
買い物に出かけたり食事に出たりする30分~2時間の間にやっているので、分離不安的な要素もあるのだろう。

あとは日本の気候。

下毛が密で、所謂「死に毛」と言われる毛が抜け変わりにくいイサックの毛は、湿気の多い日本では辛い。
もともと黒は白より柔らかくコシもない。フワフワ・よれよれしていて、子犬毛から大人毛に変わるのも遅いとされている。
蒸れてかわいそうなので今年は毛を根こそぎ取り替える為、春より袋いっぱいの子犬毛を毎日のように抜いてきた。
抜き続けていたら太目のいい毛が出てきて本人も蒸れを気にしなくなって来たようだが、湿度の高い日には歯でカシカシとやっていることもある。
それも毛食いに関連してはいないだろうか。



出来うる限り詳細に説明したかったのだが、経験したことの無い人々に日本の「湿度」や「蒸れ」を伝えるのは至難の技であった。
「どういうこと?スチームってどんな感じ?」
「ベトナムのようなわけよ。」
「・・・・?」

自分でもよくわからない説明になってしまった。



「ねえ、あなたにとってその事がそんなに大きな問題ならばイサックを私が買い戻すわ。スウェーデンに送ってちょうだいな。」
「はいっ?」
「あなたとイサックにとってはそれが一番の選択かもしれないわよ。」
ドッグショーの結果が振るわず、アネットの機嫌が悪いのは何となくわかっていたが、彼女からの予想外の発言にびっくりしてしまった。

「毛食いの解決法」を見出そうとして、全てを正直に伝えてきた事が良くなかったのかもしれない。
(後になって国民性の問題に発展しようとは、少しも思っていなかった・・・この時点ではね。)

「あなたが見ていない間に毛を食べてしまうというのなら、24時間一緒にいてあげるべきよ。それしかないでしょ。」
「そうね、私達はいつでも24時間犬と一緒だわ。彼がそう望んでいるのなら、そうしてあげるべきよ。そこから解決していくしかないんじゃないの?」
リーセンもアネットに同調していた。

「でもね、ミオッコ・・・あなたがイサックと二人っきりで10日ばかり旅行に出かけて、24時間行動を共にすれば彼の毛食いは無くなるって・・・私は確信しているの。そうじゃなかったら、スウェーデンに戻すのがベストチョイスなんじゃないかしら。」
「イサックとのバケーション!それはいい考えだわ!やってみる価値はあるわよ。」
だから同調しなくていいって、リーセン。

できるわけないっつーの!10日も仕事休めないし、今度はポンポン・ポコポン・デコポンが毛食いに走っちゃうってば。
社会保障があって、1ヶ月以上のバケーションが取れるスウェーデン人はいとも簡単に素敵な事を言ってくれるよ。
ああ、頭の痛い問題だ。

そんな私達をよそにドッグショーはどんどん進んで、あっという間に夕方。
ポンのスペシャルショー観戦だけで1日は終わってしまい、他の犬種はとうとう見る事も無かった。
ポンのメンバーとは数日後に行われるワールドドッグショーやサーキットショー(ワールドドッグショーの会場があるストックホルムで連日行われるドッグショー)で再会するが、スケジュールの都合でストックホルムには来れないリーセンとはここでのお別れとなってしまった。

「ミオッコ・・・フォンジー(リーセンが持っているもう1頭のポン)とイシドール(イサックの兄弟)ではイシドールの方がはるかに難しいの。どう言ったらいいのかしら・・・うーん・・・素晴らしい子だわ。やさしいし、かわいいし・・・でも難しい。その分、気を遣ってあげなくてはいけないし、やさしく接してあげることが大切になってくるの。きっとあなたのイサックも同じだと思う。グッドラック!!」

・・・すっごくブルーになったよ。
イサックの悩みはとてつもなく深いのかと思ったら・・・泣きそうになった。


北欧珍道中記 パート3 (その11)

