我が家でも春猫の季節がやって来た。
だいたい5月ごろが春猫の誕生で、六月となれば母親に連れられた子猫が人目に触れる場所に登場する。猫の母親は猫が生まれると普通は一目にも、他の猫にも見つからない場所を選んで子供を育て始める。猫の妊娠期間は63日と言われているが、その間も他のオス猫がさかって啼いて歩いているから、それは同時に子猫たちにとっては危険な時期で、父親とは違ったオス猫が子猫を殺して交尾を求める時期だから、子猫を隠す。我が家にやって来た野良のあいちゃんが私が5月13日に東京から戻ると4匹産んでいた。階段下の段ボール箱の中で乳を欲しがる子猫の鳴き声で気が付いたが、ずいぶんと誰にも気づかれるラフな場所に生んだものだと思った。もう一匹の野良のともちゃんにも生まれたが、こちらは最初からどこにいるかも知れずに、夕食に時間に通ってくるだけだが、お腹が辺ちゃんこになっているので、生まれたのだろうと推測。何匹か、生きているのかも知れないが、ともちゃんの乳を見て、とんがってきれいに見えれば子猫が飲んでいる証拠だ。しばらくするとともちゃんが子猫たちを連れてやって来た。3匹のどうもメスばかりの子猫たちだ。それと入れ替わるようにあいちゃんが4匹を連れて何処へ移動したかと思うと、直ぐそばの棚の下で子猫たちが鳴いている。そしてゴミだらけになって目の見えない子がひょろひょろ出て来て、こちらを驚かす。ひょいとつかんでゴミを取ってまた押し込んでおいた。
人が触るとやはりよくない。あいちゃんは子猫4匹を連れて、家の外に出て行ってしまった。悪いことをしてしまった。一方のともちゃんの子たちは軒下で、室外機の下にいたが、このところ雨に打たれたりするので、危なくてしょうがない。子猫には危険だ。子猫は脂肪がないから直接寒さがこたえるだろう。
他の猫のことも心配だが、父の一周忌があったので岩国の実家に4日出かけたが、やはり他の猫たちもみなちりちりバラバラになっていた。猫は家に付くと言われているが、人に着く猫もいる。私がいないと何匹かいなくなる。今回はずいぶん多く5匹帰って来ない。その理由として感が和えられるのは、新しく子猫が家に上がってきたからだろう。夜遅く帰宅して見ると、足元に目の開いて間もない子猫がうろうろしているから、驚いた。ソファーの下に置いておいた段ボールの中に住んでいるが、居間が運動場だ。この子たちはあいちゃんの子だが3匹しかいない。家から離れて子育てする間に1っ匹死んでしまったのだろう。あいちゃんにとっても初産で4匹全て育てられないだろう。まだこれからも死ぬかもしれない。ともちゃんは家の軒下に3匹の子猫を置いたままだ。家の中に入れない。
こうして子猫たちが登場すると、大人の猫たちは遠慮するのだ。食事の時に戻ってくる猫たちが少なくなった。家のそとで待っているが、雨が降らないから・・・・中国地方は梅雨入りしていないのだろうか・・・・雨が幸いにして降らないから、今夜は満月で昼夜の温度差が激しいが、あいちゃんは子猫3匹を外に出して夜更かししている。この文を書いたら、ちょっと様子見に行ってくることにする。
猫が我が家に増えるのは困るが、野良猫が我が家を頼って来て、生まれた以上私は最大面倒を見たい。死なないで大きくなって欲しい。住む家があっても子猫たちが無事育つとは限らない。市役所などでは野良猫にエサをやると爆発的に増えるようなことを公報しているが、身勝手な言い分だ。自分たちの主張に都合の良いようにフェイクニュースを作るのだ。
野生でない猫は決して防衛本能が発達していなくて、人を頼りにして居るから、質の悪い人間に簡単に殺される。食べ物よりテリトリーに拘り、自分のいきかた に合わなければその家を出ていく。いきなり命の危険ががあっても、自分が自分であることが大事なのだ。 子猫が生まれると、他の猫たちが遠慮して、差しさわりのないように気を使っているのが分かる。干渉はしない。だから猫は生きたいように生きていく個人主義なのだ。 人も少し学ぶべきだ。特に日本人は。日本だけだ引きこもりが問題になるのは。自分が自分であることを許さない国だからだ。
