公園の池も雨の中

陶磁器コレクション、千夜一夜物語、映画の話等

灰の記憶

2006-06-30 20:52:02 | 映画
アメリカ映画
お勧め度 ★★★★★

救いのない映画です。
痛快コメディ映画と抱き合わせで借りて観るのをお勧めします。

これも「ヒトラー最後の12日間」と共に実話を元にした映画です。
ユダヤ人が勇敢に抵抗したことがあったとは、この映画を観るまで知りませんでした。
そういう意味で励まされた映画ですが、抵抗するに到った心情があまりに痛ましい話です。

ユダヤ人の中からナチに協力する者を選び、仲間を死に追いやる最も汚い仕事等をユダヤ人にやらせる。
その見返りとして4ヶ月の延命を図る。(とてもケチでいやらしい見返りである)
この映画はナチに協力したユダヤ人の話です。

ナチの軍曹が
-ユダヤ人はあっという間にこの便宜に馴染み、仲間を陥れ殺している。
ユダヤ人とはそういう人種なのだ-といった趣旨の言葉を吐きます。
このような発言は他でも聞きますが、人をこのような状況に陥れて、自分は高みから判断を下すなど許されるのか?

軍曹は収容所の人殺しの日々が耐えられなくなっており、酒がないと平静を保てない。
「これは決まったことであり、自分はそれに従うことに決めた」のであって任務を遂行しなくてはならない。
従って上記のような"ユダヤ人は最低だ"という結論に逃げ込みたかったのでしょう。

しかし彼は選択したのですから、このような言い訳をしてはいけない。
ユダヤ人は選択の余地なく収容所行きになったのだから。
収容所のユダヤ人を裁いてよいのは、収容所の同胞のみ。

それまでの経緯とは関係なしに、一旦決まったことにはとことん忠実に従うのはドイツ人気質なのでしょうか。

「民主主義の選挙では、その結果に到るまでの経緯は一切関係ない」とE.ドットが書いていましたが、
そうすると、ブッシュを選んでイラク侵攻に踏切ったアメリカ人も言い訳は許されないということでしょう。

Rosenthal ポインター

2006-06-28 15:54:46 | コレクション
非常に存在感のあるフィギュリンです。大きさが28cmと大きいせいもありますが、
この犬を置くとRoyal Copenhagen や Bing & Grondahlの作品はかすんでしまいます。
(Dahl Jensenの作品は異様な存在感があるので負けていませんが)

Royal Copenhagenと比べてRosenthalの方が作りが凝っており、デッサンもきっちりしています。
特にRoyal CopenhagenのデザイナーLauritz Jensenが作ったポインターNo.1634、No.1635
とほぼ同じモデルのRosenthalのポインターNo.172、No.1001を比較すると一目瞭然です。

Rosenthal No.172 -M.Flinsch

Royal Copenhagen No.1634 -Lauritz Jensen


単に本物そっくりに作ったのではなんの芸術性もなく、クリスチャン・リース・ラッセンの絵のようになってしまうので
Rosenthalの作品にはあまり魅力を感じないのですが、いくつかの作品はデザインも素晴らしいものがあると思います。
デザインに優れるとRoyal Copenhagenよりも技巧的に優れたRosenthalの作品の方が圧倒的な迫力です。

ショットグラス

2006-06-27 21:26:22 | Weblog
沢山は飲まないけれど、毎日欠かさず飲んでしまうお酒。
一番好きなのはビールですが、冷やさなくても飲めるウォッカ、ラム、テキーラ、ジン、ワイン等も好きです。
そこで登場するのがビールグラスとショットグラス。
お酒は割らないのでショットグラスで飲みます。ショットグラスには素敵な物が多くて目移りしてしまいます。

しかし・・・お酒を飲んだ後は片付けなくてはなりません。
そして、酔って皿を洗うと必ず割ってしまうのがグラス。(片付けずに処理しました、なんちゃって)
ガラスはイッタラの製品が好きで底に気泡の溜まった様なデザインやモンブランを模ったデザインのものを持っ
ていました。(過去形)
モンブランは琥珀色のお酒を入れると夕焼けに染まったように見えてとても綺麗でした。
背の高いビールグラスは5個くらい買いましたが一年後に残ったのは1個。(使うのを止めたから残った)
ショットグラスはだいたい3ヶ月に1個は割っていたでしょうか。
店員と顔見知りになりそうな感じになっていた頃、
一番大事にしていた海月と小魚がエッチングで描かれていたグラスを割ってしまい
「あんたはプラスチックの容器で十分」との宣告が・・・
このグラスは無名のメーカーで、購入した店も閉店しており買い替えもできず。

これに懲りてここ3年使用しているのはプラ、ではなくてケーキ屋でゼリーを買ったとき入っていた8角形のグラス。これにしてから割っていません。奇跡か?

