キ上の空論

小説もどきや日常などの雑文・覚え書きです。

ツイッターで書くことでもない

2021年09月20日 | 日常
 個人的な事情ではありますが、当分(場合によったら年単位)小説はお休みします。
 今、書こうとしてたものと、書くつもりだったものはひとまずまるごと投げ出します。
 また書けるようになったときに書けたら書きますが、当時の文章や当時書きたかったものは当時にしか書けないと諦めた前科はあります。

 古傷がリバイバルヒットかましてきただけです。強いて言えばタイミングと相性が悪かっただけ。
 無理に頑張ってより書けなくなるよりも、しばらくはうずくまって泣いていようと思います。

 また書きたくなるまでは俳句にかまけたい。

 俳句はそれが許される関係性と実力がある人が付け句をすることはあっても、作者本人に「続きは?」って抜かすトンチキは余程でない限り現れない世界なので、安心して引きこもれる。

「続きが読みたい」

 これはかつて、書いた話がある程度たまったら本にしてきた、本にしようとしてきた小説同人誌を出す人だった私を殺した言葉だ。

 その物語のために作った形を、肯定的な気持ちで真っ向から全否定する文言を浴びせてしまう人がいるというのは本当に怖い。
 登場人物と物語とにちょうど良い着地点を探して、そのための言葉を探して、配分と、配置と。そのときの全力で、ここと決めてその形になったものに、「続きは?」「シリーズ化しないの?」と言われて絶望したのを思い出してしまったし、今もどこか諦めてて文章が書けてない気がするわ。
 言った側が悪いわけではなくて、致命的に相性が悪かっただけだとは思う。でも、続いて欲しい物語に出会うことと、続きを求める言葉を相手に向けることが繋がってしまう人とは、あまりかかわり合いになりたくない。

 ドラゴンボールは名作だけど、物語としては見映えのするパーツをちりばめただけの惨殺死体みたいなものだと思っていて、あれは素敵な物語が「物語」になろうとしたところで、暴徒化した続いて欲しい人たちによって、違うものになるべく叩き壊されたのだと認識している。あの暴力的に物語を叩き壊した人たちとは、死んでもわかり合えることはない。
 完結した話に「続きを」と作者に言える人は、あれの同類と名乗り上げることに特に疑問を持たない人なのだろう。多数派なんだろうしね。普通の人。悪いところのない。

 めんどくさい繊細クズは同人の意味が違うところに引きこもります。
 ごきげんよう。
コメント
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