MINOKICHI JP   Tokyo Japan

毛玉生活満喫中?
濃すぎるポーリッシュ・ローランド・シープドッグのお話。

初めての・・・告知

2008-10-06 15:52:15 | インポート

「えーっと・・・前回の検査の結果ですね。はい・・・結果は癌でした。」

意味がわからなかった。
4時間半も待たされ、ようやく呼ばれたと思ったら軽~い感じで「癌です」って・・・そんなのありか?

「対処法は全摘出ってことですけど、どーします?あとは自分でも調べられるでしょ。」
何の説明もないのか!?

「あと・・どのくらい・・・・。」
「うーん・・・半年ぃ?」

失神しそうになった。
余命が半年なんて・・・時間が無さ過ぎる。

「とっ、ど・・・じっ」
「今ね、すご~く混んでて、早くて半年後の手術なんだよね。予約しちゃう?」

はぁ~?癌なんでしょ?余命の話は通り超えて入院の話なわけ?
手術が半年後って・・・私がいくつだと思ってんのよ!死んじゃうじゃねーかっ!!

「はぁ?死なないよ、普通はね。」
「だって、癌なんでしょ。ステージはどのくらいなんですか?」
「ステージ?だ~か~ら、微小癌。でもさ、甲状腺の左右に複数あるのよ。だから全摘ね。」

軽いっ、軽すぎ!

昨年、『頼むから病院に行ってくれ』とまで言われてしまい、数年来具合の悪かった体を引きずって大病院へ。
病名は「バセドウ氏病」だった。
いつの間にか体重は10キロ以上減っていて、手の震えでペンも持つことが出来なくなっていた。
毎日朝起きた時点で尋常じゃない疲労感があり、立っているのもやっとという日もあった。

服薬で調子は次第に良くなっていったが、喉にあった違和感は解消されず。
診察のたびに「首を締め付けられて苦しい」「独特な違和感がある」と主張し続けたが、「疲れているんですね、診療内科に行ってみませんか?」と言われるのみ。
こりゃまずいと思い始めた矢先、担当医が退職をきっかけに紹介状を書いてくれると言うので、甲状腺専門病院へ流れることにした。

で、冒頭の告知だったわけだ。
ということは・・・見過ごされたってわけ。

セカンドオピニオンも大事なので、「微小癌は切らない」で有名な医者の下へと向かった。

「えー、診断は○○病院と一緒で、甲状腺癌。
両様に複数あって、左側は微小癌のサイズを越えています。
箕浦さんの年齢を考えると、甲状腺温存で経過を見ていくにはスパンが流すぎる。
今後の展開も考えて全摘出がベストだと思われます。」

あらそ・・・で、生きれますか?

「うーん・・・例外はあるけど10年生存率は90%超えてます。
そんなに怖くないと考えましょう・・・例外はあるけど。」

その例外が怖いよ。もっと嫌なのは・・・アイソトープ治療。やりますか?

「うーん・・・ゆっくり考えればいいんじゃないかな。何も辛い治療を今から考えなくても。手術が終わってからゆっくり考えましょう。」

つらいんだっ!つらいんだぁあああああっ!

もう気分はブルーを超えて、ブラック。
燦燦と輝く太陽なんてうざいだけ。人々の笑い声も嘲笑にしか聞こえない。
ああっ、どうしようっ!どうしたらいいの?

それよりこの4毛玉をどうしたらいいの・・・?

もう立ち止まってはいられない。
毛玉との生活を守る為に、さっさとやらなければならないこと・・・

①禁煙 (これは現在3ヶ月目で成功している)
②ストレスを貯めない (そんなの無理っ!)
③仕事はしない (次の日から生活が出来ないよっ!)
④早めに手術をする

そう、だから・・・お休み貰います。
少し期間が長くなるかもしれません。
で、戻ってきたら・・・またよろしくお願いします。

あっ、その時もしかしたら声を失っているかもしれません。
「ありがとうございました」も「こんにちは」も言えない無愛想な店主になっていても・・・皆さん気分悪くしないでね~!

ではでは・・・行ってきまーす!!


