孫が一人だけ・・・という超少子化の我が家のせいか
おじいちゃんと娘は仲良し
娘が歌をうたえば、おじいちゃんが合いの手を入れるし
おじいちゃんの得意な口笛も娘はすぐに習得して小学校の頃、合唱コンクール(学内)の時に
一人で口笛を吹くという場面がありました。
何より結びつきが強いと最初に思ったのは
生まれてすぐの頃、娘の背中にあるほくろを見つけた時でした。
なんと!
おじいちゃんとまったく同じ位置にほくろがあったからです。
不思議でたまりませんでした。
髪が薄くなってきてからは娘が頭をよ~くなでなでしていました。
実家から戻るときには必ずハグして、握手して、頭をなでなでしておわかれしてました。
最後もそうやって・・・おわかれしました。
母がずっと家で介護して(ヘルパーさんやデイケアも行きましたが)
一晩だけの入院でしたから
幸せだったと思います。
入院したから、少し回復するだろうと思っていたのに
そう思って面会に行った母を待っていたように
「ありがとう」と言って旅立ってしまいました。
すごいよ、おじいちゃん。
しかし、葬儀に縁遠かった実家では予期しないままにおじいちゃんの葬儀をしなければなくなったので
2週間前と一か月前に葬儀をしたばかりの私が何かとアドバイスしつつ
母と弟の希望を取り入れた葬儀をすることになりました。
「おじいちゃんは、お坊さんはよばなくて音楽をかけてお花いっぱいにしてと言ってた」と母。
無宗教でもお坊さんはお願いできるときいた弟。
で、
祭壇は、花でいっぱいにして無宗教でということにしました。
通夜は、おじいちゃんの好きな音楽をかけてということにして
「早春賦」を選びました。
母はロシア民謡が好きだったとこだわってましたが
ちょっと・・・葬儀でみんなで聞くのは暗~いかんじで。
私も弟も母も父のことを語り、仕事をしていた時からのテニスのお仲間にも語っていただきました。
たまたまその方が能をされるかたで「都(トオル)」というのをうたって?くださいました。
葬儀にあたって
父のことを思い出してみて
あらためて、父の好きだったことはすべて私の好きなことになっているし
こうして親子というのはつながっていくのだと感じました。
父の好きなこと
「花・植木」 休みの日は必ず庭の手入れをしていました。
好きで大切にしてましたが、私が花を摘んでおままごとに使ってもそれはしかりませんでした。
むしろ、せっせとお花を咲かせてくれていたような・・・
「音楽」 楽器はマンドリンくらいしかしているのを見たことがありませんでしたが
聞くのが好きだったようで、たくさんのレコードを持っていました。
当然、私は父の聞くクラシックや歌謡曲を耳にしながら育ちました。
「スポーツ」 と言っても、仲間と楽しむレジャーであって
競うものではありません。
ハイキング、スキー、テニス。
仕事のストレスをうまく解消していたのでしょうね。
私も家族でスキーに行ったり、父のお仲間のテニスにまぜてもらったりしたことがありました。
「読書」 大変な読書家でありました。
父の部屋は全集ものと新書がた~~くさん。
幼かった私も読み聞かせを毎晩してもらいました。
そして、父の本をちょっと見ただけで賢くなった気がしたものです。(笑)
そして、他人の悪口というのは一度も聞いたことがありませんでした。
嫌なことには口をつぐんで我慢していたのかもしれませんが
だからといって決して他人のせいにはしませんでした。
自分ができることで解決していたような・・・
派手なところもなく、人前に積極的に出ることもありませんでしたが
それでもだれかといっしょにいることは楽しんでいたのでしょう。
一週間前のことがなんだか夢の中のできごとで
実感がありません。
一番さびしくなったのは
毎日介護していた母だと思うので
今までより実家に足を運んだり、電話したりしないと・・・と思います。
コメントをいただいた狆友のみなさま
ありがとうございました。
年度末新年度で超多忙につき
おひとりおひとりにコメントできず、すみません。
なんとか、倒れずやっております。