追記:6月18日
あいちゃんの子供たちが居間に戻ってきた。夕食の時間にソファの下の段ボールから出て来て、なんとマグロの缶詰を大人と一緒に食べ始めた。彼らは手のひらにひょいと乗る大きさだが、低い大きさの皿に載せたほぐれたマグロなら食べれるのだ。一番恐れの白っぽい子が遅く出て来て、茶碗の中に入って食べ始めた。ひょっとして、あいちゃんの乳が出なくなったのかも知れない。あいちゃんは外で遊んでいるから、そんな気がする。子供が生まれて1月と1週間だけど。
一方のともちゃんの子供たちは相変わらず軒下で生活しているが、体はあいちゃんの子たちより大きいのに食事デビューはまだだ。
あいちゃんんもともちゃんも私に食べ物をしきりにねだる。子供たちの為に食べているに違いないと思う。
追記:6月21,22日
21日、雨が突然降った。あいちゃんが子猫たちを外に連れ出すので心配だったけど案の定、一番小さな「みそちゃん(この子だけ名前を付けた)」がいない。二匹はあいちゃんが保護したのか、雨のかからないところに避難していたが、みそちゃんが見当たらない。この子は一番小さな割に大胆に人間を怖がらないから、単独で表に出てしまう。上空にはトンビが、木の上にはカラスが群れているから、一番死に近い。
私はこの子を捜しまくったが見つからない。諦めて死んだものとして部屋で仕事をしていたが、やはり気になる。何度も庭を捜すが、4時間して居間にいるところを見つけた。毛はずぶぬれになったのか、立ち上がっている。あいちゃんが見つけて居間に連れてきたのだろう。こんどは他の二匹がいない・・・という調子で。みそちゃんにはホッカイロを与えて、その上に座らせた。古いホッカイロであまり熱くならないから、じっとして寝てしまった。しかしあいちゃんには乳をやってほしい。体が冷えてお腹もすいているだろうから。しかし人間の言うことを聞くものではない。
結局、夜になって他の二匹と一緒にまた外で寝ていた。しかしみそちゃんが一番小さいのは他の二匹に押されて、いつも乳を十分に飲めないからだ。
何とかしないといけないと思って、翌22日急遽、猫ミルクを買いに行った。そして縁の低い茶碗に入れて猫たちの前に差し出したが、真っ先に飲んだのは、あいちゃんだ。みそちゃんが飲む気配なし。無理や私の指に浸けてみそちゃんの口元に着ける。反応は悪くないけれど、なかなか積極的に飲まなかったが、私の指に噛みついたので、やれやれという感じ。茶碗に向かって顔を近づけて飲み始めた。哺乳瓶を買うことは無かった。
これで、この子は助かると思う。
追記:6月23,24、25日
23日は買い物に出かけている間に突然の雨。まだ梅雨入りはしていない。曇り空に濃い雲がかかっていたため。気になって急いで帰ると、案の定、あいちゃんが赤ちゃんたちを外に連れ出して、日光浴をしたいたのだろう。長けの長い草むらに二匹、みそちゃんが独り、短い草の陰に・・・。いずれにせよ、みなずぶぬれだ。私はいそいで猫キャリーを出して、隣の水産高校の庭に向かった。くたびれていたのか、鬼ごっこは無し、すぐに私の手の中に納まって、かごの中に入った。肝心のあいちゃんは家の中。あいちゃんが初産の母親であること、子供たちに外の空気を吸わせたいが、雨に打たれてぐったりとさせてしまった。
私はなるべく赤ちゃんに触らないようにと思うが、こういう場合は仕方がない。赤ちゃんたちを玄関の廊下に放つと、あいちゃんが舐めてやっている。
あいちゃんは猫ミルクを独り占めして、飲み過ぎたせいで下痢をしている。この猫ミルクは子猫用とは限らない。乳離れしてから与えよと書かれていたが、酪酸がやっぱり含まれているのだろう。猫には向かない。