北欧珍道中記 パート3  (最終回)

2008-10-05 13:43:44 | 北欧珍道中記 パート3-2
何とか立つことが出来ても、壁に寄りかかったまま微動だにしないいずさん。
ぎっくり腰がいかに大変かはよくわかっている。
私も年に一回はやっている「ギックラー」だ。

「ベリー・ヘビー」指定の荷物と一緒にベルトコンベアーに載せるわけにも行かず、時間をかけて待合所に移動。
ベビーステップで、見るからにぎっくり腰。
椅子に座るのも一苦労だ。

スウェーデン最後のお茶。
コーヒーにでかいケーキを二つ。
木苺とクランベリーを使ったベイクドケーキだ。



昔ながらの味に感動したが・・・隣には即身仏状態で座っているいずさんがいる。
沈鬱そうな表情を見ていると、症状はかなり進んでいるようだった。(動けば動くほどひどくなるしね)

早め早めに行動することを心がけ、何とか飛行機に乗るも、座席までは完璧なチビチビ・カニ歩き。
ヒースローまでの数時間同じ姿勢を保ち続けたせいか、到着時には立つのもしんどい状況。

この時点で自力帰国は無理と判断。
目の前を行くブリティッシュ・エアウェイズ関係者を呼びとめ、車椅子を要請することにした。

頭のでかい日本人には一般的な「肩こり」も、外人さんの間では少ないという。
結構ぎっくり腰も胴の長い日本人特有の病気だったりして・・・。
大体からして英語に「ぎっくり腰」なんてあるのだろうか?

急いで手持ちの辞書を調べると「SLIP DISK スリップ ディスク」とあった。
重なった骨の盤が滑っちゃった・・・てな感じなのだろうか?

意を決して、
「助けてください!連れがアーランダ空港でスリップ ディスクしちゃって。車椅子を用意していただくことはできますか?私達、日本に帰るんです!」
「ホワット!?」
聞き返されちゃったじゃねーかっ!

おかしいと思ったんだよ、スリップ・ディスクなんてさ。通じるはずねーじゃねーの!!
一応もう一回言ってみて、駄目だったら腰を痛めたって言えばいいか。

「スリップ・ディスク、ン~フゥ~、ヤー!!(何のこっちゃ)」
「オー!イエ~ス、スリップ・ディースク!!そりゃ大変だ。ちょっと待ってね。(ガーピーィィ)○○棟にスリップ・ディスクの乗客発生、歩行困難。至急車椅子を要請します。当社飛行機で成田着予定。成田にも連絡を請う。以上!!。(ガーピーィィ)」

通じちゃったよ・・・ぎっくり腰。

スウェーデンでは中近東系の労働者がやたらと目に付いたが、イギリスに変わった途端インド系移民が多く従事していることに気づく。
飛行機を降りた場所で待つこと20分。
折りたたんだ車椅子を転がしながら迎えに来てくれたのは、優に190センチ以上はあるインド系男性だった。
訛りが強く、説明の半分も理解できなかったが、どうやら車椅子でセキュリティ・コントロールを通過させてくれるようだった。
途中、何度も車椅子のいずさんの写真を「記念だから」と撮っていたら、
「確かにそんなにあることではないものね。」
と変な納得をしていた。



ターミナル内のエレベーターと裏道を行き、セキュリティを通過して連れて行かれた先は出発ロビー内の案内所。
耳や口や体が不自由な人の為のサービスを請け負う場所らしいが、どこの空港にもあるとのこと。
本人確認と便名確認の手続き後、出発1時間前にまたこの場所に戻るよう指示された。
「せっかくの旅行です。それまでの時間はお食事やお買い物をされたいでしょうから、ごゆっくりお過ごし下さい。」

座り心地満点の巨大椅子を発見し、のんびりと過ごすこと2時間弱。
皆の足手まといになっていると思ったのか、いずさんどんどんしょげ返っちゃって・・体もちっちゃくなっちゃって・・・「わるいねぇ~、もうしわけないねぇ~」ってただのお婆ちゃんになっちゃった。

言われた通りの時間に案内所に向かうと、他の老人達といずさんのみ運搬車に乗せられて、出発ゲートに向かうことになった。
広大なヒースロー空港ターミナル5は、出発ゲートまでターミナル内電車で移動しなければならない。
慌てて出発ゲートに向かったのだが、いずさんは私達より後に到着。
外をぐるりと回って来たようだった。(どんなに広い空港なんだよっ!!)

