どこの高校も、高校教育の文科省の基準に従って、単位は週に一時間程度に定められているようで、「おまけ」の教育であることに違いない。高校教育は現在、理数系進学と文科系進学に分かれて「大学入試に特化した基準」と、あとは実業高校つまり工業高校、水産、商船高校とに分かれている。高等専門学科工、俗にいう高専は理系技術者の即戦力を送り出すという仕組みだ。
芸術系の美術や音楽の芸大・美大、音楽大学に進学することもあっても、それに特化した高校は都市部に僅かあるようだが、大学入学資格試験の基準と同等の学力を満たさねばならないから、特に地方には学校として数は増えない。
で、今私が請け負っている水産高校の美術の授業は、なにやら文科省が定めた教育内容の基準があるようで、私が山口高校の高校生であった1967~70年ごろには「教科書」もなく、まさに進学校教育の適当な一部でしかなかったが、今日は結構分厚い教科書が教科書専門の出版社である「文教出版」から古代美術から現代アートまで「網羅する?」内容で出ていて、私も今回教職(非常勤)にあたって一部もらった。
教科書通りに教えるのは「無理」!!内容は表面的で、高校生にとって面白くもなく、中には「選択制の単位」を満たすだけが目的で、もう一つあった習字の科目より、美術のほうが気が楽で「遊べる」と生徒は踏んでいる。こういう生徒が大半の私の相手なのだ。
この教科の前任者は「プロの美術教師」としてカリキュラムを作り提出している。当の私は「美術教師」としての経験がなく、何故担当することになったかというと、前任者も水産高校での立場は「非常勤教師」であって、ほかの町から通っているとか、いろいろな面倒があるだけでなく、職能内容にも完成度が作り出せなかったと推察した。だから常勤の口があればさらに遠くなっても、そちらを選んで、今の講座が空いてしまったという訳で、私が「年寄りながら」依願を受けたということだ。
という訳で、私には特別、前任者が作っていたカリキュラムなど求められなかった・・・。そこで「私のやり方」で美術を教えることが許されている。要するに東京造形大学は2年中退で海外留学してしまって、絵画修復の専門を身に着けて帰国し、フリーランスから西洋美術館に20年務めたという経験があるものの、文科省の基準にからはみ出るが、美術に関してまあ経験は充分とされたのだろう。
ここで私は自分の能力や体力から無理をしないようにしている。だから年間を通してできる「目標」はかなり絞り込んであります。
生徒にとって、一年間で会得できることとは、文教出版が作った「高校生の美術」の教科書に従うと、全く意味のない時間を過ごすことになり、人生の大事な経験を作ってあげるために至ったのは「実技重視」の時間です。
つまり教科書より、スケッチブックを配給して、「鉛筆一本で紙に表す世界」を感じ取らせることを目標にした。
しかし
選択科目で「習字」か「美術」か二つから選んできた生徒たち。つい3月まで中学生で、今どきの若者は「遊び」が大事らしい。
そこで第一時現に「ダイソーで買ってきたスプーン」を描かせた。そこで生徒の色んな性格が表れてきて、平面的に上から、横から描く者、斜めに立体的に描く者、正確さを重視する者、メチャクチャで何も出来ない者などに分かれた。教師の話など聞きはしない。最初の一時間は席についていたが、連チャンでもう一時間あると、席を立っておしゃべりなど無茶苦茶になる。教務の先生が補助に来てくれて「着席!!!!」と怒鳴ってくれて・・・やれやれだった。
こういう調子で私の非常勤教師業は始まったのだ。
実技の描写の課題は「スプーン」「鳥(想像で)」つぎは「隣に座る級友の顔」「屋外の樹木」「松ぼっくり」という具合だ。ここで私は生徒から風邪をうつされたようで、10日間」寝込んだが、ちょうど中間試験とイカ釣り実習で、美術の時間は休みとなっていたから、差しつかえなかった。風邪をひいたのは何十年かぶりで、恐怖を感じて「コロナ」かもとか考えた。
次の課題は柔らかいものと「ハンカチを持ってきて描く」ことにする。柔らかく形が一定でないところをどう捉えるか見ようと思う。難しいぞ!!