2008-08-19 00:22:55 | 北欧珍道中記 パート3-2
今回のショーのジャッジはポーランド人。
ポーランド人は典型的なポーランド・ポンをお好みで、どのクラスでも選ばれるのはドッシリ・ゴッシリ・ズッシリなポン。

イギリスタイプのポンの飼い主はどんどんやる気を無くしていくし、ハーフタイプのポンでもでかい子だけが残されていくジャッジングに、
「なによっ、何処見てんのよぉぉぉ!何にも考えてないし見てないじゃないの、このジャッジ。大きければいいってもんじゃないでしょ!!」
という声がありとあらゆる場所から飛び出してくる始末。
どこの国でも出る文句は同じ。皆自分の犬が一番可愛いからね。



アネットも明らかに意気消沈していたが、これも全てはジャッジの好み。次のショーでイギリス系のジャッジが来れば今日の判定は全て覆る。
それがドッグショーというものの面白さでもあるのだ。



現在ポーランドやヨーロッパで実質的なトップのポンであるアラーシュと、その子供達がほとんど1席を取っていくショー展開。
子犬であろうがジュニアであろうが、オスもメスもアラーシュの子供達のオンパレード。
もちろんチャンピオンクラスではアラーシュが栄冠に輝くと言う結果だった。



これを見ていてすごいなと思うのはアラーシュのDNAのすごさ。
5歳のアラーシュは現在種オスとしても売り出し中なので、ポーランド国内だけでなくスウェーデン国内にも多くの子供がいる。
その子犬達の多くがショーにおいて高評価というのはすごい話である(雄でも雌でも)。



実は今回このアラーシュのスウェーデン遠征に乗じて、精子を保存しようということになったのだ。
今年から日本でも可能になった「凍結(フローズン・チルド)精子の輸入」を見据えて採取をし、30年以上の実績があるスウェーデン「犬精子バンク」で凍結保存をしようという話である。



長いスパンで優秀なDNAを確保していくということは世界中のポンクラブの大きな命題となっている。
インブリードでなく、なるべく血の離れたアウトブリードを選択していく傾向のあるヨーロッパ諸国にとって繁殖は簡単な事ではなく、常に真剣勝負。
どの精子をいつ採取するか、どのメスにいつ使うか等々、タイミングを計って話を進めていくことが大事なのだ。
性格の良し悪し、遺伝的疾病の有る無しを慌てることなくジャッジできる凍結精子による繁殖。
理論としては1000年大丈夫(牛なんかもそう)な為、盲導犬協会でも積極的に取り入れられ始めている方法である。



ある程度の金額はかかるので、スウェーデンの犬舎数件と共同で数頭のオスの採取をすることになっていたのだが、予定のアラーシュから違うオスに替わっていたのにはびっくり。
しかし・・・紹介されたオス犬の素晴らしいことと言ったら、アラーシュに負けず劣らずであった。



どっかで見たような・・・?・・・・・???・・・・誰だったっけ?
そーだ、アブソルウェントだ!リーベンダールのアブソルウェントだよっ!!

「そう、アブソルウェントよ、ミオッコ。彼は9歳だけどまだまだいけるわ。でもあと2・3年というところでしょ。アラーシュはまだまだ若いからいつでもOKだし、考えがあっての選択なのよ。」

カティスはこう考えていた。

(現在のトップはアラーシュだが、その前に一世を風靡していたのがこのアブソルウェントである。9歳の彼は今も種オスとして活躍していて、現在までに100頭以上の子供を残している。その子供達からも新たな命が生まれていて、子孫は多い。ところがデータを集めたところ、子孫は皆股関節が良く特定の遺伝的疾患が出ていない。特にこのアブソルウェントのDNAはオスよりもメスによく反映される傾向があり、最高ランクのメスが多数生まれてきている。沢山の子孫がいても日本にはいないし、ヴォッコとの間に素晴らしいメスが生まれてくれば最高である。どんなにいいオスがいても、いいメスからでなくてはいい犬は生まれてこない。島国の日本に今必要なのは、土台となるいい台メスだと思う。沢山の子孫を残しつつあるアラーシュのデータも今後出揃うだろう。だったら、子孫の遺伝的疾患をチェックしてからの採取がベストである。)