運搬車を降りると、そこからは徒歩。
パスポートを見せ、蛇腹を通って機内へ向かうも、ヨチヨチトボトボ。
機内の通路は狭く、車椅子は到底無理でも、せめて飛行機の扉前までは車椅子で行かせて欲しかった。

「オウッ!どうしました、マーム。どうぞ私に捉まって下さい。お席までご案内しましょう。」
私がいずさんの脇を支えながら機内に入った途端、異変を察知して若い男性フライトアテンダントが駆け寄って来た。
「オー、センキュゥー!!」
腰の悪いはずのいずさん、トビウオのようにアテンダントの腕にぶら下がったかと思うと、満面の笑顔でスタコラサッサと席に向かって行っちゃったよ。

座った途端「イテテテッ」って・・・ゲンキンなものだが、おばさんの特効薬は「素敵な若い男性」と相場は決まっているものね。

日本まで11時間。
お手洗いに行くのも大変だ。
いずさんはカニ歩きで通路を行かなければならないし、いずさんをいちいち立たせるわけにもいかない奥側の私達は肘掛を足場にして人の頭上をまたぐわけで、危険極まりない。
更には私達3人の前も席も尋常でない様子がアリアリ。

ファーストクラスにアフリカの国王様が乗っているとかで、そのお付の人が座っていたのだ。
横幅のあるどでかい体を、互いの肩を重ね合わせることで席の幅に合わせているのは至難の業のように見受けられた。
かなりの体重なのだろう。
リクライニングも使っていないのに、体を少し動かすだけで、私達の方に背もたれがぐいぐい倒れてくるって・・・怖いんだよっ!

ようやく成田到着。
最後尾から降り立つと、そこには日系人の・・・いやっ、まるっきりの日本人おばちゃんスタッフが微笑んで待っていてくれた。
あえてこの人を出迎えスタッフとして配属させているのなら、ブリティッシュ・エアウェイズ、素晴らしいっ!
100%の安堵感を与えてくれる、そんなやさしさが滲み出ている人なのだ。



「お帰りなさいませ。大変でしたね~。」

日本語が通じるって・・・なんて素敵なこと!!

「ご旅行最終日の出来事でようございました。あと少しで日本に戻るんだって気が緩むんでしょうかね~、最後の最後になって体調を崩す型は結構多いんですよ~。」

荷物をピックアップすると、迎えの車の場所までは航空会社のスタッフ2名で対応してくれることになった。
至れり尽くせりで、自分達の荷物のピックアップに四苦八苦している私達といずさんはここでお別れ。
今回は航空会社の対応に心から感謝だ。

成田から高速バスで新宿へ。新宿からはタクシーで店へ。
ストックホルムのホテルを出て27時間後、ようやく毛玉達と会えたよ。

想像通りの歓迎でメガネは吹っ飛び、顔は踏まれて変な痣ができちゃったけど・・・やっぱり日本でお前達と過ごすのが一番楽しいね。

ただいま~! 
    

< 北欧珍道中記 パート3 -完ー >


北欧珍道中記 パート3  (その26)

2008-10-04 00:43:20 | 北欧珍道中記 パート3-2
スウェーデン最後の晩、早朝の出発に合わせて早々に床に就いていた私は、深い眠りにいざなわれていた。
「ブーーーーーーーーー!」

寝ぼけながら聞くその音は、映画開始に合わせて鳴るような、爆音に近い継続的なブザー音であった。

何十秒か続いたブザー音が途切れ、ようやくスウェーデン語でアナウンスが流れた。
「イエンタビィ~ナンテ ドォーア ナンタラカンタラ」

さっぱりわからず。
続いて英語のアナウンスだ。
「当ホテルで火事が発生いたしました。出火場所は特定できておりませんが、4階とのことです。皆さんすぐにホテル外へ避難してください。特に4階の方はすぐに避難してください!エレベーターは使わず、階段でお願いします。」

火事の言葉で私は走った。
手提げかばんを斜めがけにし、パジャマのまま左隣のカブカブの部屋のドアを渾身の力で叩き、
「逃げろー!火事だ!」
と叫んで右隣のいずさんの部屋のドアを叩き続けた。
何たって私達の部屋は4階なのだ。
右・左と交互にドアを叩き続けると少し経ってからドアが開き、引きつった顔のかぶかぶ出現。