翌24日はは取り合えず彼らは家の中にとどまっている。ご飯は柔らかい缶ペーストの缶詰、水でふやかしたカリカリを与える。がしかし、大半をあいちゃんが食べる。やはりという感じ。
25日は梅雨入り前の晴れ。空は雲一つなく青い。熱い。昨日ペットの熱中症についてTV番組があったけど、赤ちゃんたちは陽の差すところに行きり、あいちゃんはまたしても赤ちゃんたちを外に連れ出す。一番大きいのがまた隣の庭に飛び出している。
家の中にいる間は,私の姿を見ても逃げないが、外では走って急いで逃げる。これが悪いかくれんぼ。見落として見つけられなくなる。あいちゃんに「おまえ母親だろう。さがせ!!」とどなる。
そろそろ三匹に名前を与えようと思う。公募したいところだが、面倒なのでこちらで付ける。一番小さいのが「みそちゃん」鼻の横に団子のみそだれを着けた子供の様だから。ついでに「みそ」とくればなんでしょう?正解は「みりん」に「しょうゆ」だね。世の中には「プリンちゃん」とか「イチゴちゃん」とかなまえおつけるだろう。食い物の名前が難しくなくて良い。で決まり!!
さあベイビィを迎えに行こう!!
26日になって、いきなりとんでもないことが起きた。27日から梅雨入りの可能性があり、その予兆として昨日も通り雨が少し降った。子猫にとって最も危険なのは雨。去年も子猫3匹が親に連れられて外に出て雨に見舞われて帰れなかった。悲しいことに一匹だけが庭の通路までたどり着いて、そこに横たわって死んでいた。それほど私にとって雨と子猫は悪夢の関係だ。なのにあいちゃんは子猫たちを外に連れ出す。そこで私が猫キャリーをもって探しに行き連れて帰る。あいちゃんは「自分の子供に何をする」という気分で、また連れ出す。夜中の雨が予報で出ていたので、子猫を無理やり家の段ボールの家に押し込んでおいたら、26日朝の八時半には子猫たちは家の中にいなかった。私は急いで子猫を捜しに庭に出たら、プランターの隙間にみそちゃんが横たわっていた。もう死にかけている。あんなに元気だったのに体は冷たくなって死ぬ直前だった。私が手のひらに乗せた時に、三度小さな口を開いて啼いた。まるで「助けて!」に聞こえたが。急いで家に戻り、ホッカイロを集めた。封を開けても直ぐには温まらない。みそちゃんは僅かに呼吸をしているが、私の手のひらに乗せて温め続けていたが、ようやく温まってきたホッカイロに挟んで寝かせて様子を見た。しばらくして呼吸が大きくなって良くなったような様子だったが、10時ごろに一度寝返りを打った。その時に目を開けて一度啼いた。まさかこれが最後になるとは。11時ごろに息を引き取った。小さく口を開けて、つらかった出来事を訴えているようだった。みそちゃんを昼過ぎに庭に埋めた。これで今年に入って3匹目だ。皆人目につかない場所に行って死ぬ余裕もないほど疲れて死んでいる。だから遺体は私の手で埋葬した。他の動物がひろ返さないように、なるべく深く掘って直に入れ、すぐ腐るように何も包むこともなく、そして臭いがしないように水をかけておく。
さらに残りの二匹だが、親に言いつけられてか、私から逃げるようになった。まだよちよちいだったみそちゃんは、毎回あいちゃんがくわえて移動したに違いないが、他の二匹はもっと元気だったため逃げ足が速い。またプランターの隙間に逃げ込んでしまう。あいちゃんが何とかするだろうと思いきや、何度探しても見つからない。夕方からまた雨の予報。他の多くの猫が外で過ごしている。梅雨が遅れたこのタイミングが悪い。びしょ濡れで帰ってくる大人の猫ははしからタオルで拭いてやるが、子猫たちは戻って来ようにも、親の命令に従って外にいる。そこであいちゃんだが家の中で寝ているから、もう育児放棄だと思った。
27日は朝から雨。プランターの間には子猫の影もない。あいちゃんに子猫たちを捜せと言っても、分かる子ではない。