うーん・・・なるほど。すごい説得力だ。
彼女が若くして世界中の犬関係から一目置かれている理由はここにあるのだね。
膨大な量のデータを世界中から集め、分析する力があってこその決断だもの。
アブソルウェントにしてもアラーシュにしても性格は穏やかで、声がどんな声だかもわからないままだった。
ちなみにアラーシュは昨年、おなかに出来ていた毛玉を無理やり取ろうとした私のあごを蹴り上げた時に(寝転んでいたのに、立ち上がろうとした)『フングッ』っとわずかに声を上げたのみ。
海外のポンは皆あまり泣かないのだ。


北欧珍道中記 パート3 (その10)

2008-08-17 16:16:47 | 北欧珍道中記 パート3-2
今回、何でインターナショナルドッグショーにまで顔を出したかと言うと「ポン・スペシャル・ショー」。
オス・メス別、クラス別で総勢67頭のポンが参加するとあっては見に行かなきゃだ。

同じ犬種の中でもよく「ヨーロピアンタイプ」だとか「アメリカンタイプ」といった違いがある。
ドーベルやデーン等は顕著な違いがあって、DINGOでもそれぞれの体型に合った服を製作している。
しかし、「ヨーロッパのど真ん中でヨーロピアンもアメリカンも無いんじゃないの?」と思っていたら・・・こんな違いがあったよ。

小ぶりでコンパクトにまとまったタイプを「イギリスタイプ」。
でかく、骨太でごっしりしたタイプを「ポーランドタイプ」とポンの世界では言うのだ。

例えば、アネットのフェーヘメットケンネルは比較的イギリスタイプ。
イサックのハーフ・ブラザー(ママは一緒だが、パパは違う)ギリスなどは典型的なイギリスタイプで、2年前のクラフト展ではリザーブであった。



イギリスポン雑誌でも取り上げられるような存在だ。

ではイサックはどうかというと、典型的なイギリスタイプでもポーランドタイプでもなく・・・でもどちらかというとイギリスタイプのようなってな感じ。



あの悪魔のようなヴォッコは・・・完璧にハーフ。
現在イサックより体重は少ないものの、骨は同じくらい・・・もしくは太いの・・・。

「はーい、こんにちは~!うちのリリーはあなたのヴォッコの姉妹よ。どっちにしようかと悩んでリリーにしたんだけど・・・ヴォッコの方が大きいでしょ。えっ?19キロ以上あるの?でしょうね~、子犬の時からでかくて太い骨の子だったもの。」
「リリーは悪い子?」
「オー、イエース!!とってもやんちゃで大変。すんごく悪い子だわよ。ヴォッコも?」
「オー、イエース!!でもね、頭脳明晰なマッチョさを持ち合わせた子なの。8頭の群れの中で一番後に入って来て、力比べをしたわけでもないのにもう一目置かれ始めているような子よ。群れを束ねる素質を持った子だと思う。」
「ふふふ・・・でしょうね。彼女を一目見た時からそうだと思って・・・リリーにしたんですもの。」

いい意味に捉えて訳さないと・・・カブカブが失神しちゃうよね。



「ちょっと待ってよ、あなたたち!リリーが悪いのもヴォッコが悪いのも私のせいだっていうの?」
私達の会話にカティスが乱入。
「いいのよ、いいのよ~、好きに言ってなさいな。どーせヘルガの子犬は皆悪魔よ。頭がいい子は皆そーなのっ!どーぞ私をお責めくださいな。」