「何してんのよっ!遅いわよっ!」
「だって、着替えてたんだもの。パジャマで日本には帰りたくないのよっ!」
「そんなのどーでもいいわよっ!早く逃げなさいよっ、火事なんだからね!!階段ですぐ逃げて。いずさんはまだ出て来てないのよ。すぐに連れて行くから、早く!」

いずさんのドアは叩いても、蹴っても反応がない。
「何してるの!早く!!」
廊下の先から早く逃げろとホテルスタッフが呼びに来てくれても、ドアが開かない限りは逃げることも出来ない。

ようやくドアが開いていずさんが出てきたと思いきや、彼女はまたもや部屋に舞い戻ってドアを閉めてしまったのである。
慌てた私がひたすら叫んでドアを叩き続けると再度顔を出すものの、また部屋の奥に入り込んでしまうのだ。
どんなに促してもパタパタと部屋に引き返してはまた出てくるという奇怪な行動を見て、ホテルスタッフが火元だと思い込み、雪崩れ込む始末。
もはやこれまで。

「やどかりかっ!!死にてーのかっ!逃げるんだよぉー!!」

むんずと掴んで部屋から引きずり出し、階段を転がるように下りて外へ避難したのだった。

正直な話、私の記憶はここで途切れている。
サラリーマン時代の昼夜問わずの仕事がきっかけで、睡眠障害を起こしている私は導眠剤を服用しなくては眠れない。
この夜も服用していたせいで、外に出てからの私は完全にラリっていた。

この一大事にわざわざパジャマからジーンズに着替える必要性があるのかとカブカブに詰め寄ったり、出たり入ったりする危険性を得々といずさんに説いていたような・・・覚えはある。
火事に枕一つ抱えて逃げ出すなんざ普通の事なのに、その時の私は完璧にいかれていた。

カブカブが記念に撮っておいてくれた写真がこれ。



呆けたように道端に座り込む私。
しかしな・・・すっごい余裕だよ、カブちん。
普通こんな状況下で犬の写真なんて撮らないってば。



私の次の記憶は、ホテルスタッフの苦い顔から始まった。
「回線ミスで火事の表示が消防署に行ってしまったのです。もうお部屋に戻ってOKですよ。ああっ、何ていう晩だ!!ついていないよ、全く。」
客に面倒をかけたお詫びも無ければ、火元の嫌疑をかけたお詫びも無し。
何だかよくわからないまま部屋に戻ってしばしの熟睡。
朝、きちんとした説明を聞いて納得した。



4階部分の回線のミスだか何だかで、昨日だけで夕方と夜の2回も消防署に連絡が行ってしまったそうだ。
スウェーデンでは本当の火事の場合には出動に支払い義務は無い。
ところが、誤報に関しては1回の出動あたり40万円の支払い義務が派生するのだそうだ。
昨日だけでこのホテルの支払いは80万円也。
修理をしたくても週末になってしまって、週明けにしか対応してもらえないとか。

そりゃあ大変だわね・・・でもさ、何で北欧くんだりで擬似火事体験をしなくちゃいけないわけさ。
嫌な予感がするよ。



早朝のストックホルム中央駅からアーランダ空港へ。
イギリス・ヒースロー空港経由で帰国だ。

行きは軽かったカバンはお土産満載で『ベリー・ヘビー』指定。
免税手続きが終了して、土産物をトランクに詰め直している最中に事件は起こった。

目の前でしゃがんでいたいずさんが「あっ」と小さな声を発するなり崩れるように自分のトランクの上に倒れこんだのである。
「ひぃぃ・・・いっ、いたい・・・。」

蚊の鳴くような声で一言。
「ぎっくり・・・腰に・・・なっちゃった・・・。」


ええええええっ!ぎっくり腰ぃぃぃ!?



