以前に南ひだ健康道場日誌でアマドコロを紹介しましたが、更に掘り下げて飛騨地方での利用の歴史について紹介してみたいと思います。
今から紹介する内容は情報カードとして植栽圃場に展示しようと思っている内容です。
飛騨地方でのアマドコロの薬用の記述は西暦1745年に編纂された飛騨國の風土記である「飛州誌」にみることができます。
飛州誌には20種の薬草が紹介されていて、その中の一つに「萎甤ヤマトコロ」があります。
萎甤(いずい)とはアマドコロの生薬名であることから飛州誌での萎甤はアマドコロではないか考えています。
飛州誌に記載されている萎甤がアマドコロであると確証できないのは、飛州誌が編纂された西暦1745年より遡ること36年前の西暦1709年に黒田藩の貝原益軒が書いた日本初となる本格的な本蔵書である「大和本草」では黄精のことをアマドコロとしています。
また大和本草の中では「黄精ト萎甤ト相似タリ・・・」と書いていることから黄精と萎甤は違うと述べていることを考えると飛州誌での萎甤はアマドコロでない可能性もあります。
飛州誌が編纂されてから時を経て127年後の西暦1872年(明治5年)に編纂され斐太後風土記の中で飛騨國産薬品が紹介されています。
その中で、「萎甤アマトコロ」と「黄精」が記載されています。
現在の生薬名では黄精はナルコユリであることから斐太後風土記での黄精はナルコユリで、萎甤はアマドコロであると考えることができます。
飛州誌と斐太後風土記では薬品といて紹介されていますが薬効や薬用方法についての記載がないことからアマドコロが何の薬であったかは解りませんが、古くからアマドコロが利用されていたことが2つの古書から解ります。(担当k)
今から紹介する内容は情報カードとして植栽圃場に展示しようと思っている内容です。
飛騨地方でのアマドコロの薬用の記述は西暦1745年に編纂された飛騨國の風土記である「飛州誌」にみることができます。
飛州誌には20種の薬草が紹介されていて、その中の一つに「萎甤ヤマトコロ」があります。
萎甤(いずい)とはアマドコロの生薬名であることから飛州誌での萎甤はアマドコロではないか考えています。
飛州誌に記載されている萎甤がアマドコロであると確証できないのは、飛州誌が編纂された西暦1745年より遡ること36年前の西暦1709年に黒田藩の貝原益軒が書いた日本初となる本格的な本蔵書である「大和本草」では黄精のことをアマドコロとしています。
また大和本草の中では「黄精ト萎甤ト相似タリ・・・」と書いていることから黄精と萎甤は違うと述べていることを考えると飛州誌での萎甤はアマドコロでない可能性もあります。
飛州誌が編纂されてから時を経て127年後の西暦1872年(明治5年)に編纂され斐太後風土記の中で飛騨國産薬品が紹介されています。
その中で、「萎甤アマトコロ」と「黄精」が記載されています。
現在の生薬名では黄精はナルコユリであることから斐太後風土記での黄精はナルコユリで、萎甤はアマドコロであると考えることができます。
飛州誌と斐太後風土記では薬品といて紹介されていますが薬効や薬用方法についての記載がないことからアマドコロが何の薬であったかは解りませんが、古くからアマドコロが利用されていたことが2つの古書から解ります。(担当k)