そろそろ好きなグラスを買っても大丈夫かな。

Cairn アニマルシリーズ アルファベットX(ET)

2006-06-26 13:02:46 | コレクション

今回はちょっと趣向を変えて軽い感じで。

これはETがモデルになっていると思われるフィギュア。
アメリカのカリン社が1996年~2000年まで作成していた
アニマル・アルファベット・シリーズです。
AからZまで各文字を頭文字に持つ様々な動物達がアルファベットキューブ
の上に乗っています。
そこで、Xの文字には謎の生命体であるETが乗っています。

当時日本でもこのシリーズが購入できました。
但し"X"は品切れだったので、これはアメリカのショップから取り寄せたものです。
廃盤品なので現在はeBayのオークションで落とすことになります。

26文字集めようか悩んだのですが、結局気に入ったものしか買いませんでした。
7文字程度しかありませんが他のも見たいというかたはこちらへ

盆栽

2006-06-25 21:23:14 | Weblog

私はガーデニング ではなくて盆栽派です。
十数年前、松の盆栽を夏の暑さで枯らしてしまっていらい、遠ざかっていたのですが久しぶりに挑戦
することにしました。

付き合いでサカタのタネに行った際に「中国トキワ姫ウツギ」と「四万十川柳」を購入しました。
帰ってからネットで育て方を調べればいいや、と安易に考えていたら、ヒットするのは「川柳」ばかり。
本当にそんな木があるんですか?
トキワ姫ウツギに関しても不明・・・

姫ウツギはじか植えの方が良さそうな気がしたので、直植えに。(いきなり盆栽とは違った方向へ)
一方の柳は、店の中では日陰の湿っぽいところにあったのですが、柳は乾燥しているイランやウズベキスタンでもみかけたし。むーん。
国内の柳は日向でも日陰でもどこにでも生えていた・・場所を選ばない木なのだろうか?でも「四万十川」って鬱蒼としていそうな・・
結局ベランダの直射日光に晒されない場所に決定。
鉢の裏をみたら根が水抜きの穴からはみ出していました。
根詰まりしていたので、根をほぐして少なめにカットして大きめの素焼きの鉢に植え替えました。

それから一ヵ月後の四万十川柳が上の写真です。植え方にセンスがない。(汗)
しかし予想外に大きくなっています。
またしても盆栽とは違った方向に進んでいるような気が・・・
姫ウツギも元気ですが何故か枝が地面を這っています。

そういえばハゼの盆栽はどうなったっけ。

Dahl Jensen 夕方のお祈り

2006-06-24 10:39:24 | コレクション

このお嬢さんは写真写りが悪くて、魅力の半分も写せなくて残念。
デンマークの著名な陶芸家、Dahl Jensenのオリエンタルシリーズです。
恐らくインドネシアのバリかジャワの人をモデルにしたのだと思います。マレーシアという噂もあります。
シリーズ中一番人気なのが恐らくこの人形だと思うのですが、完成度も一番ではないかと思います。

猫背加減の背中や反った指先、半分閉じた瞳が一心にお祈りしている姿を良く表しています。
テカリが写ってしまいましたが端正な顔立ちは、インドネシアの高貴な人の顔に近いのではないでしょうか?

-というのはジャワを旅行してみて、階層によって顔が違う人達だと思ったからです。
インドのカーストの影響が未だに残っているようです。昔はインド人の血が入っていないと王族になれなかったとか、高貴な血筋はイトコ婚が
奨励されていたそうです。
勿論現在では平等を謳うイスラム教の国なので身分制度はありません。しかし今でも意識は残っているそうです。-

話を戻してDahl Jensenのオリエンタルシリーズは、微妙に「お題」と人形の顔立ちや衣装が不正確なものがありますが、これは
先にも述べましたようにかなり現地の人に近いのではないかと思います。端正な顔立ちは何度見ても惚れ惚れしてしまいます。
何で上半身が裸なのかは不明です(ちょっと、ありえない)。