北欧珍道中記 パート3  (その25)

2008-10-02 22:08:41 | 北欧珍道中記 パート3-2
「ワールド・ドッグショー4話目」

ポンのブリード戦にばかり目が行っいて、あっという間にファイナルの時間になってしまった。
「ワールドドッグショーのシステムってちょっとわからない部分があるんだけど・・・・。」
「そーなのよ。通常スウェーデンで行われるシステムともちょっと違うの。私達もシステムを理解してはいないから大丈夫。」

何が大丈夫なのかわからないが、ファイナルはオスもメスも混合なのだ。
オスメス関係なく、ジュニアクラス・ベストオブブリード ベテランクラス・ベストオブブリード 総合ベストオブブリード (他にはベストブリーダー ベストペア)が毎日選出されて、最終日にそれぞれの1席を選ぶというシステムらしい。
最終日に決定したベストインショーはシーリハムテリアだったようだ。



何とマニアックな結果であろう。恐るべし、ヨーロッパ!!

ファイナルステージへの切符を持たない犬達はそそくさと後片付けをして帰路へ着く。
来年もしくは再来年の再会を堅く約束し、アネット・カティス達と別れてファイナルショー観戦に向かう事にした。
「ミオッコ・・・あなたとイサックに幸あれよ。きっとまた会いましょう!」
別れはいつも寂しい。今回もアネットとは涙の別れになってしまった。
歳のせいか、何でもかんでも涙が出てきて困る。

しかし・・・昨日のグループ2の犬種数に驚いている場合じゃない。
今日のシープドッグ・キャトルドッグのグループはどんだけの頭数がいるのだろう。
長い牧畜の歴史があるヨーロッパはシープドッグの本場とも言える。種類も多ければ層も厚い。
アナウンスの人もどこまで紹介したのかわからなくなってしまうほど、同類外見犬種のオンパレードだ。
挙句に皆英語名でないときているから、図鑑を片手に持っていたとしてもついていけないと思う。



「あれ何よ、何なのよ?」
と、互いに犬種の確認をし合っているうちにジュニアクラス・ベテランクラスのファイナル終了。

続いてはベストペア戦(ブレース戦)。
2頭づつ連れたハンドラーがステージに所狭しと並び、弧を描いてグルグルと走り出す。
「ペアは同一性・均一性も大事な要素になります。」
というアナウンスがあったが、一人だけ異様に目立つハンドラーがいて、何に目が釘付けって・・・その人に釘付け。



犬はオバケみたいにどでかい長毛だし、ハンドラーは真っ赤なビロードのもじもじ君スタイルで、どこをどう取ってもロシアンなわけ。
なんだっけ、ほれ、あれ・・・えーっと・・・・そうそうっ!ボリショイサーカスよっ!

案の定、犬はサウスロシアンシープドッグでロシアからの出陳だった。

少し前までは成長過程で凶暴化して、殺されていた犬種だったのに、随分と改良されたようだ。
「見事な毛並みの美しさ」と「厳しい歴史を持つ犬を再構築・改良した情熱の素晴らしさ」を称えられていた。

1席 サウスロシアンシープドッグ
2席 キャバリア
3席 コトンドデュレアール
4席 ポーリッシュローランドシープドッグ

続いてはブリーダー戦。



「色合い、姿形、動き方の同一性、ようするにブリーディングの同一性を見るコンペティションと思ってください。」
とのアナウンスがあってようやく理解できたルール。
一つの犬種に一犬舎出場で数十犬舎。犬4頭とハンドラー4人が1セットなので、ステージ上は壮観だ。
プードル ビアディ コーギー フレンチの順で入賞。
比較的メジャーな犬種で決まった感がある。

最後の総合の結果は
1席 ビアディ 
2席 プールー
3席 スムースコリー
4席 サウスロシアンシープドッグ



またしてもボリショイサーカスが4位に食い込むという結果だった。

ドッグショーをあと2日残して帰国というのも残念だが、毛玉たちが首を長くして待っているはず。
お土産はたんまり買い込んだし、凍結精子の件もなんとか話は着いたし、30年ぶりにストックホルムを満喫できたし。
明日は朝一でアーランダ国際空港に向かわなければならない。

今回も大きなハプニングは無く、無事過ごすことが出来た。
最後の夜は荷造りで終わりそう・・・・と思ったら・・・・その晩、ホテル、火事。


何で最後の晩にパジャマで道路に放り出されることになっちゃうんだ?