確かに頭のいい犬ほど若いうちはやんちゃで大変な事が多い。



ヴォッコ達の母犬ヘルガは頭脳明晰で、世界中から羨望されるポンの名犬の1頭である。
カティスには自信があるのだ。
「ふふふっ、覚悟なさいよ~。ヘルガもそうだったけど、3歳まではどうにもならないほどやんちゃで私もほとほと疲れたものよ~。ほほほほっ!」

うきうきしながら他のポンを触りまくっているカブカブには違う風に伝えちゃった。
「良かったね~、カブちゃん。確かにヴォッコは暴れん坊だけど、すぐに落ち着くってさ・・・お母さんのヘルガもそうだったって。」
「あら、良かったわ~。もう少しの辛抱って事ね。」

『そうよぉ~、少なくともあと2年以上は大変よぉ~。ほほっ。』


北欧珍道中記 パート3 (その9)

2008-08-10 17:25:50 | 北欧珍道中記 パート3-2
インターナショナル・ドッグショー開催2日目の朝。
何を思ったか宿泊所のキッチンで「サトウのごはん」をチン。



鮭フレークと高菜ちりめんをふりかけ、海苔で巻いて食べるなんてとってもジャパニーズ。
でっかいフォークで食べるのがミソだ。

ショーはキャンプ場内で行われると言うのに、どこからも犬の鳴き声がきこえないという不思議さ。
ポンのメンバーも朝8時頃から準備をすると聞いていたので、早々会場に向かうことにした。

人も見かけないは、犬も見かけない・・・更には犬の鳴き声も聞こえないキャンプ場。
ひたすら歩いて細い小道を行き、池を横目に小さなつり橋を渡って・・・・ねえ・・・本当にドッグショーなんて行われているの?と不安がよぎり始めた時、入り口らしき物発見。



どんなちっちゃなドッグショーなんだとお金を払って中に入ったら・・・とてつもないでかさ。



リングがメインリングを抜かして37個もある広大な会場だった。
ヨーロッパ各地から車で乗り付けて来る会場の入り口の地味さにも唖然だが、この会場の広さにも唖然。
あまりにもでかすぎて、どんなに大きな犬が沢山いても全然気にならないってのもねえ・・・。



それとね・・・すごいことに気づいちゃったの!!
広大な敷地だから犬の鳴き声が気にならないんじゃなくって、鳴いていないのよ!
日本のドッグショー会場ではお馴染みのつんざくような犬の鳴き声が・・・ないの。
これはすごいこと!!
日本ではひたすら鳴き続けているポンもここでは単発的に騒ぐだけで、大してうるさくないし・・・何が違うんだ?
血統の違いなのか、育て方の違いなのか、育ち方の違いなのか。

「ポンのようにWILL(意志)を持つ犬は子犬期の社会化がとっても大事。最初の1年で毎日1つずつ新たな経験をさせていくことがポイントなの。本当に些細なこと・・・そうね・・・例えば今日はあの道まで行ってみて、明日はその少し向こうまでといったような簡単なものでOKよ。」

社会化とは日々新しい刺激を受けさせ、物事に固執しがちで神経質な側面を減少させることでもあるとカリーナは言う。

なるほどなんだけど・・・あまりにも大きな会場に面食らっちゃって・・・気もそぞろ。



北欧珍道中記 パート3 (その8)

2008-08-09 16:22:11 | 北欧珍道中記 パート3-1
イサックのブリーダーであるアネットはハバネーズのブリーダーでもある。
明日のショーにアネットから購入したハバネーズを出陳させるメンバーもパーティーに加わっていたのだ。

「ほーら、嗅いでみて。ポンに比べたらとってもいい匂いのハバネーズよ。」

あまり犬を頻繁に洗わないヨーロッパの中でもポンは特に洗わない犬種と言える。
ポンのコートの油には独特な自浄作用があり、それを生かす為に滅多に洗わない事がいいとされているのだ。
日本のような気候ではないので、2週間に1度徹底的にコーミングをすれば皮膚もコートもいいコンディションでいられる。
もともとあまり体臭のない犬種であっても、洗わなければ獣臭がしてしまうのは仕方がない。

