キ上の空論

小説もどきや日常などの雑文・覚え書きです。

付き添ひの気疲れ秋の雨怠し

2020年09月30日 | 日常
 文章はラジオを聞きながらだと打てないなあと気づいたけれど、架空実況放送は聞いてみたいなあと思ってたので、突っ走ってみる。

 怠いって、俳句はそのまま書くもんじゃないと何度言ったら。病院は付き添いで行くのも疲れますね。

 昨日は疲れてて日記どころではなかったのでござるの巻。

 今日は歩く距離が半分になったけどまあ疲れてる。休めてないのかな。

 実況の実況されてる側の言葉遣いが、今時の時代劇よりちょい古。時代劇は伝わりやすさにおいて、言葉遣いの釣り合いが難しいなといつも思う。今時の人が耳で聞いて伝わることばかどうかってのもあるだろうし。卒爾ながらって、話し言葉では聞かないことばだもの。
 実況の内容が、史実通りにしても、その素養が既に一般的じゃない。「みんなの」娯楽って、実はそんなにない。
 ところどころ咳が聞こえるけど、今なら消したりやり直したりするのかなあ。
 松の廊下というと、つい大石内蔵助と吉良義央のホロスコープを思い出すな。あれモデルに全然違うキャラの話し作れるんじゃないかなあ。吉良様はホロスコープも吉良様。スノッブな感じと言われたけれど、普通に教養ありそうというか、上品で賢い印象はあるものの、そういうのが鼻につく人にはスノッブに見える。

 直して原型をなくすよりは、別の何かを付け足した方がマシかなあ。

 今日は昼寝が長くてその分調子が悪い。

 映画は合いの手を入れて、その合いの手が上手いと拍手しちゃったりしてた時代もあったわけで、自宅の居間じゃないんだからと言いたくなるひどいマナーも、映画の傾向と対策、鑑賞する環境次第だったのかな。ホラー映画の前の方の席でずっと携帯見てた人と、貸し切りでもないのにずっと(怖さを紛らわすために)しゃべり続けてた二人組は許さんけどな。
 近くの客が辛くて見にいかなくなって久しい。最近が『シン・ゴジラ』でそれも10年くらいぶりだったかな。
 一つの長い作品をずっと見ていられる集中力と体力は、もうない。金ローもCMがないと怪しいレベル。

 歩いていた方がネタは出るけど形にするには残存体力が要るんだ。

 一太郎の二連ダッシュをくっつける機能は2020からみたいですね。お財布と相談だ。
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