※24話 珍種画像においてプーリーと記した画像は「ベルガマスコ」成犬でした。人間と一緒に写っている画像を見たら、プーリーであるはずがないと判明。また、未だにわからないと記した白い犬は、まだ1歳位のサウスロシアンシープドッグだったようです。


北欧珍道中記 パート3  (その24)

2008-10-01 22:24:21 | 北欧珍道中記 パート3-2


「ワールド・ドッグショー3話目」

さて、ドッグショー2日目。
大好きなシープドッグのグループ、グループ1のブリード戦日だ。

いるいる。図鑑でしか見ないような珍種がゴロゴロ。わーい!!



本日の私のメインはポンのブリード戦。
インターナショナルドッグショーから数日後のワールドドッグショーだ。
その間にはサーキットショーも行われていたので、てっきり同じメンバーがエントリーしているのかと思っていた。
大きいポンが軒並み注目を浴びていたインターナショナルのジャッジは本場ポーランドからの人。
今回のジャッジはスウェーデン人ということで、ジャッジの好みを熟知しているメンバーは出展を諦めたようだった。
反対に前回は小ぶりで不利と判断、参加しなかったポンが多数来ていた。
ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・ドイツ・ポーランド・オランダ・スイス各国から67頭がエントリー。



アネットはイサックの義理の兄にあたるギリスと、同胎のイサの準備で早朝から来ていたようだった。
挨拶もそこそこに、彼女の不機嫌を悟った私は何かあるなと思った。

「スウェーデンにいるのに、久しぶり。」
「そうね・・・・。いい一日になるといいわ・・・。」
非常に反応が悪く、奥歯に何かはさまったような言い方をするアネット。
意を決したように私に向き直り、怒涛のようにしゃべり始めた。

「私はね・・・ミオッコ・・・とても悲しいの。何が悲しいって・・・あなたがイサックに対してすごい不満を持っていること、彼に満足していないことを悲しく思っているの。」
「はいっ!?」

「あなたは・・イサックを愛していない・・・そう感じたから・・・。あなたにとってイサックが重荷なら、私は彼を買い戻すわ。」
「私がイサックを愛していないって!?何をもってあなたはそんな事を言うの?私には全く理解ができない!!」
「だってだって、あなたは私に会うなりイサックの毛食いの話しかしないじゃない。どんなに素晴らしい子か、どんなに美しい子か、どんなにやさしい子かなんて何も言わない。彼のいいところ何一つ言わないで毛の話ばかり。日本には黒いポンがいないって聞いて、私は出来るならばあなた達に最高のピグモント(色素)を提供したいと思って彼を選んだの。それなのに・・結果がこれなんて・・・悲惨だわ。あなたは彼に魅力を感じていないんでしょう。」

何だか意味不明な言いがかりに聞こえて、憤りを覚えた。

だって、私がいつイサックに不満を持っているなんて言った?
可愛くないなんて言った覚えないしっ!
可愛くない犬にお金をかけてハンドラーつけたりドッグショーに出したりしないって!!
更にはどんなに自分の毛を食ったって、真剣に取り組んでるじゃない・・・ん?・・・足の毛・・・?毛食い・・・?
そーよ、あいも変わらず食ってんのよ、あいつっ!

「あなたにとって、イサックの毛食いは大問題なのでしょう?でもあの子にはそれなりの理由があるはず。私にはわかるの・・・あなたが気にしなくなれば・・・きっと・・・彼のその悪い行動もなくなってくるって。彼はあなたと一緒にいたいだけなんだから・・・。」

そーか、そーなんだ。アネットにとって私は「イサックが重荷になっている女」なんだ!
んなはずないし。だったらこんな所まで来ないっつーの!
大体からして、あいつの毛食いの理由がわからなくて意見を聞いているのに、逆切れもいいとこよ。

「あなたが何でそんな事を言うのかわからないけど、私は彼を愛しているし、彼も私が大好きなの。絶対に渡さないわ!」
興奮して叫んだ途端、涙が止まらなくなってボロボロボロボロ。

何でこんな遠くまで来てそんな事を言われなくてはならないのかと思ったら悲しくなってきてしまったのだ。
私の涙を見てアネットまでもがボロボロボロボロ。
「私はあなたがイサックを愛してくれたら・・・それだけでいいの。」
「だから愛してるって。」



ああっ!そーか、そーなんだ・・・。

あなたの犬はどんな犬? --- パーフェクトよ!
あれはあなたの犬? --- そう、とっても美しい犬でしょ~。スウィートで穏やかで・・・食べちゃいたいくらい可愛い子なの。