ところがハバネーズのコートにはポンのような自浄作用はないらしく、すぐに汚れてしまうために2週間ごとのシャンプーが必要とのこと。
2年間洗っていないポンと2週間ごとに洗っているハバネーズを比べちゃいけないと思うのだが・・・。

「常にいい匂いのうちのイサックはハバネーズの中でも美男子で最高なの!!」

どうやらアネットは自分のところで生まれたポンとハバネーズのオスの黒ちゃんの名前を同じにしていたようだ。

「あらっ、あなたの犬もイサックというの!?何年何月何日生まれよっ!ええ、2006年8月?ほーほほほほっ!うちの子の方が先だわよ~!!」



同じ犬舎出身で同じ名前の真っ黒な犬。
おばちゃんヒートアップしちゃって、ついに私は彼女のログまで拉致されてしまった。

「いい事を教えてあげる。グルーミングにはいいシャンプーとスプレーを選ばなきゃ駄目。ヨークシャーテリアにいい物がハバネーズにはぴったりなのよ~。」
化学的な物を一切使っていない物を使用する事の重要性や用品の使い方から始まり、如何に色んな製品の試供にお金を使ったか等の説明だった。



「基本はヨークシャーテリアなのっ!」
シルキーコートのグルーミング方法の講義をじっくり聞く羽目になっちゃって、どうしたものやらと考えているうちに1時間近く経過。
13歳にして175センチの息子を通訳として横に据え、ありとあらゆる物を出しては説明をしてくれていたその時、何を思ったか突然全てをしまい出したおばちゃん。

「・・・よく考えたら、あなたポンを飼っているのよねぇ。どーせ洗わないんだから、こんなに一生懸命説明しても意味無いわよ。だって・・・臭いポンだもの。」

何だかお互いとっても可笑しくなってしまい、大笑いしながら皆がいる場所に戻ることになった。

パーティー会場ではヨーロッパ各地から集まった人々が自己紹介しながら自分のポンの話などで盛り上がっていた。
白夜のパーティーはいつまでたっても終わりを迎えず、朝方までわいわいがやがや・・・眠らずにドッグショーの朝を迎えた・・・と思う。(時差に負けて、我々日本人は早々と撃沈。いつまで続いていたかは不明。)



北欧珍道中記 パート3 (その7)

2008-08-06 20:37:15 | 北欧珍道中記 パート3-1
「私は子犬だからといってあっちこっちに興味深々で呼び戻しができないなんて嫌なの。」
とカリーナは言いながら、目が合う度『なんていい子でしょう!』と褒めながら子犬たちにドッグフードをやっていた。

「こうやって常に訓練的にあげているわけだから、必要以上にあげたらデブデブになっちゃうでしょ。きちんとしたご飯の時間の量はすごく少量にして調整しているの。」
子犬の頃から、『ママの側にいればいいことがある!』と教え込むにはいい方法だ。

この2頭のうち1頭は自分の犬舎に残した子であるが、もう1頭は外に出した子である。
飼い主さんに頼まれて社会化の為に連れて来たそうだ。



もともとブリーダーと言っても海外のブリーダーは副業としてやっている人ばかりで、本業は他にある。
数年に一回しか出産させないというのも多いし、年に一回しか産ませないというのも通常だ。
7歳以上の出産や年1回以上の出産を法律で禁止している国も多い。

「私はブリーダーとしてはそんなに数をこなしているわけじゃないわ。でもね、今までチベタン・ビアデッド・オールドといった毛足の長い同じような犬種を飼って来て、この犬の聡明さや面白さに惹かれてポンのブリーダーになったわけ。素晴らしい犬種だと思う反面、こういう犬にはきちんとした社会化や強い指導力が必要だと思うの。」