一方のともちゃんの子供たちは母親と一緒に軒下にいる。マグロの缶詰やカリカリを持っていくと、どうも食べていると思える。一度居間に上がって来ていたのに、この子たちも母親の判断で、軒下にいる。渋り雨の今日はまだいいけど、風を伴う雨がそのうち降るだろう。それまでに家に入ってほしい。もう子猫を埋葬するのはごめんだ。
7月2日
ちょっとこの間が開いて、あいちゃんの子猫は私に大分気を許すようになった。親の言うことを聞いて、雨の中、外に出たのはいいけど何も出来ずに軒下の作業台の下に隠れて過ごしている。出てきたところを、むんずと捕まえて家の中に戻す。この繰り返しで、あいちゃんも曇り空でも家の中で、子育てするようになった。そして大中小の中であった「みりんちゃん」が大人たちの夕食の時間には、食事デビューを始めた。誰彼となく食べている皿の中に課大突っ込んで食べる。子猫はアンタッチャブルだから誰も意地悪いことはしない。無視して一緒に食べている。これで少し安心。しかし、乳離れしたという意味ではない。彼らは生まれて二か月近くになるが、役所の公報が言うように「年に三回妊娠可能」はあり得ない。悪徳ブリーダーの所業をまるで実際に起きていると思う役人仕事だ。妊娠期間が63日、それに子育ての授乳期間が2か月以上あるのに、子供を置いて次の盛りが付くか!! そこまで異常な猫は見たことがない。子猫たちを殺されればあるのかも知れない。ブリーダーがかわいい盛りの子猫を親から引き離して売りに出す、この残酷で異常な人間の拝金主義の犠牲にさせてはいけない。とにかくうちの子猫たちは無事に大きくなって欲しい。我が家では良くTVで言われる「多頭飼育」の犠牲者は出さない。可能な限り不妊手術と去勢手術で数を増やさないようにしている。ときたま、触らせないメスの子が妊娠して帰ってくるので、現状で30匹くらいに増えているが、まだ死ぬものもいる。私としては資金がある限り、彼らの面倒を見ようと思っている。私の食費が一日600円、彼らの食費が1200円となってちょっときついが。
今日はみりんちゃんが玄関の猫トイレの砂に挑戦している。これまで猫シートに、時には私の風呂の足ふきマットにウン子していたのが、今、砂をかき分けている最中だ。すこし成長したね。
いつの間にか7月14日。
大変なことが起きている。あいちゃんの体調が悪く、下痢とトラコーマになっている。抗生剤と抗生剤入り目薬を指してやる。もうそろそろ生まれて2か月を経て乳離れしても良いころだが、子猫たちは乳を欲しがる。その父が問題で子猫たちが戻している。白いヨーグルトのような嘔吐物を二匹ともみりんとしょうゆが戻している。母親のあいちゃんは行くへ知れずになった。帰宅せず、二日目の昼過ぎに現れて、連れ戻そうとするが嫌がって抱いて引っかかれる。しかし子供たちの所まで連れて行く。子供たちに全くつれない訳ではないが、また庭に出てしまう。そしてまたいなくなった。体調が悪くなって死に場所を探しているのかも知れない。ふたりの子供は母親を捜して窓際から離れない。見ていて涙が出そうになる。
逆にいつの間にか私が親代わりだが、ふたりのいる居間にしゃがむと、あれだけ私を避けて逃げ回っていたしょうゆまで股の下に入って鳴いている。私を頼っている。食べたものを吐き出し、大分やせてしまった。顔にしわのようなものを感じる。背骨がごつごつと感じられ、どうにかしないといけない。猫ミルクを買ってきたが評判すこぶる悪く、皆飲まない。子猫に至っては見向きもしない。やはり母親から乳を飲みたいのだろう。明日も休日だが明けたらすぐに医者に連れて行くつもりだ。
一方のともちゃんの子供たちは元気。一人私と軒下で出会っても逃げなくなったのがいて、ときどきゆらゆらと寝ているから名前をゆらちゃんと付ける。他の二匹は逃げまくって、遠くから私を観察している。まあ健康に問題なく育っている。
7月16日
