新年に書くブログとしてはやたらに硬いテーマだが、ネットの記事を読んでいたら自分の境地にも通じる内容であったので引用させてもらう。
現代ビジネス「世界の本音に気づき、そろそろ米国の思想統制から抜け出す時なのでは」川口マーン恵美氏の記事より:
我々の過去の事実を「知ることの難しさ」は現行の事実を正確に把握し理解する能力からして不十分で、不適格な情報を集めてしまう傾向にある事を否定しないことから始まるだろう。
なんとも自分の過去さえも正直に記録した日記でも残さない限り不明となっている。私はベルギーで画学生をやっていた頃に三日おきに母宛に手紙を書いていた・・・・その手紙の束の中から一部を読んでみたら・・・・やたら難しい思考の世界に入り込んでいて・・・絵画制作の在り方を素人の母に理解を求めていた。当人としても「ひぇーーこんなこと、母親に言うなよ!!」と、思うことだった。もしこれを他人が内容を分析して、私の思考回路を解説したら、ほとんど虚構に近い内容になるであろう。
川口マーン恵美氏は東洋史家の宮脇淳子氏の一文を引用して;歴史家が拠る(よる)史料で扱いに注意しなければならない点として、
1)史料は作者や作者が属している社会の好みの物語の筋書きに従って整理されている。
2)史料は作者や作者が属している社会が記録する価値があると思ったことが書かれている。
3)史料はすべて何かの目的があって記録された。
「歴史家が本当に歴史的事実を求めるなら、修正に次ぐ修正を繰り返すことが学問の王道なのです」と書いている(最新刊「ロシアとは何か」より)
氏は科学的なことは修正が利くが、歴史となると修正は悪いこととされている。また宮脇氏の言葉借りて「修正主義が悪だとしたら、善に当たるのは原理主義となる・・・と。
戦後日本人が摺り込まれてきたのは米国が書いた正史だ・・・確かに戦争を終わらせるために原爆は必要であった・・・真珠湾攻撃をいきなり始めたのだから原爆や東京空襲で民間人が殺されても当然だと・・・・言ってはばからない。パレスチナのガザで民間人が殺されようが、テロリストであるハマスをは排除するのに仕方がないとバイデンは停戦に反対する・・・しかしパレスチナに戦後ユダヤ人を送り込んで土地を安く買い、ユダヤ人の国家を作るために最後はパレスチナ人を武力で追い出させたのは米国と英国であるが、これらが彼らには「善」であり、事実関係を明らかにしていくと「修正主義者」とされる。
今の世界の基準は米国の利益のために在り、基準に従わないムスリムの人たちは「悪」とされている。かたやプーチンは「西側の基準」に対抗して、かつてのソビエト連邦を再生しようとしている・・・と米国と全く同じ原理主義者だ。
ここで断りを入れるが、「安倍晋三の修正主義」と一緒にしないでほしい。
歴史を知るためには事実関係を私欲無しに論理的合理主義で再構築する他ない。そのための修正主義であり・・・安倍晋三の様に自身のコンプレックス(優越感と劣等感)を満たそうとしては、反米主義にしかならない。
歴史を「史実」のレベルに上げるのは難しい。川口マーン恵美氏はドイツ在住か・・・ドイツ語で歴史をGeshichteと言うが、同様に物語のことをGeshichteというのは、ドイツ人がれk氏とは何かをよく理解しているから・・・と理解が深い。つまり歴史はほとんど「虚構」であるということだ。
だが本当のことを知りたい・・・・今の自分の成り立ちを知るうえで必要な学問だと思う。
しかし、この国で西洋美術史に関わる人たちのほとんどは美術史を学問だと思っていない。調査研究もしない。だって絵も描けない、作品を見ない、作者が何を意図して、どういう表現を求めたのか知る由もない。彼らが現状を修正できなければ「AI」に頼むしかない。本場の西洋人の研究者が積み重ねたものを基準にしていれば良い。となると西洋美術史の学芸員は不要で、必要なのは「雑芸員」である。今の学芸員は原理主義者そのもので、変化を求めない・・・いや、私が西洋美術館紀要に書いた「美術館業務の分業から専業へ」と言う内容の一文を読んだブリヂストン美術館館長が私のことを「修復原理主義者」と呼んだらしい。美術史系学芸員が何でもできるから、修復家が余計な事を言うな・・・ということらしい。欧米の美術館は美術史、レジストラー、保存修復。保存科学と別れてプロフェショナルな仕事を形造っているのに・・・・原理主義者は自分のことだろうに・・・「修正」とは見直すことの意味だ。
欧米では保存修復と保存科学によって美術史を書き換える作業がされている。技法や制作材料によって、時代、地域 作者が調査されてきた。日本ではこれらの作業は学芸員が興味を持たないから遅々としている。欧米で何が起きているか知らないとは・・・無能ということと不適格ということだろう。西洋美術館は専業から分業に代わったはずだが、後から来た者が分業の目的機能を理解せず、自分たちの方が「偉い」と思っているから救いようがない。欧米で科学的観点から「修正」が行われることを、日本の原理主義者たちはどう思っているのか?