日本のポンは非常によく吠え、人間に触られることを苦手として歯を剥くことも多々ある。ところが海外のポンはとても友好的で吠えることが少ない。

○性格的に臆病であったり攻撃的な個体は繁殖に使わない
○アレルギーや遺伝的疾患を持つ、または遺伝的疾患を生み出す遺伝子を持つ犬での繁殖はしない

この二つを徹底させることでいい遺伝子のみを残していっているからなのだと思い込んでいたのだが・・・それだけとは言えない部分をカリーナに指摘された。

「私はニューヨークにいたから日本人をいっぱい知っている。日本人はとてもやさしい国民性よね。しゃしゃり出ないし、我慢をするし、皆と仲良くする。そんな国民性がポンの問題を大きくしてはいない?
私はうちの犬を買いに来る人達の行動をよく観察するようにしているの。それから決断して言うのよ。『そんなことじゃ駄目。そんなんだったらあなたはキャバリア・キング・チャールズをお飼いなさいな!この犬は初めて飼うのに適した犬じゃない。きちんとリーダーシップを取れる人間でないと駄目よ!!』ってね・・・わかるでしょ。」

わかるっ!よーくわかるよ、あなたが云わんとしている事。

「子犬時代の社会化も重要よ。私はうちの子犬を積極的に職場に連れて行くの。」

障害児の学校の教師をやっている彼女は毎日子犬を連れて登校しているそうだ。生徒にも子犬にもいい経験になると彼女は思っているからだ。
今回一緒に連れてきた♂の子犬は消防士のおうちに貰われて行った子で、この子もまたパパと一緒に通勤しているのだそうだ。
子犬の寝姿に消防署員の心は癒されるだろうし、犬も緊急サイレンの轟音や出動の騒がしさにたじろぐことの無い強い精神力を養うことができるであろう。

犬との共存を社会的に認める国だからこそできるシステムだが、このスウェーデン、決して犬の頭数が多いというわけではない。
10軒に1軒飼っているかいないかの割合なのだ。
ただ、犬を所有する人間は「いかに社会に認知してもらえるか」と真剣に取り組んでいて、外から見る分には神経質とも受け取れるほど訓練や飼い方に力を入れているのがわかる。
「私達はこれだけの注意と意識を持って犬と共生している。そんな私達・犬達に同等の権利を与えてはもらいたい。」という飼い主側の主張が、「動物との共生は野生を捻じ曲げずに自然の摂理に従い、尊厳と愛護精神を念頭に法を守ること。」という制度とうまい具合に融合して今の形になっているのだろう。

ヨーロッパ諸国の犬に対する「意識の高さ」というものは、こういった人々の努力の賜物なのだね。

一つ一つの話に感心している私の後ろで何やら変な歌声が聞こえてきた。

「くさい、く~さい!くさい、くさい!ポンはと~っても臭い犬!!」
何だって!?
「ほーほほほほほっ!あなたもそんな臭い犬を飼っているの?そんな変な匂いの犬は止めてハバネーズをお飼いなさいな。ハバネーズはね、とーってもいい匂いのする犬なのよ。あ~やだやだ、ポンはほんとに臭いわあ!!」

誰なんだ?このおばちゃん達?


北欧珍道中記 パート3 (その6)

2008-08-05 16:21:49 | 北欧珍道中記 パート3-1
今回の旅でまず最初にカティスに会ったら聞いてみたいことがあった。

「イサックの毛食いに関して、頭を使うトレーニングで疲れさせるようにアドバイス貰ったでしょ・・でもね、うまくいかないの。おやつを隠して探させようにも、あまり乗ってこないのよ。簡単に見つかるものだけを食べて他に見つけようともしないし、見つける努力を一切しないの。諦めが早くて、一つのトレーニングに集中させる事がとても難しい。毛食いは収まらないし、トレーニングもしたがらないし・・・どうしたらいいの。」