海外でこんな会話を何度耳にしたことか。

お宅の犬はどんな犬? --- 可愛いんですがね~、ちょいとおばかさんで、ゴミ箱を漁るんで困っておりますです、はい。
あれはお宅の犬? --- そーなんですよ。ちんちくりんなんですがね、気はいいんですよ。

こんな会話は日本だけの事。

何が違うって、「国民性」。
人より突出することを嫌い、自己アピールが下手で、謙遜こそが美徳と考える日本人の国民性は海外で全く理解されていない!
理解しているところで「物静かで自己主張は一切せず、協調性のあるやさしい国民性。だけど、曖昧で決断力がない。」くらいがいいところだろう。
でも私はこの定義に当てはまらないどころか、大きく逸脱している。

彼女達の法則にのっとって、人前ではイサックの事を「素晴らしくスウィート(やさしく)でカーム(おだやか)。人好きで撫でられているのが一番好きな犬。とっても可愛いのよ~。」と事あるごとにしつこく言ってきたつもりだ。
しかし、アネットの前では実際の問題(毛食い)ばかりを伝えていて、彼の良さを伝えていなかったような気がする。
こりゃあ、まずい。

「あのね、アネット。大前提に私が日本人であることを伝えておくわ。日本人は自分の犬を人前で誉めない。それは自分の子供や夫、親族に関してもそうなの。大好きで、心の底から愛していても同じ事。あなた達には理解できないことかもしれないけど、それが日本人の謙遜(モデスティ)であり、美徳(バーチュ)なのよ。」

何でもっともっと英語がうまく話せないんだろう。日本語でだってうまく説明できない精神論を英語で説明なんかできないっ!!



30年前、私はアメリカンスクールで友人・教師達からこう糾弾された。
「ミオッコは曖昧な態度ばかりで自分の意見を言わず、問題の解決から逃げている!人間的成長が見込めない。」
だから生きる為、生き残る為に子供の私はあえて日本人としての生き方を捨てたのだ。
わがままとも思えるほど自己主張をし、存在に気づき続けてもらわなければならない生活。
自分から問題提起をし、積極的かつ果敢にそれを克服していくポーズ。
自己演出は・・・正直きつかったが、続けていればそれはそれで習慣になる。

それなのに数年後に帰国することになり、日本の教室に戻って友人や教師からまたもや糾弾されたのだった。
「箕浦さんは協調性が無く、わがままで、自己主張ばかりするのが問題です。」

どーしろっていうの?生きる為に身につけたアイデンティティを捨て、新たなアイデンティティを得ようとしてもそんな柔軟性は持ち合わせていない。
それから30年・・・私のアイデンティティは海を越えたものにはなりきらず、更には島の中にも留まらない。
人間関係の軋轢に戸惑うことばかりだ。
あえて気づかないようにしていた問題点をアネットに指摘されたようで、私の課題は更に増えた気がした。

そんな私の動揺を他所に、アネットは腹を割って話が出来たことに満足していたようだった。
「ふぅ~、ここ数日頭を離れなかったことが話せてすっきりしたわ。お互いに思いを理解できたことだし、この時間はとても有意義な結果をもたらしたと思うの。いい関係が長く続くことを望むわ。ディア マイ フレンド!!」

ポンのブリード戦は滞りなく進み、アネットのイサはインターメディエイトクラスで1席。



インターナショナルの惨敗から一転、サーキットショーに続いての好成績でアネットも上機嫌になったようだった。
アネットの機嫌が直ったことは良いこと。
誤解されたまま帰路に着くのは悲しいからね。
しかし、問題は山積みだ。

今回の旅ではポーランドのリーベンダール犬舎やオランダのブラツィオストラ犬舎というヨーロッパ名犬舎とも交流が持てて、大変勉強になった。
特にブラツィオストラ犬舎は現在飛ぶ鳥落とす勢いで名ポンを作出している。
「気性と健康が一番。その次がスタンダードな美しさ。工場じゃないんだから、どんどん生ませればいいってもんじゃないんだ。いい犬を作るってとても大事なことなんだよ。」
その言葉を証明するかのようにベスト・オブ・ブリードは彼の犬舎のブラツィオストラ・ポン・ファーマン。



気性の安定した美しい犬だった。