横に写っているのはヒンズー教の神様ガネーシャです。インドのお土産。
中々お似合いの二体です。

ガネーシャ様誕生の秘話をひとつ・・・

印度の神様シヴァの息子、ガネーシャの顔はなんと象。
何故にそんなことになったのか・・・諸説あるうちの一般的なものを紹介します。

ある日のこと。
シヴァの妻パルバティーは入浴しようと思い立ち、
自分の垢でもって息子をつくりました。
早速、誕生したばかりの息子に
「私が入浴中は誰も入ってこないように見張っていておくれ。」
といいつけて入浴しておりました。

そこへシヴァが帰ってきました。
破壊神シヴァは、戦争に明け暮れて不在がち。
勿論自分の息子ができたことを知る由もありません。
できたてのガネーシャも、父シヴァを知りません。

ガネーシャはいいつけ通りシヴァを阻みます。
シヴァは自分の妻の入浴所の前に立ちふさがる若い男に腹を立て
争いになりました。
ガネーシャも結構強かったのですが、戦いの神様であるシヴァに
敵うわけもなく、首を切り落とされてしまいました。
そこへパルバティーがやってきて、嘆き悲しみ怒ります。

反省したシヴァは
「よし、生き返らせてやろう。今から最初に通ったものの頭をつけてやるぞ」

二人の前を通ったのは象さんだったのでした。

-おしまい-

なんとタイのバンコクの繁華街には金ぴかで巨大なガネーシャ様の像がありました。
仏教の国なのになんで!?思わず私、お供え物と線香を上げてきてしまいました。

ヒトラー -最後の12日間-

2006-06-23 11:24:52 | 映画
ドイツ映画
お勧め度★★☆☆☆ 

この映画の主題は"ドイツ人が何故ヒトラーを支持したのかを描きたかった"らしい。
しかしこの映画を観ても分からないし、事前に主題を聞いていない人は何言わんとするのかも分からないようです。

「ヒットラー我が闘争」(米映画)ではヒトラーの甘言(我々は選ばれた民族だ)にうっとりするドイツ人が描かれていて印象的でした。

どちらの映画のヒトラーも魅力が無く、「ヒットラー我が闘争」では悪い状況の全てをユダヤ人に責任転嫁する破廉恥な男にしか映りません。
何故大衆はヒトラーを支持したのか。魅力を備えた人物だったからではないのか。だとしたらそれを観たい、と期待していたのですが"ヒトラーを魅力的に描く"事自体に大きな問題があり、無理なことなのかも知れません。

それとも魅力など無く、危機的状況に置かれた国民が、あの制服や炎の祭典、選ばれた民族という言葉に酔わされたのかも知れません。

しかし「ヒトラー -最後の12日間-」を観たのは無駄だったか、というとそうではありません。
幾つか気になる点がありました。

まず、ゲッペルズ夫妻。
この映画の中ではヒトラーよりもゲッペルズの方が残酷な人種差別者に思えました。
夫妻は子沢山で6人(くらい?)の子供を得ていましたが、政権崩壊が確実になると子供達を全て毒殺して後を追います。
「ナチの教育を受けられない未来に残していくことはできない」これが夫人の信条でした。

次に。
物語はヒトラーの個人秘書として雇われた若くて美しい女性の目を通して描かれます。
彼女がヒトラーの下で仕事をするのは恐らく12日間程度。
秘書自身非常に危険な状況に置かれますが、「最後の時までお供します」と側を離れません。
この秘書は若い女性が人気俳優を慕うような感覚でヒトラーを崇拝しています。

つまりこの映画の言わんとすることは、彼女はヒトラーが現実に何をしているのかも分からずに、若気の至りで崇拝していた、ということなのでしょう。
秘書は生き延び、現在の彼女が映画の最後でコメントします。
 「当時私はヒトラーが何をしてるのかも知らずに支持していました。色々起こった事は知らなかったので仕方がなかった、と思っていたのです。
けれど、あるとき自分と同じ年齢のユダヤ人女性の墓碑を見て、初めて自分のこととして考えるようになったのです」