そうなのだ。イサックはとても温和でやさしい子なのだが、諦めが早く根気が無い犬なのだ。
何かに興味を持ったりやろうとしても全てポンポン・ポコポン・デコポンが取り上げたり邪魔をし続けたせいで、「諦める事が生きる道」と決めてしまったようだった。
トレーニングをしたくても、今一つ集中力に欠けていて始められないし続かない。
だからと言って落ち着きが無いわけでもなく、ただそこに「ボー」っと立っている・・・そんな感じ。
無理矢理やろうとしたり、私が舌打ちをしたりして不快感を表現してしまうとすぐにしょげてしまう。
引っ張りっこをしようよと口の中に入っているボールの先の紐をいきなり引っ張って、口からボールを出してしまうだけでもう駄目。
悲しげに踵を返して自分のケージに入っていってしまうのだ。

自分でも納得がいかないから「毛食い」に走るのだろうけど・・・どーしたらいいんだよっ!っていうか、お前はどうしたいんだよっ!?

「お腹空いてないのよ。」
「はい?」
「朝晩二回のご飯を・・・そーね、どのみち夜行性なんだから夜だけにしてみて。自分から餓死する犬なんていないから、お腹が空けば野生が働き出して『隠したおやつはどこだ~!どこなんだー!探してやるー!!』ってなるわよ。おやつが欲しくない犬なんていませんからね。イサックは単に探し出すほどお腹が空いてないだけよ。ご飯を減らしなさいな。何だったらあげなくていいんじゃないの?以上!!」

バタバタと動き回っているカティスの前で・・・多分・・・私は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたんだと思う。

そんだけ?この悩みはそんだけのものなわけ?
ご飯やんなきゃいいだけで、そうすりゃおやつを使ったトレーニングが出来て、トレーニングで頭がヘトヘトになったイサックは毛食いしなくなるんだ。
そんな「風吹きゃ桶屋が儲かる」方式なわけ?

呆然と立ち尽くす私にカティスは一言。
「JUST TRY! MIOKO!! JUST TRY!!」
そっ、そうね、やってみるしかないわよね。

そんな時、私の横をテケテケと歩くポン発見。
何処をどうみてもブラウン・ポン。



現在日本には1頭もいないと思うし、ヨーロッパでも数少ないブラウンを見るのは初めてだった。
「フィンランドの犬舎から来たの。ブラウンでも全体的なブラウンでなく、白とのコンビネーションはスウェーデンでも1頭のみで、全世界的にも珍しいと思うわ。」
確かにっ!確かにそうだわね。

しかし、あちらこちらにポンがうじゃうじゃいて壮観だ。
昨年まではオランダからの♂ポンのヒューゴしかいなかったヘイレンの所にも、フィンランドからの♀ソフィが加わっていた。



カローラのムーンレイク・ケンネルでも子犬が産まれていてふわふわ・わさわさと賑やかだ。



子犬の手触りは何でこんなにいいのだろう。

18時からのパーティーは、各地から集まったポン仲間の親睦会だった。
犬達を遊ばせながらグループ対抗のゲームをしたり、持ち込んだ食材をバーベキューにしたりして気ままな時間を過ごす屋外パーティーである。
世話人として忙しそうにしていたカティスに変わり、スウェーデン人と結婚してこの地に住み着いたアメリカ人のブリーダー、セダリーナ・ケンネルのカリーナが私達を接待してくれた。



彼女はオランダから来たビッグサイズな♀のオルガ(オランダトップ犬ファーマンの妹にあたる)と、他の♀が産んだ子犬を2頭連れていた。


北欧珍道中記 パート3 (その5)

2008-08-02 17:04:48 | 北欧珍道中記 パート3-1
午後になって私達は中央駅よりボーロスという街へ向かった。
このボーロスでは年に一回、「インターナショナル・ドッグショー」という大きなドッグショーが行われるのだ。



途中乗り換えて計4時間の列車旅。例のごとく列車には犬も多数乗車していたのだが・・・二人がけの椅子が向かい合ったボックス席の机の下にはゴールデンとロットワイラー(知り合い同士の犬ではない)とパグとジャックがいたりして・・・乗客が移動する間は邪魔にならないよう重なり合うようにしていた。列車が動き出してからは通路にはみ出したりしてはいたが、喧嘩することもなく、「ワンワン」と騒ぐ犬など皆無。見事な躾にただただ感動するばかり。