夕方、あいちゃんが帰ってきた。まだ生きていると思ていたが、やはりかなり痩せこけて帰宅した。片目は少し良くなっているようだ。やはり母親だね。みりんと醤油が走って行って、乳にしゃぶりついている。乳がまだ出るのかどうかわからないが、吸えばまた出るようになるだろう。育児放棄ではなく、親離れを誘っているのかも知れない。でも子供たちの姿は嬉しそうだ。見ていてまた涙が出そうになる。
みりんとしょうゆの健康状態は少し改善しているようだ。みりんのウン子は小さくても形がウン子らしくなって、しょうゆのウン子は色が少しグレーだけど形になって来て、量も増えた。今朝八時の食欲はすごかった。何か欲しがっているなと思って、缶詰を開けたら勢いよく食べ始め、病院に連れて行く必要もなくなったようだ。もう一度ウン子の具合を見てみよう。・・・・ナニ!! 親ばかになっている??・・・。
7月20日
つまりあいちゃんの子たち、ともちゃんの子たちは産まれて二か月と十日立ったという訳で、もう十分に固形の食べ物に手を出す。特にみりんとしょゆは居間で他の大人たちと夕方の缶詰の夕食は待ち遠しくて、皆と一緒に騒ぐようになった。茶碗に一投目の缶詰が入れられると、真っ先に飛び込んで、しょうゆはうなり声をあげて食べる。追加のマグロを入れてやろうとすると、ウーと唸ってさじを押さえつけて、横取りされるのではないかと、茶碗の中に入って食べるようになった。行儀を教えるどころではない。すでに「個性」を発揮している。一方のみりんは頑張るが、そこまで品悪く食べない。
やっとお腹の具合も良くなって、食欲も十分にあり、ウン子の色も黒くなってきたが、少しまだ柔らかい。これが硬くなれば安心だが。いや困ったことに、彼らは廊下やソファの下にウン子オシッコをするのだ。しょうゆの奴!!日に三回廊下にウン子して、その周りにオシッコまでしたので、私も危なくて歩けない。特に夜はあぶない。廊下で砂をかける真似だけはするから・・・。砂のトイレは直ぐそばにあるので、私の教育が悪いのではありません。
あいちゃん、ともちゃん双方の子たちはすでに乳離れしたかというとそうでもない。あいちゃんの乳は出ていないが、しゃぶられている。ともちゃんは出るのかも知れない。毎日三匹がしゃぶりついているのを目撃する。邪魔をしないように遠くから眺めているが、しゃぶっている間は出ると聞いている。あいちゃんは途中体調を悪くして、中断して、みりんとしょうゆまで体調を悪くしたから、その片鱗は残っている。母乳は免疫力を高めるために必要と聞いているが・・・どちらも痩せて、まだ顔がETみたいだ。
行政が「野良猫にエサをやらないでください。膨大な数に増えます」とか公報しているが、我が家のように食べるところがあっても、無事育たないことが分かると思う。もし、誰もエサを与えなかったら、交尾はして生まれても育たないから、すぐ死んでしまい、酷なことをするのは行政であり、猫を捨ててしまう人間である。彼等には必ず、報いがあるだろう。それから「猫は年に三回出産できると」とふざけた言い方で猫を排除しようとする者がいる。しかし現実は違う。猫の妊娠期間は63日、乳離れに要する期間は2か月以上だから4か月は最低必要で、この無理な期間を年に3回にさせるのは、金もうけのブリーダーである。乳離れが終わり切っていない子猫も無理やり親から離して、次に発情させるのである。どうやって発情させるのか知らないが、年に3回子を産むとは、このことらしい。全く行政も無責任なlキャッチコピーで野良猫対策を作り上げるのだ。
我が家で野良猫が生んだ場合は「生まれたからには死ぬまで生を待った全うして欲しい」と思っている。私の年金と貯金が尽きるまで。
しかし、ともちゃんの子供たちは私を見ると走って逃げる。ゆらちゃんだけは居間に上がってみんなの食べ残しを食べにくる。どうどうとみんなで食べに来て欲しいけど。では。