-感想-
その時まで、自分のせいではないと思っていたとは、それは死んだユダヤ人やジプシー達があまりに気の毒です。
本当に知らなかったかどうかについても怪しい、というのが外国からの指摘ですがそれは置いておいて、
自分達が選んだ政権を、積極的に支持し、参加していれば、それは手を下したのと同じです。
現在のドイツ人は「あれはナチスがやったこと」と自分達と区別しているようですが、それは違います。
日本人も2次大戦を一部の陸軍が暴走した、と思っているようですが、当時酷い不況や飢饉だったので戦争をして脱したかったという国民の総意で支持された
戦争だったはず。
国民が裁かれることはないでしょう。しかし罪がないわけでないし、そのうえ一部の裁かれた人間に己の罪までを被せるのは大きな欺瞞でしょう。

Royal Copenhagen 妖精と猫

2006-06-22 10:20:58 | Weblog
今回は私のコレクションではありません。
写真はちょっと拝借したものなので時機に消します。
写真を拝借したお店

ヒトガタは持たない主義といいつつも、欲しいなぁーと思っているフィギュリンです。
勝手に「いやん猫」と命名しています。
この妖精と猫の仕草が可笑しくて大好き。
Royal CopenhagenとDahl Jensenは雑種で不細工な猫をモデルにした作品が多くて、その辺もお気に入りです。

Faun( またはPan )のシリーズは種類が豊富で、生産数もかなりあるようです。
資料を持っていないので(見ると欲しくなるから)詳しいことは分かりませんが、1898-1945年頃までの間に作られていたようです。
けれど、このタイプは余り市場にでることがなく、値段が高めなので高値の花。

これともう一つ気に入っているのが大きなミミズクの下で眠る2匹の妖精。こちらもレアで高価。
現在とても状態の良いものがeBayに出ています。
eBay オークション
もはや手の届かない値段に・・・

他の妖精シリーズは流通しているし値段もそこそこなのですが、数があっても所有者が手放したがらない物は値段が上がるのですね。
妖精と猫のフィギュリンは去年の暮れから5体出品されました。
ミミズクのフィギュリンは今年に入って2体目です。

道 

2006-06-21 13:03:43 | 映画
イタリア映画
お勧め度★★☆☆☆

-紹介文-
"大道芸人が白痴の女を奴隷として買った。男の粗暴な振る舞いにも逆らわず、彼女は一緒に旅回りを続けるが、やがて捨てられる。ある日男は、彼女の口ずさんでいた歌を耳にする…。
人間性を蘇らせるまでを描いたフェリーニの名作。"

アンソニークインだし名画だし、いつかは見ておかなくては、と思い観ましたが嫌な映画でした。
紹介文に対しては「あいつの人間性なんざどうでもいい」と言いたい。
「白痴」という程彼女は頭が悪くないし、感性が豊かなのでまったくやりきれません。
彼女には選択肢が幾つかあった、というのも追い討ちをかけてやりきれない。
人間性が蘇ったところで、彼はこの後どうやって生きて行くのだろうか?
年老いてやり直しもきかない。作者がこの哀れな男に懲罰を与えたかったのだろうか?

私はこの物語とドストエフスキーの「罪と罰」が重なりました。
狂信の聖女ソーニャと白痴の女。
傲慢なロージャと大道芸人。

2人の女は「自分こそがこの不幸な男に付き添ってやらね」ば、と思う。
2人の殺人犯は人間性に立ち返る。

しかし結局のところこの2人の殺人犯ロージャと大道芸人は罪を少しも悔いることがない。

ロージャは「皆が"己が正しい"と主張しあったらこの世は殺し合いになる」と閃いても、
自分が手にかけた者に対するなんの気持ちも無い。

大道芸人は過失で死なせた男のことなど思い出しもしないだろう。
捨てた女に関しても、年老いても相変わらず時代遅れの芸で何とか食っていく生活に
不安と寂しさを感じているところに過去と遭遇してしまった。→なんと酷いことをしてしまった
のか→今では一人ぼっち→我が身が哀れになった。 ということだと思う。 

Royal Copenhagen 蝶の花瓶2

2006-06-20 10:41:53 | コレクション

もう一つの蝶の花瓶です。こちらは紋白蝶として絵付けされたもの。
(紋白蝶としてはちょっと開いた姿に無理が)
先の花瓶は孔雀蝶と勝手に決め込んでいたのですが、色はベージュ(又は青)に塗ってあるので本当のところは不明。

写真では分かりづらいかと思いますがこちらの絵付けはかなり雑です。
開いた蝶の羽の、上の羽が下の羽に重なっている感じが上手く出ていないし、葉脈のような柄もかなり乱暴に描かれています。
とても素敵なデザインなのに惜しいです。

壷の高さは10cm