ボーロス駅ではアネットと合流。
毎年のように現れる私達を常に歓迎してくれるアネットもドッグショーに参加するのだ。

スウェーデン人は自然をこよなく愛する国民性で、夏の間は国内のキャンピング場をキャンピングカーで移動しながら楽しんだりしている。
私達が2日間宿泊したのも「ボーロス・キャンピング場」という場所だった。



キャンピングカーの人はそのまま車を置く場所と電源を借り、車のみで乗り込んだ人は小さなログを借りるというわけだ。
私達は場内の、トイレ・シャワー・キッチン・リビングは共同だけどベッドの部屋だけは個別というユースホステル式の建物に宿泊。



このキャンピング場の奥がドッグショーの会場となっていたので、ヨーロッパ各地から犬連れの車がやって来ていた。
「荷物を置いたら見にいらっしゃいな。私達もキャンプ場の一角を借りていて、その部分だけが『ポン・ビレッジ』になってるの。ポン・メンバー・パーティーを18時から始めるから、食事をしながらゲームやお話をしましょうよ。」



今回のインターナショナル・ドッグショーの会場内では、非公式ではあるものの「ポン・スペシャル・ドッグショー」が開催されることになっていた。
来年20周年を迎える「スウェーデン・ポン・クラブ」が行う一大「ポン・スペシャル・ドッグショー」の予行演習みたいなものである。
それでも出陳頭数65頭。
少しづつ頭数が増えていると言ってもまだまだ稀少犬種であるポーリッシュ・ローランド・シープドッグが、ドッグショーに65頭も出てくるというこの層の厚さ!!すごいものだ。

ログの前にたむろすポン達とオーナーさん達に挨拶をしながら「ポン・ビレッジ」を散策。
本当に皆室内に入っていない。短い夏の太陽を謳歌するかのごとく、皆屋外で過している。(これ日本だったらすぐに皮膚癌だな)



「ああ、あなたがミオッコね!遠い国からようこそ。イサックは連れてこなかったの?日本では黒いポンはほとんどいないんですって?」
「遠すぎるわ。いくらなんでもかわいそうだから置いてきちゃった。これが私のキュートでスマートでゴージャスなイサックの写真。見たい?」
「うんまあ、何て美しい犬でしょう。ゴージャスな毛だわ~。スタイルはいいし、いい頭の形!あなたは本当にラッキーね。」
「そうなの。私は本当にラッキーだったわ。イサックは来るべくして私のところに来た美しい天使なの!!この子はあなたのポン?」
「そうなの。愛くるしい女の子でしょ~。素晴らしい性格で、パーフェクトな子よ。」
「ほんと、素晴らしいわ~!!」

どーよ、この会話。
日本人の私にはきつい会話だわよね。でもね、こういうふうに言わないと駄目なのよ、外人さんには。

「うちのお馬鹿毛玉ったらわんわんうるさくって、舌の一本でも抜いちゃうかってな感じ。けけっ。お尻をぺしぺし叩くと喜んじゃって何だかへんてこりんな犬なわけよ。」

こんなこと言っちゃ駄目!!言ったが最後で「犬を虐待する東洋人!!」の汚名を着せられちゃうからね。

自分の犬がかわいくない飼い主なんているわけ無し。
自分の犬がお顔も性格も一番可愛いの。
だけど・・・そんなことを口に出して言ったら・・・「何なの?あの人。」くらい言われちゃうのが日本人。
「うちの子はあまり出来のよろしくない子なんです」くらい言っておけば目立たないし反感も買わない。
出すぎた真似をせず、平均的な所で和を乱さない・・・それが日本人なの。

でもね・・・この考えがこの旅でこんなにも大きな出来事を招くとは・・・まだこの時点ではわかってなかったのよ。